空が光った日 ②

 まず向かうのは校舎の横にある男子寮だ。学園の生徒五百人が住む男子寮の最上階にある二人部屋にブルーノとテオは住んでいる。一面ガラス張りのその部屋に住むことが許されるのは、学年のツートップのみだ。


 広い室内はおそらく休み期間中に不法侵入したであろう悪戯好きの妖精ピクシーたちによって散らかされている。これは毎度のことなので予想はできていたが、テオはぐちゃぐちゃに裂かれた状態で床に落ちている枕を指先で拾い、「ここのセキュリティ、どうにかならねーのかよ」と勘弁してくれという風に項垂れた。学内の野良ピクシーたちは魔力が強く、寮内のセキュリティを突破してくる。そのうえピクシーは小型で可愛らしく女子の心を奪うことがうまいため、野良猫同様、餌付けされており寮の近くを離れない。


 鞄から魔法の杖を出し、少し時間はかかるにせよ修繕魔法で一気に部屋を片付けようとしたテオを、ブルーノは言葉で止める。


「後にしないか。うまいワインを持ってきてるんだ」


 テオは可笑しそうに片側の口角を上げた。


「俺おめーのそういう意外と雑なとこ好きよ」


 荒れ果てた部屋の中で唯一無事だった大きな円卓テーブルを挟んで向かい合う二人。テオが杖を軽く動かすと、食器棚に仕舞われたワイングラスが二つ、彼らの目の前へと飛んできた。


「すげ、これ高ぇやつじゃねーの」

「誕生日だったからな」


 この国ではビールやワインなどのアルコール度数の高くない酒は十六歳から飲むことができる。今年十八歳になるブルーノは十六歳の頃からワインが好きで、誕生日には毎年自分に向けて高価なものを買っていた。

 今回は、この国で唯一雲の薄い場所、わずかに星の光が入ってくる南の地方で取れたブドウで作られたワインである。星明かりの下で育ったブドウは貴重で、この国の民が知らない夜空の輝きの香りがするというので試しに一度飲んでみたいと思っていた。


「マジ久しぶり。家じゃ飲めねーもん」

「弟たちか」

「それもある。つか、俺んち誰も飲まねえから置いてねえし」


 瓶口の段差の部分にソムリエナイフの刃を当てて、まずは半周、封に切れ込みを入れる。


「それに、ここで飲むワインが一番うまい」

「……そうだな」


 景色を一瞥して言ったテオに、ブルーノは笑って同意を示す。コルクを抜いて、テオと自分のワイングラスに中身を注ぐ。


「乾杯」


 かちゃんとグラスの合わさる音がした、その時。



――――天窓を突き破り、

――――――降ってきた〝ソレ〟。



 ブルーノの目にはスローモーションのように映った。視界に広がる暗い金色。それが女の髪であることに気付くのに数秒。構える間もなく、ブルーノの体に少女一人が落ちてくる分の衝撃が走った。



   * * *




(痛……くない?)


 柔らかい感触がして、少女はおそるおそる目を開ける。


 そこにはブラックブルーの髪をした青年がいた。きりっとした眉に高い鼻、美しいバイオレットの瞳――いわゆる美形だ。異性が放っておかないであろう容姿をしている。

 どうやら目の前の、端正な目鼻立ちをした彼が落ちてきた自分を受け止めてくれたらしい。見惚れかけていたところをはっとして慌ててお礼を言おうとしたが――それよりも先に青年の方が厳しい声で問うてきた。


「お前……誰だ?」


 答えようとしたが答えがぱっと出てこず、一度口を閉ざす。


「……ミア」


 少女に唯一分かるのは、自分の名前のみだった。


「ここはどこ?」

「分からないのか? どうやってここへ来た」


 怪訝そうに眉を寄せた青年の表情からは彼が不機嫌なことが読み取れた。横を見ればワイングラスがひっくり返っており、床にワインが広がっている。ミアはそれを見て、どうやら自分は彼の楽しい食事の時間を台なしにしてしまったらしいと気付く。


 ――しかし、思い出せないものは思い出せない。


「……私、今まで何やってたんだろう」


 思い出そうとすれば頭が痛む。ミアは自分の頭を押さえ、目を瞑って痛みに耐えた。


「あぶねー! 俺が防御魔法でガラスの破片弾いてなかったら今頃全員大怪我だぞ」


 隣から別の青年の声が聞こえてきて、驚いてそちらへ目を向ける。


「いやー刺激的な新学期の始まり方だな。空から女の子落ちてくるなんてなかなかねーよ」


 ウェーブのかかったグレーの髪をした彼の制服の着崩し様を見て、ミアはどこに目をやっていいか分からず視線を泳がせた。


「俺はテオ、そっちはブルーノね。お前、記憶喪失ってヤツ? すげえな、映画でしか観たことねえわ」


 テオは思いがけない出来事を楽しむようにクックッと笑い、杖先を振って床に零れたワインを魔法で元に戻す。その様子を見たミアはぎょっとした。触れずにワイングラスを修復したことに驚いたのだ。


「面白がるな。こいつは侵入者だぞ」


 ブルーノはテオとは違い険しい表情で起き上がり、まだ膝の上にいるミアに問いかける。


「ここまで来た経緯は。誰かに飛ばされたのか? 自分で飛んできたのか?」

「……誰かに狙われて、逃げてたような……でも、何で狙われてたのか思い出せない」


 ミアはたどたどしく、ゆっくりと質問に答えていく。その様子を椅子に腰かけたまま見下ろすテオは、「制服着てねえけど、多分この学校の生徒じゃね? いじめで飛ばされたとか」と言った。


「……養護教諭の元へ連れていく。俺達にはどうしようもない」


 ブルーノがミアを立たせる。ブルーノを下敷きにしたため、幸いにもミアに怪我はなかった。


 ガラス張りの広い部屋を出たミアは、ブルーノたちに連れられ長い渡り廊下を歩いていった。廊下の天井と壁にはところどころ見たことのない生き物の姿が彫刻されており、薄暗いために不気味な雰囲気を醸し出している。

 窓の外は人工的な光で一面キラキラと輝いており、宙を浮く奇妙な形のランプがふよふよと移動している。あれは何かと聞こうとしたが、隣を歩くブルーノは怖い顔をしており、とても何か質問できる空気ではなかった。

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