合わせ鏡のような事件

森本 晃次

第1話 土手の防波堤工事

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年8月時点のものです。市長や県知事などをこけ下ろしていますが、あくまでも、架空の話です。皆さんが、「あっ、あいつだ」と思うかも知れませんが、とりあえずはフィクションです。


 K市郊外は、一級河川の田布施川という一級河川が流れている。

 一級河川と言っても、そんなに広いわけではなく、どぶ川に毛が生えたほどでも、一級河川と呼ぶところもあるが、それほどきれいに整備されているわけではなく、土手は、普通に砂の土手であった。

 普通なら、コンクリートやブロックなどで固めているのだろうが、

「この程度の川なら、少々の雨で、氾濫しても、大したことはない」

 と、昔からタカをくくっていたのだが、実際に最近、特に、ここ5年くらいはそんなことも言っていられなくなった。

 それも、

「線状降水帯」

 と呼ばれるものが、流行ってきていて、本来なら、少し前の時に流行った、

「ゲリラ雷雨」

 の時に対応しておくべきだったのだろう。

 しかし、ゲリラ雷雨というのは、

「集中豪雨がいきなり襲ってくるが、15分もすれば、何事もなかったかのように晴れ渡る」

 というもので、集中豪雨になりきれなかった、

「狐の嫁入り」

 と言ったところであろうか。

 しかし、最近の線状降水帯というのは、そんな生易しいものではなかった。

「いきなり豪雨が降ってくるのは、一緒であるが、その量がハンパではない。数分で、氾濫危険水域に、小さな川であれば、達するくらいであり、しかも、いままでのように、すぐに止むということはない」

 つまりは、線状降水帯というものが発生すると、

「長時間、その場所にとどまって、弱まることなく飴を容赦なく降らせることになるのである」

 といわれる。

 そうなると、

「数時間で、100ミリ以上の雨が降り続く」

 ということになるという。

「その12時間ほどで、1か月分のいつもの月の雨が降った」

 であったり、

「降り始めからの雨量が、一年間の雨量の80%に達した」

 などという話を聞くと、

「道や田んぼの境目が分からないほどの」

 などという生易しいものではなく、床上浸水してしまい、

「二階に逃げても、いつ、水が二階までくるか分からない」

 などとして、孤立してしまい、救助を待っているという状態の家がたくさん出てくることになるのだ。

 そうなると、もう自衛隊に出動してもらい、ヘリなどで、空挺部隊に助けてもらうなどということをしないとどうすることもできないのだ。

 ここに至れば、問題は、街や市が、最初から対応していれば、

「こんなことにはならなかった」

 と言えるであろう。

 しかし、すべては、後の祭り、

「後からでは、何とでも言える」

 というものだ。

 しかし、この期に及んで市町村の責任はいかんともしがたく、

「何をおいても、河川の土木工事を最優先にしないと、市は滅んでしまう」

 ということが、市の閣議で、一気に決まった。

 そもそも、こんな大切なことに今まで目を瞑ってきたのが悪いのだ。

 そんな状態で、急いでやらなければいけない、市としての、

「最優先事業」

 であるにも関わらず、実際には、なかなか先に進むことはなかった。

 地元の企業と、ゼネコンの間で、すったもんだがあったのだ。

 そもそも、このあたりは、県内を中心に鉄道バス、不動産などと言った、いわゆる交通事業を一手に握る、N鉄という企業があった。

 昔はプロ野球球団を持っているほどの大企業で、地元の他の企業だけではなく、地元の自治体も、このN鉄には昔から頭が上がらないといわれてきたのだ。

 N鉄には、ゼネコン関係の会社がないので、自治体も、全国区のゼネコンに任せようということで、予算会議から閣議まで通していたのに、急に、N鉄が横やりを入れてきたのだ。

「我々が推している企業に、このあたりの土木工事を請け負わせているんだから、彼らに任せるのが、道理だというものだ」

 と言い出した。

 そもそも、それは市が認めたというわけではなく、勝手にN鉄がバックにいるということで、我が物顔で地元企業の抗議をよそに、何とか、県がなだめたり、補助金を出したりすることで、丸く収めてきた。

 しかし、今回はそうもいかなかった。なぜなら、今回の閣議決定後、地元選出の国会議員のつてで、全国区の企業に発注を掛けるというのは、ほぼ決定事項だったのだ。

 それなのに、N鉄がしゃしゃり出てきたことで、国会議員も、

「これは困った」

 と言っていたのだが、なぜかというと、すでに、国会で支援金が決まり、

「その企業が工事を請け負うという条件で、支援金を出す」

 ということになっていたのだ。

 しかし、ここで、N鉄の企業にさせてしまうと、国からの補助は一切受けられない。

 ただ、だからと言って、N鉄に逆らうというのは、国会議員としても、困るのであった。

 実際に、選挙になると、N鉄票がかなりあり、それにより、N鉄を敵に回してしまうと、次期選挙では明らかに負けてしまうことがハッキリしている。

 かといって、ここで、国の予算が取れなければ、N鉄に出させなければいけないので、果たして、N鉄が、お金を出すであろうか?

 まず間違いなく、

「そんなものは、自治体で負担せよ」

 というに違いない。

 何しろ、

「我々は、ゼネコンを紹介しただけで、お金に関しては関係ない」

 ということだろう。

 だからと言って、自治体の予算を使うとなると、

「我が自治体は破産してしまう」

 というのだ。

 他の県が同じように、土手の補修などをする時は、

「公共事業」

 として、国があっせんする企業に任せることで、補助金をもらい、自治体のお金と合わせて、うまくやっていくのだった。

 しかし、この、F県というところは、どうしても、

「私鉄大手」

 である、N鉄の影響が大きいため、F市市長も、県知事も頭があがらないのだ。

 特にF市市長などは、いつもコソコソしていて、自分の手柄になる時や、スポーツ選手の表彰などの時は、カメラの前に顔を出すが、都合が悪くなると、雲隠れとでもいえばいいのか、まったく出てこようとはしないのだ。

 そんな市長がいるF市で、何の力があるというのか。ただの、ごますりでしかないだろう。

「あっちでいい顔、こっちでいい顔」

 まるで風見鶏のような市長は、

「腰抜け市長」

 といわれても仕方がないだろう。

 元アナウンサーという知名度と、

「他にいい人材がいない」

 というだけで、市長を続けられているだけの男だった。

 県知事もそうだった。まあ、県知事くらいであれば、基本、何かないと表に出てくることはないだろう。どちらかというと、県庁所在地の市長の方が知名度は高い気がする。

 ただ、今回の防波堤工事に関しては、市だけではなく、県の方も関わっている。

「県と、市と、N鉄の共同による建設工事という触れ込みであった。

 基本的に、計画全体を立案するのが、県の役割で、工事が始まっての、責任部署としては、市が前面に出ることになる。

 そして、裏方や、実際の工事にかかわる業者の選定、その他の民間とのかかわり全般を、N鉄が行うのであった。

 元々、市のような行政に、民間をまとめるなどできるはずもない。絶対に、そこには大きな民間企業が関わることになるだろう。

「F県であれば、N鉄」

 というのが、暗黙の了解であり、それがわかっているからこそ、一見、N鉄ではない企業がトップにいても、

「N鉄がどこかで関わっているな」

 と、県民、ほとんどが分かっていることだろう。

 いったいいつ頃から、F県での独裁になったのか分からないが、少なくとも戦後からであることは間違いないようだ。

 それだけ長い間に君臨してきて、これまでの数度にわたる不況を乗り越えられたのも、

「N鉄とともにあったからだ」

 と思っている人も少なくないだろう。

 それだけ、F県では、

「n鉄神話」

 なるものがあり、他の県と同じところもあれば、F県独自というものもある。

 どちらかというと、F県独自の方が強いようで、他の県から見れば、一種異様に見えるようだった。

 他の大都市は、もちろん、看板となる企業はあるだろう。だからと言って、どこかの政府のように、

「一党独裁」 

 というわけではない。

 もし、そんなことをすれば、県から潰されかねない。

「看板企業として、君臨すれど、統治せず」

 とでもいえばいいのか、独裁というのを嫌う傾向にある。

 なぜなら、

「一企業独裁」

 ということが前面に出てしまうと、

「田舎の県」

 というレッテルを貼られてしまう。

 そんなことを考えていた。

 昔からの伝統のある県で、ここまで、ずっと、

「日本有数の大都市」

 といわれているところが、いまさら、

「田舎の県に落ちてしまった」

 などと自分たちの代で言われることを、自分の不名誉になると思うことで、行政側誰もが必死になって、

「一企業独裁を阻もう」

 とするだろう。

 それは、他の民間企業も同じで、ベスト5に入るような他の企業も、行政と考えは同じだった。

 そういう意味で、

「包囲網」

 と気づき、独裁を防ぐための、

「影での同盟」

 が成立し、絶えず、まわりから監視されることで、表に出ることができないようにしていた。

 そして、二段構えとして、

「もし、何かのはずみで表に出られてしまった時、いかに団結して、出る杭を打つかということも計算している」

 というものだった。

 定期的に、意志の疎通を図るための、企業会議を行っていた。

 そこで、行政側の影の組織である、

「一企業息災そふぃグループ(仮)」

 というものを、分からないように設立していて、彼らが、その会議に、

「アドバイザー」

 という立場で、参加しているという形をとっていた。

 幸いに、誰から怪しまれることもなく、推移していた。実に静かに、水面下で行動しているのだった。

 そんな組織が、大都市にはほとんど存在しているが、F県にはなかった。

「そんなもの作って、N鉄から、今後一切の支援を受けることができなくなると、F県も、F市も立ち行かなくなってしまう」

 という、N鉄は、完全に、F県にとっての、

「アキレス腱」

 であったのだ。

 切断されると、致命的であり、復帰できても、前のようにはいかない。大規模な改革という大手術が必要になるのだ。

 そんな手術をされると、トップの総入れ替えは免れないだろう。

 もちろん、

「責任を取る」

 というのは当たり前のことだが、

「責任をとっての、引責辞任」

 というのと、

「企業からの信認が得られないということで、トップを入れ替えられる」

 とでは、かなりの違いがある。

「引責辞任であれば、責任の範疇でのことなので、自分でも納得することができるが、まわりの企業からということであれば、引責辞任のように、県民に対するけじめではなく、企業に対しての忖度からのやむなき辞任ということになり、到底承服も、納得もできるものではない」

 と言えるだろう。

 それが、今の、F県というところの立場であった。

 F県というと、日本を地方で区切った中でも、代表的な県であり、今では少し人口が減ってしまい、自慢できなくなってしまったが、つい最近までは、日本でも、数か所しかない、

「100万都市が、2つある県」

 ということで有名だったのだ。

 人口が100万人を切ったとはいえ、県庁所在地でも、これだけの人口がいるところはそんなにもないと言えるほどだ。

 逆にいえば、

「これだけの人口がいるのに、県庁所在地じゃないなんて」

 ということになる。

 海を挟んで二なるが、境を接している隣の県の県庁所在地よりも、相当な開きがあるくらいである。

「隣の県に、移れば、こっちが県庁所在地になることだってできるんだろうけどな」

 と現実味はないかも知れないが、ありえないことではない。

 ただ、現実味がないだけに、真剣に考えることも難しいだろう。

 現実味というものは、達成できなければいけないというものでもない。

 ただの目標で終わってしまうことが分かっていても、そこから始まるものもある。そんなことを考えていると、逆に、

「N鉄に、逆らえない自分たちが情けない」

 というストレスがジレンマに変わり、トラウマになってしまうこともあるだろう。

 だが、一旦トラウマになってしまうと、気持ちの奥にしまっておくこともできる。これは、一種の慣れのようなものであり、言い方は悪いが、

「惰性」

 といわれても仕方がないだろう。

 しかし、

「長いものには巻かれろ」

 という言葉もある。

 生き残るためには必要だということなのだろう。

 だから、N鉄とは、よくも悪くも、仲良くしなければいけない。

 下手にN鉄を追い落として、N鉄の力が弱まってしまうと、今度は、自分たちが、その時初めて、

「N鉄とは、一蓮托生だったんだ」

 ということを思い知らされ、落ちていくN鉄に足を引っ張られ、助けてくれる者もいないまま、アリ地獄の穴に落ちていくということになるだろう。

 落ちていく時は、もうすでに、

「大都市の自治体」

 という影はなくなっていて、落ちていくものをまわりは、冷ややかな目で、

「ああ、また、どこかのバカがアリ地獄に巻き込まれたんだな」

 としか思わないだろう。

 当然、助けようとはしない。下手に手を出すと、自分も一緒に吸い込まれるだけで、

「ミイラ取りがミイラになる」

 というだけで、誰も助かるわけではない。

 それを、一般的に、

「犬死」

 というのだった。

 F県、F市、それぞれに、N鉄に逆らえないのは、他の民間企業が、まったく頼りないからでもある。

 それも、民間企業間で、N鉄が今まで、自分たちの独裁体制を築くために、どれほどのことをやってきたか。人に言えないような、

「どんなあくどいことだって、いくらでもやる」

 というような体制から、のし上がってきたのだ。

 そもそも、それくらいの気概がなければ、これまであれだけの不況があって、生き残ってこれなかっただろう。

 昔だったら、

「N鉄の最大のライバル」

 と呼ばれた企業も、不況の混乱で、あっさりと、吸収合併することに成功していた。

 そういう意味では、

「これまでの不況のたびに、独裁色を強くしてきた」

 ということで、N鉄にとって不況というものは、

「追い風」

 でしかなかったということであろう。

 だから、民間には、N鉄に逆らうなどというところは残っていない。

「県下でのナンバー2だった企業ですら、N鉄にあっさりと飲み込まれてしまったんだからな」

 といわれるほどだった。

「N鉄なんて」

 と、心の底では思っていても、どこも口にはできない。

 これは、F県の民間の実態であり、行政もその実態に合わせなければやっていけないという状態になっていた。

 行政側からも、民間でも、

「もう、すべてが手遅れだ」

 と思っていることだろう。

「F県というのは、不治の病における末期の状態で発見されたようなものだ」

 と言えるのではないだろうか?

 そんな世の中において、N鉄というのは、

「不治の病における、末期状態」

 なのかも知れないが、手術をして取ってしまうと、確実にその場で死んでしまうという、アンタッチャブルな世界だと言えるだろう。

 表から見ると、分からないが、F県は、

「前に進んでもだめ、後戻りもできないという、真っ暗闇の中にいるか、あるいは、風邪が強い、吊り橋の上で、身動きのできない状態で、落ちるのを待っているしかできない」

 というそんな状態の中にいることを、どこまで自覚できているというのか。

 N鉄が、不治の病だというのであれば、そのN鉄を生み出したのは、社会なのかも知れないが、それを受け入れ、二人三脚でここまで発展してきたF県、F市に責任はないのだろうか?

 いや、そんなことはない。

 ただ、いまさら責任問題を語っても仕方がない。

「N鉄とは、一蓮托生だ」

 と思って、共生の道しかないのだ。

 それは、N鉄の方でも思っていることなのかも知れない。

 そんなN鉄の推薦で、工事は進んだ。ほぼ予定期間に遅れることもなく、大きなトラブルもなく、無事に工事を終えることができたのは、N鉄にとっても、行政側にとってもよかったことであった。

 N鉄がうまく立ち回ったのも事実だし、行政側も、うまく協力体制が築けたことで、数年で、土手が出来上がった。

 その土手は、簡易ではあったが、第二段階として、整備も考えられているようだった。

 とりあえず出来上がった、その土手の前には瓦があり、河原自体はほとんど整備されていない。

 整備しても、そこで何かができるわけでもなく、作れるとすれば、遊歩道くらいであろうか。

 ただ、ここを遊歩道にするという計画も持ち上がっていて、その整備のために、少し区画整理のようなこともされていた。

 そのために、ところどころビニールシートが張られていたが、その途中には、すすきのような雑草が生えていて、なかなか見にくいのだが、ところどころ、昔整備された道が残っていた。

 もちろん、舗装などされていない道で、たぶん、自転車などで通れば、デコボコを感じるのだろうが、そんな道を歩いていくと、その先に見えてきたのは、鉄道、つまり、N鉄の鉄橋の下だった。

 高架下は、以前には、ホームレスが、テントのようなものを張って、数人が生活をしていたが、今は見ることができない。たぶん、土手の工事がうるさすぎて眠れなかったことと、工事の人たちから、立ち退きを言い渡されていたからなのかも知れない。

 どちらもあるのだろうが、ホームレスがいなくなったといっても、高架下に何か工事が行われるわけではなく、ホームレスが立ち退いた分だけ、スペースが余ることになったのだ。

 それほど広いスペースではないので、子供たちも近寄ることもない。しかも、親や先生から、

「川の近くの危険なところに近づいてはいけません」

 といわれていた。

 理由は、

「何かあっても、助けることが困難だから」

 といわれれば、さすがに子供でも怖くて近寄ることはできないだろう。

 ただ、このあたりは、車が入ることができるだけのスペースはあるので、昼など、ここで営業が昼寝をするのにちょうどいいようだった。

 高架下なので、太陽を少しでも防げるというのがよかった。

 ただ、音がうるさいので、耳栓だけは必須であったが、それは仕方のないことだったのだ。

 昼間は営業車が、

「時間調整」

 にやってくるが、夜になると、アベックがくるようだった。

 車の中で、普通に話をしているカップルも多く、ただ、リクライニングを倒して、キスくらいはあるだろう。

「さすがに、こんなところに、人なんかこないさ」

 ということで、それくらいは普通にあった。

 まだ夕方などの時間は、さすがに、いくら人が寄り付かないとはいいながら、それ以上のことをするカップルもいなかったが、日がどっぷりと暮れていれば、少々大胆なカップルも出てくるというものだ。

「ラブホテルにでもいけばいいのに」

 と思うだろう。

 別に彼らは、

「金がもったいない」

 ということで、ラブホに行かないわけではない、

「もし、誰かに見られたら、どうしよう」

 という、スリルの中で、燃えるカップルだったのだ。

 いわゆる、

「露出狂」

 という一種の変態なのだろうが、中には、本当に覗かれていたとすれば、それどころではないと思う人もいただろう。

 男は、

「覗かれるくらい何でもない」

 と思っていたが、オンナも口では、

「その方がスリルがあるわ」

 といっていても、いざ覗かれているのが分かると、急に怖気づいて、

「私は、もう嫌」

 といって、あれだけ、男に同調していたくせに、

「もう、私はあなたにはついていけないわ」

 とばかりに、豹変する女もいることだろう。

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