俺と、私。
カチ、カチ、カチ。
真っ暗な部屋に、コントローラーのボタンを押す音だけが響く。
画面の中では、主人公がヒロインに、愛を囁いている。
壮大な物語だった、気がする。
国を巻き込んだ巨大な陰謀に、竜の加護を得た主人公が、美しい金髪のヒロインと共に立ち向かっていく。
あまり筋書きを覚えていないのは、自分がこのゲームに、それほどの熱意を持っていなかったからだろう。
キャラクリができるゲームでは、必ず女アバターを使ってきた。
男主人公固定のゲームは、ほとんどプレイしたことがない。
そんな自分が、このゲームをエンディングまで進めたことは、すごいことだと、他人事のように思った。
一緒に学園に入学した時は、一房だけだったヒロインの白いメッシュが、今や彼女の金髪を全て上書きしてしまっている。
主人公の纏う純白の外套と同じ色だと、健気に笑うヒロイン。このゲームにおける魔法の代償で、彼女の髪はもう戻らない。
選択肢が、ポップした。
「その色の君も素敵だよ……?はっ、笑わせんな」
彼女の魅力は、艶やかな金髪の中に、少しだけ紛れた神秘的な白だった。
白髪も美しいけれど、微笑みの向こう、彼女の気持ちを思えば──。
いや、待て。
おかしい。自分はこのゲームをそれほど、真面目にやっていなかった。ヒロインが笑っているのに、隠された感情を見抜くなんて、そんな芸当ができるほど解像度は高くないはずだ。
けれど、やはりこちらは選べなくて、もう一つの選択肢に視線を向ける。
「やっぱり、元の君が好きだ。こっちに決まってるだろ」
会話が進み、ヒロインは笑みを歪めた。当たり前だろう、欲しても、もう戻らないんだ。代償は不可逆で、使いすぎて喰い潰されれば、命すら危ない。
だから
酷く頭が痛い。暗い部屋でゲームをしていたせいだろう。
さっさと終わらせて、寝たい。とても眠い。セーブして中断したっていいはずなのに、ボタンを押す指が止まらない。
「竜の力があれば、代償を消せるかもしれない」
「確証はないし、大きすぎる力のせいで、君を傷つけてしまうかもしれない」
「それでも、僕は君の、お日様のような黄金色を、もう一度……」
主人公のセリフが、進んでいく。ラスボスを倒すために、加護をもらった白銀の竜に、今一度願う。
どうか、自分の愛する
湧き上がった感情は、嫉妬だった。
意味がわからない。そもそも、誰に向けた感情なのかもわからない。
でも、とにかく、心を満たした気持ちの色は、嫉妬で。
私のいないところでイチャつくな。
ガタガタ、ガタガタ、窓がうるさい。
風が強いみたいだ。少し、肌寒くなってきた気がする。
あと少し、たぶん、もう少しでこのゲームをクリアできる。ハッピーエンドだ。だから、まだ外に出たくない。もう少しだけ。
そんな願いも虚しく、遂に風は窓を破って、部屋の中まで吹きつけてきた。
あのヒロインの髪のような、冷たい白の混じった吹雪。
気づけば、雪原の真ん中に、ぽつん、と立っていた。
記憶のどこにもない風景。視界は雪煙に閉ざされ、身体の芯まで凍るような寒さに、震えが止まらない。
死後の世界とは、ここのことを言うのだろうか?少なくとも天国ではなさそうだし、地獄か。人助けして死んだはずなんだけどなあ、仕方ないか。
雪の上に胡座をかいて、人生を振り返ってみる。やることねえからさ。
小さい頃から、女の子に羨望の眼差しを向けてきた。今となっては、彼女たちには彼女たちの苦労があることを実感して、男として産んでくれたことを、親に感謝しているところもある。
けれど、やっぱり女の子として生きたかった。
言われるがままに勉強して、就職しても実感が伴わなかった。
それなりに成果を上げて、多少体調が悪くても毎日出勤して、ロボットのように働いた。そんな人生に疑問を抱いても、何も変えられなかった。
礼儀作法や教養の授業、ダンスの練習。どれも大変ではあったが、楽しかった。途中から、一緒に取り組む親友もできたから。
兵士たちの傷を癒すことに、確かなやり甲斐を感じていた。実家を、領地を、国を愛していると、断言できる。
さすがに、ここまで走馬灯を見れば、自分が俺であり、私であったことくらいは思い出せた。
果たして、どっちが自分の本当の人生だったんだろう。
望むままに、自分らしく、キンベリー・ブルギートとして生きた。けど、結局その身体は借り物で、俺が無理やり奪ってしまったものではなかったのか?
あの日、お母様に抱きしめられた時、俺は自分をキンベリーとして定義した。自己満足でも、そう生きると決めた。けれど、ことあるごとに罪悪感は首をもたげてきて、ついに俺は、俺は──!
「あ、ああ……あああっ」
流れた涙が、すぐに吹雪に消えていく。
俺は二度死んだ。いいや違う。俺が
「なんで、なんでっ!まだ俺の意識がある!俺は、俺は……!消えてしまいたい……!」
新雪に拳を叩きつけても、冷たいだけ。凍傷ができても、すぐに治っていく。
治癒魔法。特別な力を得たと思って舞い上がっていた。これも、彼女のものだったのに。それどころか、目的のために借り物の身体を顧みず、何度も何度も傷つけた。
ここが地獄だと言うのなら、俺を罰してくれ。死んだならば、永遠の苦痛と共に意識も消し去ってくれ。
どうか、俺を!!
吹雪の中に赤い光が灯った。
それが、俺を焼くための炎であることを願って、手を伸ばす。涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げると、暖かな火が、俺のよく知る少女の姿をしていることに、気づいた。
「ああ……君が、俺を殺してくれるのか」
そうだ。俺を罰するべきは、神でも閻魔でもない。君以外にはない。
少女は風に金髪をはためかせていた。目尻の鋭い紅の瞳こそ、あの赤い光の正体だ。雪の中でも輝く肌の白。高い鼻梁、引き締まった唇、美の女神に微笑まれた、整った顔の造形。
キンベリー・ブリギート辺境伯令嬢が、目の前に佇んでいた。
「謝罪しても、しきれない。俺は、君を」
自分光源氏計画を後悔はしていなかったが、改めて振り返れば、彼女の身体を人形扱いしていたようなものだ。
キンベリーの人生を奪った身でありながら、夢の成就に俺は浮かれきっていた。
「ごめん、ごめん……!本当に、すまなかった……!どのような言葉でも足りない。どんな罰だって受ける!!」
見つめた彼女の表情は、影になって窺い知れなかった。けれど、返答はすぐにあった。
振り上げられた右の手のひら。遠心力の加えられたそれが、俺の頬を強かに打つ。
「これは……私の、恥ずかしいところを見たぶんよ」
次の罰を受ける覚悟を決めて、身を硬くする俺。しかし、予想していた衝撃は、いつまで立っても来なかった。
「キン、ベリー……?」
身体を包む柔らかな感触。極寒の中、与えられた暖かさに、どうしていいかわからなくなる。
「俺は、君に抱きしめられる資格なんてない。今すぐ、地獄の苦しみを」
「うるさいわね。ちょっと黙りなさい……よく頑張ったわ、おまえは」
「だめだ、俺は君を二度も殺したんだ。君には俺を罰する権利が!」
「黙りなさいって言ってんのよ。燃やすわよ?……はあ、罰、罰ってね。勝手に罪悪感抱かれて、勝手に赦しを求められても迷惑なんだけど」
「うぐっ」
言葉の棘に反して、彼女の声音は羽毛のように柔らかかった。
その暖かさがもっと欲しくて。また、甘えてしまう。
「別に、私はおまえに殺されてなんていないわ。グラウを愛しく想う気持ちだって、きっかけは私だし」
「は……?」
「おまえは私で、私はおまえなの。二人じゃなくて、一人。だから、おまえの選択は私の選択で、一つだって恨んでることはないわよ」
嘘。えっちなのはどうにかしてほしかった、と付け足すキンベリー。
仕方ないじゃん、夢だったんだもん。じゃねえ、何考えてんだ俺。彼女がどう言ったって、俺の罪は──。
「うじうじしてんじゃないわよ。キンベリー・ブリギート!」
「違う!それは君の名前で!」
「おまえの名前でもあるって言ってんの!いい加減自覚なさい。おまえ、元の名前を思い出せるの?」
「それ、は」
俺であった頃の記憶はあるけれど、確かに、名前が思い出せない。
最初は意識して「キンベリー」として生きようとしていた。けれど、いつの間にか「私」として自然に振る舞っていた。
「でも、俺は死んで……」
「無茶やりすぎよ。だけど、挑み続けたことは、褒めてあげるわ。よくぞ、辺境伯家の責務を果たしました」
俺から離れた彼女が、雪原に火の玉を浮かべた。
それは、道のようで。吹雪の向こう、どこかへ続いている。
「もう行きなさい。代償は、私が払うから」
「待ってくれ、それなら俺が!」
「サマナも、エイリーも、もしかしたら、お父様とお母様も。少し悔しいけど、グラスノウも。みんなが慕っている私は、おまえの方なの。おまえが、キンベリー・ブリギートなのよ」
涙が溢れて止まらない。目の前の私は、瞳からぽろぽろととうめいな雫を零しながら、それでも笑っていた。
「私は独りで死ぬのよ。あとは、
「嫌だ、キンベリー!行きたくない!俺は!」
「俺じゃなくて、
いってらっしゃい。
そんな言葉を最後に、背中を押された。
ロールプレイングゲーム「白竜と雪の騎士」。通称、ドラスノ。
数あるエンディングの中で、多くのプレイヤーの心を揺さぶった、粉雪エンドと呼ばれるルートにて。
メインヒロイン、エイリル・マナリアは竜の力で、輝くような金髪を取り戻す。その代わりに、エンド名称にもなった一房の白髪を得て──光魔法を、失った。
ならば、キンベリー・ブリギートは。
ゲームで「煉獄の聖女」と呼ばれた、彼女であれば──。
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