第2話 第一の殺人事件

 それは、確かに仕方のないことなのかも知れないが、男としては、たまらない。そんな時、ちょうど、それを彷彿されるようなことがあった。

 夜のとばりは下りていて、まわりには街灯などもなく、明かりは一切ない中で、一台の車が、高架下で小刻みに揺れていた。

 上を電車が通ると、窓から漏れてくる光で、中の様子が少しだけ分かってくるのだったが、一組のカップルが、まぐわっているのだった。

 少しだけ、切ない声が聞こえてくるが、それも、表の虫の声でかき消されているようだった。

 時間としては、八時を少し回ったくらいだろうか。夏至の頃であれば、まだ少しくらいは明るいかも知れないが、秋も少し深まってきた、10月中旬というと、すでに、真っ暗になっていた。

 秋分の日ですら、過ぎているのだから、すでに、昼よりも夜の時間の方が長いのだ。まだまだ月もきれいに見える時期、飽きの虫の声を耳を傾けるのも、風流な季節だった。

 しかし、若いカップルには、そんなことは関係ない。

「恥も外聞もない」

 と思いながら、完全に相手の身体をむさぼっているのだ。

 男は女にむちゃぶりつき、オンナは、男にしがみつく。

 女の場合は本能ではないだろうか? 快感に蝕まれる身体が、勝手に反応し、男にしがみつく。男は女が自分のテクニックと愛情に感じてくれているということで、感無量となり、今度は、本能で動くようになる。

 二人は、息を殺しながら、最初こそ、表を気にしていたのだろうが、次第に、自分たちの世界に入っていく。まわりを気にする感情は、夜の静寂に吸い取られていくようだった。

 それでも、息を殺しているのは、羞恥心からだろうか?

 いや、羞恥心によって、声を殺すことが、相手を興奮に落とし入れる。恥じらいで押し殺している声は、男も女も、溜まらない興奮にいざなってくれるのであった。

「あぁ、気持ちいい」

 女が溜まらなくなって、声を挙げる。

 男はそれに触発されたかのように、オンナにむしゃぶりつくと、さらに、女が声を挙げる。

 そんなルーティンを繰り返していると、次第に室内は、湿気に満ちてきて。男も女も吐息の興奮にしびれてくるのを感じているようだった。

 そして、二度目の絶頂を迎えたのか。

「あぁ、もうだめ」

 と女がさらに叫んだ。

 それにより、車がまるで、見えない力にいざなわれたかのように、グイッと持ち上がったかのようだった。

 小刻みな振動は、いかにもいやらしさを醸し出していたが、絶頂によっての、車の反応は、夜の静寂に対しての、一瞬のエッセンスを与えるかのようだった。

 だが、その瞬間、

「バサバサ」

 という音が表から聞こえた。

 二人はハッとして、それぞれに、

「風の音かしら?」

 と感じたのだが、どうもそうではないようだ。

 風が吹いたのであれば、一か所だけの音のはずはなく、まわりから、まるでハウリングでもするかのように聞こえるものではないだろうか?

 それを考えると、ちょうど、絶頂に達したということもあってか、まず、オンナが異常な雰囲気に気が付いた。

「何、今の音」

 といって訝しがった。

 ただ、オンナも最後の絶頂を迎えた時、その音のおかげで、絶頂を迎えることができたのだから、あまりこだわりたくないという思いもあった。

 しかし、そうもいかないと思ったのは、男が同じタイミングで果てたからだった。

 普段は、一緒に絶頂を迎えることのない相手だった。どちらも我慢できないタイプだったので、寸前になって、相手を待つことができないし、一気に絶頂に向かうということもできなかった。

 そのせいもあって。男が、

「あっ」

 と言った瞬間に果てたのを、自分も絶頂を迎えていたので、遠くの方で感じていたのだ。

 その瞬間だけ、

「ああ、幸せ」

 と思った。

 今まで一緒にはいけなかった相手が、一緒にいくことができたのだから、

「きっと、これからも彼は一緒にいってくれるだろう?」

 と思ったのだが、次第に冷静さを取り戻してくると、どうやらそういうわけではないということに気が付いた。

「表に誰かいる?」

 と、オンナがいうと、男も賢者モードに突入しているその身体で、けだるそうに起き上がると、

「そのようだな」

 といって、表を見たが、そこには誰もいなかった。

「気のせいだったのよ」

 と女が言ったが、

「そうだったのかな?」

 と男は半信半疑だった。

 しかし、オンナも、

「気のせいだ」

 と言いながらも、本心は違っていた。

「確かに表に誰かいた」

 ということを感じていて、

「一体誰だったんだ」

 ということを考えながら表を見たが。やはり誰もいない。

 ただ、これを7、

「気のせいだ」

 ということで片付けることはできなかった。

 気のせいで片付けてしまうと、何か、鬱憤のようなものが残ったままになり、せっかくの今日の一晩を棒に振ったような気がするのと、

「もうここでするのは、怖いな」

 という気持ちになり、

「ここはおとなしく、ラブホテルで」

 と言い出しかねないと思ったのだ。

「もし、ラブホテルに行くとしても、自分で納得しておかなければ、釈然としない」

 という思いがあり、

 そのために、

「今回のことは、ある程度までハッキリさせておきたい」

 と感じた。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

 ということわざもあるが、錯覚であったということを証明しておきたいのだった。

「錯覚ということを証明できれば、次回もここでできる」

 と、オンナは思っていた。

 しかし、男は逆に、オンナよりもビビっていて、

「一度こんな思いをしたのだから、もうここでは嫌だ。金を払ってでも、ラブホテルに行った方がマシだ」

 と考えていた。

 だから、男は、曖昧でもいいと思っていたのだ。

 しかし、そんな男の態度というのは、オンナには簡単に見すこすことができるようだ。

「しっかりしてよ。あんた本当に男なの?」

 といって、普通に罵倒するのだった。

 さすがにそこまで言われると男も面白くない。

「こんな、ヒステリックなオンナだったのか?」

 とばかりに、頭の中では、半分、他の女を思い浮かべていたくらいだった。

 そこまでは、女の方も気づかなかったが、それは、どうしても、ここを曖昧にはしておけないという目先のことが気になっていたからだ。

 まさか男が、すでに冷めてしまっていることなど知る由もなく、自分だけ必死になっていることを、オンナは分かっていなかった。

 これは男と女の違いなのかかどうか分からないが、

「冷めてしまうと、相手に自分が冷めていることを知られたくないと思うのが男であり、そんな男の気持ちを、オンナがすぐに察するくせに、オンナが冷めてきたことを、男に知らしめようとしている時に限って、男は二人の間に亀裂が入りかけているということが分かっていないのだ」

 つまりは、男が感じることとして、

「オンナは、自分の本心を決して口にはしない。口にした時には、覚悟が決まった時なのだ」

 ということで、女がサバサバしているかのように感じることだろう。

 だが、実際には、男が、女の行動に気を配っていないからなのかも知れない。

「男全員、オンナ全員がそうだ」

 とは言わない。

 ただ、この男は、女の行動に、自分の気持ちが入っているということに気づかない男なのだろう。

 それだけ、言葉に重要性を抱き、

「言葉しか信じない」

 という、

「言葉至上主義」

 とでもいうように考えているのかも知れない。

 どんなに、

「俺たちは、気が合ったカップルだ」

 と思ったとしても、それは、言葉でのことであり、感情やその他、分からなければいけないことを分からなかったことが、破局への一本道だったということを分かるはずもないだろう。

 もっといえば、

「気が合っているというのは、完全な思い込みであって、実際には、そんなことはないのだ」

 ということでしかないだろう。

 そのせいで、

「最初から噛み合っていないものを噛み合っていると二人が思い込んでいて、しかも、それに女は先に気づいたが、男はまったく気づくことはなかった」

 ということであろう。

 女はそれでも、

「いつかは分かってくれる」

 と思って、猶予を持っていたのだろう。

 しかも、

「口で言って分かったとしても、それは本当に分かったということではない」

 と思い、男に対して、必死で、

「ジェスチャーアピール」

 を試みるのだろう。

 だが、結果、男はいつまで経っても気づかない。まるで、

「オンナが自分のいうことであれば、何でも聞くだろう」

 とまで思っていると感じると、もう猶予はなくなってしまった。

 カウントダウン、5くらいから、いきなり0になるのだ。この場合のゼロは、

「限りなくゼロに近い」

 というわけではなく、完全に、

「無の状態」

 であるゼロになっているのだった。

 そうなると、オンナに修復の余地はない。初めて、そこで、最後通牒を叩きつける。そう、男は完膚なきまでに、打ちのめされることだろう。

 しかし、嘆いても、時間を戻すことはできない。

 いや、時間という外観だけが戻っても、気持ちの時間を戻さなければ、どうしようもない。

 これは、

「単純に時間を戻す」

 というのと違うだろう。

 なぜなら、気持ちが持っている時間というのは、一人一人違っているからだ。

 そんなカップルの危機はさておき、その時、

「ダメよ、怖いわ」

 という女を振りほどいて窓を開けて少し表を見た。

 女の方とすれば、

「覗かれてしまったのなら、それでも仕方がないけど、ここで無理して、もっとひどい目に遭うのは勘弁してほしい」

 という思いであった。

 しかも、半分男に対して冷めかけている自分を考えると、

「いまさらそんなことをして何になるというの、私の気持ちは変わらないわ」

 というものであった。

 しかし、男の方とすれば、

「ここで、少し勇気のあるところを見せれば、もっとこの女は俺のことを好きになる」

 というような、まだ女の気持ちが変わっていないと思っているのであった。

 男の方とすれば、

「元々、こういうスリリングなことがいいというようなそぶりを見せたのは女ではないか? 俺としてはここまでの冒険はいらなかったんだ。もっとも、俺もこういうことが好きだったらしく、オンナの思惑通りになったことは少し癪だ」

 と思っていた。

 だから、

「何かあっても、元々は女が悪いんだから、女もそれくらいの自覚はあるだろう。だから、俺に逆らうことはできないんだ」

 とばかりに、まるでプレイでの従順さが、そのままこの女の性格のように思っていたが違うのだった。

 確かに、女のプレイは完全に男に従順で、手錠や手かせ足かせなどという道具を使えば、さらに燃えるタイプだった。

 ただ、これはこの女の性癖であって、性格ではないのだ。

 そのことを分かっていなかったことが、この男の命取りであり、さらに、男がSであったことで、一度勘違いをしてしまうと、その自分の考えを信じて疑わない。

「疑うなんて、自分で自分が許せないようなことができるはずがない」

 と思っていた。

 そんな、SとMの関係の男女は、お互いに噛み合っているからこそ、成立する関係だということを、どこまで分かっているのだろうか?

 特にプレイともなると、危険を伴うもので、下手をすれば、死んでしまうことだって十分にありえる。そのことを、二人が同時に分かっているのだろうか?

 Sであっても、Mであっても、その覚悟が中途半端であれば、いくら相手が完璧であっても、何が起こるか分からない。

 それが、SMの世界というものだろう。

 そんな世界を目くるめく楽しむつもりの二人だった。

 実際にSMとして、お互いが惹きあっているということに気づいたのは最近だったようだ。

 今はまだ、その入り口にあり、高架下での、カーセックスに興じるというのは、まだまだSMの世界としては、

「入門編」

 に過ぎない。

 二人ともそれくらいのことは分かり切っている。わかり切っているが、だからと言って、ただ楽しんでいるというだけではいけないことも分かっている。

 特に女は、お互いの性癖が折り合っていないと、プレイもうまくいかないことは分かっていた。

 女の方とすれば、男には言っていながったが、Mとしてプレイするのは、この男が最初ではない。完全にネコをかぶっていて、

「私、お付き合いするのはあなたが初めてなの」

 といっていた。

 しかし、最初に身体を重ねた時、処女でないのは分かっていることであり、

「高校の時、処女を早く捨てたくて、好きでもない先輩と、しちゃったの」

 というではないか。

 男はそれにコロッと騙された。

「好きになってしまったら、前が見えなくなる」

 といわれるがまさにその通り、

「そっか、そっか。じゃあ、一番最初に好きになった男性が俺なんだな?」

 といって、彼女が、

「そうよ」

 という言葉を、素直に信じたのだった。

「こんな男がSだというのも……」

 というのが、オンナには、物足りなさが感じられた。

 物足りないというと、男に失礼に当たると思い、なるべく気づいてもらえるようにしようと思っていた。

「普通の男なら気づくよね? しかも、Sなんだから」

 と、オンナは思っていた。

 だからこそ、何も言わない女。だが、それは男を却って、増長させることになるのだった。

 この思いは、

「女の願いに近いものを、男が簡単に裏切った」

 と、周りは思うだろう。

 しかし、男にとっては、自分が四面楚歌に陥っていることには、結構すぐに気づくものなのだろうが、そのくせ、こんな時だけ、

「いやいや、俺の錯覚なんだ」

 と、Sのくせに、自分には甘いのだった。

 男が、自分を擁護する感覚は、どこか、

「母親の羊水の中に、まだいる感覚があるのかも知れない」

 と思うことがある。

 時にこの男はそんなことを思っていた。

 学生時代から、人とのことで、何か噛み合わなかったり、誰かに助けを求めたい時などに想像するのが、子供の頃の母親であった。

 厳しい面もあったが、いつも、見守ってくれているような人で、時に、それが億劫に思うことがあったが、そんなことも、助けを求めたい時は関係がなかった。

「どうして、昔のお母さんを思い出すんだろう?」

 と思ったのだが、

 甘えることを、あまり許してくれなかった母親は、厳しさだけしか、印象に残らない人だということを、思ってきた。

 それなのに、厳しかった母親の優しい部分だけを切り取ったかのように考えるのは、

「自分はSだと思っていたけど、ひょっとすると、Mなんじゃないだろうか?」

 という感覚を覚えさせた。

 だが、よくよく考えてみると、

「SとMって紙一重なのではないか?」

 と感じるようになった。

「Sだから、Mのことがよく分かる。逆も真なり」

 ではないかと思っていたが、それが果たして、本当に紙一重だと言えるのだろうか?

 磁石のように、無理やりにでも一緒にしてしまうと、いけないものであり、惹きあっているのであれば、一緒になる瞬間まで引き寄せ、そこから先は必死になって一緒にならないような距離を保つ。つまりは、

「近づけば近づくほど、危険性が増す」

 ということだ。

 お互いに結界を持っているから惹きあうというもの、結界を超えてしまうと、

「見てはいけないものを見てしまった」

 という感覚に襲われてしまい、すれ違っても、そのことに気づかず、永遠に交わることのない無限を、彷徨い歩くことになる。

 そうなると、地獄である。

「目の前に広がるものが、すべて幸運に結びつく」

 と考えたり、

「何を見ても、地獄にしか見えない」

 という、

「負の連鎖」

 を考えたりする時というのは、すれ違った瞬間に気づかず、

「いずれ、交わることだろう」

 と信じ続けることにあるのではないか。

 それが躁鬱症であり、まるで螺旋階段を描く、

「スパイラルだ」

 と言えるのではないだろうか?

 そう、この男は、

「Sではなく、躁鬱症なのではないだろうか?」

 と、オンナは感じていたのだった。

 そんな男と自分の違いを感じた時、

「やっぱり、この人とは合わないんだ」

 と思い、プレイの一つ一つを思い出してみると、腑に落ちない点、あるいは、Mである自分には許容できない部分があることに気づいていくのであった。

 その部分をいかに考えるかということであるが、

「歩み寄れる部分を一つ一つ潰して、妥協していく」

 という方法もあるだろう。

 相手がそれを分かっていないのだから、相手にそれを求めるのは無理なこと、歩み寄るのはこっちであって、相手が拒否をしたり、

「そういうことなら、俺にはできない」

 などということを言い始めると、こっちは、プライドを捨ててまで相手に合わせようとしているのだから、そのショックは計り知れないだろう。

 ただ、それを、

「Mの役目だ」

 と思っているM女がいるとすれば、男をつけあがらせているのは、そんなM女の、

「無意味な慕い方」

 といってもいいだろう。

 いくら

「Mだ」

「奴隷だ」

 といっても、許せる部分をしっかり自分の中で持っていないと、自分が苦しむことになる。

 それだけではなく、Sの男を勘違いさせ、

「M女に対して、男は何であっても、従わせることができるんだ」

 などと、思わせるという、罪悪を犯しかねないのだ。

 そんなことになれば、

「私さえ我慢すれば」

 などと思ったことによって、世のM女全員に迷惑をかけることになり、

それこそ、

「M女全員を敵に回す」

 ということになるかも知れない。

 これは、

「禁煙、喫煙」

 の発想においても同じである。

 最近では、

「受動喫煙なんとか法」

 などという、いい法律ができて、

「基本的には、公共の室内では、タバコを吸ってはいけない」

 ということになった。

 奇しくも、

「世界的パンデミック」

 と呼ばれた禍下での施行だったことで、それほど世間では話題にはならなかったが、基本、事務所では絶対に禁煙、飲食店は基本、前から禁煙が多かったが、今度は義務になり、今までは店に普通に灰皿が置いてあった、飲み屋、パチンコ屋なども、完全禁煙なので、灰皿撤去が義務となる。

 どうしても、喫煙者を入れたい場合は、自費で、店内に喫煙コーナーを作り、国が定めた基準に合格しないと、喫煙所とは認められず、本当の完全禁煙となるのだ。

 だが、そんな中でも、ルールを守らずに吸う連中がいる。

 基本、表は禁煙ではないので、道を歩きながら吸ってみたり、駐車場に屯して吸っていたりと、

「正直、これでは何もならない」

 という愚の骨頂な法律になりかねない。

 正直、そういう法律の抜け穴を分かっている連中はいっぱいいただろう。喫煙者は、最初から、

「じゃあ、表で吸えばいいだけじゃないか? 店で吸えなくなったのは面倒臭いが、完全禁煙じゃないんで、表に出ればいいだけだ」

 というだけのことだった。

 だが、正直、その行動が、世の中を敵に回すのである。つまりは、

「俺たちはルールを守って吸っているのに、あいつらがあんなことをするから、俺たちまで白い目で見られる」

 と、ルールを順守した愛煙家に、一番疎まれることになるのではないだろうか?

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