王女暗殺(4)

 火魔法の持続が切れ、わたくしとノーマンになりかわった魔物──長いからトカゲ顔でいいか。奴を囲う蒼炎の壁が消えた。

 トカゲ顔は腕を掴んでいた私の手を振り払い、バックステップで距離をとってくる。


 勝ち筋を確認しよう。炎は効果が薄いし、代償になる髪の毛をほとんど使い果たしたため、役に立たないし使えない。対して、奴への治癒魔法はダメージになるらしい。ここからは傷の治療だけでなく、攻撃手段としてもこの魔法を使っていくことになる。

 治癒の代償である空腹は、徐々に私の体を蝕んできている。今は小腹がすいた程度の感覚だが、そのうち集中力が切れ始め、手足に力が入らなくなってくるだろう。そうなる前に、決着をつけなければならない。


 狙うならば、重要器官。トカゲ顔も生物ならば、心臓を潰されたら死ぬんじゃねえかな。

 勝利条件はヴィアナ王女を逃すことだが、私だって死にたいわけじゃない。捕まったら体をバラされるとわかっているのに、時間稼ぎに徹するわけにもいかねえよ。

 まあ、グラスノウが来てくれるんなら、話も変わってくるんだが。


「来て欲しいと期待することと、来る前提で動くことは別ね」


 あくまで自分だけで倒し切ることを目指す。

 私は、体に染みついた護身術の構えを作った。


「狙うは素っ首!」


 わざと声に出して、トカゲ顔へと踏み込む。本当の狙いは心臓だが、まあ小細工ってとこだな。

 通用するか分からなくても、何もしないよりマシだろ!


 左手は盾の如く顔の前に残し、引き絞った右の拳を変則的に打ち込んでいく。言葉通りに頭を目掛けて、こちらを舐めたようなガードに合わせてフェイント。

 腐食魔法を纏ったヤツの腕の寸前で、私は腕を引き抜き、後ろ回し蹴りへと繋げる。攻撃の方向が側面へ変わっても、頭部狙いの時点で防御なり回避は余裕だろうが、これもブラフだからな。

 案の定掴まれた足首に、全力の治癒魔法をかける。


「厄介なァ……!」


 ぱっ、と手を離されるが、振り切った足で壁を蹴り飛ばして反転。側転から旋脚、なおも頭と首を狙っているフリを続ける。

 弾いても次の蹴りがくる、掴んだら腕を灼かれる、となればスウェーバックしかねえよなあ!?辺境伯令嬢の腕力舐めんな!こっからバク転して拳叩き込んでやらあ!


「ハ、アァ!!」


 狙いは完璧。上体を倒したトカゲ顔の正中線に、落下の慣性を乗せた右拳を叩きつける。もちろん治癒魔法はこってりめでお送りしておりまァす!


 ドゴン!!

 魔物に乗っ取られたとはいえ、元人間の身体を殴ったにしては、固い音が響く。クソが、地面を殴ったような手応え、とかじゃなく地面殴ってるわ。

 影移動にしてやられた。インパクトの瞬間、月明かりのせいでできた私の影に潜り込んで、距離をとられてしまったらしい。


「今のは少しィ、危なかったですね」


「よく言うわね。それを連打してれば、私のことなんて片手間で殺せるくせに」


 ここぞと言う時まで影移動を使わなかったのは、舐めプなのか条件があるのか。前者ならクソムカつくが為す術なし、後者ならその条件に気づければワンチャンスだ。

 一応探りを入れてみるものの、野郎は肩をすくめるだけ。ちっ。


「イージーな計画になるはずが、いやはやァ……なかなかどうして上手く行かないものォ、ですね」


「仮にヴィアナ王女殿下に活性薬とやらが作用したとしても、どうせ黒竜は復活しなかったと思うわよ」


「どうしてそゥ、思われるのでェ?」


「簡単な計画程度で出てくるんじゃあ、伝説の竜が形無しだからよ」


 本当はゲームのシナリオを知っているからだが、まあこれも本心ではある。苦労せず得た結果ってのは、相当な幸運に恵まれてなきゃ、なにかしら不備を感じることが多い。そしてこのトカゲ野郎がハッピーボーイには見えない、よって黒竜は復活しませーーーん。


「やはりあなたは面白い。キンベリー・ブリギート辺境伯令嬢ゥ……」


 気持ち悪い複眼を細めるバケモノ。ふう、いい感じに息は整ってきたな。

 いくら武闘派のブリギート辺境伯家の生まれで、ぶっ壊れた治癒魔法があるとはいえ、私の体力は無尽蔵じゃない。そこそこ無理な動きをして一矢報いようとした結果、心臓がバクバク鳴ってる。


「なんとしてもここでェ、あなたを手にいれるッ!」


「目的変わってるんじゃないかしら、トカゲ怪人!」


 動いた!影移動、普通に考えれば瓦礫の影から私の影へ、だけど絶対、裏を掻いてくる。

 一瞬だけ振り向くそぶりをする。これでバカ正直に後ろから来られたらデッドエンドだが、私はここまで幾つかの策を弄してきた。ヤツは意趣返しをしてくる、その可能性に全額ベッド!


 ガァン!!

 交錯する。片や鱗の生えた固い拳骨、片や治癒魔法を纏わせた裏拳。賭けは私の勝ちだなァ、トカゲ顔!こっちが後ろ向いた瞬間、前から仕掛けてくると思ってたよ!


「死に晒しなさい!」


 カウンター気味の左ストレート。こっちには治癒魔法を

 向かって右側に流れた体をそのまま、回避されることはわかっていたからな。続いて右手の魔法も切り、腐食魔法に痛む皮膚は無視する。

 一歩踏み込み、左腕による掴みの間合いを外す。密着と言っていいほどの距離で、拳すら出ない。じゃあどうするか?額の硬さには自信があるぜェ!?


 トカゲの鼻っ面にめり込む私のヘッドバット。魔法抜きなのでダメージはたいして通らないだろうが、それでもいい。衝撃をそのままバックステップし、さっきエイリルが吹き飛ばした賊のところまで下がった。


「ハァ、ハァ、ハァ……ッ」


 転がった曲刀シミターを握り、中段に構えれば、舐め回すような視線が向けられる。

 構わず再び踏み込むが、私の基礎的な剣技では軽くいなされ、弾かれた。治癒魔法も使っていないため、完全に無駄な行動だ。


「う、ぐっ!?」


 逆に、返しのキックは私の胴に突き刺さり、衝撃はなんとか逃したものの、痛みに一瞬息がつまる。

 ガラガラガラ、ぶつかった拍子に落ちてきた瓦礫に背中を打たれ、鈍い音が身体中から響いた。

 この世界に来て、治癒魔法が自分の体に宿っていると知って以降、私にとって痛みとはのものになっていた。すぐに治せば、幻の痛みすら感じない。

 全身を包む痛み。体を動かすことが辛い。呼吸が苦しい。こんな感覚は、前世の記憶にもなかった。


「代償に首をォ、絞められましたか」


「っ……」


 コツ、コツ、倒れた私に向かって、ゆっくりと歩みを進めてくるトカゲ顔。

 治癒魔法の代償、空腹。初めて知った時はバカバカしいと思ったが、戦闘中に腹が減るのはキツい。集中力を掻き乱されるのもそうだが、大抵の場合、アドレナリンで忘れているところに一気に来るので、気づいた時には手足が動かねえ、なんてこともある。


「手こずりましたが、まァ、まだ許容範囲でしょう。傷が消えてしまった以上ゥ……利用価値は下がりますが、向こうの確保もまだァ、間に合う」


 ピタリ、野郎が足を止めた。拳も蹴りも届かない間合いから、気色悪い笑みでこちらを見つめてくる。


「なに、終わってる気に……なってるのかしら!」


 なけなしの力で、逆手に握った曲刀を突き出す。刃先には消えかけの治癒魔法を。

 しかし、ヤツはそれを、影移動で完璧に避けて見せた。ずるり、何も持たずに投げ出された左腕側に現れるトカゲ顔。


「いいえェ、終わりですとも。……さあ、あなたの体をォ、調べさせてもらいましょう!」


 かがみ込み、鱗のついた腕が伸ばされる。迫り来る死に、私が浮かべる表情は。


 ──自分でもわかるほど満面の、笑み。


「死ね」


 跳ね上げた左手でクソ野郎の首を掴んだ私は、全身全霊の治癒魔法を行使した。

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