骸と人形2
指示された雑居ビルに辿り着いた二人は、看板の下に佇む
「久しぶりだね」
彼女は端正な顔に薄笑いを浮かべていた。
「わざわざ悪いけど、危険が無いか確認してほしいの。このビルの三階にあるレンタルスペースで商談があって、最中に商品が暴れてみんなやられた――っていう通報が入ってる。ちなみに私が着いてから、誰もこのビルから出てこない」
「そうですか」
「あと、今日の利用客は三階の人たちだけらしい。だから、ビルの中でもし生きてる人に会ったら保護してね」
「安全が確認できたら、こっちから電話します。それでいいですか?」
「うん。でも勝手に部屋の中には入らないでね。一応、監督責任というやつがあるの」
「分かってます。――夕嵐」
玄礼に背中を小突かれ、夕嵐は先に立ってビルの中に入る。一階は日中に営業している喫茶店らしく、テーブルと椅子が乱雑に置かれていた。
「斥候扱いか」
自嘲するような呟きが背後から聞こえ、夕嵐は肩をすくめた。
「君も俺を斥候にしてるけど」
「わけが違うだろ」
「そうかな。あ、これ持っていこう」
床に転がっていた鉄パイプを拾う。どういう喫茶店だ、と玄礼が呆れ混じりに言った。
奥にエレベーターがあり、二階で止まっていた。一瞬躊躇ったが、夕嵐はすぐにエレベーターのボタンを押す。
「非常階段、封鎖されてた」
遅れて追いついた玄礼がそう言った。同時にエレベーターのドアが開く。
のろのろと動くエレベーターで三階に上がり、薄暗い廊下に踏み出した。等間隔に蛍光灯で照らされた廊下の両側にドアが並んでいたが、玄礼は迷わず突き当たりにあるドアを指差す。
「あそこだ。変な……海みたいな臭いがする」
「へえ、俺には分かんないな」
「いいから行け」
背中を押されて廊下を進む。突き当たりのドアはロックが掛かっており、暗証番号を入力するキーパッドが備え付けられていた。ドアにスコープのようなものはなく、部屋の中がどうなっているのか知る手段が無い。
「これ、中に入っちゃ駄目なんだっけ?」
「でも確認しないといけない」
「尾崎さんも無茶言うよ。暗証番号なんて分かんないしなあ」
試しに適当な数字を打ち込んでみたが、外れた。エラーで赤く光る画面から目を逸らし、責めるように睨んでくる玄礼に曖昧に笑ってみせる。
だが、視線を落とした先、ドアの下から何かの水が染み出していることに気がついた。
ゆっくりと広がる水は靴の先を濡らし、跳ねた水滴が裾を濡らす。
「玄礼、ちょっと離れて」
そう言うと、玄礼は眼鏡の奥で疑わしそうに目を細めた。
「……何する気だ?」
「確認だけど? ほら、もっと離れて」
不審そうな玄礼を押しやり、夕嵐は止められる前に鉄パイプを構えた。
「――おい、夕嵐!」
玄礼の怒声に一瞬遅れ、金属同士がぶつかる嫌な音が盛大に響いた。
砕けたプラスチックと金属の破片が足元に散らばる。ドアノブが毀れたのを見て、少し歪んだ鉄パイプを下ろした。
玄礼はしばらく絶句していたが、我に返ったように夕嵐に向かって怒鳴った。
「お前、もっと他にやり方があるだろ!」
「一番手っ取り早くない?」
「弁償しろって言われたらどうするんだ!」
「……ああ、まあ、その時はごめん」
適当に答えながら、鉄パイプの先でドアを押す。軋みながら開いたドアの向こう、水浸しの部屋が見えた。
「ひどいな……」
角度の問題で全体は見えないが、床に転がる椅子と投げ出された人の腕が見えた。
「誰か、あー、聞こえてたら返事してください」
反応は無い。玄礼の方を振り返ると、彼は青白い顔で眉をひそめた。
「特に危険な感じはしないが、変だな」
「しないんだ」
「しない。でも、人は倒れてる……」
「生きてるかな?」
玄礼はそれには答えなかった。
「……とりあえず、尾崎さんに連絡。危険は無いけど人が倒れてるって」
「矛盾してない?」
「いいから電話しろ」
言われるままに携帯電話を取り出し、玄礼を見る。
「これ、レンタルスペースってことはたぶん企業じゃなく民間の商談だったんだよな? 危険性の高い
「ああ。――危険性に無自覚だったのか、自覚していたのか」
玄礼はわずかに表情を暗くした。
「無自覚なら不幸な事故だ」
「自覚していたら?」
「その時は……厄介だな」
玄礼が何を想定しているのか分かっていたが、夕嵐はそれ以上追及せずに水浸しの部屋から目を逸らす。
電話口に出た尾崎は、夕嵐からの簡単な説明に対して大きく溜息をついた。
『倒れてるって、どんな感じなの』
「さあ。よく見えないので」
『死んでそう?』
その問いに失笑した。
「かもしれませんね。俺たちはどうすればいいですか」
『とりあえずそこに待機して。あとで私も行くから。今、バイトの子待ってるの』
「バイト? いきなりこんなので大丈夫ですか?」
『管理局の人材不足は深刻なんだよ。使える子だから、脅かさないでね』
「そんなことしませんよ。じゃあ、あとで」
愛想良く言って電話を切る。聞こえていたのか、玄礼が皮肉っぽく言った。
「いっそ管理局に転職するか」
「うーん、君は無理じゃないかな」
「なんでだよ」
「ほら、人道的な問題で」
玄礼は低く舌打ちした。
「要らないことを言うな」
「黙って従えって? 兄に対する態度じゃないな」
険のある目が薄笑いを浮かべる夕嵐を射抜いた。
「――お前は俺の兄じゃない」
冗談なのに、と肩をすくめた時、廊下の先のエレベーター、その階数表示が動いているのが視界の端に見えた。
玄礼も気づいたのか、緊張したように身体が強張ったのが傍から分かった。
「夕嵐」
囁かれた先の言葉を察して頷く。
「分かってる。――俺は君の傀儡だ。余計なことは言わない」
「……嘘はつくなよ」
「そんなことしないけど」
どうだか、という言葉は聞こえないふりで、廊下に向き直る。開いたエレベーターのドアから、尾崎と共に若い学生のような男が向かってきていた。
夕嵐はいつものように笑顔を作って声を掛けた。
「尾崎さん――と、そっちの若い子は初めてかな?」
胡散臭い笑顔だな、という隣の呟きは気にしないことにした。
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