第7話 久瀬健悟
人気のない路地裏を何度も曲がり、同じ道を二回ほど通った。
「誰かがつけているかもしれないからな。一応念のためだ」とわたしが聞く前に男は答えた。
誰もわたしたちをつけていないかを確認しながら、男はやがてマンションの裏手から地下駐車場へと入っていった。
そして、地下駐車場から関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉に入り、そこから階段でまた一階へと上がり、扉の前に立った。
「ここだ」
「……また随分と面倒くさい手順をふむんだな」
「いろいろとあんだよ。俺がここにいることを大勢に知られるわけにはいかないからな」
男はそこの鍵を開けて開けて入って行った。わたしも続いて入って、中を見て驚いた。
かなり広い部屋がそこにあった。マンション内部の三分の一くらいの広さはあるのではないだろうか。奥に革張りのソファが置いてあり、その正面の壁には百インチはありそうな大きなテレビが備え付けてある。
左手に広々としたカウンターキッチン、少し離れて大理石の大きなダイニングテーブル。反対側を見れば、大きな窓から芝生が見えていた。外──ではなさそうだ。中庭のようなものだろうか。
隅の方に、キングサイズのベッドもあった。ここで男は寝ているのだろう。
「突っ立ってないで、中入れよ。スリッパはその辺の使ってくれ」
扉付近にあったスリッパに目を向けると、金色の刺繍が入った高級感漂うスリッパだった。
「喉渇いたな。ビール飲むか?」
「あ、いや、水でいい」
「あ、そう。んじゃ、俺はビールで」
男はキッチンに行き、蛇口を捻ってジョッキに黒い液体を注いだ。アレはよくバーなどで見るヤツだ。
「ビールサーバーまであるのか!?」
「ああ。生ビール飲み放題だぜ。ちなみに俺は黒生派だ」
わたしは唖然としていた。
男は違うグラスに、水道の蛇口から水を入れてカウンターテーブルに置いた。
「ほら、水だ」
とりあえず、喉が渇いていたので水を一口飲む。蛇口から出したのに、冷えていて美味かった。
わたしは狼狽しながら男に尋ねた。こんな場所に住んでいるなど、只者ではない。
「……あんたはいったい」
「ああ、まだ名乗っななかったな。俺は
美奈子からわたしの名前を聞いていたのだろう。
わたしは部屋を見回し、尋ねる。
「……こんな隠し部屋みたいな所に住んで、いったい何をしている人なんだ?」
「そいつは聞かない方がいいってもんだ。世の中、知らなくていいことってあるだろ?」
カウンターの椅子に座り、ビールを呑みながら、飄々と久瀬は言った。
コイツ──いや、この人はきっといわゆる裏社会の人だ。わたしはそう直感した。でなければ、こんな隠し部屋みたいな場所で、こんな贅沢な暮らしができるはずがない。勝手にわたしはそう解釈した。
「……えっと、美奈子とはどういったお知り合いで?」
「突然口調が変わったな。あ、俺のことヤバいヤツだと思ったのか。別にタメ口でいいぜ。……で、美奈子とどういった知り合いかっていうと、あの娘は俺の命の恩人だ。いやー、美奈子はマジで天使みたいないい娘だよな。俺みたいなヤツを助けるんだからよ」
……俺みたいなヤツ、やっぱり久瀬は危ないヤツなのだろうか。
わたしが不信そうな目をしていたのだろう。久瀬はビールを一口飲んで答えた。
「詳しいことは省くが、四年前、美奈子と出会った時、俺は死にかけていた。高架下の茂みの中で大怪我して倒れていたんだ。普通、あんな所で人が倒れているなんて、誰も思わない場所だった。けど、何故か美奈子は俺に気づいて、応急手当をして、救急車を呼ぼうとした。だが、俺はタクシーを呼ばせて、どうにかこの隠れ家に連れて来させた。んで、俺のかかりつけの闇医者に連絡を入れて、どうにか一命を留めたったわけだ」
久瀬は、ざっくりと美奈子との出会いを話した。
「美奈子は、俺の傷が癒えるまで一緒にいてくれたよ。当時、彼女は高校生だった。高二だったな。女子高生が俺なんかに構うなって言ったんだが、頑なに看病をしてくれた。高校二年生なんてけつの青いガキだと思っていたが、あの大人びた雰囲気はとても高校生のものとは思えず、俺はどんどん彼女に惹かれていった」
わたしは思わず久瀬を睨みつけた。
「おっと、そんな顔すんなよ。結局俺はフラれ続けて、美奈子はあんたを選んだんだからな。けど、フラれたからっていって、それっきりってのは俺の信条に反する。助けてもらった恩もあるしな。だから、困った時は、必ず力になるって約束したんだよ。あ、ちなみに、美奈子には俺が裏の仕事をしていることは話してある。彼女は、意外にも怖がらずに、笑顔でその時はヨロシクって言ってたよ。まったく、大した女だ。正直、おっさんが羨ましくてしかたねーぜ」
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