骸と人形3

 ――レンタルスペースで六人の死体とトランクを見つけた後、約束通り一時間ほどで雑居ビルから遺体が棺に運ばれてきた。

 棺を乗せたトラックを運転してきたのは管理局でバイトしているという学生で、彼はうんざりした顔で棺の運搬を手伝ってくれた。


宇岡うおかくんだっけ? わざわざごめんね」

 荷台から棺を下ろしながら夕嵐が声を掛けると、宇岡はかぶりを振った。

「いや、全然……むしろ申し訳ないというか……こういうことってよくあるんすか」

「こういう?」

 玄礼の事務所の下、貸ビルの一階に棺を並べながら、宇岡は言いにくそうに首をひねった。


「なんというか、取引で……人が亡くなったりとか、そういう」

「ああ、あんまり無いよ」

 笑顔で言うと、宇岡は安堵と不審が混じったような顔をした。

「六人も死ぬのはなかなか聞かないね。相当運が悪かったんだろうな」

「運ですか? ……危険物を取引していたとかじゃなく?」

「どうだろうな」


 言いながら、二人がかりで運んだ棺を床に降ろす。

 ビルの一階はコンクリート打ち放しで遮るものも無く、柱が剥き出しの殺風景な見た目は倉庫に似ていた。このビルの一階はまるごと玄礼が借りている。

 その玄礼は特に運搬を手伝わず、壁に凭れて携帯電話の画面を睨んでいた。


「――たまにさ、危険なものだと知らずに流通してることもあるんだよ。鬼市ここで扱う商品は基本的にだから理屈は通じないし。あとは、扱い方を間違えて祟るとかね。よく聞く」

「じゃあ鬼市の商品は全部危険じゃないですか」

「うん、あながち間違ってない。それでも需要はある。人これに従って多く異物を得る、って言うだろ」

「番禺雑記?」

 夕嵐は笑って頷いた。


「もちろん、正真正銘の危険物――他人を呪う道具とか、そういうのをこっそり取引していた可能性もある。それはこれから調べるけど」

 いくら異物を扱うとはいえ、鬼市でも他人を呪うような危険物は禁止されている。トランクの中身がそうだとしたら、少し面倒なことになるだろう。宇岡は釈然としない顔で「へえ」と呟いた。



「あの、あれはなんですか?」

 最後の棺を慎重に床に降ろした時、宇岡がふと奥の方を指差してそう言った。


 壁際に一つ、大きな石棺が置かれている。呪符が表面を覆うほど大量に貼られ、その前に簡素な供物台が置かれていた。倉庫じみた空間とそれは不釣り合いで、どこか異様だ。


 夕嵐は一瞬口ごもり、次いで苦笑を浮かべた。

「玄礼が飼ってる化物の寝床。触らないでね、危ないから」

 宇岡はぎょっとしたように目を見張った。

「化物? 道士ってそんなもの飼うんですか?」

「ああ、いや言葉の綾というか……玄礼は特殊だから」

 首を傾げ、宇岡は夕嵐を見た。


「二人はご兄弟なんですよね。夕嵐さんも道士ですか?」

「兄弟? ――ああ、尾崎さんから聞いた?」

「はい。小さい頃こっちに来たって」

「あー、まあ……そんなもんかな」

 曖昧な返答に宇岡は少し訝しそうに眉を寄せた。

「でも一応、俺は道士じゃないよ。なんだろうな、単なる手伝いだから」

 宇岡は窺うように夕嵐を見る。無言で首を傾げると、彼は慌てたように目を逸らした。

「じゃあ、僕はこれで……明日、また来ます」



 宇岡を見送ってビルの一階に戻ると、玄礼はようやく携帯電話から顔を上げた。

「余計なことを言うな」

 夕嵐は笑みを湛えたまま肩をすくめる。

「あっちが訊いてきたから、仕方ないだろ」

「ヘラヘラ笑ってるからだ。無視しとけよ」

「笑ってないと表情筋が固まっちゃうからね」

 言って、夕嵐は預かったトランクを掲げて見せた。

「で、これはどうする? 俺のそばに置いた方が危なくないよな」

「うん。お前なら何があっても死なないし」

 無頓着に頷き、玄礼は棺に近寄った。手には帳にするためのカーテンを持っている。


「……前から思ってたけど、君は俺を道具か何かだと思ってる?」

「違うのか」

 あっさりとした返答に言葉を失くす。玄礼は構わずに棺の前に置いたスタンドにカーテンを吊るし、棺に貼られた護符を調べ、夕嵐を見上げた。

「蓋を開けてくれ。まず一人、招魂する」

 言われるままに蓋を落とすと、コンクリートに重い物がぶつかる音が虚ろに響いた。わずかに砕けた欠片が足元に飛んでくる。


 横たわっていたのは三十代ほどの男で、濡れたスーツ姿のままで棺に入れられていた。


「身分証か何か持ってないか? 名前が分かればやりやすい」

「うーん、持ってたら尾崎さんが言いそうだけど」

「商談だぞ、名刺はさすがにあるだろ」

 夕嵐は死体を探り、スーツの内ポケットまで見たが、不自然なほど何も持っていなかった。


「――変だな。何も持ってない」

「何も? そんなことあるか? 紙切れでも何でもいい」

「本当だって」

 玄礼はしばらく疑わしそうに目を細めていたが、やがて諦めたのか息を吐いた。

「……香炉と蝋燭、それと墨と筆。持ってこい」


 命じられるままに必要な道具を用意し、簡素な壇を設けて一階の電気を落とす。暗い中、二本の蝋燭の明かりだけがふらふらと頼りなく揺れていた。

 焚いた香の匂いが広がってゆく。カーテンの前、壇の元に正座し、玄礼は紙に墨で大きく門を描いた。

 夕嵐は棺のそばに佇み、その背を眺めていた。壇とも呼べないほど粗末なものだが、玄礼には気負う様子も無い。


 やがて、ヒューッと長く奇妙な音が鳴った。尾を引いて余韻が残る。虚ろに反響した音の正体を、夕嵐は知っていた。玄礼の口笛――長嘯ちょうしょうだ。


 嘯の緩やかな抑揚と共に、ゆっくりとカーテンが揺れる。蝋燭の明かりに浮かび上がった布地に、徐々に人影の輪郭が現れた。

 ――鬼が現れたのだ。

 蝋燭がじりじりと燃える。招いた鬼――つまり死者の霊と話せるのは長くとも蝋燭が一寸燃えるまで、約十分だ。今回は名前が分からないので、より短いだろう。

 人影に目鼻立ちがぼんやりと浮かぶ。それは死体のものと似ていた。彼は茫洋とした表情で項垂れている。


「夕嵐、話を」

 玄礼が抑えた声で命じる。夕嵐は棺の死体を指差した。

「あなたはこの身体の主ですか?」

 夕嵐の問いかけに、彼はさらに深く項垂れる。頷いたようだった。

「お名前を訊いても?」

 相手は戸惑ったように眉を寄せ、顔を上げた。声は無く、ただ唇を動かしている。

「あ……あ、おき? アオキさんかな?」

 分からない、と玄礼が呟く。呼び出した彼は喋ることはできないようだった。


「まあ、名前はいいか。――あなた、何か取引に関わっていたでしょう。これ、見覚えありますか」

 トランクを掲げると、彼は不意に顔を歪めた。喉のあたりを押さえ、身を屈める。カーテンが撓む。

「答えてください。中身をご存じですか? あなた方、何を取引したんです?」

 彼は嫌がるように首をのろのろと振り、身を震わせる。布地に浮かぶ影は恐慌をきたしていた。


 玄礼が振り返らないまま、押し殺した声で言う。

「夕嵐、質問を変えろ」

「えー……じゃあ、なぜ死んだのか分かりますか? 何が原因?」

 もどかしそうに宙を掻き、彼の曲がった指先が夕嵐の持つトランクを指差した。

「これ?」

 彼は恐怖に顔を歪め、身体を折る。拒絶するように激しく首を振り、同時に甲高い音を立てて香炉が欠けた。


 風も無いのにカーテンが大きく揺らいでいた。バタバタとはためき、スタンドが軋む。二本ある蝋燭の片方の火が絶えた。何かに抗うように影の男は藻掻き、口から何か溢れさせる。ごぽりと水が零れたような音が立つ。

 ヒューッと、どこからか甲高い音が鳴る。

 玄礼ではない。

 鬼の哭き声だ。


 ――唐突に、カーテンが落ちた。


 カーテンはバサリと音を立てて地面に落ち、スタンドも同時に倒れた。布地に映った男は消え、口笛に似た音も止む。


 いきなり恐ろしいほどの静寂が訪れた。夕嵐は茫然と立ちすくんでいたが、壇の前に座ったままの玄礼を見て我に返った。


「玄礼、大丈夫か」

 トランクを置いて慌ててそばに寄ると、玄礼は座り込んだまま強張った顔で夕嵐を見上げた。

「臭いが……潮の臭いだ」

「は?」

「濡れてる」


 玄礼は落ちたカーテンを指差す。戸惑いながらそれを摘まみ上げ、布がぐっしょりと濡れていることに気づいて愕然とした。引き上げた布の端からポタポタと水が垂れる。

「なんだよ、これ……」

 振り返ると、玄礼は血の気の失せた顔で棺を睨んでいた。夕嵐の視線に気づくと何か言いかけるように口を開き、ふと目を逸らす。


「あのトランク、お前、開けたか?」


 玄礼の視線の先、置いたトランクの留め具が、いつの間にか外れていた。

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