海流レース

@ramia294

 海流レース

 温暖化は、進む。


 北の海に、

 頼りなく揺れる、

 最後の流氷。

 行き場の失った、シロクマとアザラシが、抱き合い震えて、

 その落つる涙が、海に溶ける。


 暑い夏に、

 悲鳴をあげる美しき毛皮の獣たち。

 

 ネコは、焦り、

 イヌは、落ち込む。


 躍動する夏の昆虫たち。


 セミの成虫も寿命が伸びた。

 

 長く続く暑い夏の中、

 延長された寿命。

 いくつもの夏の歌を歌い、

 いくつもの恋を繰り返すセミは、

 浮気者の代名詞と、なった。


 若者の季節、

 夏。

 砂浜には、世にも美しいビキニの花、咲き乱れる時間が増える。


 暑く光る波。

 魚が、跳ねる。

 波しぶきの湘南の海。

 

 気がつけば、

 大西洋にしかいないはずの魚のウロコ、

 その煌めきが、

 湘南の海を

 ビキニと共に、

 彩っていた。


 

 海洋学者が、主張した。

 考えられる事は唯一つ。

 

 海流が変わった、

 地球自身の温暖化対策。


 海底の冷たい水が、

 表層へと移動し、

 暖かい表層の水が、

 海底へと引き込まれていった。


 地球が、

 自然が、

 この世界の安定化を求めた。


 北の海は、

 氷の大地を取り戻し、

 シロクマとアザラシは、

 気まずそうではあるが、

 鬼ごっこを再開した。


 しかし、一度流れを変えた海水は、表層への吹き出しと海底への引き込みを繰り返し、元の状態へは、なかなか戻ってはくれなかった。


 吹き上げと、引き込みの海流は、地球上に点在し、高速で流れ、地球を一周の流れを生み出す。

 そして、その自らの、熱を冷ましていった。

 

『地球海流』


 そう名付けられた流れは、温暖化が、収束した後も、変わらず、元に戻るまでは、数年を要すると、学者は言った。


 地球海流を利用して、地球を一周するレース。

 提案したのは、誰だったろう?


 参加は、今、考えると無謀だった。


 その頃、僕は、叶わない夢と理不尽な現実に、自暴自棄な毎日を過ごしていた。

 そして、僕は、賞金に目が眩んだ。


 高速の海流は、文字通り激流だった。

 合流するその瞬間、

 スリルを感じるなどという、生易しいものでなかった。

 人生において、いちばんの恐怖の時。


 僕の船は、スピードよりも安定を重視した丸い先端。


 小さかったあの頃。

 漁師だったおじいさんの船で、目を輝かせて漁師になるとわがままを言った僕。

 孫の言葉に、嬉しそうだったおじいさんが、僕のために造ってくれた、小さな漁船。


 スピードよりも安全を、

 波を切るよりも水面に張り付く。


 今は亡き、大好きだったおじいさん。


 おじいさんに貰った小さな木の船は、瀬の流れに巻き込まれた木の葉の様に、頼りなく1秒先の命を手さぐりした。


 激流かと思えた海流も乗ってしまえば、船は安定した。

 周囲には、激流に乗り切れなかった速さ重視のボートの船底が、乗り手であるご主人レーサーを探して、プカプカ浮いていた。

 スタート直後。

 周囲には、僕の船しか存在しない。


 いくら海流が速くても、地球を一周するには、数週間という時間が必要だった。


 持ち込んだパソコン、スマホは、ネットに繋がり、積み込んだ太陽電池は彼らのための電気と僕自身の肉体を維持するレトルト食品のために、せっせと発電をしてくれた。


 一人きりの世界。

 それ故、気づく事もある。

 地球上、どこの空でも、太陽と雲は仲良しだ。   

 気づけば、彼らのお喋りは風となって、世界中を巡っていた。

 風のお喋りに耳をすませば、争いの心も吹き飛ばされるのに……。


 僕の持ち込んだ小さな黒いラジオ。

 夜空を共に過ごす、

 僕の相棒。


 見上げる夜空の星たちは、光の瞬きで会話しているのだろうか?


 彼らにとって、価値あるものは、静寂なのだろうか?


 その遠慮がちな会話の瞬きは、地上に降り、小さなそよ風に変る。

 すぐに消えていく、優しい囁き。

 このレース中、夜は、いつも静かだった。


 真夜中のそよ風。


 今のところ、僕のラジオは、どの国の電波も捉える事が出来ない……。

 それでも、毎夜、星あかりの中、スイッチを入れてみた。


 船に持ち込んだ学生時代から使っている目覚まし時計は、日付けが変わったと主張する。

 その時、それは聴こえて来た。

 最初は、小さ過ぎて聞き取れなかった。

 一日目は、その電波を僕のラジオは捉えきれなかった。

 二日目のその時間、

 はっきりとした日本語が、ラジオから流れてきた。


 それは、時折巡り合う海底からの表層への流れがある場所で、鮮明に聴こえ始めた。


 美しい音楽と楽しい会話。

 その魅惑的な声は、僕の心を捉え、離さなかった。

 ひとりきりの海の上。

 そよそよと、風の吹く夜。


 僕の心は、

 星の光と共に震え、

 海の波と共に乱れた。


 ラジオから流れる声の主は、どんな人なのだろう?

 きっと真珠の様に清らかで、サンゴの様に華やかなのだろう。


 深夜放送なら、恋の歌のリクエストが、出来るはず。

 日本語なのだから、日本の放送局?


 ラジオは、

 あの声は、

 美しいその声は、言った。


『今夜も隣の席や通学途中の、カワユ〜イ!あの娘やステキなあの男子の尾ビレに心奪われるあなた。あなたの気になるあの尾ビレ。あなたに代わって深夜ラジオのパーソナリティ、アコヤが、素敵な人魚の彼氏彼女に、あなたの壊れそうな胸の内を伝えます。の時間が始まりました。


今夜は、二千メートル。比較的浅い学校に通う彼女からの泡。

早速泡の中身を……』


 それは、海の底、人魚の世界のラジオ放送だった。

 パーソナリティのお名前は、海の底のアイドル、人魚のアコヤさん。


アブクが、空へと帰るまで』


 人魚の世界の人気番組だ。

 リクエスト方法は、シャボン玉の様な泡に詰めて送るらしい。


 海上からのリクエストは、無理そうなので、僕は小瓶にリクエスト曲と、現在の状況。

 そして、アコヤさんの声にどれだけ、孤独を癒やされているかを記し、引き込みの流れに、命懸けで近づき投下した。


 広い海。

 届くあてもない、その小瓶は、流れに引き込まれ、沈んでいった。


 その翌日の真夜中。

 始まるラジオ放送。


『今夜は、珍しいリクエスト曲が届いています。地上の人間さんからのリクエストらしいです。私、人間って童話の世界だけと、思っていたけど、本当にいたのかな?曲名は……。

う〜ん。どんな曲かな?アコヤには、わかんないので、地上の人間さんには、私の最新曲をプレゼント。楽しかったので、また送ってね』


 驚いた事に、小瓶は、届いたようだ。


 それから、僕は、引き込む流れがある度に、小瓶に、僕のアコヤさんへの想いを綴ったものをリクエスト曲と一緒に入れ、投げ込み続けた。


 レースの終盤戦。

 スタート時に生き残ったのは、僕だけだと分かった。

 無事ゴールすれば、賞金は手に入る。

 大地が見えてきた。

 あれは、四国だ。

 一周回ってきたらしい。

 僕は、船を操作して、本流から、外れる。


 海流により、波打ち際や港の岸壁から、外海の魚がお手軽に釣れるようになった瀬戸内。

 複雑な瀬戸内にぶつかり、海流の一部は四散し、終わる。



 海流により、川の様に流れる瀬戸内。

 豆アジが貴重になり、あちらこちらで釣人が、またクロマグロかと嘆く光景が見れるようになった。


 ゴールの島まで後少し。

 点在する島々。


 小さな岩が顔を覗かせるだけのその島。

 まるで、芸術の神が、刻んだような彫刻。

 真珠の様に、清らかな、

 美しい姿。


 揺れる髪だけが、本物だと主張するその姿には、尾ビレが……。


 僕の船は、ゆっくりと彼女に近づいていった。


 地球海流レースに、ゴールした者は、いなかった。

 賞金を受け取った者もいなかった。


 僕は今、レースで傷んだおじいさんの残した船を補修して、塗装している。

 人魚の国のペンキだそうだ。

 

 細かく砕いたサンゴやシアノバクテリアから作られたそれは、塗ると水中でも自由に走り回れるらしい。


 塗装が終わり、完全にペンキが乾いたら、もう一度海へと漕ぎ出し、引き込みの流れに乗るつもりだ。


 もちろん、今も隣で、笑顔をみせるアコヤさんの両親に結婚の挨拶に行くのだ。


          おわり





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