第6話 神の単位は〝柱〟である故、

 ごと、と。薪の一部が燃え尽きてバランスを欠く音が僅かな静寂に入り込んだ。

「すみません、一回話止めてもらっていいですか」

「分かった。……もうやめておくか? 疲れているだろうし、聞き慣れない話で負担がかかるだろう」

「いえ、一応SFの素養はあるので話には着いていけてます。ただ突然ファンタジー要素がスライドインして戸惑ってるだけで」

 タイムトラベル、超能力、スペースオペラ、最後にパンクと付くサイバーパンクにスチームパンク等々を有するサブカルジャンル、それがSF。特に綾女は機械管理されたディストピアものや文明が滅んだ世界を旅するポストアポカリプス、蒸気機関が発展したスチームパンクが大好きで、前二つの基礎知識もあってこの手のジャンルに疎い一般人や門外漢のオタクよりずっとスムーズに内容を理解していたつもりだった――でも待って、いや神て。

 戦争の原因の一つになる宗教、あるいは心の弱みと無垢につけ込む代名詞、創作であれば世界観の構築に欠かせない圧倒的な超越的存在(近頃は弱体化も著しいけれど)である〝神〟がSFな世界観に突然投入されるとは。しかも破壊されたリウム? その原因が神で殺処分? 害獣扱い? 弔い?――神殺し?

「その、前提として神っていうのは具体的にどういう……?」

「……『〈リウム〉計画』の概要から話す。少し専門用語が出るから解らなかったら質問してほしい」

 分かりやすく混乱している綾女への気遣いか、青年の話し方が幾分柔らかくなった。

「観測によって移住可能と確認が取れたリウムには《至素しそ》という物質が必ず漂っている。至素はリウムを構築し維持する重要な役目を持っていて除去等は厳禁。幸い人体や他の生物には無害だったんだが、それよりも悪い問題が浮上した。……至素はむしろ、弱すぎた。リウムに元からいる動植物以外が入る、つまり移住のためにリウムに人や動物が移るとその分だけ至素の量が減少する」

「え、それじゃあ」

「察する通りだ。そのせいでいくつかのリウムは崩壊した。実験段階で判明したから犠牲者が出なかったのは幸いだった」

「でもだからといって、リウムを維持する至素を残すために移住者の数を制限したら本末転倒……ですよね」

「そう、結局その場凌ぎの建国と同じになる。そこで研究者達は至素を減らさずリウムを構築・維持できる機構システムを造った。それが《神》だ」

 移住に伴う減少を補うためにはより多くの至素が必要になる。そうして生み出されたのが至素を生成・調節する超大規模管理機械でリウムを支える主柱――通称《神》。《神》は至素の調節のみならず人々が新たな未開拓地で生活を営むために当時の最新鋭の人工知能も導入した万能装置としてリウムに据えられ、『〈リウム〉計画』には決して欠かせない物として存在を確立した。

「計画は順調だった。リウムはそれぞれで自然環境が異なるから時には苦労を強いられたが、一番の懸念だった至素の件が解決したらとんとん拍子。もう何も問題は起きないと考えられていた。しかし……」

「ある日《神》に問題が起きた、とか?」

「……よく分かったな」

「私の世界ではまあまああるんですよ、管理システムの暴走で人類が被害被る設定。人工知能なんてもうそのためにあるようなもので……あ、もちろん創作上でですよ」

「それが娯楽になるのか……。まあ貴女が言った通りだ。当初の目的数に達し、リウムの国土化は無事成功した。そして更に発展を遂げようと暫くした頃だった」

 あるリウムの《神》が規定よりも多量の至素の放出を始めたと研究者が報告したのが始まりだった。しかし至素自体は人畜無害で、注意すべきはあくまでリウム維持のために総量が下回らないようにする事で放出量が多少増えても問題無いと研究結果が出ている。データとして記録保存した後は技術者を呼ぶ算段をつけ、問題の箇所は程無く修理された。

 それから四日後、そのリウムは惨劇の舞台となった。

 至素の減少所以ではない。作業用・ペット型ロボット、アンドロイド――開拓を始め愛玩や業務のためにリウム内で動いていた機械達が次々に人を、家畜を、建物を、同族以外の全てに殺傷と破壊の限りを尽くし始めたのである。

 原因は至素の過剰摂取。そして狂った制御機能の利用して命令を下したのは世界と人々を守り慈しむ存在であった《神》。乱心した《神》の所業で最終的にそのリウムはリウム自体は残ったが、予期せぬ総攻撃を受けた故に甚大な被害を被り壊滅した。

 しかしこの大事件は前触れに過ぎなかった。緊急事態を受け取った他のリウムの《神》が、あろう事か始まりの《神》に応えんとばかりに一斉に至素の過剰供給を始めたのだ。結果悪夢は次々と連鎖していき――リウムの大本であるアリウムまで繋がってしまった。

「アリウムに至素は無いがどこかの過程で生成を可能化されたのが問題だった。しかも各リウムの《神》の統率と管理をする《主神》が設置されていたティザリは、人々の補助を担うロボットやアンドロイドの数が種類問わずアリウム内で最多。最悪の条件が揃っていたとしか言いようがない」

「そ、それじゃあ……」

「他にリウムの管理を担っていた他国諸共、一夜にして滅んだという。そして貴女も見た荒廃の地と化した。一応この建物のように残存している物もあるが……すまない、こうは言うが回避が間に合って被害を被らなかった国はいくつかあるし、万一の事態に備えて技術保管用として建てた国も無事だ。だから貴女の帰還に関しては問題無い、安心してほしい」

「それを聞いて心底ほっとしました……」

 途中で青褪めた綾女に気付いて言い添えてくれなかったら最初の帰還できる発言は何だったのかと泣くところだった。ポストアポカリプス世界、放り込まれた側には恐ろしすぎる。しかも再確認するまでもなく青年の仕事は危険どころではない。

「つまり《神》はスパコンに似た物で、それが暴走したせいで今の状態になったって事ですね。殺処分って変わった言い回しですけど……貴方の仕事はその《神》を壊す? 機能停止? させる事ですか? 大丈夫なんですか、ロボット襲ってくるんですよね」

「《神》に操られた機械……《遣い》は、この件でほとんど壊れている。残党も少ないから対処法は判っているしアリウムの支援もある。問題無い」

「そうですか、なら」

『問題無いィ? おいおい、事実ってモンは正しく伝えるもんだぜ? ツァリ』

 良かった、と続けるはずだった綾女の口は突然割り込んだ荒々しい語調で肩が跳ね上がるのと一緒に閉じざるを得なかった。そして「リョン」と青年が振り返った先に反射的に目をやって木椅子ごと体を引かせる。地面の状態も相まって耳障りな擦過音を立てた綾女を一瞥し、〝リョン〟と呼ばれたモノは青年の傍に座して大欠伸を零した。

『ざっと見回ってきたけどよ、やっぱ引っ込んじまってるわ。穴の周りでちょっかいかけてもウンともスンとも言わねえ』

「無茶をするな、何かあったらどうするんだ。……見た限りでは今回の《神》は無事に弔えると思ったんだが……仕方ない、暫く様子を見る」

『は? 様子見? ああなッちまったら終わりだよ、殺すしかねえ。だからさっさと放り込もうぜ。そしたら三秒で片付く』

 こちらを射抜かんばかりに睨めつける黄緑色の双眸に上半身を引いた体勢のまま綾女は完全に硬直していた。錆びついた金属を擦り合わせたようなざらついた声音に対してではない。

 焚き火に照らされて全貌を露わにしたのは一頭の動物だった。しかしただの獣ではない。喋るからではなく豹やピューマを思わせるネコ科特有のしなやかな曲線の体躯は鉄屑や鉄板や歯車といった金属類の継ぎ接ぎで構成されているのだ。しかも体高は椅子に座っている青年の目線よりずっと上、平均身長の綾女の首元まであるかもしれない。そんな巨大な鉄の塊が当たり前に動く様は――正に綾女が死ぬ覚悟を決めた怪獣を――あれよりはずっと生物だと判りやすい見た目だが――否応無く呼び起こした。

 睡眠と時間経過により張られた薄氷を無造作に踏まれてミシリと軋む感覚。瞬時に背筋を寒気が這い上がる。

「リョン、彼女は何も悪くない。責めるのはお門違いだ」

『悪くない、ね。そしたらお前はとばっちり食らったって言や良いのか? こいつのせ、い、で』

「リョン!」

 青年が諫めても効果は無い。綾女が眼と認識した一対の黄緑の硝子玉が仄かに光っている。玉に視線などある訳が無いのに険のある物言いは露骨に対象を絞っていると、ずっと綾女を酷薄に見据えていると強制的に理解させられる。

『おめェを食おうとしたあのデカブツ、覚えてるよな? 忘れたとは言わせねェぞ。いいか、あれが《神》だよ。あれが、《神》の、成れの果て』

「え――」

 あのスクラップの鉄塊が、綾女を食おうと襲ってきた生き物が、見上げるほどの巨きな怪獣が《神》?

「リョンやめろ。貴女も聞かなくていい」

『おめェは黙れ。それとだ、てめェ声出しただろ。喚いたか叫んだかは知らねえがとにかくでけェ声を出した。違うか?』

「だっ、し、ました、け」

『ほらなァ!』

 すっかり干潟化した喉を何とか震わせて掠れ気味ながらも返答するも、最後まで言い切る前に当てつけんばかりに容易く殴り倒された。ついでにこれ見よがしに溜め息などつかれたら出し損ねた音も強制的に消し飛ばされる。

 確かに綾女は叫んだ。歩き慣れた道を歩いていたはずなのに近所はおろか地球ですらなさそうな荒廃した異世界で目が覚めて、まだ自分がどういった状況下に置かれているのか全く理解できず汚れた鉄屑と空しか望めない荒野の只中で逃避と愚痴と怒りを混ぜ込んだものを一発かました。全身全霊を籠めた文句は開けた土地で発したにも拘らずまるでドーム内で反響したように聞こえ――もしかしたら本当にしていたのかもしれない。この国は建物だと判明したから――響き渡ったと思う。その後に糸が切れて、どうせ独りだからと恥も外聞も無く泣きじゃくって、そしたら例の怪獣、《神》が、現れて。

(あれ)

 心臓が痛い。どくどくと脈打つ音がやけに耳につく。目の端が震える。それに何だか寒いを通り越して頭が冷たくなってくる。瞬きをすると視界に白が混じり始める。

『こいつが省くからオレ様が説明してやる。《遣い》のほとんどは死んだけどな、《神》自身は普通に生き残ってんだよ。おまけに乱心の末に自由に動く肉体を手に入れやがった。それだけでも面倒だってのに例のアレだ――あのな、《神》は人の声に反応すんだよ。そんで声を出した人間の所にやってくる。つまりあの《神》はアリウムにいたてめェの声を拾って移動しやがったんだ。ティザリとリウムは当時の名残でまだ繋がってるからな。たく、そのせいでアイツ捕まえ損ねるわ見失うわこいつの仕事増えちまうわで本っ当無駄な労力使わでっ!?』

(えっ)

 霞む視界の中で青年が立ち上がった、と思ったら猛然と捲し立てていた獣の額に拳を落とした。ゴッ、だかドゴッ、だか、生身にというより厚い鉄板を殴るのに似た一撃にネコ科もどきな鉄獣は弁を途切らせ、これまで紳士的な態度を崩さなかった彼の突然の暴挙に綾女も目をしばたたかせる。

 目尻から生温い何かがぽとりと落ちた。

「え」『は』

 後から後から湧いて出てくる涙に一番驚いているのは綾女自身だ。「なん、」威圧的に一方的に責められてだろうか。急いで拭おうとしたが両手は何故かほとんど空になったマグカップにくっついたまま動けない。それに何だかふらつく。咄嗟に俯いて顔を隠す寸前目の前が暗くなった。

「――落ち着いて。ゆっくり息を吸ってくれ」

 ぱさりと頭に何か掛けられ眼前の影より柔らかい暗さに緩く囲われる。また瞬きをしたところで「失礼」と、既に何度も聞いた丁寧な断り文句が優しく耳に入った。

「すまない、こちらの思慮が足りなかった。――大丈夫、。落ち着いて息を吸って、吐いてくれ。大丈夫だから」

 俯く視界がまた火影と照らされる石畳に戻る。先と違うのは影が綾女の横に移動し、ジャケット越しに感じる触れるか触れないかくらいの感覚で背を叩かれている事。そして慎重に綾女のカップに触れる黒い手。深呼吸しながらカップを持つ手を意識すると今度は無事に解放でき、優しい手付きで取り上げられた。カップが置かれるのを横目に眼鏡を外し、頭に掛けられた大きなタオルで目を抑えながらぼんやり浮かんだのは自分でも場違いだと思う。

(……誠実って言葉、この人のためにあるんだろうな)

 けれど裡に温かく溶け混じった優しさは、確かに綾女の心を救ってくれた。

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