空が光った日 ③



 しばらくして、学校の保健室に到着した。ひんやりとした空気が流れる廊下とは違い、保健室の中は暖かく、白いカーテンで仕切られたベッドがいくつも並んでいる。そして、壁にミアにはよく分からない符号のような文字や、図形のようなものが刻まれていた。


「あとは任せていいですか。アブサロン先生」


 ブルーノが養護教諭に寮の最上階にミアが降ってきたこと、記憶を喪失しているようであることを伝える。

 養護教諭の名前はアブサロンというらしい。テラコッタ色の短髪をした若い男性だった。耳にぶら下がるローズクォーツのピアスを揺らし、クスクスと色気のある笑い方をしている。


「うん、いいよ。色々分かったらまた呼び出すね。それまで例の依頼をこなしておいてもらえるかな。君たちなら一時間くらいで終わると思うから」

「げ、例の帽子泥棒のゴーストの話っすよね。俺二年の時あいつに帽子取られたから苦手なんだよな~」

「そうそう。あのゴースト、最近また悪戯に生徒の帽子を奪い始めたから新入生たちが困っててね。よろしく頼むよ」


 テオとアブサロンが話すのをミアは黙って聞いていた。会話の調子から推測するに、テオたちとアブサロンは仲がよさそうだ。

 ブルーノとテオが保健室を去った後、アブサロンはゆっくりとミアの方を向き直る。


「寝ている生徒もいるから、奥の部屋で話そうか」


 ミアはアブサロンに連れられるまま、保健室の奥の個室に入った。個室の中には客人を迎えるような大理石のテーブルがあり、その周りを取り囲むようにしてふかふかのソファが並んでいる。隣にはぎっしりと本が詰まった棚も置いてあり、アブサロンが読書家であることが窺えた。


「さて。記憶がないってことだったよね。何が原因で発症したかは覚えてる?」


 思い出そうとしても思い出せないので困っていると、アブサロンはすぐに聞き方を変えてきた。


「ぼんやりとでもいい。一番最近のことで思い出せるのは?」


 ミアはうーん、と唸った後、何とかわずかに覚えていることを絞り出す。


「空の上を飛んでたような……。それもめちゃくちゃ天気が悪くて、寒い空だった」


 ふむ、とアブサロンは何か思いついたように頷く。


「なるほどねえ、知らずに違法飛行でもしてたのかもしれないね。この国の上空は許可なく飛んじゃいけないエリアがあるんだよ。間違えてそこに入って防衛軍に狙撃されたんじゃないかな。……どうやって入ったのかは謎だけど」

「でも、これは記憶が変になっているだけかも。ほうきに乗って空を飛ぶなんてことできるわけないし」


 ミアの言葉を聞いて、アブサロンはきょとんとする。しかし、すぐに合点がいったように指を鳴らした。


「ああ、君、魔法の存在すら忘れちゃったわけか。面白い記憶のなくなり方だ」

「魔法?」

「魔法っていうのは……いや、ここで話してたら長くなるね。後であいつらにでも聞いて。ブルーノとテオはうちの学校でも指折りの生徒だからね。魔法については彼らが詳しい」


 さきほどテオが、まるで部分的に時を戻すかのようにワイングラスを直していた。魔法というのはあのような不思議な力のことを言うのかもしれない。しかし、ミアの覚えている限りでは、世界にそんな力は存在しなかったはずだ。


「……それにしても、君、嫌な魔力の匂いがするね。体で痛いところはない?」


 アブサロンの問いに、ミアはボロボロになった服の裾を捲り、自分の二の腕にある傷を見せた。ジンジンと痛むそこには抉られたような傷があり、血も流れている。


「道理で。それはマーキングだよ。ぼくの大っ嫌いな男のね」


 ゆるりと口角を上げたアブサロンは、棚に置いてあった包帯を手に取ると、優しく傷口を覆うようにしてミアの腕に巻いた。すると不思議なことに、あっという間に痛みが引いていく。


「……これが魔法?」

「はは、新鮮な反応だなあ。ご明答、その包帯は魔法でできていてね。痛み止めの作用があるんだ。外したらまた痛くなっちゃうから気を付けてね。本当はぼくの治癒魔法で傷自体を治してあげたいところなんだけど……残念ながら、あいつのマーキングに干渉することはぼくにもできない」

「あいつ?」

「エグモント――魔法省の長官だ。ぼくのかつての学友でもある。あいつに一度狙われちゃったら逃げるのは相当難しいよ。君に何か余程の事情があったとしても情状酌量はしてもらえないはずだ。あいつは暴君だし、人の話を聞かないから」


 よく分からないが何やら偉そうな役職に就いている人間から狙われていることを知りミアは怯える。


「……じゃあ私、捕まる?」

「うん、死刑かな」

「ええ!?」


 愕然とする素直なミアの表情を見てアブサロンはぶっと吹き出し、声をあげて笑った。あははは、と肩を揺らして笑い続けるアブサロンを見て冗談だと理解したミアは少しむっとし、軽く睨む。


「ごめんごめん、すごくいい反応するからからかいたくなっちゃって。違法飛行程度で死刑にはならないよ。……でも、逃げたってことだったら、あいつの気分次第で本当に死刑もありえるかもね?」

「それは困る。私、何か絶対にやらなきゃいけないことがあった気がするんだ。それに、自分が何をやらかしたのかすら覚えてないのに捕まるのは嫌。もしかしたら、違法飛行したっていうのも誤解かもしれないし」


 記憶はないが、〝やらなければならないことがある〟ということに関しては強い確信がある。ミアが強く主張したことに、アブサロンは意外そうな顔をした。


「……君の言うことにも一理あるね。ぼくとしてもこの学校の生徒くらいの年齢の女の子を残虐なあいつに引き渡すのは気が引けるし、法を無視して裁きを与えるあいつの姿勢には思うところが色々ある。この国は革命以降、厳格な法治国家を目指していたはずだからね」


 アブサロンは少し考えるような素振りを見せた後、いいことを思いついたとでも言うように、笑顔でぱちんとまた指を鳴らした。


「記憶が戻るまでなら、この学園内で面倒を見させてもいいよ」

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