第44話

「誰か来てるっすかね。一階賑やかじゃないっすか?」

「剛も思ったか? 自分もそれは感じだぞ」


 着替えを終え一斉に一階に移動しながら羽鳥と梶山が自分の目の前で話した内容に思わず苦笑いを浮かべた。まあ二人がそう思うのも無理はない。日頃この棟内で、女性の声などそうは耳にはしないうえに、笑い声が事務所から聞こえることなど自分も今まで働いていて一度もない事。そんな状況なのだから不思議がるのは仕方がない。ただその声の主を自分は知っているだけに、これからの展開が目に浮かぶ。お陰で自分の脳裏には憂鬱という言葉が飛び交っていた。そんな自分の目先で先に一階に踏み入れた梶山が首を事務所の方に向ける。


「何だか、楽しそうだな。ちょっと覗いてみちゃったりして」

「剛。やめておけ。米内さんの客人だったらどうする」

「大河の言う通りだ。とりあえず自分達はタイムカードを押して帰宅しよう」

「まあ、それが無難なんですけど。やっぱり気になる……」


 足音を殺しながら梶山はドアの方に耳をあてがった瞬間、扉が開いた。鈍い音と共に、彼が頬を押さえうずくまる。


「皆さんお疲れ様です。おや? 梶山君どうしましたか?」

「き、気にしないください……」

「剛の自業自得なんで、本当に気にしなくて良いです米内さん」

「実々瀬君……」


 はっきりとした物言いに自分の視界に入る米内が苦笑いを浮かべたものの、すぐにいつもの表情に戻る。


「丁度良かったです。皆さん一緒で。実はですね」


 すると事務所の奥からゆっくりと母が顔を出し、一回頭を下げた。いきなり頭を垂れられ不思議そうな表情を浮かべる彼等を目にし、恥ずかしさの余り目を反らす。そんな一人だけ違う反応をした自分に隣に居た戸乃立が視線をこちらに向けた。

「茂宮君?」

「はははは」


 空笑いをした直後、すぐさま肩を竦め溜息をつく。その直後、母は再度彼等の前で頭を下げた。


「いつも息子がお世話になっております。茂宮健吾の母でございます」


 一瞬その場の空気が止まると同時に、諸先輩方の視線が自分に集中する。


「うちの、お袋です」


 すると彼等は一斉に頭を下げた。


「こちらこそ、いつもお世話になっておりあす。俺、彼の指導役をやらしてもらってます実々瀬です」

「俺は、梶山って言います。健吾より一つ先輩で、仲良くやらせてもらってます!! で俺と同学年のが健吾の隣にいる」

「ど、どうも。戸乃立です」

「おう。あと自分か。この中では一番バイト歴が長い羽鳥です。健吾はこんな特殊なバイトだというのに、頑張ってやっています。実に将来が楽しみです」


 そう羽鳥が言い切った直後、彼女の表情が一瞬替わり、母の視線が彼を捉え続けている事に気づく。それは凝視されている羽鳥も分かったようで、彼女に満面の笑みを浮かべた。


「健吾の母さん。どうかなされましたか?」


 その声に、我に返った母は穏やかに笑ってみせる。


「いえ、先程米内さんからも皆さんが健吾と仲良くやって頂いていると聞いて本当に安心しております。それにこうやって会ってみても皆さん仲良さそうで。本当健吾は人に恵まれました」

「って言う事で俺先帰りますね。お疲れ様でした!!」


 居た堪れない思いそのままに勢いで駆け出すように母を引き連れ、その場を離れる事暫し足を進めた所で、足を一旦止め、チラリと彼女の方を見た。すると、何となくではあるがいつもの母と様子が違う。少し反省をしてくれたのかどうかはわからないが、とりあえず小言はアパートに帰ってからと心に決め、再び歩き出した。


 その後、黙々と歩きアパートに着き、暫く経つも、管理棟で声を上げて以降、母から何も語られる事なく、時間が過ぎていた。自分は兎も角、いつもの母なら『そんなに怒らなくても良いじゃない』とか『男の癖に器がちっちゃいわよ』とあっけらかんとした表情で言ってくるかと予想はしていたが、全くそんな事を言ってくる気配がない。それどころか予想に反し、どういうわけか彼女の周りに自分以上に重い空気が覆っているように感じるのだ。


(全く。凹みたいのは俺の方なんだけど)


 だいたい、彼女があそこまで凹む意味がわからない。自身が様子を伺いたいが為、プールまで見に来て、しかも一緒に働くメンバーにも会え、管理責任者である米内とも話が出来た。それだけみれば、あんな常態に陥る要素が見つからないのだ。


(あっあああ。もう、わけわかんないんだけどーー)


 胸の中で悶絶を繰り返すも流石に疲れもあり容易く気持ちの糸が切れ、母を睨む。


「なあ。一体何なんだよ。自分で来たくてバイト先迄来たのに、そのお通夜みたいな感じ。本当に嫌なんだけどさ。俺の方がよっぽどそんな気分なんですけど!!」


 すると母がキャリーケースから何かを持ち出し座り込み、今まで聞いたことのない程の深い溜息ついた。


「何とか言えよ!!」


 荒げる声が響くも、それには応じず視線を天井を見つめ、プール場から一切口を開かなかった母が、自分の名前を呼んだ。


「一つ、聞いても良い?」

「何だよ」

「羽鳥さんっていたでしょ。あの方って兄弟いるの?」

「いるよ。下に弟が。でも兄もいたらしいけど、亡くなったって」

「そう…… 何歳ぐらいで亡くなったのかしら?」

「そんな事、聞けるわけないだろ!!」

「…… そうね。でも些細な事で良いの。他に何か言ってなかった?」

「それ拘る事なの? 今も言ったけどおいそれと聞ける話じゃないだろ?」

「そんな事っ お母さんも理解してる…… でも、健吾お願い…… 他に何か羽鳥さん言って無かった?」

「…… 確か名前が学って言ってたかな。っていうか今俺が話してる事何か必要な事なの?」


 天井を見上げていた母親が頭を垂れつつ、自分の方へ姿勢を正しながら、正座をした。そして、過去に例を見ない神妙な面もちで、前へと手を差し出す。


「健吾。ちょっと話したい事があるの。ここに座って頂戴」


 あまりにも真剣な表情に、自分は母の言葉に従い前に座る。



※※明日20時以降更新。烏滸がましいですが、星、感想頂けると至極嬉しいです※

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