空が光った日 ⑦

 保健室の前まで来た後、ミアは中で着替えるからと言ってブルーノを部屋の前で待たせ、自分だけ中へ入った。


「アブサロン先生、私決めた!」


 そして、入るなりアブサロンにそう伝えた。


「記憶が戻るまで魔法の練習する」

「へえ? この短時間で魔法に興味が出たのかい」


 本を読んでいたアブサロンは面白そうに本を閉じ、ミアの方に椅子ごと体を向ける。


 ミアはさきほどのブルーノの魔法に魅せられていた。あのような魔法を使ってみたい――記憶を失ってから初めて抱いた憧憬である。


「きっと私も魔法を使っていたんだよね? だったら、魔法の使い方を思い出したい。ここで隠れている間に例のエグモントって人より強くなったら、ちゃんと私の話も聞いてもらえるかもしれないし」

「え? あいつより強くなる気なの?」


 ミアは真剣だが、アブサロンにとってその発言はとてもおかしいものだったようで、弾けるように大笑いしてきた。ベッドで寝ている生徒もいるのに、とミアはひやひやする。


「いいね、最高だ。あの生意気なエグモントが君みたいな年下の女の子にぶちのめされる姿、見てみたいものだよ」


 アブサロンはそう言って、制服を返そうと着替えの準備をするミアを手で制止する。


「それなら、記憶が戻るまでうちの学校の生徒のふりをするのはどうだい? それでオペラを目指すんだ」

「オペラを?」

「学内の治安維持組織オペラには特権がある。かつて魔法書を独占していた王族が建てた図書館、王立魔法図書館の一部への出入りを許されるんだよ。書物の持ち出しは禁止だし、見た内容は他人に教えちゃダメな決まりだけどね」


 ミアはそれが自分に何の関係があるのか理解できず首を傾げる。アブサロンはふふっと悪巧みをするように笑って説明を加えた。


「魔法攻撃による記憶喪失なんていう普通じゃありえない状況についての記述も、そこならあるかもしれないってことだよ」


 合点がいったミアはじゃあオペラになる! と言いたいところだったが、すぐにハッとして消極的な態度を取った。


「でも、オペラってブルーノと同じくらい優秀じゃないとダメなんだよね?」


 ブルーノに見せられた高度な幻影魔法を思い返すと、自分がすぐにあんな魔法を使えるようになるとは到底思えない。

 しかし、アブサロンは容赦のないことを言ってくる。


「エグモントに勝つつもりなら、オペラくらいなってもらわないと困るよ。エグモントはこの学校のかつてのオペラだからね」


 ミアに衝撃が走った。ようやくどれほどだいそれた発言をしたのか自覚したのだ。


「……やっぱり無理かも……」

「何弱気になってるの? あいつをぶちのめすところ、ぼくに見せてくれるんだよね?」


 前言撤回はさせないよ、と意地悪く笑うアブサロン。どうやらミアのエグモントに勝つという発言が余程気に入ったらしい。

 ミアは焦って汗をかきながら、どうにか逃げ道を探そうとする。


「オペラになれるのって三年生からだよね? 三年生の授業にこっそり紛れるの? 私、魔法の知識ほぼゼロなのに」

「一年生のうちに優秀な成績を収めれば、二年次に上がる頃にはオペラ見習いになれる。王立魔法図書館の一部に入れるのは見習いも同じだよ。一年生の授業に紛れてゆっくり魔法の勉強をしながらオペラを目指すといい。そうこうしてたら何か思い出すかもしれないしね」


 これ以上どう説得しようとしても言いくるめられる気がして、ミアは諦めたように口を閉ざした。


 あのレベルに到達できる自信はないにせよ、もしも自分がブルーノのように魔法が使えるようになったらと想像すると、やはり気持ちが高揚する。目指すならあそこがいい――そう思ってしまう自分もいるのだ。


「……頑張ってみる」


 ものすごく小さな声で言ったミアに、アブサロンは「そうこなきゃね」とにやりと片側の口角を上げたのだった。



   * * *



 一方その頃、魔法省では。


 定例会議中、機嫌よくサインをしていたエグモントが、ふと万年筆を走らせる手を止めた。周りはその様子の変化に怯え、顔を見合わせる。


「ど、どうなさいましたか、エグモント様」

「――いや」


 撃墜したはずの侵入者の気配が、消えないどころかどこかでわずかに動いたのを感じたのだ。考える素振りを見せたエグモントは、ふ、と少しの面白みを感じているかのように、口元だけで笑った。その微笑は冷たく美しく、周囲をほうっとさせる。


「この僕の一撃を受けてまだ生きているとは、興味深いですね。しかし野放しにはできません」


 エグモントがすっと手を上げると、空中に毒の花の紋様が浮かんだ。


「侵入者の体のどこかにはこの印が刻まれたはずです。死なない限り消えない印が。探して殺してください」


 苛烈な内容に反してあっさりと下された指示を聞くやいなや、部下たちが動き出す。エグモントの命令とあらば、一分一秒でも早く遂行しなければならない。


「鬼ごっこをしましょう、侵入者さん」


 椅子の背もたれに背を預け、豪華な天井を見上げたエグモントは、クスクスと楽しげに笑った。


「楽しませてくださいね」

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