第9話 誰が為に

   †


 リョンと行動するようになってから専ら彼がツァリの足になっていたため、久しぶりに引っ張り出した自動二輪車バイクの乗り心地の悪さは殊更酷く感じた。常時鉄屑を彼方に弾き飛ばしながら走るとなるとタイヤが跳ねまくって安定しないわヘルメット型のガスマスク越しでも喧しいわで数時間乗りっぱなしでもまだ慣れない。そういう意味ではリョンの提言は非常に正しかったと言えるが聞き入れる訳にはいかなかった。少なくとも最低十日間はツァリ一人で動かなければならない。

「……」

 見下ろすのは《神》が出現した巨大な虚の穴。今日ツァリは綾女が襲われた場所まで自動二輪車を走らせてきたのだ。

 意識して瞼を閉じ、開く。赤茶、暗褐色、黄土の世界が瞬時に深い青色に変容、地上を見渡す。息を潜めて待機していても画面はずっと青いまま。《神》の存在を示す警戒色はちらとも映らない。

(俺がうろついているのは気付いているはずなんだが)

 リウムでは地中生活をしていた《神》は音と臭いに敏感だ。地表でといえど自動二輪車で駆け回っているツァリには気付いていてもおかしくないのだが。まあ保護対象がいる今なら好都合ではある、少なくとも綾女が帰るまで大人しくしていてほしい。ただ彼女の帰還後も潜まれるとツァリを囮にした戦法も使えないためそこは困る。

 ――いいか? 本当に様子見だけにしろよ? 無茶すんなよ? 何かあったらすぐ逃げろよ。す、ぐ、に!

 不本意な見送り側に回してしまったリョンから刺された釘を思い出す。紆余曲折あって半ば強引にツァリの仕事のパートナーになった元《神の遣い》は、言葉選びこそ粗暴だがあれでなかなか心配性で、曰く「我が事になると阿呆みたいに抜けている」ツァリに対して過保護になりがちだ。彼が来る前は一人でこなしていたし、普段振り回されているのはこちらだというのに。基は子守用ロボットだったという特性だろうか。自分はれっきとした成人なんだが。

(しかし今回の原因は何なんだ)

 リョンは綾女に「《神》は人間の声に引き寄せられる」と話したがそれは同じリウム内の話で、リウムを根城にする《神》がアリウムに移動するなどこれまで聞いた事が無く、『〈リアム〉奪還計画』の指揮を務める本部からも同じ回答だった。考えられるのは此度の《神》が前例に当て嵌まらないのか、もしくは。

(アヤメ嬢が原因か……?)

 あわや《神》に食べられるところをすんでで助け出した、地球という異世界から来た女性。自分の胸元までしか背丈がなく、貸した服のサイズが全く合ってないせいで華奢さが際立つ体からあちこち怪我が覗いているのが非常に痛々しい。手足の包帯や湿布を交換最中反射的に痙攣されるとツァリの穢れた手で触れている申し訳なさも作用して存在ごと潰してしまいそうで実はかなり気が気ではなかった。

 ……見回り中は集中を欠いてはいけないと何とか努めていたがそろそろ限界だ。

(戻るか)

 バイザーに表示される時刻は夕方前、拠点までの距離を考えれば切り上げにはちょうどいい。常のツァリならば本部からの命令に従って一人でも《神》を誘き出そうと画策するが今回ばかりは少女の保護を優先したかった。もちろん彼女が心身共に無事地球に帰るまで下手な事はしない。ツァリとリョン以外に頼れる者がいない環境で片方が怪我など負ったら彼女はまたパニックになる。もう泣かせたくはない。

 巨大な穴を一瞥し、エンジンをかけた。




《神》の乱心で一番の被害を被ったティザリは辛うじて崩落は免れたものの空調管理機能は大破した。おかげで荒野と化した国の気温はどこも低い。そんな冷温地帯で綾女は火を熾せるのかと疑問に思ったのは博物館を囲む壁が見えてきた時だった。

(しまった)

 裏口から自動二輪車を雑に突っ込みガスマスクも適当にハンドルに引っかけ慌てて集合場所に――向かい始める前に猛然と何かが駆け寄ってきた。否、何かも何もここにいるのは一人と一匹しかいないしあの速度で走れるのは後者しかいない。けれど途切れなく長い悲鳴を上げているのは――。

『ツァリツァリツァリツァリ! やっぱこいつヤベェよ今すぐ叩き出すべきだって!』

「やめてやめてやめて私は無実だって! ていうかリョンさん下ろして! せめて地面に足着かせてこの状態怖い!」

 ぎょっとした。ツァリの前に滑り込んできたのは相棒である鉄と歯車でできた獣。それは別にいい。問題なのは彼の尻尾に巻かれる形でツァリが保護した女性――綾女が、逆さまの宙吊り状態で拘束されている点だ。

「っ何やってるんだリョン! 早く彼女を放せ!」

 唖然としたのは一瞬。すぐにリョンに手刀を食らわせ綾女に手を伸ばす。リョンは綾女を地上に降ろしはしたが体躯に比例した長い尾は依然彼女を何重にも巻きついたままで解放する様子は無い。「リョンっ」『おめェの頼みでも聞けねえよ。こいつヤベェもん』「あ待って今逆に放さないで、酔って平衡感覚が……うっ」『おいやめろ吐くなよ!?』青い顔でふらつく綾女に今度はそうさせた元凶が慌て出し、朝方よりも何倍も騒々しくなった。


 約二十分後。

「えいっ」

 焚き火横に置いた使い古された吊り下げ鍋を綾女が指差せば、鍋の上に水の塊が現れ勢いよく注がれた。

「ほっ」

 次に炭化した薪が多い火付け場所を指差すと、軽い音を立てて眩い赤橙の火が点る。

「はああぁぁ~~!」

 両手を鍋の前に翳して絞り出すような声を出すと隣の蓋が舞い上がり水が入った器にセット。そして鍋ごとよろよろと宙に浮かぶと、焚き火を囲む形で設置しているフックに吊り下がった。

「こ、こんな感じ、ですっ」

「……まずアヤメ嬢、大丈夫か」

「だい、大丈夫です。出すのは良いんですが、重いの動かすのって気合い必要でっ」

『つかツァリ、おめェ何で驚かねえんだよ』

「驚いただろ、最初に」

 たった数十秒でも無茶苦茶に振り回されたせいで立つ事もままならなくなった綾女を一度寝かせ、まずはリョンから、そして復活した綾女から事情を聞いてから「こんな感じです」と片手で持った薪の先端に器具も無しに火を点けられた時はさすがにツァリも数秒思考停止したのは双方見ているはずだし、眼前で起きた一連の超常現象も露骨に態度に出さないだけで動揺している。ただ椅子に座ったまま一歩も動いていないはずなのに若干息切れ気味で、それを解消するために自分で出した出所不明(矛盾が酷い)な水をカップに注いでがぶ飲みしている綾女の方に誰だって意識を持っていかれると思う。一応手持ちの検査キットで無害な真水と結果は出ているが……リョン、あからさまに引くな。引くならいっそ彼女の足に巻き付けてる尾も外してやれ。

「それでどうですか? ツァリさん視点からの私のこれ。アリウムって魔法あります……?」

 一気飲みして一息ついた綾女に打って変わって怖々と尋ねられ、困惑を一旦そこらに押し込めて己の知識を浚う。綾女の世界では今のような人知を超えた力は魔法や超能力という概念としてはあるらしいが物語の中や机上の空論でしか存在しないと見做されているらしい。なら地球よりも文明が進んだアリウム側の知見はどうかと考えたようだが。

「あいにく貴女のような能力を使う人間は見た事が無い。あったとしても身一つでは行えないと思う」

「そうですかあ……」

「ただ納得はした」

『納得?』

「アヤメ嬢の怪我。俺が診た範囲では擦過傷や打撲はあっても切り傷が無いのが奇妙だった」

「それは《神》が地上に出てきた時の風で。周りの鉄屑全部吹き飛んだからじゃ?」

「その爆風の中に大量の鉄片が紛れているんだ。それにアヤメ嬢が巻き込まれたのに傷一つ負わないのはおかしい。仮に奇跡的な確率ですり抜けたとしてもあの巨大な《神》が現れた時色々落ちてくるだろう、上から。……想像だが、あの時アヤメ嬢は無自覚にその能力で身を守っていたんじゃないか? 今見せてもらった力以外の、身を守るような能力で」

「えっ何それテンション上がる」

『やめろおい試そうとすんな立ち上がろうとすんな。許可どうした』

「じゃあリョンさん、ちょっとバリアー的な物出してみたいから離して」

『却下』

「聞いたのに!」

 ちなみにリョンはツァリと綾女の間にあった木箱をどかした場所に鎮座し、綾女の左足に自身の鉄の尾を巻きつけている状態である。胴の拘束は外してもこれでは足枷と同じだと咎めたのだが、当の綾女が「宙吊りじゃないなら良いですよ」とあっけらかんと了承ししたためそのままになっている。それでも納得できず何度か諫めていたのだが……己に眠る不思議な力の発覚に目を輝かせて行動を起こそうとする綾女の足を軽く引っ張ってリョンが窘める様は……何というか、こう表現しては失礼だけれど。好奇心旺盛な幼児をどうにか手元に留めようと四苦八苦する親の構図を連想してしまう。荒れ地でリョンの事を思い出したからだろうか。そして次に自然と浮かんだのは。

(……ずいぶんと親しくなってるな)

 深刻な口論というより賑やかに喋っていると称した方が的確な一人と一匹は今朝の時点では全く想像していなかった風景だ。吐露の中身から世話焼きな側面を持つリョンが既に絆されているのは分かったからと綾女の護衛を任せたのはツァリ自身だ。しかしずっと礼儀正しい話し方だった彼女がリョン相手には砕けた物言いになっているとは。……にしたって打ち解けるのが早すぎないか。

(……?)

 胸に手を当てる。何故自分は不満を持ったのだろうか。

『ツァリもぼけっと見てねえでこいつどうにかしてくれよ。この小娘遙かに図々しいぞ!』

「失敬な、図々しいまではいってない……はず!」

 親もとい相棒に意識を引き戻されればじりじりと間合いを取るように対峙する獣と女性が。傍目からはじゃれ合いにしか見えない。が、口にすれば主に相棒から十中八九顰蹙を買うため別の人物に問いかける。

「アヤメ嬢。一つ聞きたいんだが」

「はい、何でしょう」

「アヤメ嬢はその力が怖くないのか。貴女の世界でも例は無いのだろう?」

 綾女の世界では絵空事と認識されておりアリウムでも詳細が解らない奇妙な能力。綾女個人は創作物として馴染みがあるようだが、実際に未知の力を秘めているとなると混乱し怖がるのではないだろうか。

 ツァリの質問に綾女は顎に手を当てて二、三秒宙を睨むときっぱり答えた。

「最初はビビり倒しましたが今は特に」

「平気なのか?」

「それよりツァリさん朗報ですよ。これで留守番中でもツァリさんの役に立てます!」

「……。ん?」

 何故そこで俺が出る?

「着火剤も器具もいらないなら燃料の節約できますからねー。何より水! 水が自由に使えるなら洗濯も気軽にできますよ手洗い限定になりますけど! お湯はさすがに難しいかなあ。駄目だったら火加減の調節が鍵か……ツァリさん任せてください。水シャワーじゃなくてあったかいお風呂の用意ができるように私頑張ります!」

 そしてあわよくば私もお零れに与りたいです! そう締め括った、異世界に飛ばされてまだ二日目の女性は、熾火に照らされずとも判るほど一点の曇りも無い眼でツァリに笑いかけた。

「……」

「あれ、ツァリさんどうしました?」

『ドン引きしてんだろ。話の流れのせいでかこいつ、マホーとやらが使えるようになってからほとんどずっとこんなだぜ。オレ様が縛った時も暫く経てば戻りやがったし。つか縛られてる状態で「暇だったから」って途中で悠長に居眠りしてやがったのはオレ様も引いたよ。まあお前の役に立つってんなら良いけど……変だよこの小娘』

 胸元で拳を掲げて決意表明する綾女を眺めながらの相方のぼやきは非常に疲れ切っていて、彼女の盛り上がりっぷりに追いつけなかったのは明らかだ。で、彼を疲弊させた理由は、不可思議な力への恐怖心に勝るほど彼女が喜んでいる理由は共通してツァリのためらしく。

「……ははっ」

 意味と理解が一致し込み上げてきた感情が何かを考える前に声を出していた。

「え」『ツァリ?』唐突に笑い出したツァリに綾女は固まり、リョンは胡乱と心配が混ぜてツァリの名を呼ぶのが更におかしく感じて吹き出しそうになり、けれどこれ以上はとぐっと堪える。

「すまない、アヤメ嬢の強さに感心してしまった。……貴女が自分で用意するのにお零れなのか?」

「ツァリさんに用意するが一番の目的なので心境的には合ってます」

「そうか。なら楽しみにしてる」

「はい!――ってそうだ、ツァリさん疲れてますよね? そろそろご飯作りましょうか」

「ああじゃあ俺が」

「いえいえ、ツァリさんは先にシャワー浴びてきてください。材料の確認と作り方はリョンさんに聞いてやっときますので」

『は? オレ様が教えんのかよ。つかこの水で作んのか?』

「あーさすがに一旦捨てようか……あ、しまった」

 くるりと綾女が振り返り、今度は何かと首を傾げるツァリと目を合わせて。

「無事で良かったです、ツァリさん。おかえりなさい」

 事も無げに贈られた一言に息を呑んだ。出迎えの挨拶など知識としてしか記憶してなくて、当然その返事など口にした事も無い故に内心狼狽えてしまったけれど。

「――……ただ、い。ま」

 自分でも辿々しい拙い返しだと思った。しかし彼女が全く気にせず「はい」と笑ってくれた事がどうしようもなく嬉しかった。

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