好きの理由
「キンベリーちゃん!!」
怪人の首を斬り飛ばし、駆け寄ってきたグラスノウの顔を見て、
我ながら酷い有様だ。美しかった髪は燃え尽き、身体中を腐食による痣と火傷が覆っている。脇腹はえぐれて見られたものではないし、胸に空いた穴に気付けば、まだ生きていることが不思議にも思える。
完全にガス欠だが、多少は魔法が働いているんだろう。私は傷の割には緩やかに、死へと向かっているみたいだ。
「治癒は!?君が言うなら大丈夫だろうって、思いっきり貫通させたけど、全然大丈夫じゃないじゃん!血が……こんなに怪我して……!」
ラスボスを倒したって言うのに、全然嬉しそうな顔をしないグラスノウ。
そりゃそうだろ、とも思うけど、くしゃくしゃの表情で、私の傷を必死に塞ごうとしている姿を見ると、なんだか報われたような気持ちになってくる。
「げほっ……」
「ああっ!やばいよねこれ、ねえ、死なないよね!?治せるよね?血、吐いてないで答えてよ、キンベリーちゃん!」
騒がしいなあ、まったく。あー、腕が上がらない。完全に代償に喰われたなこりゃ。まあ、空腹とかなくても、この傷じゃ身体が動く方がおかしいか。
なぜだろう。さっきまであんなに熱くて、寒くて、死にたくなくて、怖かったのに、今はどこか穏やかな心地ですらある。
「ちょっと、無理、ね」
「なんで!?こんなのってない……僕が、僕が煉獄ちゃんを殺す……?い、今止血するから」
「別に、おまえに殺されるわけじゃ、ないわよ」
それと、私は煉獄ちゃんじゃないって、何回言えば──。
ああ、そうか。おまえにとって、私はどこまで行っても、ゲームの「推し」で。ここじゃない世界のキンベリー・ブリギートを愛していたから、今まで近くにいてくれたのだろう。
さっきまで穏やかだった気持ちが、急激に冷たくなっていく。悲しみに、虚しさに染まっていく。
ごめん、ごめんな、
それが、このザマだ。
特別な素材で作られているのだろう。処置をするグラスノウの純白のコートは、全く血に染まる様子がない。
涙を散らしながら、必死に圧迫止血をしようとする彼に、私は。
「『余計なことを、しないでちょうだい』」
流れていく景色は、辺境伯領から王都への道。雑談の種に、「煉獄ちゃん」がどんなキャラクターだったのか、聞いた時のこと。
「『私は独りで死ぬの。全てを燃やした末に、独りで』」
たった一つだけ、闇堕ちした辺境伯令嬢の、末期の言葉を聞けるルートがあるのだと、目を輝かせながら捲し立てたグラスノウ。
自分ではない自分を、彼がどれだけ愛しているのかを聞くたびに、嬉しさと切なさで、胸が痛かった。
「『だから』」
続く本来のセリフは、どこかに行ってちょうだい、だった。
最期くらい、彼の望むキンベリー・ブリギートを演じて、この身体の持ち主に心を返そうと思ったのに。
中途半端な真似事も続かないほど、ぼろぼろ涙がこぼれてきた。血を吐いて、おまえの見開いた目を視界に捉えて、穴の空いた胸が痛いのは、傷のせいではないことに気づいてしまった。
「煉獄ちゃん……!それ以上なにも聞きたくない!それは、そのセリフは!!」
ふざけんな、ふざけんなよ、この朴念仁。イケメンが免罪符になるのにも、限度があるんだ。私は、私は!!
「どこにも行かせない!!おまえに、見向きもしなかった……
最初は、混乱した。
自分の心は女性が好きな男のままで、身体が美少女になったって、女性を愛せると思っていた。
自覚してからは、認めたくなかった。
顔を見るだけでドキドキした。一挙手一投足に目を奪われていることに、自己嫌悪すら感じていた。
でも、でも、でも。
笑顔のワクワクがこっちにも伝わってくるところ。ちょっと引くくらい強いところ。軽薄そうなくせに真面目なところ。この世界に本気なところ。
私のために、泣いてくれるところ。
身体の性別も、心の性別も、ぜんぜん関係ない。
キンベリーがグラスノウを好きな理由に、そんな言い訳は通用しない。
「好きだって、言ってんのよ。目の前にいる、私が、おまえを」
涙と血で、顔はぐちゃぐちゃ。大切にしていた髪は灰になって、積み上げてきた女性としての美しさは、一つとして残っていない。
一世一代の告白をするには、最悪の格好だけど、別にいいんだ。綺麗な私じゃ、煉獄と同じ顔の私じゃ、彼の答えにずっと、自信を持てない気がするから。
もうすぐ死ぬんだ。
せめて、どんな答えでもいいから、本心を聞けないと、死にきれない。
「ぼ、僕は……ボクは……」
足の感覚が、完全に消えた。動かなかっただけの腕も、地面の感触があやふやになってきている。
あれほど熱かった傷口さえ、今は氷のように冷たくなって、視界も朧げだ。
だけど、耳だけは。声を聞くことだけは、諦められないから。まだ、神経を働かせる。
「全然、気の利いた言葉が、浮かばないんだ。ボク、前世でいろんなゲームをやって、たくさんのヒーローとヒロインの恋物語を追いかけてたのに」
そんなものだ。夢に見た女の子の身体は、想像していたよりずっと、ずーっとデリケートで、辛いことや思い通りにならないことばかりだった。
「ドラスノでキンベリーに出会って、初めてファンアートを描いたんだ。解釈違いで何枚も何枚も破り捨てて、煉獄ちゃんが幸せになれるシチュエーションを、たくさん、たくさん、思い浮かべてた。もし、もし画面の向こうに声が届くなら、言ってあげたいことがいっぱいあったんだ」
彼は、いや彼女は、全力で「キンベリー・ブリギート」というキャラクターを愛していたのだろう。
震える声の向こうに、積み重ねた感情が渦巻いていた。
「あの日、君に出会えて、君を救えた奇跡に感謝してた。でも、心のどこかで、ボクの煉獄ちゃんを返せ、って、少しだけ、思ってたんだよ」
「けれど、君は、ゲームのキンベリーと全然違っているのに、なぜか解釈違いを感じなかったんだ。煉獄ちゃん、って呼ぶと否定されて、その度に安心してたのかもしれない。君は、キャラクターじゃなくて、生きている人間なんだって」
「だから、ゲームの煉獄ちゃんにかけたかった言葉は、どれもこれも、目の前の君に似合わないような、気がして……ああ、もう!どうしてボクは、僕は……!」
はやく、してくれ。もう、さすがに保ちそうにない。
たった一言でいいんだ。大層なセリフなんていらない。短くていい。ドラマティックじゃなくて、いいから。
「答えを、聞かせて……?」
大好きな人の顔が、見えなくなる前に。声が、聞こえなくなる前に。
「僕は────!!」
そう。
それなら。
胸を張って、お別れを言えるよ。
幸せでした。
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