惑いの森 ④


 カトリナとのドゥエルが決定してからというもの、【知の部屋】でミアに話しかける者はいなくなった。ミアが正式に、クラス内の女王様のような存在であるカトリナの敵になったからだ。


 ミアが教室へ入るとクラス中がシーンと静まり返り、机へ向かって歩きだすとひそひそと何か囁かれる。

 この扱いにも慣れてきた。ミアは古びた椅子に腰をかけ、教科書を開いて黙々と今日の小テストの勉強を始めた。


 カトリナの話を聞いてから勉強へのスイッチが入ったミアは日々努力し、なかなか高得点を取れずにいた小テストでも徐々に最高点近い点数を叩き出すようになった。知の部屋の成績順位は毎日新しく出されるが、一位はカトリナ、二位はミアという状況が続くようになった。



 そんなある日の休み時間、ミアは突然カトリナに廊下に連れ出された。


「ズルをしているのではなくって?」


 長い髪を手で払いながら、カトリナはミアを壁に追い詰めて聞く。何の話か分からず首を傾げるミアに、カトリナが続けてまくしたてた。


「あなたのような途中から参加した身の庶民がどうやってあんな高得点を取るんですの?おかしいですわ。カンニングでもしているのでしょう」


 どうやらカトリナは、ミアがこのよりすぐりの知性を持った生徒の集団である【知の部屋】で二位を取り続けていることが気に食わないらしい。


「授業に追いつけるように、頑張って勉強してるからだよ。本当にズルをしているなら、どうして二位なんていう中途半端な位置で止まるわけ? ズルをするなら徹底的に、あなたのことも追い抜いてる」


 ドゥエルがあることもあり、ミアは授業の予習復習はもちろん、寮でテオやブルーノにも一年生の授業で重要なポイントを教わっていた。ミアがテストで高得点を取る理由は、元々勉強が好きであるのと、魔法に対しての興味が多分にあるのと、努力の量に他ならない。


「へえ。頑張ったけれど、わたくしには勝てなかったんですのね。所詮その程度ということですわ」


 難癖をつけたことを謝罪する素振りもなしに、くすくすと口元に手を当てて嘲るカトリナ。

 しかしミアは平然と同意した。


「うん。めちゃくちゃ頑張ったんだけど勝てなかったよ」


 ミアが悔しそうでも何でもないことにカトリナは驚き、目を見開く。


「あなたはとても知的で、頑張り屋さんなんだね。カトリナ」


 それはミアからカトリナへの、心からの称賛だった。

 カトリナはぽかんと数秒間抜けな表情でミアを見つめる。


「……当然ですわ!」


 捨て台詞のように語気鋭く言い放ち、くるりと踵を返したカトリナは、カッカッ! とヒールを鳴らして教室へと戻っていってしまった。


 その背中を見つめながら、ミアはふと喉の乾きを感じた。二限目は魔法体術の授業で、かなり体を動かしたのだ。何か飲み物がほしい。


 フィンゼル魔法学校の廊下では、小さな妖精の売り子たちが食べ物や飲み物を生徒に売ろうと飛び回っている。学内での買い物は、決して燃えない型紙でできた名刺――学生証として使われているやや茶色がかった紙を提示すればできる。ミアは昨日養護教諭アブサロンにその名刺をもらったばかりだった。早速使ってみようと思い、言葉を喋れない売り子の妖精たちに名刺を差し出し、欲しい飲み物とパンを指差すと、妖精はにっこりと目を細めて指示されたものを渡してきた。


(すごい、本当に買い物できた……)


 返してもらった名刺を握り締め、正式な生徒でもない自分にこの学校の制服や学生証を与えられる養護教諭アブサロンは一体何者なのだろうと疑問に思う。

 毎日お昼休みには保健室へ行き、お茶をするほどの仲になったが、アブサロンはミアにとっては未だによく分からない人である。


 呑気に考え事をしながら教室へ向かっていると、学内のあちこちを飛び交うゴーストたちが歌い始め、授業の開始を知らせた。


 ――まずい。もう始まる。


 焦って走り出すが、教室のドアや窓はぐにゃぐにゃと歪み始め、姿を消し、ただの壁と化す。授業が始まると、外に居る者は教室へは一切入れなくなるのだ。


(……やっちゃった)


 フィンゼル魔法学校の時計はミアが記憶している時計とは異なり数字の数が少なく、記憶と合致しているのは円形に数字が配置されているという点のみであるため、未だにミアは時計が読めない。休み時間は感覚で測り、このくらいだろうという時間に周りの生徒の様子を見ながら教室へ戻っている。そのため、読みを外すと授業に遅れるのだ。


 ミアが落ち込んでいたその時――どこからか小さな背丈をした幼い少年のゴーストが飛んできて、ミアの被っていた帽子を奪った。驚いて顔を上げる。

 フィンゼル魔法学校で支給される魔法のとんがり帽子には、集中力を高める効果や同じ色の帽子を被っている者同士で念話ができるような効果がある。そのため授業によっては帽子所持必須のこともあり、なくなっては困る物だ。


「――あれってもしかして、アブサロン先生が言ってた悪戯好きのゴースト!?」


 ミアは慌てて帽子を奪ってきたゴーストを追いかけた。動く階段を降り、校舎の外へ出て、魔法の噴水を通り過ぎ、飛び回る炎を頼りに川に沿って走る。フィンゼル魔法学校の広大な敷地をいつまでも走るミアだったが、ゴーストの方は体力という概念がないらしく、余裕そうに空中を飛んで逃げていく。

 ゴーストを追いかけているうちに走り疲れてしまったミアは、ぜえはあと肩で息をする。目の前には、深い霧に包まれた、針葉樹林が並び立つ怪しい森があった。ゴーストは森の中に消えていき、見失ってしまった。


 ミアがおそるおそる森に足を踏み入れた瞬間、付いてきてくれていた炎がふっと消えた。学校の校舎内にいる火の玉は、生徒を気まぐれに守る存在であると聞いている。そんな火の玉が消えるというのは不吉だ。

 突然周囲が冷ややかに、真っ暗になる。ミアはポケットから杖を取り出し、魔法で明かりをつけた。炎ではなく光の玉が、今度はミアの行く先を照らしてくれている。足元は見えるようになったが、濃い霧のために先までは見通せない。


目を凝らしながら先へ進んでいた――その刹那、どす黒く嫌な気配が凄いスピードで迫ってくるのを感じたミアは、ばっと振り返って杖を構えた。

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