第3話 行きずりの死体

「自分一人が我慢することで、一歩間違えれば、まわり全員を敵にまわす」

 ということと、逆に、

「自分さえよければ」

 と考えることで、結局

「世間全体を敵にまわす」

 ということにもなりかねないということは、発想の始まりは違っても結果が一緒になってしまう。

 結果が一緒だということは、やはり、発想の始まり、つまりはきっかけというものも一緒だと言えるのではないだろうか。

 それを考えると、SMの関係の二人も、

「近い将来、別れる」

 ということを、どちらかが、少しでも感じると、危ないのではないだろうか?

 二人は限りなく別れるように近づいていることをオンナの方は分かっていて、男はただ今のところ、

「言い知れぬ不安」

 というものに苛まれているのかも知れない。

 ただ、この思いが一気に、相手に対して冷めることになるのだとすると、別れは本当にすぐそこに来ている。もちろん、それぞれの身勝手な考え方でしかないのだけれど。

 そんな二人は、車の外に感じた違和感を、オンナは怖いと思いながら、表に出てみた。

 少し遅れて男も出てきたが、その差が微妙だったことで、もし誰かが見ていたとすれば、

「男が先に出てきた」

 と証言するかも知れない。

 そんな状況だったのだ。

 確かにそこに誰かがいたということは、二人には分かっているようだった。

 男の方とすれば、

「別にみられたっていい」

 としか思っていない。

 そして、女に対しても、

「こいつだって、見られることで興奮するんだから、別に見られたとしても、気には市内だろう」

 と思っていた。

 しかし、女の方ではどうであろうか? 見られても平気だというのは、

「見られるというシチュエーションが確立している時」

 という、条件付きの露出だといってもいいだろう。

 まるで、運動会などで、予行演習を行うようなものではないか。男の方は、そんな予行演習を極端に嫌っている方だった。

「ありのままを見せればいいんじゃないか? それができないのなら、開会式なんてやめればいい」

 というくらいに、性格的には、

「竹を割ったような性格だ」

 と言えるのではないだろうか。

 授業参観など、先生には最初からシナリオがあり、その通りにやっているだけで、

「生徒も先生も、演者にすぎない」

 ということになると、

「一体何が楽しいというのだろう?」

 ということになるのだ。

 だが、女の方とすれば、

「いくら露出狂の気があるからといって、現実的に見ず知らずの男に見られるというのは、実に恥ずかしいことだ」

 と言えるのではないか?

 だから、シチューションも、最初からシナリオがあってのこと、一種のコンセプトとしての、納得がいくことでなければ、怖い。

 そんな思いがあるために、急に男が、露出に自信を持ったりすることが、余計に怖いのだ。

 男としては、

「俺だけに、こんな特殊性癖があり、今までずっと隠してきたのに、似たような人が現れて、それが女性だということ」

 その思いが、男を増長させ、その増長がそのままS性だと思わせ、大きな勘違いを生むことになる。

 これは、近年の犯罪と性癖に結びつくことと似ているのではないだろうか?

 というのは、いわゆる、

「ストーカー」

 である。

 今でこそ、ストーカーという言葉が流行り、犯罪として定着してきたが、今から、30年くらい前の、いわゆるトレンディドラマというものが流行っていた時代に、ストーカーをテーマにしたドラマがいくつかできるくらい、社会問題だったのだ。

 ドラマは、その異常性癖を、犯罪として捉え、

「いかに、ストーキングというものが恐ろしい犯罪となるのか?」

 ということを示したものだった。

 その恐ろしさを目の当たりにすることで、

「昔からあるにはあったが、最近はそれがエスカレートして、社会問題になっている」

 ということが増えてきていたのだ。

 例えば、学校などにおける、

「苛め」

 という問題もそうであった。

 苛めというのは、昔からあり、苛めという行為をわざわざ言葉にすることはなく、ただ、

「苛めっこ」

 がいて、

「いじめられっ子」

 がいるという構図があっただけだ。

 何が違うのかと言えば、昔は苛めと言っても、ルールのようなものがあった。

 しかし、

「苛め」

 という言葉が社会問題として浮上してきた時は、昔では考えられなかったようなことが実際に起きてきていたのだ。

 例えば、

「苛めに遭った子供が、苛めを苦にして自殺をする」

 というようなことである。

 昔からなかったわけではないのだろうが、社会問題とまではいかなかった。

 さらに、苛めを受けた子供が、

「不登校になり、引きこもりとなる」

 ということが特徴だった。

「不登校」

 という言葉と、

「引きこもり」

 という言葉が生まれたといってもいい。

 昔は、学校に行かない子もいて、それが、

「苛められるから」

 という理由もあった。

 しかし、昔は、不登校などという言葉ではなく、

「登校拒否」

 という言葉だったはずだ。

 似ていることであっても、言葉が違えば、違うものだと言えるのではないだろうか?

 それは、

「日射病」

 と、

「熱中症」

 と呼ばれるもの。

 まったく違うものだとは言わないが、

「似て非なるもの」

 といってもいいだろう。

「熱中症は、日射病の一部」

 と言えるが、今の熱中症は、それだけではないのかも知れない。

 今の時代は、この半世紀で、

「似て非なるもの」

 というものが増えてきているのだろう。

「昔はこういっていたが、今は言い方が変わって、こういうようになった」

 というものは、似ているが決して同じものではないのだった。

 昔の苛めには、基本的には、

「苛められる子には、それなりに理由があった」

 と言えるであろうが、

「苛め」

 という言葉が流行するようになると、

「苛めに理由なんかない」

 ということになってくるのだ。

 昔の苛めの原因は、苛められる人間のどこかに悪いところがあったからだというのが、一般的だが、とは言っても中には、

「あいつを見ているだけで、むかつく」

 という理不尽なものもあった。

 しかし、その理由としては、そのほとんどが、苛められる側に、何らかの起爆剤のようなものが潜んでいたからであろう。

 だが、

「苛め」

 という言葉が定着してからは違う。

 苛められる側に理由があるのは、苛めのターゲットを決めるうえでの、ただの過程でしかなく、苛めの原因は苛める側の、

「苛めでもしないと、自分で抱えておくことができない」

 という、ストレスのような、ジレンマのようなものが存在しているからではないだろうか?

 苛めということが、苛められる側にないのだから、苛められる側の防御方法は、ないといってもいい。相手の都合で勝手に苛められているのだということが分かると、これほど恐ろしいことはないということになり、自分の身を守るには、

「徹底的に逃げるしかない」

 ということになる。

 苛めが流行り出した頃は。親も信じられない。

 親の世代は、苛めというと、

「苛められる側にも何か理由がある」

 と思っている世代なので、苛められているということが分かると、

「お前にも何か原因があるんじゃないか?

 と、本来なら味方になってくれるはずの親が、まったく味方になってくれようとはしないのだ。

 それを考えると、

「学校にいかない」

「いじめっ子から徹底的に逃げる」

 というだけでは、うまくいくはずがないというわけである。

 そうなると、家でも居場所がなくなり、家の中での、

「引きこもり」

 が始まる。

 昔には、引きこもりなどということは、ほとんどなかっただろう。そこまで思い詰める前に、自分に対しての苛めがなくなってくるからだ。

 基本的な苛めは、昔であれば、小学生が多かったのに、今では、中学、高校生が多い。それだけ、苛めも陰湿で、金銭が絡んできたりすると、一歩間違えれば、犯罪に手を染めてしまうことになる。

 昔は、万引きなどということもあったが、今では、

「人のお金を取る」

 そして、苛めっ子に渡すということも多くあり、一度渡してしまうと、ハイエナのように、ずっと付きまとわれ、ストレスで苦しんだ挙句、自殺をしてしまうということも少なくはない。

 そういうのが、連鎖となって引き起こされてきたのが、

「苛め」

 という言葉が、いわれるようになってからのことだったのだ。

 そんな苛めが流行った時代に、この

「ストーカー」

 といわれる犯罪も深刻化してくる。

 昔からその言葉があったかどうかは分からないが、ストーカーというと、被害を受ける人間に関係なく、加害者側の、完全な思い込みから来るものである。

 例えば、大学でノートを見せてもらったことで、

「この子。俺に気があるんじゃないか?」

 と勝手な妄想をしてしまうことがある。

 そして、好きになった子のことを少しでも知りたいと思って、学校の帰りに彼女の家が知りたいと思って、後をつける。

 そして、家が分かると、住所から、電話番号を調べようと思えばできたのだ。

 何しろ、昔は携帯電話などはなく、

「一家に一台、固定電話がある」

 というものであった。

 しかも、昔は電話帳に、普通に固定電話が乗っていた。そして電話帳も、毎年、電電公社(現NTT)が発行したものを、古いものと交換するように、配布してくれていたのだ。

 今では絶対に考えられないことである。

 携帯電話の普及で、固定電話が相当数なくなっているというのも、その理由であるが、それよりも、

「個人情報保護法」

 という、プライバシー保護の観点から、電話帳配布はなくなってきているのであった。

 そんな時代の変化に、最近は慣れてきたのだが、当たり前のこととはいえ、最初は、この

「個人情報保護法」

 というものに、

「生活しにくい世の中になったものだ」

 という、嘆きの気持ちを感じている人も少なくはなかっただろう。

 昔だったら、気になる女の子がいれば、その子の後をつけて、家を知りたいということを平気で、悪いことだという意識も皆無のまま、普通にしていただろう。

 しかし、今だったら、

「うわっ、気持ち悪い。そんなのストーカーじゃないか?」

 といって、まるで、害虫でも見るかのような、汚いものを見るかのような目で見られてしまう。

 だが、昔は、確かにいいことではなかったが、犯罪行為だなどという意識はなかった。もっとも、意識のないことが、次第にエスカレートしてくる中で、歯止めが利かなくなり、犯罪が起こるのではないだろうか?

 つまりは、

「遅かれ早かれ、いつかは犯罪に結びついていた」

 ということになるのだろう。

 それが一気に爆発したのが、平成に入ってからの、10年間くらいであると言えるのではないか。

 だから、昭和の末期くらいと比べると、今ではいいことも悪いことも、まったく様子が変わってしまったと言えるだろう。

 そんな社会において、覗きのような犯罪は、

「可愛い」

 といってもいいだろう。

 これが盗撮などであり、SNSなどで拡散されてしまうと、取り返しのつかないことになりかねない。

 それこそ、プライバシーの侵害であり、今でいう、

「卑劣な犯罪の一種」

 を、形作ってしまったといってもいいのではないだろうか。

 プライバシーの侵害」

 この問題が、一番厄介である。

 プライバシーや、個人所法保護の観点」

 ということから、何が何でも、情報を得られないということになると、犯罪捜査にかなりの支障をきたすだろう。

 例えば誘拐事件などで、一刻を争う時に、個人情報を盾に、犯人だと分かっている相手のことを一切聞き出せなかったことで、結果、取り返しのつかないことになどなると、これは、

「悔やんでも悔やみきれない」

 ということになるのではないだろうか?

「犯人が憎い」

 というのは、誰もが同じなのだが、

 だからと言って、自分のプライバシーが犯されていいというわけではない。

 捜査が進まないのはしょうがないのだろうが、当事者はそうはいかない。

 もし、それで被害者が殺されてしまい、返らぬ人になってしまえば、残された人はどうすればいいのだろう?

 怒りに震えながら、一生を過ごせというのか。

 いくら時間が過ぎても、そう簡単に諦めがつくものではない。

 日本では、私恨などから復讐は許されていない。江戸時代までは、

「仇討」

 などというものがあったが、それも、ちゃんと奉行所に願い出て、その証文を正式に発効してもらい、藩が許しを与えたうえで、藩立ち合いのもと、

「仇討の場」

 というものを、正式に設けることでの仇討となるのだ。

 当然返討に遭うこともあるだろう。

 その場合は、

「気の毒に」

 ということで、一件落着となる。

 仇討する側に、

「助太刀」

 というのもあるが、それも、

「正式な申し出があり、許可した場合」

 でしか許されないに違いない。

「昔の封建制度だから」

 といって、バカにできるものではない。

 今とまったく違い、今では存在しない武士中心の時代なのだ。当然、理解できるわけもない。だから、中世の人間だって、今の時代を簡単には理解できるはずはないのだろうが、たまに、

「昔の人間がワームホールに入り込んで、こっちの時代に来る」

 というのがあるが、

「本当にこっちの世が理解できているのか?」

 と思うようなことがあるではないか。

 ドラマなどでは、結構早い段階で、馴染んでいるように思えるが、文化も考え方もまったく違う、武士がこっちの世で、どう生きるというのか、明治維新の際でも、武士を抑えつけ、反乱が起これば武力で鎮圧するというような、強引なことを押しすすめて、やっと、近代の時代ができあがったというのに、そんな時代を知らずに、本当に理解できるというのだろうか?

 まあ、確かにドラマなので、

「そのあたりは、適当で」

 と言ってしまえばそれまでだが、本当にそれまでなのかも知れない。

「文化というものを理解するのは、考え方を理解するということだけでも、かなりの労力を必要とするのだろう」

 と言えるのではないだろうか。

 たった、半世紀でも、世の中が劇的に変わった戦前から戦後にかけての時代に匹敵するくらいの文明の発展に、追いつけるかどうかは別にして、慣れてくるというのがあるわけなので、

「タイムスリップしてきた、昔の武士」

 というものに、順応性がありさえすれば、馴染むことも決して無理ではないと言えるだろう。

 そもそも、タイムマシンの概念がないだろうから、そこから理解することが大切だ。

 普通はなかなか理解できないだろう。人に聞いても、どこまで理解しているか分かったものではない。

 理解できていたとしても、理解できているだけで、人に説明できるだけのバイタリティがあるかどうか。

 科学者であっても、

「理屈だけでは理解することはできない」

 と思っていることだろう。

 それを考えると、

「今の世の中、いきなり飛び出してきた人間がいるとすると、どこから理解できるのかということを考えるのが先決であろう。将棋や囲碁でも、最初にどこに打つかということが、一番の問題なので、そこから始まるといってもいい」

 と言えるのではないだろうか?

 そんなことを考えながら、当たりを探っていると、

「あっ」

 という声が聞こえ、二人は、そこに何かが転がっているのを見つけた。

「何、これ?」

 大きさからいうと、巨大な黒い物体が転がっている。

 石というには大きすぎるし、黒い物体というもの、石としてはおかしい。よく見ると、女は、それが何か分かったようだが、それを口にするのを怖がっていた。

 男の方は、完全に震えていて、震えが止まらない様子だった。

「ここは私がしっかりしないと」

 と女の方がそう考えた。

 割り切れたのか、開き直ったようだった。

 割り切れたというわけではなく、そこに転がっているものを認めようという考えが、認めたくないと思っている男と、決定的に違っていた。

「これでは、SMの関係がまったく逆ではないか?」

 と言えるのではないだろうか?

 それは、最初に女の方が分かった感覚で、男は、そのことも認めたくない。

 まわりに認めたくないことが転がっているくせに、必死に認めたくないと思うことで、最終的な判断が遅くなったり、見誤ってしまうと、自分でも感じていた。それだけ、自主性に欠けるのかも知れない。

「それで、ご主人様とは、へそで茶を沸かすようなものだ」

 と言えるのではないだろうか?

 しかし、よく見てみると、そこに転がっているのが、堅いだけのものではないことが分かると、女がゾッとしたように、後ずさりした。

 それを見て、男が勇気を出して覗いてみると、

「ぎょっ」

 といって、それ以上、何も言えなくなったのだ。

「どうしたの?」

 と女が聞くと、男は女の顔を見て、助けを求めるかのようば目をしたかと思うと、

「イヤイヤ」

 するかのように、顔を必死で、横に振っていた。

 明らかに、

「今見たことを、なかったことにしたい」

 とでも言いたげであった。

「とにかく、まず、警察よね」

 と女性は言った。

 男はそれでも、戸惑っている。

 いや、男はパニックになっていたが、実はすぐに正気を取り戻していた。あまりのことに一瞬、

「逃げ出そうか?」

 と思ったくらいだが、すぐに我に返った。

「本当は警察なんだろうが、ここで警察を呼ぶと、二人の関係を話さなければいけないな。たぶん、これは事件になるだろうから、第一発見者としていろいろなことを言われるのは間違いないだろう。そうなると、二人の関係を話さなければならない」

 と思ったのだ。

 実はこの男、部類の怖がりではあったが、実はプレイボーイでもああった。

 彼女が知っているかどうかは不明だが、他にも女がいた。

 この女とは、

「SMプレイの関係」

 他の女も、そのコンセプトごとに楽しんでいた。

「イチャイチャしたい時の彼女」

「背徳を味わいたい時の、奥さん」

 などと、それぞれにいたのだ。

 そうしておけば、誰かと縁が切れても、寂しいことはない。自分には、いくらでも彼女やパートナー、あるいは、セフレなどが簡単にできるものだ。

 ということを思いこんでいたのだった。

 だから、女心が本当は分からないわけではないが、分かろうとしないのだ。そんなことを知っていて、別れを止めようという思いがあるのであれば別だが、この男は、

「別れるなら、別れたでいいんだ。どうせ、それだけの女だったということだ」

 と考えるのだった。

 だが、女の方が、

「警察、とにかく警察」

 と言い出したものだから、もう警察に連絡するしかなかった。

 最初渋ってしまったことを、悟られなければそれでいいだけだった。

 警察に連絡すると、すぐに向かってくれるという。さすがに、その物体は何かということが分かっていて、警察に通報した以上、もう逃げることはできない。

 逃げ出せば、遺棄したということになり、その罪が確定してしまう。報告だけはしても、その場からいなくなれば、怪しまれることもあるだろう。

 ケイタイ番号は、110番に残っているので、確認することくらい簡単であろう。だから、逃げるわけにはいかない。

「何とか、行きずりで死体を見つけたということにしようではないか?」

 と男は考えたのだ。

 そう、転がっていたのは死体であり、警察に発見の報告義務が発生する案件だったのだ。

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