知の部屋 ④


 森の中の道は、進めば進むほど暗くなっていく。足元には枯れ葉が敷き詰められ、木の根が這いずっており、風は冷たく、草木の葉が音を立てて揺れている。途中でカトリナが魔法を使って杖の先に火を灯してくれたが、自分たちの手前しか見えない程度の光だ。


 道はどんどん狭くなり、立ち並ぶ大木の数が増えてきた。不気味な気配が漂い、緊張したミアの心臓の鼓動が速くなっていく。時折、遠くから獣の鳴き声が聞こえ、そのたびにミアはびくりと体を揺らした。

 森に潜む動物たちの微かな音が不気味な静寂をより際立たせる。そのうち、道が急にわずかな下り坂になり、足元が不安定になってきた。大きな石が転がっており、一歩踏み外すとまた転んでしまいそうだ。


「見つけましたわ」


 注意深く足元を確認しながら進んでいたミアは、カトリナの声にようやく顔を上げた。


 目の前に広がったのは、神秘的な光を放つ湖沼だ。湖沼の底には電気を発生させる植物が生息しており、それが水に伝わっているのか、水面に弱い電気が流れている。

 その水辺に、虹色の鱗と翼を持った巨体――フェザースケイルの姿があった。


「……授業で習ったものより大きくありません?」

「ほ、本当です。もっと小さいものかと……」


 カトリナとミア以外の二人が焦った様子でひそひそ声で話し合う。

「カトリナ様、戻りましょう。明らかに想定していたサイズと違います。一度先生をお呼びして……」

「そんな弱気なことでどうしますの。フェザースケイルは攻撃さえしなければ襲ってきませんわ」


 カトリナは目の前にいるフェザースケイルの大きさを気にもせずに歩を進め、羽を休めるフェザースケイルに近付いていく。


(すごい、こんな生き物いるんだ。もっと見たい)


 ミアも好奇心からカトリナの後に続く。その様子を見た後ろの二人は顔を見合わせ、怯えるような表情をしながらもゆっくりとした足取りでカトリナたちに付いていく。


 そうして四人がフェザースケイルの目前まで来た時――がさり、と足元の枯れ葉が音を立て、フェザースケイルの頭がこちらへ向いた。大きな目がまるで獲物を狙うかのように光り、女生徒が「ひぃっ」と悲鳴を上げた。そればかりか、動揺から杖を振り、魔法で火を放ってしまった。


「攻撃してはいけませんわ!」


 カトリナが注意するが、女生徒二人は動揺しており、杖を振り回してフェザースケイルに魔法攻撃をぶつける。一年生のこの時期、知の部屋の生徒はろくに魔法を扱う授業を受けていない。コントロールしきれていない攻撃は四方八方へ飛び交い、湖沼の近くにいる他の生物にも混乱を招いた。

 フェザースケイルの本来の性質は極めて獰猛だ。空に向かって嘴を向けたフェザースケイルが鳴き声をあげる。そのあまりの音の大きさに、ミアたちの身にビリビリと痛みが走った。


 防御魔法を利用し、フェザースケイルと自分たちの間に大きなシールドを張ったカトリナは、隣にいる生徒たちに大きな声で命令する。


「バルバラ先生を呼んできてくださいませ! それまでここはわたくしがどうにかします!」


 きっとバルバラなら、催眠魔法でこのフェザースケイルを眠らせることができるだろう。これだけの巨体を持つ魔法生物を制御するほどの魔法はいくらカトリナといえどまだ使えないようだ。

 しかし、パニックに陥っているらしい女生徒たちは、青い顔をして杖を振り回すばかりだ。


「攻撃してはなりませんと言っているでしょう! 絶滅危惧種ですわよ!?」


 深い森の奥、手を貸してくれそうな他の生徒もいない。他のグループに後れを取らないために、誰よりも早く奥まで進んだことが悪い方向に働いてしまったようだ。

 怒っている様子のフェザースケイルはその大きな爪でカトリナの張ったシールドを何度も引っかく。カトリナのシールドが攻撃によって壊れかかっているのが分かり、ミアの額にも汗が伝った。



 ――その時、ミアの脳裏を過ぎったのは、毒の花が咲き誇る中庭で見た、ブルーノの美しい幻影魔法だった。



 ミアは咄嗟に首にぶらさがったネックレスの先に繋がる鍵を握り、ブルーノがあの時唱えていた呪文を叫ぶ。


「――シュライア・イリュージョン!」


 突如として羽の生えた小魚の大群が現れ、空を泳いだ。


 すると、フェザースケイルがこちらへの攻撃をやめ、ぐりんと大きな頭を小魚たちの方へ向けたかと思うと、空を飛び交う小魚を追っていく。

 フェザースケイルが大きく羽を動かしたために強風が巻き起こり、女生徒たちの髪の毛はボサボサになった。もちろん、ミアの髪もだ。


「……よ、よかった。今のうちに早く戻ろう!」


 ひとまずフェザースケイルの姿が見えなくなったことに安堵する。しかし、まだ油断はできないため、怯える女生徒たちの手を取って走り始めた。



 来た道を戻るように走り抜けた四人は、すぐに使い魔を通してバルバラに状況を伝えた。バルバラとしても、生徒の命を脅かすほどの巨大なフェザースケイルがこの森に生息しているのは想定外だったようで、実習は一時中止となった。


 バルバラからの連絡を受け森の中から戻ってきた生徒たちが、気遣うようにカトリナを囲む。


「ご無事ですか。カトリナ様」

「基本的には温厚な生き物のはずですが、怒らせては危険ですものね。カトリナ様にお怪我がなくてよかったです」


 しかし、カトリナは周りの生徒たちからの呼びかけには一切反応せず、深刻な表情をしてしばらく何か考え込んでいたかと思えば、急に顔を上げ、走り疲れてベンチに座って休んでいるミアの方を睨んでくる。

 そしてずかずかと大きな歩幅で歩いて近付いてきて、胸ぐらを掴んで自分に引き寄せ、厳しい口調で問いかけてきた。


「さっきの呪文はどこで知りましたの? 幻影を見せるなんてことは、高学年で習う魔法のはずですけれど。まさか、そこまで先の分野まで完璧に予習を?」

「違うよ。この呪文、一回だけ聞いたことがあって……。うまく使えるかは分からなかったけど、もしかしたらフェザースケイルの好物の空飛ぶ小魚も再現できるかもって」

「まさか、初めて使いましたの? ……そういえば、あなた杖も持っていませんでしたわね……」


 信じられない、とミアに疑いの目を向けてくるカトリナ。

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