第4話 SMの関係

 数十分してから、警察がやってきた。警察が来るまで、男と女、それに死体がそこにあるだけだった。

 二人は、数十分しか経っていないにも関わらず、その場の静かな雰囲気に、すっかり身体が凍り付いてしまったかのように感じた。

 さっきまで、火照る身体を持て余すかのように、貪り合っていたことが、まるで、数日前くらいの感覚になっていて、身体は完全に冷え切っていて、服を完全に着ていたのだが、

「一体、いつの間に着ていたんだろう?」

 と感じるほどに、その時は意識していたはずなのに、後で覚えていないということは、それだけ上の空なのか、いろいろ考えることが、結論を得ることなく、グルグル回っているということなのか、考えてしまう。

 女も決して、男の顔を見ようとしない。男も女の顔に目を向けようとはしない。一緒にいるだけで、

「本当に恋人なのか?」

 と思うのだが、二人ともお互いに恋人だとは思っていない。

「性のパートナーだ」

 と思っているだけだった。

 風が、すすきのような穂を、なぞっていた。音がしているのかしていないのか分からないが、それは、

「聞こえるとすればどういう音なのか?」

 ということが想像できたうえで、実際に聞こえていないということを分かっているにも関わらず、音を判断できている自分を確認したいから、関心しようという考えなのではないだろうか?

「そういえば、モスキート音というのを聞いたことがあったな?」

 と感じた。

 モスキート音というのは、

「ある一定の年齢から上の年齢になると聞こえなくなる」

 という、高周波の音らしい。

 モスキートというのは、蚊のことであり、蚊が飛んでいる時の音を、

「モスキート音」

 だというのだ。

 もちろん、男はそんな年ではない。まだ二十代後半で、会社でも若手の、第一線のバリバリだというところであろう。

 会社では、主任クラスであろうか。普通に第一線でバリバリできていれば、ある一定の年齢に達するとなれるというものだ。

 ただ、そう考えると、主任も係長も、課長代理くらいまでは、ある一定の年齢になれば、普通になれるところであろう。

 課長以上となると、会社側の人間ということになり、大企業で、社員組合などが存在するところは、課長未満でしか形成することはできない。

 つまりは、課長以上は、

「残業代という概念がない」

 という意識がある。

 だから、会社に対して、社員として組合を作って立場的に言えるのは、課長未満である。課長は、ある意味組合とは敵。会社では、

「管理する側」

 になるのだ。

 だから、彼らのことを、

「管理職」

 と呼ぶのである。

 そんな彼は、主因になった時、ふと感じたのだ。

「今は第一線で仕事ができていて、やりがいがあるんだけど、このまま主任、係長と年功序列で上がっていって、次第に、上司との間を橋渡しと言えば聞こえはいいが、板挟みになることで、やりがいを持ち続けることができるのか?」

 ということであった。

 部下からは、

「煙たい上司」

 と思われ、上司からは、そんな部下に気を遣っていると、

「部下をうまく使うこともできない」

 という管理能力の欠如を指摘され、罵倒されることになる。

 という妄想を抱いてしまうのだった。

 自分が部下の時は、

「俺たち第一線では、思った通り、ノビノビやればいいんだ。何かあれば、上司が責任を取ってくれる」

 ということで、ノビノビ動くことができた。

 しかし、今度は自分が上司になると、部下には、

「ノビノビやれと、今まで言われてきたことを今度は自分がいうようになるのだが、責任は俺たちが取る」

 ということを果たして、胸を張って言えるだろうか?

 と考えるのだった。

「そんなこと、言えるわけないじゃないか?」

 と考える。

「よく、あの時の上司は、そんなことを口にする勇気があったな」

 と思ったが、

「勇気をもって部下に接することが、まずは大切なことだ」

 ということを、分かっていなかったのだ。

 その時の上司は分かっていて、それも、自分が上司から受けたものを、部下に示したのであって、ここは、一種の、

「通過儀礼」

 のようなものである。

 ただ、どうしても、その勇気が出てこない。

 それは、彼が仕事をする意味として、

「やりがい」

 というものを発見したからだった。

「第一線で、仕事をバリバリこなし、その成果は、やればやるほど出てくる」

 というものだった。

 今の時代の人には分からないだろうが、これはまるでバブル時代の、

「仕事をこなせばこなすほど、給料がもらえ、企業の方も、事業を拡大すればするほど、利益が生まれる」

 という、単純計算の上でなりたっていたことが、直接、

「やりがい」

 に繋がるというものだった。

 しかし、バブルが弾けてからこっち、リストラ、経費節減、吸収合併などという、それまでとはまったく逆の世界になってしまった。だから、時代に乗り遅れると、あっという間に呑まれてしまい、倒産の憂き目に遭い、社員は皆路頭に迷うという悲惨な状況が、日常茶飯事となっていた。

 まったくそれまでと考えを逆にしなければいけなかった。今考えれば、

「よく、あんな考えで、潰れずに来れたものだ」

 という、バブル時代の、

「銀行不敗神話」

 などと言った、今では信じられない神話が残っていたのも、あの時代のことである。

それまで言われたこともなかった、

「経費節減」

 あるいは、聞いたこともなかった、

「リストラ」

 などという言葉、それらは、まったくなかったわけではないのだろうが、誰も思いもつかなったものなのであろう。

 それまでと、まったく逆の発想をしなければいけないのだから、

「それまでを正義だと思っていたことを捨てて、それまでの悪に徹底しなければいけない」

 ということなので、一企業という大きな存在を、一人の人間が向かせるというのは難しいだろう。

 そういう意味では、昔からの、

「同族会社」

 などという経営方針はうまくいくはずもない。

 封建的な考えが、鎖国に代表されるように、その会社オリジナルな文化が発展するかのように、他と順応できていないと、実際に、

「吸収合併などを行わないと、潰れてしまう」

 という状況になった時、果たして、相手の会社とうまく合併できるかどうか、ということである。

「下手に話が噛み合わないといって、ズルズル先延ばししていくと、手遅れになってしまう」

 ということになりかねないのだ。

 嵐が近づいていて、

「とにかく逃げることを最優先に考えなければいけない」

 ということを分かって会議をしているのに、

「どちらから、船に乗るかなどという、最初の段階で、お互いに譲らないのであれば、逃げ遅れて、すべてが終わってしまうということになる。ここはひとつ、とりあえず。船に皆が乗って、安全な場所まで行き着いてから、ゆっくり話し合えばいいだけのことだ」

 という理屈を分かっていないのだろう。

 バブルの崩壊は、想像以上にその影響が広まるのは早かった。

 まったく正反対の発想をしなければいけないことに抵抗があり、結局できずに飲み込まれてしまった会社がどれだけあるだろう。

 経済も、そうだが、

「世界的なパンデミック」

 が起こった時も、仕方がなかった。

「まったく目に見えないウイルスが、今どこまで迫ってきていて、まったく正体不明の相手に、どう対処しなければいけないか?」

 ということが話し合われた。

 考えられることは、ハッキリしている。

「今入ってきているだけのウイルスをいかに蔓延しないようにするか?」

 ということ、さらに、

「これ以上入ってこないように、水際対策をしっかりする」

 ということ、

 そして、正体を有識者で突き止めている間、

「政府は、国民の不安がパニックにより最高潮になって、デマが飛び交わないように、情報統制を行うこと」

 というのが、大切であろう。

 しかし、日本は、そのすべてで失敗した。

 せっかく、一度、

「緊急事態宣言」

 を発出し、一時的に蔓延を防いだのだが、少し収まったというだけで、経済を回そうと、人流を元に戻せば、また流行した。

 しかも、今度は変異していて、さらに強いウイルスになっていた。

 そのうち、数年間で、

「第〇波」

 というほどの流行を繰り返してきたにも関わらず、まったく政府は学習能力がなく、しかも、有識者の委員会の人たちの意見を無視し、政府発表では、そのくせ、

「専門家の意見を聞いたうえで、十分協議し……」

 などと、まったくの嘘っぱちで、国民を騙そうとしていたのだ。

 そんな政府を許せるわけもない。

 そんな時代を思うと、バブル時代の政府の対応とが、かぶって思える人がどれだけいるだろうか?

 バブルが崩壊し、経済的ショックが全世界を襲ってから、約三十年。他の国では、経済が上向きになってきたにも関わらず、日本ではまったくうまく行っていない。

「失われた30年」

 とはよく言ったものだ。

「日本政府は、学習しないのだろうか?」

 という声が聞こえてきそうである。

 この男は、まだ30歳にもなってはいなかったが、変なところがあり、

「頭の中で、40歳を過ぎた自分を想像することができるんだ」

 ということがあった。

 というのは、大学を卒業した時の妄想したことが、今の自分とほぼ変わっていないということだったからである。

 決して彼は背伸びをしない。謙虚に考える方なので、目標も下方修正気味だ。それがちょうどいい具合の未来予想図になっていて、妄想がそのまま今の自分になっていると思い込んでいた。

 それはあくまでも、本当に妄想であり、

「今の時点から、過去を振り返るから、未来予想図と、同じに見えるのではないだろうか?」

 と感じるのだった。

 つまりは、

「未来に起こってしまったことを、最初から正しいと思うことで、過去が変わってしまっても、それでいい」

 と思っているのだ。

 だから、今の自分を、常に、

「正しい」

 と思うことにしている。

 それは悪いことではない。ポジティブに考えるということであり、決して今を悪く思わないことは、将来において、見失うことではない。未来を見失うのは、増長しているからであって、正しいかどうか分からないものを、ただその時が楽しいというだけで、

「楽しいということが正義だ」

 と自分に言い聞かせているのかも知れない。

 この思いが、

「楽という言葉を、楽すると考えるか、楽しいと考えるか、どちらが正義なのかということではないか?」

 という考えに至る。

 正義というものの定義は難しいので、簡単に分かることではないが、正義というものが、世の中でいうところの、

「勧善懲悪なのだ」

 ということであれば、すべては簡単なのだ。

 勧善懲悪のみを正義としてしまうと、それ以外は、すべてが悪だということになる。

 考え方としては極端であるが、悪の中にも種類があるとすれば、

「必要悪」

 と呼ばれるものではないだろうか?

「必要悪というと、正義ではないが、この世になくてはならないもの。人間が生きていく上に必要なもの」

 ということで考えると、

「必要悪というものは、見方によっては、正義の一種なのではないか?」

 ということになり、

「正義の裏返しが、皆悪だということではない」

 と言えるのかも知れない。

 たくさんある正義も、その裏側を見れば、

「ひょっとすると、正義なのかも知れない」

 ということもあるだろう。

 それを思うと、

「何が正義で何が悪なのか?」

 それこそ、

「タマゴが先かニワトリが先か」

 というような、果てしなく決めることのできない、禅問答のようなものなのかも知れない。

 そんなことを考えていると、自分の将来が見えてくることで、目の前に転がっている死体が、男であることが分かると、

「浮浪者なのかな?」

 とボソッと、口を開いた。

 それを聞いて女は、

「えっ?」

 と言ったが、その時はそれ以上、考えることはしなかったのだ。

 警察が来てから、その物体を起こすと、紛れもなく、そこには死体があった。

 警察への通報では、ハッキリと顔などが分かるわけではないので、本当に人間なのかということすら分からなかった。ライトで照らしてみたが、ハッキリとは分からない。

「警察に通報した方がいいな」

 と男は言ったが、女は、少し戸惑っていた。

 ただ、それは、本当に戸惑っていたわけではなく、

「戸惑ったふりをすることが、私のキャラなんだわ」

 と思ったことで、しおらしく、躊躇って見せたのだった。

「あなたたちは、ここで何をしていたんですか?」

 といわれることを恐れていたのは間違いない。

 しかし、彼女は、こんなことでビビるような、たまではなかった。

 どちらかというと、

「これくらいのこと、別に平気よ」

 と他の人の前ではいうだろう。

 しかし、彼の前でだけは、しおらしくしていたのだ。

 彼女は、他の人に、彼の存在を話していない。男の方も、彼女の知り合いに会うことをしようとはしなかった。

 そもそも二人の仲は、

「お忍びの恋」

 であった。

 性癖が結んだ仲だったので、それがなければ、二人が知り合うことはなかっただろう。

 どこで二人が知り合ったのかというと、彼女は、元々、取引先の受付嬢だった。

 ひょんなことから、お互いの性癖が分かるようになり、最初に近づいたのは、男の方だった。

 女も、ウスウス男が自分を意識しているのが分かり、どこか女王様のような気分になったのだが、それは彼が自分に寄ってくるのを引き付ける意味だった。

「男がSだったら、女が惹きつけるようなことをすると却って離れるのでは?」

 という意見もあるだろうが、男が二重人格であることを見抜いた彼女は、普段の彼の方にモーションを掛けたのだった。

 普段の男は、自分に興味を示してくる女を気にしていた。

 その女が、どんな性癖なのかということを探るのが、男の愉しみだったのだ。

 だから、女はそれが分かったので、男にモーションを掛け、こっちを気にしているのが分かると、初めて、自分にM性があることを知らせる素振りをした。

 普通なら、そんな露骨なことをすると、男も怪しむであろうが、女は、男の行動パターンが分かるのか、それとも、自分ができるパターンに、男がうまく乗っかってくるということを、最初から分かったのか。

 だから、男は、自分では、

「オンナをものにした」

 と思っているのだが、実は、

「オンナに引き寄せられた」

 ということであった。

 見えない保護色に包まれた蜘蛛の糸に、餌になる蝶々が引っかかったかのようではないか?

 さしづめオンナは、

「女郎蜘蛛」

 というところであろうか?

 いかにも、

「女郎のように、男を引き付け、男は惹きつけられたことが分からずに、逃げられなくなったその自分の姿を、相手の女に見た」

 それが、この女の巧みな業だったのだ。

 それは、オンナはあくまでも、男の前では従順であり、本性を明かそうとはしなかった。

 女が従順に徹することができるのは、オンナも二重人格だからだと言えるだろう。

「私は、Sにもなれるし、Mにもなれる。下手をすれば、レズビアンで、男にもなれれば、オンナにもなれるのよ」

 といっていたのだ。

 この二人の関係は、

「男女の関係」

 あるいは、

「SMの関係」

 というものを超越した何かを持っているのかも知れない。

 男が、そんな女の本性を分かっているかどうか、疑問である、

 SというのはあくまでもSで、プレイを離れても、Sのままでいたいものではないだろうか?

「プレイ中だけSで、あとは、対等」

 ということはあるかも知れないが、オンナに主導権を握られるということを、男はプライドが許さないのではないだろうか。

 もし、そんなことになれば、我に返り、どんなにプレイが噛み合ったとしても、別れに至ることになるのではないかと思う。

 それを考えると、

「男は、女の本性に気づいていないのではないか?」

 と思えてならなかった。

 女の方では、

「この男は、私の本性を分かっていない」

 と信じて疑わないだろう。

 それだけ、彼女には二重人格性があり、マインドコントロールできているのかも知れない。

 その証拠に、二人の間に存在する決め事を考えたのは、女の方だった。

 男からすれば、

「危険な目に遭うかも知れないと考え、不安に思うのは女の方だ。草案くらいは決めさせて、最終的に、俺が決めたことにすれば、それで、お互いに面目が立つ」

 と思っていたのだ。

 確かにそうなのだろうが、本当のSであれば、こんなことを考えるようなことはないだろう。

 考える前に行動していて、相手の女に考える暇を与えないくらいではないだろうか?

 そんなことを考えると、

「やはり、プレイの中に、何か、甘い罠のようなものが、蜜として、存在していたのかも知れない」

 と感じたのだろう。

 二人が行う、SMの関係について、くどくど話すことは、ここでは無駄なことだろうと思う。

 なぜなら、ノーマルな読者諸君では、想像を絶するものであろうし、SMに携わったひとにとっては、

「至極当然」

 なプレイだということになるだろう。

 しかも、二人は、SMの関係だけではない。

 もちろん、過激なプレイをホテルでするという一般的なSMの関係でもあるのだが、たまに、

「プレイとしてのSMではないが、気持ちだけSMになりたい時もある」

 と思うのだ。

 例えば、

「身体に跡が残ってしまってはいけない」

 という時、さらには、

「SMに耐えられないような体調である時」

 というのは、ノーマルセックスに興じるが、ただのノーマルではすでに我慢ができなくなっている。

 そのために、

「露出」

 ということから、

「普通は見られることはないだろうが」

 という、人が入ってこないようなところでの、カーセックスに興じるようになったのである。

 今日がまさにその時であり、普通なら、こんなところにこの時間、デートのカップルが来るということもなかった。

「本当に、まわりから隠れて、お忍びでのセックスをする」

 という人でもない限りくることはない。

 ただ、そういう人がノーマルでないことは分かっている。同じような仲間がいると思っただけで、このSMカップルは、燃え上がるに違いない。

 今までは、自分たちが来た時には、他のカップルがいることはない。

「まったくいないのか? それとも、時間差のタイミングであったことがないだけなのか?」

 と考えるが、どちらともいえるが、実際にはその判断は難しいだろう。

 二人は、警察の捜査が進むのを黙って見ていたが、それぞれ、考えていることが、違ったようだ。それも、性格の違いからなので、仕方がないだろうが、刑事は、二人を一人ずつにして、話を聞くことにしたようだった。

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