第3章

第7話 二人と一匹、改めまして

 異世界ことアリウムに転移した翌日、腕時計表示では朝五時四十三分。綾女の朝は青年の片膝をついての謝罪から始まった。正直予想はしていた。

「何とお詫びしたらいいか……」

「もう気にしないでくださいって。私も突然泣いちゃってすみません」

『…………』

「リョン、お前も謝れ」

『はァ? 何でオレ様が』

「彼女は突然こんな場所に放り出された被害者で、俺達の事情は関係無い。昨夜のお前の発言はただの八つ当たりだ」

『……ヤなこった』

「おい」

「もういいですよー」

 朝食だと渡された乾パンを食べながら我ながら呑気な制止になったなと胸中で独りごちる。侘しい物ですまないと謝られたが舌先に感じる仄かな甘みは今の綾女にちょうどいい。

《神》に襲われた記憶がフラッシュバックしてボロ泣きした昨晩は、綾女が泣きやんだのを確認した後お開きとなり、今日はもう休息を優先すべきと謝る青年に従って気絶中寝かされていた小屋(喩えるなら大きな公園で時々見かける壁と天井はあるが中には何も無い、がらんどうが広がるだけの用途不明なあれ。違うのは石やコンクリートではない金属製の釣鐘を地面に落としたよう、と朝改めて眺めて思った)に連れていかれ秒も経たずに眠りに落ちた。

 そして目覚ましアラームも無しに早起きしてしまった今朝。寝起きのぼんやり感は蟠っていても不思議と昨夜の余燼よじんが燻っている事も無く自然に呼吸ができたため、二度寝もせず身支度を調えて黄土色に戻った空を眺めていたら様子を見にきた青年と鉢合わせたのである。《神》を警戒して不寝番をしていたらしいのに真っ先に綾女の体調を尋ねてきたのが何だか印象的だった。それから綾女に朝食は一人で食べるかと心配そうに尋ねられ、首を横に振って昨晩の場所に出向いて現在に至る。

 具無しのインスタントスープに口をつけながら綾女に対してよりもずっと雄弁に説教している青年とそれをそっぽ向いてやり過ごしている獣を観察する。

 昨日と代わり映えしない肌以外は全身真っ黒の青年は明るい場所だと夜よりも暗色が際立ちすぎているが怖いとは思わなかった。そして昨日綾女を詰った鉄の獣は――集合場所で寝そべっていた体勢で顔を向けられた時は咄嗟に青年の背に隠れてしまったものの今となってはさほど恐怖を感じない。たぶん綾女への一瞥が昨夜噛みついてきた時よりずっと面倒臭げで、何というか、表情や機微など判る訳が無いのに「ああ昨日こってり絞られたんだな」とこちらが被害者なのに同情してしまうほど覇気が感じられなかったからかもしれない。青年に怒られている姿は怒っているというより不貞腐れているようだ。

 それに前も述べたが綾女はスチームパンク……蒸気機関で稼動する機械、ガジェット、鉄、真鍮、歯車が特徴の、産業革命時代に生まれた蒸気機関が発展した世界観が好きである。綾女の趣味を踏まえて落ち着いて見るとあの獣、結構綾女の嗜好にヒットしていた。口に出す予定は無いけれど。

 ぐるりと頭が綾女に向いた。

『おい、さっきから何じろじろ見てんだてめェ。見せモンじゃねーぞ』

「ひっ」

「言った傍から脅すな」

 一向に態度を改めない鉄のネコ科に青年が手刀を落として『いで』と獣が呻いたのに慌てる。突然睨まれてビクついてしまったけれどガン見していたのは間違いないためさすがに申し訳ない。

「大丈夫ですよ、私もじろじろ見ちゃってたので。むしろこっちがすみません」

『ほらなオレ悪くねェ!』

「威張るな」

 鬼の首を取ったとばかりにふんぞり返る獣に冷静に青年が突っ込み嘆息する。と、綾女に顔を向けると「……もう大丈夫か」気遣わしげな問いかけに一拍思考を挟んではいと答えカップを木箱に置く。

「もしかしたらまだ情緒不安定かもしれませんが、とりえあず今は平気です。それと、ありがとうございます。見ず知らずの私を助けてくれて、その後もずっと心配してくれて。こちらこそ礼を欠いてました」

 すみません順番がばらばらで、と深く頭を下げる。思えば救出された直後は即気を失い、起きたら起きたで寝起きのココアに仰天した流れで現状と異世界事情を聞き、そして鉄獣の登場で号泣してその日は終わり挨拶らしい挨拶をろくすっぽしていなかったのを朝食を摂り始めてすぐ思い出したのである。ついでに凄く今更な、初対面のコミュニケーションの取っかかりとしても非常に重要な確認も丸ごとすっぽ抜けていた事も。

「それで……あの……申し遅れていました。私、米原綾女って言います。そちらのお名前伺っても良いですか?」

「…………。ああ。俺はツァリ、こいつはリョン」

『おめェ等名乗ってすらなかったのかよ!?』

 昨日オレ様が戻ってくるまで時間あったはずよな! と綾女と青年改めツァリを交互に見やっての至極もっともな突っ込みが言葉遣いの相乗効果もあって耳に痛い。「それどころではなかった」と無表情でツァリが返したがたぶん綾女と同じ事を考えている。

 それから『つかオレ様の名はリョンじゃねェ。リョングラヅィッアテスリーュ! それがオレ様の正式名だ。おめェは略さず呼べ』「え待って待ってリョングラ……すみませんもう一回お願いします」「長いからリョンで良い」『おめェが勝手に決めんなや』「それでさっそくだがアヤメ嬢」「嬢!?」獣ことリョンの呼び方と二次元上でしか見聞きした事がない敬称に動揺してちょっとしたカオス状態になった二分後。

「今後の方針を話す」

 だらけた態度ながらも口を挟まないリョンを確認し、居住まいを正した綾女にツァリが体を向ける。太陽が見えない朝方にやっと見られた青年の瞳は琥珀より柔らかな黄色で、綾女の誕生石であるインペリアルトパーズを想像した。

「昨夜話したようにアヤメ嬢の帰還は早くて約十日後。それまでは、悪いがこの敷地内で過ごしてもらいたい。調査によるとここは《神》が立ち入れない領域とのことだから、外に出ない限り安全だとは思う」

「分かりました」

「だが万一という事もある。だからリョン、お前は護衛として彼女の傍にいてもらう」

『は? おい聞いてねえぞツァリ。何でオレ様が小娘と留守番なんだよ』

 ちょうど欠伸をしようとしていたリョンが困惑げにツァリに吠えた。同意では無い様子にあれと一人と一匹を見比べる。

「ツァリさんはどこかに行かれるんですか」

「《神》の様子を見に外に出る」

『オレ様も行く! つかオレ様が行かなかったらおめェどうやってあの馬鹿みたいに広ェ荒れ地移動すんだよ』

「倉庫に自動二輪車バイクがあるだろう」

『あのオンボロよりオレ様の方が機動力あるが!?』

「その機動力を非常事態になった際、アヤメ嬢のために発揮してくれ」

『その非常事態になった時一番ヤベェ状態になってんのぜってーお前だかんな!? ふざけんなこのオレ様がお前ほっぽっておけるか! つか小娘も嫌だろ、自分泣かせた奴がずっと近くにいるんだぜ? 嫌だろ、なァ!』

「えっ私?」

 ハラハラと成り行きを見守っていたら突然矛先を――しかも綾女の意思を尊重するようなニュアンスで向けられ戸惑う。《神》にトラウマを植え付けられている綾女と《神》に似た容貌と巨躯を持つリョンは昨夜の一件も考えると間違っても相性が良いとは言えない。しかしリョンの件に関しては正直今朝の様子と傍で会話を聞いていると大丈夫かもしれないと思えてきたのだ。特に後者を聞いてまた怖がれという方が難しい、ツァリさんの事滅茶苦茶大好きなんだなとしか思えない。まあ喧嘩するほどの意気地は無いから過剰に虐められたら爆発するかもしれないけれど。しかしそれとは別に綾女もツァリの予定には不安がある。

「ツァリさん、その、私が言うのもあれですけど。単独行動はやめた方がいいですよ。見にいくってあの《神》ですよね? 絶対一人じゃ危ないですよ、大雨の田んぼパターンですよ。私は大人しくしてますからリョンさん連れていってください」

「たんぼ……? いや駄目だ。今回の《神》は行動の予測ができない。身を守る術を持っていない貴女を一人で置いておく訳にはいかない」

「でもそれこそもしもの事があったら」

「貴女が帰るまで無茶をするつもりはない。見回り程度に留めるから心配は不要だ」

 けれど綾女の口添えに効果は無くきっぱり断られた。となれば庇護される立場である綾女はこれ以上ツァリに意見できない。二度目の「分かりました」で渋々引き下がった綾女に心なしかツァリはほっとした顔を見せ、代わりに『おい負けんなよ!』とリョンに怒られた。

「そう言われても……守られる側の私に発言権なんてそんな無いですよ」

『ちっ使えねェ』

「おいリョン、いい加減に」

『第一!』

 だんっと荒っぽく立ち上がったリョンに思わず半身を引く。綾女の動きに気付いたツァリがリョンに苦言を呈そうと――。


『こいつと残されたら泣かせたオレ様が気まずい思いするだろ!?』


 たっぷり五秒は静かになったと思う。


 無言でツァリに顔を向ければ同じように綾女を見やる彼と視線が交わる。双方黙って顎を引いた。

「行ってくる。夕方には戻るつもりだ」

「了解です」

『無視すんなや!』

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