第10話 混迷
エスカは、そのまま夕刻まで眠っていた。まるで昏睡状態のようだったそうだ。眠りにつく直前のことを、エスカはまるで覚えていなかった。聞こうにも、既にセダは引き上げてしまっていた。
エスカが眠った後のことは、アニタが話してくれた。
「エスカが急に意識不明になったって、大佐さんが部屋から飛び出して来たんだよ。それで母さんと行ってみたら、セダさんがおろおろしていた。
『こんなになるまで尋問したんですか!』
と、母さんが怒った。
『いや、尋問したわけでは』
と、大佐さんはしどろもどろ。
『セダさんは、止めなかったの?』
と、あたしも怒った。
『その、タイミングを逸して』
とかなんとか、セダさんは言い訳してたね。
それで、母さんとあたしは、ふたりをガンガン怒って追い出したってわけ」
アニタは、からからと笑った。
「そうそう。エスカが眠っている間に、アダさんが来たんだよ」
驚いた。
「なんで、起こしてくれなかったの?」
少々うらめしい。
「よく眠っていたからね。起こさなくていいって。それに今回は、大事な連絡があったわけじゃないんだよ。会長さんに内緒だしさ」
アニタは、可笑しそうに笑った。
「ほら、ウリ・ジオンさんは、エスカがいなくなったことしか知らないわけだ。その後の連絡は、入れてないからね。それで、ウリ・ジオンさんは何も手につかなくなったんだって。
それで、アダさんが様子を見に来たってわけ。エスカが眠っているのを見て、安心して帰って行ったよ。もちろん、ランチは食べていった」
これには笑った。
「あ、そうそう。さっき届いたんだけど」
アニタは一旦キッチンに戻ると、すぐに大きな果物篭を持って来た。
「はい、これ」
篭のカードをエスカに見せた。『エスカさんへ マーカスより』と書いてある。
「マーカスって誰?」
「大佐さんだよ。帰りがけに、エスカの好物聞いていったんだ。気のつくお人だね」
見ると、上等そうなりんごとオレンジが、てんこ盛りである。
「わあ! このりんご、皮むいてもらえる? ふたりで半分こして食べよう」
大賛成のアニタとふたりで、新鮮なりんごを堪能した。
「幾つか、持って帰ってよ。新鮮なうちに食べる方がいいでしょ」
アニタは遠慮したが、「リディに食べさせてあげて」と言われて、嬉しそうに幾つか袋に入れた。
お昼を食べないで眠っていたエスカに、このりんごはよく効いた。気力が漲ってきたところに、賑やかなふたりが帰宅した。自室に行く前に、エスカの様子を見に来てくれた。
「兄貴は、何しに来たんだ?」
そう言えば、大佐は何をしに来たんだっけ?
「それが、途中で眠っちゃって、何が何だか……」
本当である。セダが来たら聞いてみよう。と思っていたら、セダが来た。セダは、ふたりににこやかに会釈する。
「エスカに話があって。あ、殿下にお聞きしたい事があるのですが。ラヴェンナの情勢について、何かお耳に入っていますか?」
「少しはな。ちょっと待ってくれ。これ置いてくる」
アルトスとサイムスは、まだコート姿でバックパックを背負っている。ふたりが出ていくと、セダはすっとエスカに近づいた。囁くような声だ。
「アダからの情報だ。イシネスのカナーロという商人、覚えてるか?」
「カナーロ? ヒルダを騙したヤツだね」
「そう。小さなニュースだから、イシネスでの扱いも小さかったが、火事で死亡した」
エスカはぎょっとした。
「火のない所から煙、じゃない火が出た。父子共に焼死」
「外交大臣の秘書は、まだ無事。使い途があるからだろう。こちらの事務次官も、まだ健在だ。こうなると、さっさと刑務所にいったドディは賢明だったな」
エスカはため息をついた。そこにアルトスが戻って来た。当然のように、サイムスもくっついて来た。まぁ、護衛官だからね。
ふたりは気の利くことに、キッチンから椅子を運んできた。エスカの部屋には、椅子は一脚しかないのだ。小さなソファを動かすより簡単だ。
「お時間を、ありがとうございます。このところ手が足りなくて、情報不足なんです」
「俺の話が、役に立つレベルかどうか分からないが、取りあえず知っている事をな。
王族や貴族の息子や娘が、何人か同じ大学に留学してるから、少しは耳に入る。俺を透明人間扱いする者もいるが」
アルトスは、可笑しそうに笑った。
「中には、フレンドリーな者もいて。特に、ウリ・ジオンの母君の、すぐ下の妹君、実妹ね。その方のお子たちが、今年入学してきた。男の子と女の子の双子でね。これがふたりとも、お喋りなんだ。
先日結婚した王太子。例の銃撃戦のあった時だな。嫁さんは、一週間で実家に帰ってしまった。覚悟して嫁いできたものの、想定外の酷さだったと。
この王太子、親が好き勝手やっているのを見て育った。それでいいと思ったようだ。親を反面教師にするアタマはなかったんだな。
王太子の母親は、隣国の王女。小国でも王女は王女だからな。正妃だ。で、王太子には、国王の政務を補助するという役目がある。親も子も酒池肉林だから、この仕事は長子がやっているそうだ」
「長子って?」
「王太子より半年年長。母君は、ラヴェンナの伯爵のご令嬢。王女より身分が低いから、側室だな。そのお子だから庶子。年は上でも嫡子ではなく、単なる長子だ。王位継承権は、嫡子より下ということになる。
ところが、このお方クリステルさまが、デキ
それに危機感を抱いたのが、王太子の母君だ。我が子の王位継承権が、脅かされるのではないか。そう思うなら、ちゃんと躾しろよ。
で、貴族院では、血統重視派と人物重視派に分かれたわけだ。お互い暗殺を危惧して、戦々恐々だとさ」
一同、ため息をついた。
「ありがとうございます。大変参考になりました」
セダがご機嫌のところを見ると、役に立つ内容だったらしい。そこへドアがノックされて、アニタが顔を覗かせた。
「お食事ですよ。セダさんもどうぞ」
ランチに来るアダより、ディナーに来るセダの方が、図々しくないか?
「エスカのは、ここに運ぶからね」
「ありがとう」
まだ、ベッドから出るのはきつい。ふたりは、椅子を運んでいった。続いてセダも、エスカに手を振って出ていった。
「何やってんだ?」
アルトスの声である。
「わたしは使用人なんで、キッチンで」
「バカ言ってんじゃないよ」
どうやら、ダイニングルームに連行されたようである。
それから二、三日後、セダが朝からあくせくとやって来た。
「何日か留守にする。この建物から出るな」
そう言うと、音もなく出ていった。例の記憶喪失の件、聞こうと思ったのに。ま、帰りを待つしかないか。
午後、突然大佐が訪問してきた。しかも大きな花束を抱えている。アニタは、目を丸くしていた。この人に聞いてみようか。
「アニタさん。この花、花瓶に活けてくれないかな」
「わあ! 綺麗なお花ですね」
エスカが植物好きなことを、アニタに聞いたのだろうか。アニタは、嬉しそうに花束を持ってキッチンに行った。
「ありがとうございます。でもなんで? お見舞いなら、先日、美味しい果物をいただきましたが」
「何度もらってもいいでしょう?」
そんなことはないと思うが。第一気が重い。
「あの、その言葉遣い、やめてもらえませんか? 僕みたいな者にヘンです」
大佐は微笑した。
「分かった。体調はどう?」
「痛くも痒くもないけど、ただ眠いんです。それで、お聞きしたいんですが。僕、この前何言いました? 記憶がすっかり抜けていて。こんなこと初めてなので」
「う〜ん。いわゆるトランス状態のように見えたな。何がが乗り移ったみたいな。元々君は、シャーマンだろう?」
「そのようです。戦い方を中心に教わったので、そちらの訓練は少ししか受けていませんが。何を言ったんです?」
大佐は、頭を掻いた。
「お恥ずかしい。それが聞き取れなかった。セダも、そう言っていたな。イシネス語のようだった。ワンフレーズだったと思う。自国語にない発音は、聞き取りづらいって本当だな。
ただ、声は男性で老人だったよ。それも、何百年もの歳月を経たような」
「では、古代イシネス語かもしれませんね。でも僕、心当たりはないです」
大佐は、興味深げにエスカを見た。
「教えてくださってありがとうございます。ずっと引っかかっていたので。それと、プレゼントこれで終わりにしてくださいね」
「わたしは、したい時にする」
「それ、困りま」
みなまで言わせず、大佐はエスカの両頬にキスをすると、さっと出て行った。アニタがくすくす笑っている。見ていたようだ。
「大佐さんは、エスカがお気に入りみたいだね」
「子どもをかからかうもんじゃないよ」
「へん。あたしの華麗な男性遍歴から言うとね」
「ひとりしか知らないくせに」
「エスカっ!」
アニタは真赤になった。エスカは笑いながら、ベッドにもぐり込んだ。真剣な表情で考え込む。
いくら基本しか教わっていなくても、呼びもしないのに、憑依された。その記憶は残っていない上に、昏睡状態とは。いくらなんでも、情けないではないか。これは、自力で開発するしかないか。
エスカは、寝巻きから普段着に着替えると、ベッドに座って、ポーズをとった。
夕刻、アルトスとサイムスは、いつも通り帰宅。エスカに挨拶して夕食、暫くふたりで寛いでから、それぞれ自室に引き上げるのが、習慣と言えば習慣だ。
但し、アルトスは防音室にこもった。ギターラを弾くらしい。エスカは、そっと防音室をノックした。
「ごめんアルトス。暫く、ギターラお休みしていいかな?」
アルトスは、驚いたようにエスカを見た。
「構わないが、どうした?」
「訓練を受けてほしいんだ」
「訓練?」
「シャーマンとしての訓練だよ。最初は交信から」
アルトスは、きょとんとしていた。
「アルトスは、シャーマンだって言われたことはない?」
「俺が、シャーマン?」
「シャーマンは、古代民族や少数民族に多い。イシネス人は古代民族、砂漠の民は古代民族で少数民族」
「でも、俺は半分しか」
「それでも、僕より強いよ。すぐに始めよう。否やはないよ。時間がないんだ」
「どういう意味だ?」
「僕が原因で、ウリ・ジオン父子の仲に、亀裂が入った。そう遠くない将来、僕はここを出て行く。その前に、できるだけアルトスに伝授していきたい」
アルトスは、幼い子供がイヤイヤをするように、首を横に振った。エスカはそれを無視し、椅子をニ脚、向かい合わせに並べた。
アルトスを一方に座らせ、持って来た白い布で目隠しをする。自身も向かいに座り、目隠しをした。
「触れている方が伝わり易いから、慣れるまでは、この方法でやるよ。両手を、僕の手のひらに乗せて。指に指で触れる感じで。よし、この後合図するまで、声を出してはいけない」
アルトスは不本意に見えたが、素直に従ってくれた。
『聞こえるかな?』
『よく聞こえるよ。感度良好』
『よしよし、幸先がいいぞ。まず、踏み込んだことを聞くよ。答えづらいかもだけど、はっきりさせておきたい。長が亡くなった後は、誰が跡を継いだの?』
『俺の母。生きてるかどうか知らんけど』
『その次は?』
『俺の姉だ。ラヴェンナと違って、男尊女卑はないから、長子相続だ。俺は半分しか血が繋がってないしな』
『その次は、お姉さんの子ってこと?』
『そう』
『なら、アルトスの立ち位置って、どうなるの?』
『長の補佐だよ。別に韻を踏んでるわけじゃないぞ』
アルトスの声が、笑いを含んだ。
『分かった。教えてくれてありがとう。ではこうしよう。アルトスが、交信を完璧に使えるようになったら、お姉さんに伝授する。長は、そういうことができる方がいいでしょ』
『俺、姉に会ったことはないぞ』
『いずれ会うよ。ただ気をつけてもらいたいのは、半端な状態で伝授しないこと。受ける方まで、半端になるからね。その時になったら、僕がゴーサインを出す』
『分かった』
『よし、今日はここまで。目隠し取っていいよ。言いにくいことを、はっきり言ってくれてありがとう。声出して』
アルトスは目隠しを取ると、大きく息を吐いた。
「凄い経験したな。一時間くらいやったか?」
「十五分だよ」
「はあ?」
「頭での会話は、口を使うよりスピーディなんだ。でも結構疲れたでしょ。慣れるまでは大変だよ。これで解放してあげたいけど、もう少しつき合って。簡単な術を教えるから」
「術って?」
「この前、みんなに使った電撃だよ」
「あれって、簡単なのか?」
「初歩の初歩。入門編だな。使う機会がないといいけど。補佐なら、知っておく方がいい」
アルトスは、嬉しそうに頷いた。三十分後、アルトスはへろへろになって、防音室を後にした。
数日後、大佐から今度はチョコレートが届いた。大きく平たい箱に、星やら花やらハートやら、女の子の喜びそうなチョコレートが、びっしりと並んでいる。
「アニタ、もしかして、大佐に僕の好きな物なんか聞かれてないよね?」
「聞かれたけど? こっちが何言ったって、大佐はエスカに贈り物したいんでしょ。だったら、好きな物貰う方がいいと思って」
駄目だこりゃ。エスカが頭を抱えていると、アルトスとサイムスが帰宅した。
チョコレートの箱を見て、大喜びである。遠慮する気は毛頭ない。
「でもエスカ。このブランド、本命用だよ」
アニタは、よく知っている。
「あたしも、最近もらったんだ」
と、呟く。エスカは声を出さずに、口を『アダ』の形にして見せた。
アニタは苦笑している。笑っている場合ではないと思うが。アダ奮戦中。セダは何やってるんだ、まったく。
「これ、ワインのつまみに合うんだ。マーカス兄貴は、気が利くな」
アルトスは、自分がもらったつもりでいる。
「みんなで、一個ずつ味見してみる?」
取りあえず、みんなで幸せになってみた。その夜のニュースを見るまでは。
『ラヴェンナの王太子急死』
セダが飛び出して行ったのは、これだったのか。だが、それは亡くなる前ではなかったか。
「まあ、これで少なくとも内乱は避けられたな」
食後、リビングでお茶を飲みながら、アルトスが言う。
「死因にもよるとは思うが」
セダの報告を待つしかない。
二、三日後の夜、ようやくセダが来た。夕食を終えて、お茶を飲んでいる時だった。たまたまエスカは、キッチンにいた。
「やあセダ、お帰りなさい。夕食は?」
「遅くなりそうだから、ヘリで済ませて来た」
「遠慮しなくていいのに。ではこれ、デザートにどうぞ」
チョコレートの箱を差し出すと、セダは相好を崩した。
「よしっ、これで寂しい夕飯の口直しができたぞ」
と、リビングに向かった。
「お帰りセダ。ああ、やっと話が聞ける」
アルトスは、待ちかねていたようだ。
「すみません。先に、会長に連絡してました」
それはそうだろう。セダは、勧められるままに、ソファに腰をおろした。
「実は、王太子が亡くなったのは、一週間前なんです。死因が特定できるまで、プレスを止めていたわけで」
「で、死因は?」
アルトスにしては、せっかちである。一応身内なのだから、無理もない。
「覚醒剤の過剰摂取」
一同、目を見開いて一瞬固まった。
「『他の可能性は考えられない』という結論です。密室でしたが、外部から何者かが侵入した形跡は、一切なし。自分で、自分の腕に注射していたそうです。
使用した器具は、そのまま残っていました。日頃から常用していたのを、周囲の者は、みんな知っていました。
誰にも止められなかったと。起こるべくして起こったと、みんな一様に感じたようです。
血統派の貴族たちは、クリステル殿下の関与を期待していたそうです。そうなれば、殿下側の重臣たちを一掃できると考えたと。
しかし、暗殺を警戒していたのは、クリステル殿下側だけなんです。王太子の生活ぶりを知っていた殿下側は、王太子はどうせ長生きはしないだろうと、放っていたようで。
ですから、『事故死』ということになります。死ぬつもりはなかったと思われますがね。プレスは、体裁のいいニュースを発表せざるをえんでしょうな。
国王は寝たきり状態で、もはや時間の問題とされていますからね。
周囲では、極秘裏に即位式の準備を進めていたそうです。顔がすげ代わることになります。暫くは、これまで通りクリステル殿下が摂政として、政を行います」
「直系に他の子は?」
「下に王女が三人。ですから、必然的に王位は傍系に移ります。厳然たる男尊女卑の国ですから」
「これで一件落着か。ご苦労だったな、セダ」
「いえ。それで先日の銃撃戦の件ですが、ラヴェンナの貧乏貴族が数名、関わっていた事が判明しました。
イシネスから多額の金が振り込まれていた事も。そこから先の調査は、当社では止められていますので」
セダが、立ち上がろうとした時である。突然、アルトスがその動きを止めた。セダは不審そうに、再び腰をおろした。
「念のために聞くが。エスカ、ここから何やら操作して密室に入り込み、事故死に見せかけることはできるか?」
エスカは、驚愕してアルトスを見た。
「何言ってんだよ! そんなことしないよ! 第一、僕はその王太子とはなんの関係もないじゃないか!」
「お前はな、そうやって言葉で人を騙す。俺は訓練を受けていて、そう感じた。『しない』のか『できない』のか、どっちだ?」
思いがけない、アルトスの強い口調である。エスカは、唇を噛んで黙り込んだ。
「どちらでもいいじゃないか。しないって言ってんだろ?」
サイムスが立ち上がって、エスカの横に立った。エスカを守る姿勢である。セダが、静かに語り始めた。
「会長にも、同じようなことを言われました」
「なに?」
「そのままの言葉で言ってよ。それを知りたい。僕は平気だから」
「では申し上げます。『あの得体の知れない霊媒師が、妙なことをしたのではあるまいな?』と」
セダは、無表情で冷静だった。サイムスが激昂した。
「得体の知れない、霊媒師? 自分の息子の命の恩人に向かって、何を言うんだ!」
「それが、エスカを知る者の考え方のひとつかと。現に、アルトス殿下もそう感じられたことですし」
「君はどうなんだ、セダ!」
「わたしは、もっとよくエスカを知っておりますので」
淡々とした口調のセダに、サイムスは顔を背けた。
「いいんだサイムス。ラヴェンナから帰った時に、ウリ・ジオンも似たようなことを言われたはずだ。ウリ・ジオンは何も言わなかったけど、僕はそう感じたよ。
それで、ウリ・ジオンは板挟みになって苦しんでいる。僕は申し訳なくて。
アルトス、さっきの質問の答えだけど『しない』だよ」
静かに言うと、エスカはリビングを後にした。
翌朝、パー三が出かけたのを確認して、エスカは自室を出た。
「あら、エスカ。朝ご飯は?」
グウェンは、出勤していた。エスカは首を横に振ると、笑顔を見せてエレベーターに乗った。今日行く所は、飛行機の距離。エアバイクでは、無理だ。
エスカは、近くのATMでまとまった金をおろした。カードでは、居場所が特定される怖れがある。
バックに軍警察がついているのだ。家出少年の捜索なんてことになった日には、目も当てられない。
最寄り駅から特急列車に乗る。何度か乗り換えて、目的地に着くのは暗くなる頃だろう。
北部地方の中核市ラドレイ。エスカが通う大学の分校がある。学生寮があり、空きさえあれば入 寮できるそうだ。空きがなければ、学生課でアパートを紹介してくれる。
オンライン学部だから、授業内容は同じ。対面授業の場所が変わるだけだ。
幸いなことに、保証人はサイムスになっている。勝手に願書を出されてしまったが、結果、これでよかったのだ。
ずっと、ここで暮らすことになるかもしれない。どんな街か、見ておきたかった。それにもう一箇所、見たい所がある。
昨夜のことは、頭から離すことにした。エスカが、過剰反応しただけかもしれない。タンツ氏の反応に、傷つけられていたから。
アルトスは、単純に質問しただけかもしれない。だが『騙す』はないだろう。コンサートが終わるまでは、待ってあげよう。その後、どういうお仕置きしようかな。
アルトスは、エスカの弟子になった時点で、エスカに生殺与奪の権を握られたことに、気づかないのだ。
師匠の腕を疑うとは許さん。またアッチを、一時的に止めてやってもいい。そう思うことで、エスカは孤独から逃れることにした。
訓練は終了。再開するつもりはない。交信だけで十分だ。それなら、エスカはいつでも合宿所から出られる。
夜の街は、首都シボレスと似ていた。ネオンが瞬き、仕事から解放された人々が、笑いさざめきながら通り過ぎて行く。
その夜、エスカはカプセルホテルに泊まった。午前中に街並みと大学を見て、午後は、バスで山岳地帯に向かう予定。
伝説の滝を見るためだ。自身の終焉の地になるかもしれない地。見れば、心が落ち着く気がした。
いよいよの時は、そこで自身で始末をつける。そういう処が、自分には必要だ。でないと、心が破裂してしまうだろう。
シルデスに来て、やるべきことはみんなやったと思っていた。
しかし最近、やることは残っていることに気づいた。だが昨日のアルトスの言葉で、それは勘違いだということを知った。
自分が傷ついてまで、やらなくていい。エスカは、自分が周囲の人たちに大切にされているのは、よく分かっている。
だが、誰にとっても一番ではないことも、知っている。ウリ・ジオンの一番はシェトゥーニャ。アニタにとってはリディというように。
自分が求めすぎなのだろう。ではエスカの一番は? いない。その事実が、エスカを追い詰めたと言える。
街並みも大学も、首都よりは落ち着いて見える。北部なだけに、まだ冬の真っ最中。並木道の木々は、葉が落ちたまま。無彩色の世界だ。北国育ちのエスカには、見慣れた風景である。むしろ懐かしささえ覚えた。
簡単な昼食の後、バスに乗る。午前一便、午後も一便。今日中に帰れない可能性がある。まぁ、なんとかなるだろう。ならなければ、ならないでいい。二時間バスに揺られ、降車して三十分歩く。
パンフレットに『国内有数の滝の名所』とあるのに、観光客らしき人の姿はない。不便な場所のせいか。それとも凍てつく風のせいか。
滝の上には、後で登ってみよう。エスカは、薄く積もった雪を踏み分けて、滝壺近くに行ってみた。轟音をたてて、流れ落ちる滝。その下の滝壺は、かなり大きい。
「あんた、飛び込む気かい?」
背後からの声に振り向くと、小柄な白髪の老婆が立っていた。
「この時期、水が冷たいんがの。溺れ死ぬより先に、心の臓が止まっちまうんが。その方が楽かもだて」
そんなこと、言っていいのか。
「上から飛び降りる人もいるどもの。大抵失敗するて。途中の木に引っかかって『助けて〜』とか騒いでからに。死ぬ気でいたんなら『助けて』はないろうがの?」
ご尤もでございます。
「それに、そのお釜にはヌシさまがおいでんなると。運良く下まで落ちられても、ヌシさまに喰われちまうて」
いや、死んでしまえば、噛じられようが舐められようが、別に構わないんでないか?
「ヌシさまって、どんなお姿?」
老婆は、身を乗り出してきた。
「それがな、ワシの親の代の話んなるがの。村の若い衆が、たまたま見たんだと。それっきり、口がきけんようになっての。狂い死にしたと」
「じゃあ、滅多にお目にかかれないんだね」
「んだね。ま、お目にかからんうちにおウチ帰んな。いい若いモンが、もったいねえこと考えるんじゃないて」
「そうですね」
確かにそうだなぁ。たった今ではないんだけど。ヌシさまに、ちょっとお会いしたい気もある。
エスカは、滝壺に向かって頭を垂れ、黙祷した。ふと背後に、人の気配を感じた。振り向いたエスカは愕然とした。いるはずのない人が、そこにいた。
相手も、驚愕していた。エスカを凝視している。カシュービアン・ド・ヴァルス公爵の副官ディル・ミューレン中尉だった。
突然、エスカは大きく腕を開いて、深呼吸した。
「ああ、イシネスの匂いだ~!」
ディルの周囲に、イシネスの残り香がある。
「ご存分に、どうぞ」
ディルも腕を開いて、エスカを抱きとめる仕種を見せた。爽やかな笑顔である。こんなお人だったか?
「そういう瞳だったのですね」
ディルが驚いたのは、エスカの目を見たからのようだ。イシネスでは、混血だと気づかれないように、カラーコンタクトをしていたから。
イシネス人で、エスカの暗紫色の瞳を見たのは、ディルが最初だろう。
「どうしてこちらに?」
「イシネスの情報網を、甘く見てはいけません」
どうせ、女神殿頼みなくせに。
「ここは海に面していて、港があるんです。そのまま沖に漕ぎ出せば、いつかはイシネスに辿り着きます」
気の長い話だ。
「しかし、今回は急ぎなので、ヘリを飛ばしてきました。取りあえず、市街に戻りましょう。気温も下がってきていることですし。エアカーを、あちらに待たせてあります」
ありがたい。ディルから邪悪な香りはしない。ご好意に甘えよう。ふたりが、滝壺に背を向けた時だ。突如、背後から輝くものが出現した。
『よう参った。我が子よ』
幾星霜の時を超えた男性の声。古代イシネス語だ。エスカは左胸に手を当て、頭を垂れる。再び顔を上げた時、光は消滅していた。だがエスカは、ヌシをはっきりと見た。
このような神々しいお姿を見て発狂するとは、よほど悪しき心の者だったに違いない。大佐とセダが聞いたのは、このお方のお声だったのだろう。『我が子よ』のひと言。
「凄い光でしたね。一瞬だったけど、なんだったのかなあ?」
光だけ見えたのか。それならこの人に邪心はない。まあ、本体は見えなくてよかったかも。チビられても困る。
ディルは、高級そうなレストランに連れて行ってくれた。ドレスコードはない。因みに食事代は、公爵がポケットマネーをくれたそうだ。個室を予約してあった。内緒話をしたいのか。
「せいぜい、お高い物を頼みましょう」
遠慮のないところを見るに、ふたりは気のおけない仲のようだ。話すことはお互いあるのだが、先ずは食べることに専念した。食後のコーヒーになってから、ディルは、寛いだ様子で話し始めた。
「わたしは、家庭の事情で士官学校に行きまして。入学すると、給料もらえるということでね。で、生意気だったものですから、上級生によく殴られたもんです。そこを、ヴァルス公爵閣下が助けてくださって。
わたしを非難することは一切なく、ただ助けてくださったんです。それ以来、私を殴る者はいなくなりました。わたしは、閣下に足を向けて寝られないんですよ」
そうだったのか。ディルは、公爵を命がけで護る気なのだ。この男から、悪意はまるで感じられない。野望もない。光を見たと言うのだから、それは確かである。
最初から見誤ったのか? 目つきの鋭い男という印象はあった。
「あの、ひょっとして近視?」
「分かりますか」
「眼鏡は?」
「似合わないんです」
「コンタクトは?」
「アレルギー体質でして」
そんなことだったんだ。単なる近視。
「わたしから先に用件を。よろしいですか?」
「どうぞ」
「大巫女さまからの伝言です」
「ちょっと待ってください。遮ってごめんなさい。大巫女さまは、現在どのような状態で?」
「お部屋から出られないほど、弱られておいでのようです」
「伝言を伝えたのは、どなたでしょうか」
「第二巫女さまです」
「ではその伝言は、第一巫女さまと第二巫女さまとの合作か、或いは第二巫女さまの創作か、いずれかだということでよろしいですか?」
ディルは、笑い出した。
「さすがです。では申し上げます。『ドディを片付けよ。その後、可及的速やかに帰国せよ』以上です」
なにその文語体。ドディ。マデリンの最初の雇い主で愛人。今は、マデリン殺害に関与したかどで勾留中。未決囚である。
そのドディを消せとは。では、あの薬草事件を仕組んだのは女神殿? 公爵は関与していなかったのか。
そもそも、神殿が殺害命令を出すとは、何事か。今始まった話でもないが。
「返事は、お話が終わってから申し上げます。その他には?」
「それが……実は、公爵閣下の体調が思わしくなくて」
ディルは、言いにくそうだ。
「どのような状態で?」
「最初は、風邪かと思われたのですが、日に日に悪化しましたので、第一巫女さまにご相談しました。怪我や病気の治癒に、お詳しいそうですので」
「医師には?」
「閣下が、難色を示されまして。それで、第一巫女さまが、薬草を処方してくださいました。
ところが、それでもますます体調が思わしくなくて。再度、第一巫女さまにご相談申し上げたところ『エスカを呼ぶしかない』と」
エスカは、首を傾げた。
「どのような薬草ですか?」
ディルは、腰のポーチから小さな包を取り出した。
「これ、僕の薬ですね」
またかよ。勘弁してくれ。エスカは渡された紙包みを開き、中の薬草を見つめた。堪らず笑い出す。
「これ、下剤です」
「は?」
「どれくらいの頻度で、飲まれていたんでしょう?」
「朝晩一包ずつ」
「それはきつい。何日くらい、飲まれました?」
「五日間です」
「これね、結構強めの薬なんです。では閣下は、手洗いにこもりっきりで?」
「そうです。随分とお辛そうで」
エスカは、必死に笑いを堪えた。
「では、薬局で『下痢止め』をお買い求めください。シルデスの方が医療は進んでいますので、買ってから帰国なさるといいでしょう。
症状が治まったら、服用をやめてくださいね。でないと、逆の方向に困ったことになりますから」
ディルは、拍子抜けしたようである。
「それだけ? 単なる下剤? 大腸や直腸の病でなく?」
「はい。二、三日で治るかと」
「よかった~! わたしは、てっきり重い病だとばっかり」
「最初の風邪の症状も、何か盛られたのかも知れませんね」
「で、でもお薬を間違われた可能性は?」
「それはありえません。僕に薬草学を教えてくださったのは、第一巫女さまですから」
「あなたをイシネスに呼び戻すための、策略でしょうか。それにしても、汚いことを」
「まったくです。あのクソ婆ァ」
ふたり同時に吹き出した。暫くは、笑いが止まらなかった。
「では僕からも、幾つかお聞きしたいのですが。閣下は、ラヴェンナのアルトス殿下に、どのような印象をお持ちで?」
「ぜひぜひ、イシネスにいらしていただきたいと」
「は? 敵視しておいでではなくて?」
全く想定外の返答だった。
「なぜ敵視と? ありがたい限りと、仰っておいでですが」
「なぜありがたいと?」
「閣下は、ご自分では王女殿下をお幸せにできないと知っておいでだからです。ですから閣下は、王女殿下に婚約辞退を申し出ましたが、受理していただけなかったのです」
ディルはエスカを見つめ、頭を下げた。
「精子の件、申し訳ありませんでした。提出を迫られ、切羽詰まって致し方なく……」
「そうだったのですか。調査の結果、全て破棄したそうです。ご心配なく」
「ああ、よかった。ご迷惑をおかけしました」
ディルは、心底ほっとした笑顔を見せた。ずっと、気にしていたのだろう。
「閣下は、王女殿下を嫌っておいでではないのでしょう?」
「もちろんです。ただその愛情は、殿下がお求めになるものとは、少々異なります」
「と、仰いますと?」
「幼い頃からご一緒ですから、恋人と言うより妹と言う感じで」
「あ! そうか」
エスカには、思い当たるふしがあった。
「そうか。僕に対しても、そうだった気がします」
「はい。なのにわたしは、あなたに嫉妬しておりました。申し訳ございません」
ディルは、深々と頭を下げた。エスカは苦笑するしかない。
「何回謝るんですか。好きな人が他の人に優しくすれば、嫉妬するのはごく普通の感情でしょう?」
ディルは、赤面した。
「実は、亡き公爵閣下と公爵夫人は、幾度となく、女神殿にあなたを引き取りたいと申し出ていらしたそうです。しかし、女神殿では、頑なにそれを拒んだとか」
知らなかった。亡き公爵ご夫妻は、恐らく事情をご存じだったのだろう。
「では、何処の誰が、アルトスを亡き者にしようとしたのでしょう?」
「はっ、そのようなことがあったのですか?」
何も知らないようだ。
「最初は、女神殿の僕の薬草を使って、長期的にアルトスを毒殺しようとしました。その際、ひとりの巫女とふたりの見習い巫女が、地方に飛ばされたそうですが」
「あ、それなら耳にしたことがあります。なぜか三人の巫女たちが、一時的に地方に研修に行かされたと。でも、既に女神殿に戻っているそうですよ」
これには、エスカも驚いた。まるで茶番ではないか。
「それに関連して、シルデスでは若い女性が殺されています。ドディという男が、それに関わった罪で勾留中です。薬草事件にも関わっているので、消したい者はいるでしょうね。今回の命令でも、お分かりのとおりです。
イシネスでも、商人の父子が火事で亡くなっています」
ディルの目が、据わってきた。
「関わっているのは、シルデスでは外務省の事務次官。イシネスでは、外交大臣の秘書と聞いていますが。このふたりは、まだ存命のようですね」
ディルは頷いた。額に汗が滲んでいる。
「分かってきました。そんなことができるのは」
言い淀む。ヴァルス公爵とトリニタリア王女以外で、そのような権力を駆使できるのは。
「これは、少し置いておきましょう。僕がイシネスを出る時に襲撃されたことは、ご存じですか?」
「はい。そのことで、閣下は非常に苦しまれて、密かに調べられました。襲撃したのは、下級将校の手の者です」
「下級将校?」
「『火だるまのエスカ』事件の男爵の友人たちです。男爵はあなたに執着して、ああいう結果になりました。自業自得と言えます。だが、彼には友人が結構おりましてね。
友人たちは、それをあなたのせいのように感じたようです。四人の男たちが、それぞれひとりずつ狙撃手を選んで、襲撃させたと思われます。
四人で、ビーム攻撃したわけですから、まさか失敗するとは思わなかったでしょう。その時点では、仕留めたと確信していたようです」
「では、その者たちを始末したのは?」
「雇い主たちでは、あり得ないですね。もちろん、閣下でもない」
「女神殿?」
「他に考えられません。何が何でも、あなたを護る体制のようですから」
「王女殿下の侍女の死については?」
「同じではないかと。王女殿下のせいにするために」
「なぜ?」
「女神殿は、王女殿下を排除したいのではないかと」
「さっぱり分かりません。殿下は国王亡き後、立派に称制を行なっておられるのでしょう?」
「だからですよ。殿下は、女神殿の言いなりにはならないからです。実に公平な立場に、身を置いておいておいでですから。だから女神殿は、あなたが必要なのです」
「何のために?」
「言いなりになる為政者が欲しいから」
エスカには、さっぱり理解できなかった。きょとんとしているエスカを見て、ディルは少し笑った。
「あなたは、純粋な方ですね。あまりに異なる思考を理解するのは、難しい。
閣下のお考えでは、王女殿下を引きずり下ろし、代わりにあなたを玉座に据えようとしているのではないかと」
エスカは絶句した。思考が止まったかのように見える。
「唯一無二のお方を、引きずり下ろす?」
「唯一無二ではありません。あなたがおられます」
「ま、待ってください。僕は王妃の子であって、国王の子ではありません。王位継承権はないはずです」
「いえ、お持ちですよ。高位の貴族には、王族の血が受け継がれているのは、ご存じでしょう? 亡き王妃と前公爵夫人は、姉妹。その父君は侯爵。王族と言ってもいいくらいです。
それにあなたなら、閣下の状態を理解して、夫婦生活をお望みにはならないのではという思惑も、透けて見えます。実に無礼な話ではありますが」
呆れてものが言えない。
「それで、僕を大切にしてきたと? 人を殺してまで?」
「そうです。あなたなら、女神殿の言う事を聞くからと」
「舐められたものですね。僕が、奴隷同然だったから? あそこで生き抜くには、そうするしかなかったから、おとなしくしていただけです。
僕は生来、
自由を得た後で、奴隷に戻りたい者がいるはずないでしょう?」
「いるんですよ、そういう人間が。服従さえしていれば、生活が保証される。自分は何も考えなくても、他の人が全部お膳立てしてくれる。
仮に失敗しても、自分のせいではない。考え様によっては、楽な人生ではないでしょうか」
エスカは、首を横に振った。
「では、大巫女さまがご健在の頃から、そうしたお考えだったとすると、僕を治療しなかったのは、意図的だったとも言えますね」
「お気の毒です。ですが、髪を伸ばしてカラコンを使用すれば、王女殿下のそっくりさんが出来上がりますね」
ディルはからかってみたが、エスカの強張った表情を見て、真顔に戻った。
エスカは、テーブルの上で組んだ自身の手を見ながら、話し始めた。
「以前、歴史書で読んだのですが。古くは、力を持つ最高位の巫女が、王の近くに侍り、様々な助言を行なっていたそうです。
何かきっかけがあったのか。いつの頃からか、現在のような独立した神殿を持つようになった。
当然、それまでのような影響力を王に及ぼすことは、できなくなった。
女神殿は、そうした制度を復活させたいのか? もしそうなら、ふたりの巫女は、代々の大巫女さまのご遺志を継ごうとしておられるのか?」
「なんのために?」
「神の国の復活……しかし、神を祀る神殿が人を殺傷するとは……では、先日亡くなられたラヴェンナの王太子。その結婚式の際、僕も連れていってもらったのですが。
王宮を出ようとして、銃撃戦になったのはご存じで?」
ディルは、驚愕の表情でエスカを見た。
「少しだけ耳に入りましたが、あなたもその場におられたのですか?」
「はい。襲撃したのは、訓練された者たち、という印象を受けました。イシネスから、資金を提供された者の仕業のようです」
「あなたとご一緒のメンバーは?」
「アルトス殿下、護衛官のサイムス、臨時護衛官のウリ・ジオンです」
ウリ・ジオンの名が出ると、ディルの固くなった表情が少し緩んだ。
「ウリ・ジオン。善良な若者ですね」
「はい」
エスカの顔にも、笑顔が浮かぶ。
「イシネスには、以前ほどアルトス殿下を排除しようとする動きはないものと思われます。王女殿下を北の塔送りにすれば、もはやアルトス殿下の出番はありませんからね。
だが、標的がもうひとりいたとすれば?」
「もうひとりって……」
ディルは、エスカの鼻を指差した。
「血統重視派にとって、あなたという存在は邪魔でしょうね。イシネスの王族とラヴェンナの王族、双方の血を引いておられる。だが純血ではない」
勘弁してくれ。
「そこまで徹底しているなら、イシネスの高位の貴族や将校が関与していると見て、間違いはないでしょう。女神殿は怒るだろうな。女神殿にとって、あなたは唯一無二のお方ですから。
それに、その襲撃はラヴェンナに対する牽制にもなりますね。イシネスで何があっても、手も口も出すなよと」
「何があってもとは、クーデターが起きるということでしょうか?」
「そう考えていますが」
「クーデターが起きた場合、どういうことになりますか?」
「王女殿下は、色々な罪を着せられて、北の塔送り。一生そこで過ごされます。
閣下は、お飾りの国王にされるかもしれません。この場合、生涯独身を強要されます。年齢と家柄の釣り合うお相手が、いないのですよ。
頃合いを見計らって、養子を迎えることになるでしょう。しかし、万が一閣下が即位を拒否したとすると、代わる人がいないのです。
ですから、王立派も反体制派も、何が何でも閣下に国王になってもらいたいのですよ。血統として問題はなし。閣下は、カリスマ性もお持ちですからね
女神殿としては、そうさせたくないにしても、代わりはいない。閣下を言うなりにさせるには、どうしたら効果的か。人質を取る事も考えていると思いますね」
「人質と言うと?」
「王女殿下か、あなたを利用する。いずれにせよ、わたしは閣下と運命を共にします」
「どうせ運命を共にするなら、いい運命になるよう、シミュレーションしてみましょう」
死に場所を探してこの地に来たエスカは、なぜか人助けをする方向に進まざるを得なくなった。
個室の制限時間ぎりぎりまで、ふたりは話し込んだ。夜行列車で帰るというエスカを、ディルはエアカーで駅まで送ってくれた。
「女神殿からの命令に対する返答ですが『僕はシルデス人です。誰からの命令も受けません』と」
ディルは、頷いた。
「それから、カシュービアンさまに、お渡ししていただきたいものがあるのですが」
「はい」
ディルは、にこにことエスカを見た。エスカは、ディルにハグと呼ぶには濃厚な抱擁をした。ディルも、同じように返す。数秒後離れたエスカに、ディルは満面の笑顔を見せた。
「確かに、お預かり致しました」
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