第9話 射撃

 久瀬の言葉にわたしは目を見張って、椅子から立ち上がった。それは初耳だ。

「か、彼女は無事だったのか!」

「おう。怪我ひとつなかったよ。つーか、そん時から美奈子は随分と肝が据わっていたみたいだな。逆に、男を説き伏せて、自首させたっつーんだから驚きだ」

 園児がどんな言葉で誘拐犯を説得したのかは不明だが、その時の男の言葉が、次のようなものだったらしい。

 ──彼女の言葉は、わたしの胸に浸透していくようだった。わたしの罪悪感を優しく包み込むような笑顔が、わたしの心を揺さぶった。まさに、彼女は神が遣わした天使だ。

 わたしは、美奈子の幼少の話は聞いたことがない。美奈子もあんまり覚えてないと言っていたし、わたしもたいして気にしなかった。ただ、とにかく写真を見て、群を抜いて可愛い園児だと思っていた。

 久瀬の話によると、警察は美奈子の功績に賞を授けようとしたらしい。が、彼女はそれを拒否した。マスコミが食いつきそうなネタにも関わらず、この話は漏れることはなかった。この辺りの話には、海斗や佐奈江が絡んでいたそうだ。

 表と裏の顔を使い分けている海斗たちも、あまり目立ちたくなかったのだろう。もしくは、娘を世間の好奇心の矢面に出したくなかった親心もあったかもしれない。

 とにかく、美奈子はその件で目立つことはなかった。

「普通はよ、美奈子ほどの美少女だったら、誰の目も引く筈なんだ。だけどよ、美奈子はさっきの件以降、不思議とそういう目で見られなくなった。整形したとかそういったことじゃなく、存在が薄くなったというべきか。大物ってヤツは大抵隠そうとしても隠しきれないオーラがあるもんだが、美奈子はそういったものを上手く消せるらしい。自分の影を薄くできる能力を持っているんだ」

 思い当たる節はあった。この一年、美奈子と一緒に様々な場所に出かけたが、コレだけ美人であるにも関わらず、彼女が目立つということはあまりなかった。まあ、わたしとしては、他の男どもの視線をあつめさせたくなかったから良しと考えていたが、よくよく考えれば、彼女の美貌に世の男たちが魅了され、そして嫉妬のあまりわたしを殺害しようと企む輩が出てきてもおかしくはなかったのだ。

「才色兼備、容姿端麗、頭脳明晰、沈着冷静、豪放磊落ごうほうらいらく。あと、何だ? まあとにかく、あそこまでいくと、同じ人間とは思えないほどだな。そんな彼女があんたに惚れた。……いやホントムカつくわ。今すぐ俺があんたを消してやりたいわ」

 わたしは慌てた。

「おいおい! わたしを守ってくれるんじゃなかったのか!?」

「冗談だよ。美奈子を悲しませることはしねーよ。さて、それよりもあんたにはこれからここで過ごしてもらうことになる。どこでもいいから3階から上にある部屋を好きに使ってくれ。ただし、あまり窓の近くはうろつくなよ。見つかる可能性があるからな」

「3階から上?」

「おう。2階は俺専用のトレーニングルーム。地下の一部は射撃場といろんなモンのメンテ場所。で、3階から上の部屋は訳ありの奴らが身を隠している場所だ」

 訳ありの奴ら……。きっとわたしと同じ境遇の者か、もしくは……。いや、聞くのはやめておこう。それよりも。

「射撃場?」

「おう。メンテしたものを試し撃ちする必要があるだろ? だから、そういう場があるんだよ」

 警察署や自衛隊基地とかならともかく、そんなものがこんな街中にあるとは思わなかった。裏の住人たちが住む世界の一端を垣間見た気がした。

 久瀬が意地悪そうに、口の端をあげて笑みを浮かべてわたしに言った。

「撃ってみるか?」

 拳銃を撃ってみる経験など、わたしの人生の中で皆無だと思っていた。やってみたいとも思わなかったし、やる機会があったとしても、危険だからという理由で断っていただろう。今までのわたしならば。

 美奈子との出会いで、わたしも色々とチャレンジ精神が身についたのだ。

「やり方は教えてくれるのだろう?」

 その答えが意外だったのか、久瀬が少し目を見張った。そしてまた笑みを浮かべた。

「おう。もちろん教えてやるさ。アンタが怪我したら美奈子にどやされるからな」

 そして、久瀬に連れられて、別の部屋から階段を降りて地下へとやってきた。

 射撃場は、奥行きがおよそ50メートルほどの縦長の空間だった。

 奥に人の形をした的が立っていて、穴だらけになっていた。

「ほれ。初心者にはこれだ」

 久瀬が銃をわたした。

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