あれから

 と、とんでもないものを見せられている。わたくしは、今……。


 二ヶ月間、私が眠っていたのは、王都にある辺境伯別邸だった。

 お父様とお母様どころか、先代先先代も使っていなかったせいで、私が学園の試験を受けるとなっても存在を忘れられていた、かわいそうな屋敷だ。

 まあ、学園生は寮からあんまり出ないし、わからなくはないが、それにしてもだろ。管理人として雇われていたおじいさんは、孫にお役目を譲っていて、給料は役所から出ていた。


 とにかく、私が運び込まれるとなって、改めて掃除されたこの屋敷なのだが、建物の規模に対して中庭が広い。

 サマナに肩を借りつつ、お母様に連れられてそこに来たのだが……中庭の中央に、巨大亀がいた。


 いやわかってる。亀じゃないことくらい。でも亀にしか見えねえんだわ、アレ。

 ミルフィーユのように積み上げられた鉄板とレンガが、一定のリズムで上下している。土台が腕立て伏せしているからだ。


「四千九百七十三!四千九百七十四!四千九百七十……五!」


「ペースが落ちているぞ、小僧!」


「四千九百七十六っ!四千九百七十七!!」


 なぜだろう。アホみたいな数をカウントしてる声も、それを聞きながら檄を飛ばす声も、猛烈に聞き覚えがある気がする。


「お母様、見なかったことに……」


「バルバロッサ!」


 この惨状から目を背けようとした私の思惑は、お母様がお父様を呼んだことで阻まれる。

 そして、拷問級腕立て伏せの監督をしていた、筋骨隆々の紳士がこちらに気がついて──。


「クラウディア、どうか……っ!?」


 瞬きの間に、私はすっ飛んできたお父様の、超強烈ハグの餌食となった。


「キンベリーぃぃぃいいいいい!!目が、目が覚めたのだなぁぁぁああああ!!ああ、ああ!痛むところはないか?無理していないか?怪我は、痕は残っていないのか!?!?」


「がふっ!?お、お父様、痛い、痛いです!」


「ど、どこだ?どこが痛むのだ?ベル、まだ傷が……!?」


「違います違います!!ギ、ギブギブ、背中が、折れ」


 ぺしん、号泣しながら私を抱きしめていたお父様の頭を、お母様が扇子で叩いた。

 はあ、はあ、なんとか解放された……三度目の死を迎えるかと思った……。


「あなた、ベルは病み上がりなのです。気持ちはわかるけれど、強く抱きしめすぎよ」


「す、すまん……だが、だが!愛娘がこうして、こうして!!」


 おんおん泣くお父様。暑苦しいな、と思うよりも、心配かけて申し訳なかったな、と感じる。

 私はちゃんと、この人の娘なんだ。


「心配をおかけして、ごめんなさい、お父様。私はこの通り、無事ですよ」


 バタバタバタ!また、誰かが走ってくる音。今度は誰だろう、なんてな。予想はついている。

 その人物は、私たちを見て、何か言おうとしたんだろう。けれど、口を手で押さえて、膝から崩れ落ちてしまう。

 もう、仕方ないな。


 なおも引き止めようとするお父様をお母様に預けて、私は彼女の元に歩み寄った。

 若葉色のローブの袖で、溢れる涙を必死に拭う少女。金髪の中に、神秘的な白が同居している。

 大切な、大切な、この世界ではじめての友だち。


「待たせちゃったわね、エイリー」


「ひぐっ、ううぅ、えぐっ」


「ただいま」


 膝立ちになって、ぺたんこ座りのエイリーを、そっと抱き寄せる。

 彼女と比べたら、いや比べるなんて烏滸がましいけど、私にだって、泣いてる友だちを受け止められるくらいの胸はあるんだ。


「ベル……ベル、ベル、ベル!」


「お化粧、落ちちゃうわよ?」


「そんなこと、うぅ、どうでもいいですわ」


「学園、行く前だったんじゃないの?」


「今日はお休みいたします!!」


 ほんと、私の親友は健気で可愛い。画面の中のヒロインなんかより、ずっとずっと。


「何度も、何度も、毎晩ずっと、あの時ヴィー殿下を一人で行かせて、引き返せばよかったと、後悔していましたわ」


「あなたのおかげで、私の守りたかったものは無事だったのよ」


「その言い方は、ずるい、ですわ……!」


 よしよし、ありがとうな、エイリー。

 そんな感じで彼女を宥めていると、ようやく泣き止んだらしいお父様が、あの夜の顛末を話し始めた。


「黒装束集団は、突如現れた白竜によって壊滅。数名を捕虜とした。現場は混迷を極めていたが、マナリア公爵令嬢と、ニーベルン副大臣によって、事態は収束へ向かっていったと聞いている」


「私、頑張りましたのよ……?」


「すごいわね、エイリーは」


 頭を撫でると、ぎゅーっと抱きしめ返される。愛いやつめ……豊満な双丘はちょっとした凶器だけどな。


「その後、学園生グラスノウと、トカゲの頭をした未確認の魔物の死骸を確保。ベルも時を同じくして保護されたが、傷が酷く、生存は絶望視されていた」


 あの時、確かに私は一度死んだ。

 代償に喰われて、傷を治すことができなかったから。

 でも、今こうして生きているのは、誰かが代償を打ち消してくれたから。それは──。


「結果的に王女と公爵令嬢を救うことになったが、グラスノウの供述は不審な点も多く、離宮侵入は紛れも無い罪。死刑とされるところだったのだが、戦闘後ずっと眠っていた竜が目を覚ましてな」


「我が爪牙を持つものの言うことでなければ聞かない、と離宮から離れてくださらず……グラスノウさんの処遇は一旦保留。ブリギート辺境伯様がいらっしゃってからは、辺境伯預かり、ということになりましたの」


 なるほど。鉄板ミルフィーユから解放されたけど、気まずそうに中庭の隅に突っ立ってるあいつも、割と厄介な立場になってたってことか。


「黒装束どもは尋問の結果、ケイル・デロンゾ侯爵令息の差金で遣わされたデロンゾ家の私兵ということがわかった。ケイルは処刑、侯爵も、監督不行届として爵位を追われた。デロンゾ家はケイルの再従兄弟が、子爵として継ぐそうだ」


 侯爵から子爵って、二段階も落とされてるじゃん。いや当然か。

 直接関わってなくても、王族襲撃の罪は重すぎる。一族郎党皆殺しにならなかったのは、陛下の温情か、ヴィー王女の価値が低いからか、わかんないな。


 それにしてもあいつかー。マジで暗殺騒動に絡んでくるとは。いや焚き付ける形になっちゃったから私も悪かったけどなー。態度悪かったからな。


「親としては、娘に鉄火場を潜って欲しくなどない。このような無茶をしたこと、どれほど叱っても足りない」


 エイリーを離し、お父様とお母様に向き直る。名残惜しそうな声が背中に届いたけれど、今は二人に改めて謝らないと。


「申し訳……」


「だが」


 私の謝罪を遮ったお父様。その顔には、怒りでも悲しみでもなく、誇らしげな笑みが浮かんでいた。


「王国貴族として、命を賭して王族を守ったこと。ブリギート辺境伯として、誇りに思う」


「わたくしもよ、ベル。頑張りましたね」


 今日何度目かわからない涙が、頬を伝った。

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