第6話 謎の男

 あのあと、美奈子は海斗たちと話をする前に、気づかれないように隙を見てスマートフォンを川へ投げ捨てたという。

 わたしとのメールのやりとりや、電話番号などの情報を知られない為だった。海斗たちには、数日前にスマホを川に落としたということにした。

 海斗たちは、美奈子のマンションの部屋まで来て、一緒にいた男──わたしのことを問い詰めた。美奈子は正直に、付き合っている男性と答えた。

「適当に、何かの講師とか、高校時代の先生って嘘をつけば、ひょっとしたら誤魔化せたかもしれないわ。だけど、コレだけはどうしても嘘をつきたくなかったの。……ゴメンなさい」

「いいんだ。君は悪くない」

 わたしは心からそう言った。わたしとの関係を嘘でもなかったことにしたくない。彼女はそういう女性なのだ。

 そして、海斗たちは、わたしが彼らと同じ年齢だということを聞いて激昂したらしい。

 彼女は話の途中で沈黙し、そして声に力を込めて言った。

「……聡太さん。今すぐ逃げて」

「逃げる?」

「お父さんたちはきっと、聡太さんの素性を突き止めようとするわ。そして、二度とわたしに近づかないよう脅してくる。だから、お父さんたちに見つからないところまで逃げるの」

 わたしは絶句した。海斗がわたしのことを調べて、脅してくる。想像するだけで、身体が震えた。

 もう何十年も前のことなのに、酷いイジメを受けたわけでもないのに、高校の時の小さな心の傷のかさぶたが剥がれて、とめどなく血が滲み出してきたようだった。さらに、その傷を広げるようなことを美奈子は言った。

「お父さんは、実は怖い人たちとも知り合いなの。昔、わたしにちょっかいかけようとしてきた大学生がいたけど、その人たちはひどい怪我をさせられたわ」

 怖い人……暴力団とか半グレとかだろうか。娘思いの父親とというには、常軌を逸している。わたしは震える脚を拳で叩いた。

「だから、逃げて。聡太さんは、わたしが必ず守るから」

「……守るってどうやって」

 そんなことをわたしは尋ねていた。そうじゃないだろう。彼女に尋ねるべきこと、言うべきことは他にあるだろう。

 この期に及んで、わたしは自分の身のことしか考えられないのか。

「とにかく、まずは一刻も早くこの土地から離れて、G県のS駅に行って。そこで、わたしの知り合いの男性に匿ってもらうように伝えておくわ」

「……知り合い?」

「はい。とても頼りになる人よ」

 頼りになる? それは美奈子が信頼している人物ということだろうが、ここでまたわたしの下衆の勘繰り虫が囁いた。その男とはどういった関係なんだ? どこでどう知り合ったんだ?

 深呼吸して自分の頬を殴りつけ、どうにかその勘繰り虫を抑えた。

「どうしたの?」

「なんでもない。G県のS市だな。その人の特徴は? 名前は?」

 美奈子はほんの一瞬言い淀んだ。

「……えっとね、普段はちょっとだらしない格好をしているから、すぐにわかると思うわ。名前は、用心深い人だから今は言えない。けど、本当に頼りになる人よ。だから、わたしを信じてその人についていって」

「わかった」

「……ゴメンね。色々と聞きたいことはあるだろうけど」

「後でまとめて聞くよ」わたしは優しく彼女に言った。

 今は美奈子のいうとおり、一刻も早くここを立ち去った方が良さそうだ。

「わたしもお父さんたちの目をどうにか掻い潜ってそっちに向かうわ。待ってて」

 美奈子はいったん言葉を切って、それからわたしに告げた。

「聡太さん。大好きよ」

「……わたしもだ。もう君なしの人生は考えられない」

 くさいセリフだが、心からの言葉だ。

「わたしもよ。それじゃ、また」

 通話が切れ、わたしはまだ力が入らない脚に喝を入れて、収納スペースから古びたトランクを引っ張り出してきて適当に着替えやら全財産やらその他諸々を詰め込み、外に出た。



 K駅に向かって電車に乗り、K駅で新幹線に乗り換えて、言われた通りG県のS駅へと向かった。

 車窓から見たところ、G県のS市は、田舎でもなく都会でもない普通の街だった。

 所々に田畑が見られ、集合住宅もあり、アパートや高層マンションもあった。

 駅に着いて、改札を出て周囲を見回す。

 だらしない格好をした人物を探すと、確かにそれだと一目でわかった。

 その人物は構内の椅子にもたれるように座って、スマホを触っていた。黒の帽子を被っていて、灰色のシャツにチノパンといった作業着のような服を着ていた。

 わたしは思い切って、その人物に近づいた。

「あ、あの」

「あー?」

 その人物は気怠げな目でわたしを見た。髭面の男だった。歳は三十代半ばといったところか。本当に、この男が美奈子が言っていた頼れる人物なのだろうか。

 男が胸元に手を入れて身体をぼりぼり掻いて言う。

「……ああ、あんたが、美奈子の言ってたおっさんか」

 あんたもおっさんだろう。と、心の中でつぶやく。

 男は立ち上がった。

「とりあえずついてきな」

 ポケットに手を突っ込んで、やや前傾姿勢で歩き出す男。

 わたしは憮然としながらも、男の後をついて駅構内を出た。

 歩きながら、道中気になっていたことを尋ねる。

「あなたはいったい誰なんだ? 美奈子とどういった知り合いなんだ?」

 男は大きなあくびをして、周りを軽く見回した。

「質問に答えてくれ」わたしはやや苛立って言った。

「まあ、そう焦りなさんな」と男は先を進んで行った。

 何なんだこの男は……。くそ。歳下のクセに……。

 わたしの足は、数時間前の全力ダッシュで疲労のピークに達している。少し膝を曲げただけで、崩れ落ちそうになる。男についていくのに必死だった。

「……もう少しゆっくり歩いてくれ。年甲斐もなく全力疾走して脚が攣りそうなんだ」

 男はへらへらと笑った。

「わかるぜー。三十代後半に突入すると、ガクッと体力おちるよなぁ。けどな、今はもうちょい頑張ってくれや。あんまし、人に見られたくねーだろ? 変な動きしてると余計に覚えられやすい。人間ってのは、見てないようで意外と見て覚えているもんだからな。んで、美奈子の親父さんがアンタが誰か突き止めたら、手下を使ってアンタを探そうとする。そん時に、この辺りで今のアンタを覚えているヤツがいたらそこから足がつく可能性も出てくる。なんせ、あの親父さん顔が広いからなぁ。用心するに越したことはねーんだ」

 わたしは目を見開いて男を見た。……色々と聞きたいことはあるが、ともかく今は男の言う通りにした方が良さそうだ。

「……わかった」

「んじゃ行くぞ」

 わたしは黙って、必死に男の後をついて行った。

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