エイリルとの夜
バラ園での昼食の後、授業まで少し時間があったため、
サロンの厨房付きの彼は、大柄で寡黙な元騎士で、王女に加えて公爵令嬢と辺境伯令嬢が料理を褒めにきたとあって恐縮していた。ちょっと申し訳ない気持ち。
そして、その日の夜。まだ慣れない寮の自室で、入浴を済ませた私の元にエイリルが訪ねてきた。
「遅い時間にごめんなさい。聞きたいことがたくさんあったものですから」
「あなたが来ることを拒むことはないわよ。ヴィー王女のことでしょ?」
サマナにホットミルクを頼み、私たちは辺境伯領の砦にあった自室より少し広い部屋の、柔らかいソファに並んで腰掛けた。
学園は国中の貴族と一部平民の中から、試験で生徒が選ばれる。そのため、合格時点で将来の活躍が期待されており、この部屋のサイズは投資という面もある。まあ、安くないので、倹約家や平民出身者は相部屋を使っているけれど。
「昨日のパーティー、ダンスの時ですわね?治癒魔法の実演を求められておりましたし……あの見事な男女パートのチェンジあたりで、魔法を使ったのですか」
「おおむね当たりよ。王女殿下の古傷に気づいたのがそのあたりね。治したのは踊った後だけど」
「古傷……それは」
「詳しくは言えないけれど、小さなものではなかったわ」
原因は聞いていない。直接見て治したわけではないので、あれが切り傷なのか、打撲骨折系なのか、火傷なのかもわからない。けれど、一国の王女が、それも溺愛されている末の子が、利き足にあれほど大きな傷を負う事件、あるいは事故。
「それは、グラスノウさんとお話ししてから、あなたが殿下と友誼を結ぶ方向に方針転換したこととも関係が?」
「それはわからないわ。あいつは王女の周りが少しきな臭いとは言ってたけど、どこの筋の情報なのかも不明だし」
私が出した断片的な情報に、エイリルはマグカップを抱えたまま考えるそぶりを見せる。
彼女は聡いし、付き合いが長い私の理解者でもある。言えない理由や、その内容についてまでも近いところまでたどり着いてくれるかもしれない。
「グラスノウさんは悪い人ではないですし、私も救われた身ですから、疑いたくはないのですが……底が見えないというか、隠し事が多すぎますわ」
「同感ね。マナリア公爵家の手勢、少し使わせてはもらえないの?私たちだけじゃ、あいつがなにを掴んでて、ヴィー殿下の周りでなにが起きるのか、予想くらいしかできないのよね」
それとなーく調査協力をお願いしてみる。うちの部下は九割前線武官で、残りの一割は国境線の向こうで諜報やってるので、王都には身内がいないのだ。辺境伯、別に王都で探りたい他の領主とかいないからな。
それが今回は痛い。グラスノウがヴィアナ王女暗殺に関する詳しい話をしてくれたとしても、人海戦術というのはなんだかんだ有効な場合が多い。頼れるものなら、親友の太い実家に頼りたいところだった。
「私を慕ってくださる方は、執事やメイド、庭師や料理人が多くて……王都に詰めているような方々は、お父様の命令しか聞かないはずですわ」
「それもそうよね。ダメ元だったから気にしないで」
身を縮こませるエイリルの肩を、ぽんぽん、と叩く。
駒、とまでは言わないけれど、諜報や影からの護衛をしてくれる協力者は欲しいところではある。でも、ないものねだりをしても仕方ないからな。
「あっ、ひとつ、心当たりを思い出しましたわ!」
顔を跳ね上げて、こちらに身を乗り出す彼女。近い。あとネグリジェに包まれたたわわな果実が腕に挟まれて絶景、じゃなくて目のやり場に困る。
「……信頼できる相手?」
桃源郷への誘惑を振り払い、咳払い。自分もホットミルクに口をつけてから、そう問うた。
「はい。私の叔父上、ニーベルン・マナリアは、王都の運輸省で官僚をしていらっしゃるのですわ。小さい頃からたくさん可愛がっていただいていますし、相談すれば力になってくれる可能性は大いにあります」
「エイリーの叔父上なら信じられるわね。となると、ヴィー王女周りの状況を、具体的な証拠がなくとも、情報収集に付き合ってもらえるだけの口実がないとね」
「それでしたら、今日の同盟のお話を使おうかと考えておりますわ。これから友誼を結ぶ相手の調査の練習として、少し無礼かもしれませんけれど、王族はぴったりですもの」
そりゃ、基本的に信用しないといけない相手だからな。王族の粗探しするとか、一歩間違えば叛意ありと捉えられかねないけど、学友間の遊びの延長線上で、人の使い方や諜報の基礎を学びたいと言えば、まあ姪に甘い人は信頼できる部下を数人貸してくれるかもわからんな。
「じゃあ、次の休みにでもお願いに行きましょう。私も行ったほうがいいかしら?」
「ベルも調査対象にして、叔父上を誤魔化す方がいいと思いますわ」
「そう。じゃあ、挨拶はまたの機会ね」
作戦会議を終えて、少しの沈黙。と言っても、気まずい静寂ではなくて、気心の知れた相手同士の心地よい静けさだ。
はあ、エイリルみたいな美少女に頭を肩に預けられて、夜の自室でホットミルク飲んでるとか、前世の私に言っても妄言を疑われるだけだな。
「ベル、あの。もう一つ、聞きたいことがありますの」
「どうぞ、なんでも聞いてちょうだい」
私にもたれかかっていた親友が、再び体を起こして、ソファの隣へ、私の方へ向き直った。
金と白の混ざり合った絹からは、石鹸のいい香り。改めてまっすぐ見つめると、やっぱり彼女はとんでもない美少女だなと、そう思う。
「ベルがグラスノウさんのことを想っていることは知っておりますし、応援したいと思っていますわ」
「待って?なんで?」
「私にはわかりますわ。彼を見るベルの瞳は、軽く潤んでいますし、ふとした瞬間に頬が緩むところもよく見かけます」
マジで???おいおいおいおいおい、マジで???
いや全然気づいてなかったが。そんなバカな。いや確かに、あいつに恋をしていることはもう嘘偽りなくなってるけどさ、なんかこう、いい感じに隠してるつもりなんだが?ヴィアナ王女といい、エイリルといい、もしかして私わかりやすい女???
「けれど、その、私。あなたがグラスノウさんを目で追っているところを見つけるたびに、モヤモヤしますの。胸の辺りが」
そう言っておっぱいの上に手を当てる美少女。やめろ、私のエイリルにやましい気持ちを抱くな。嘘、むしろ抱きたい。全然感じない(混乱)。
えっ、ていうかなに?そのモヤモヤは嫉妬とかそういう系?確かにあの男は死ぬほど顔がいいし、所作は結構堂に入ってるし、この世界を舞台にしたゲームでは主人公で、我が親友ちゃんはヒロインらしいんだけど。え?なに?現実でもフラグ立ってたの?いつ?
「……ベル」
心なしか頬が紅潮しているエイリル。エロい。でも興奮しない。しろよ。
「私、あなたが殿方のものになってしまうのが寂しい、というか……イヤなのかも、しれませんわ」
え???そっち???グラスノウじゃなくて私???ちょっと待って、ほんと、タンマ。
頭が追いついてない。エイリルは可愛い。超可愛い、正直好き。でもこれはなんだろう、推しへの感情?一方的なファンの感情っていうか、見返りは必要なくて、エイリルには普通に友達だと思われてる前提っていうか、もっというと体と心が乖離してるから恋愛感情を抱きたいのに抱けない複雑な事情が!!
「ねえ、ベル」
近い!!
膝に手を置かれて、髪の毛の匂いが鼻腔をくすぐって、潤んだ瞳とふっくらした唇がすごく、顔の近くに迫ってる。やばい、顔が良すぎる。でもえっちな気持ちにはならねえ!なんで!?お腹熱くならない。体の感覚が敏感になってる気配、ナシ!
キレそう。
「私にも、あなたの愛を……いただけない、でしょうか」
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
殺せ。
「ごめんなさい」
そっと、頬に触れて。
私は軽く、本当に軽いキスを、彼女の額に落とした。
「エイリーのことは大好きよ。この世界で一番の……友達だと、思ってるわ」
「…………」
「本当は、本当はね、あなたを愛してしまいたいの。こんなに近くにいる大切な女の子を、私のパートナーにできたら、きっと幸せよね。でも、でもね」
たぶん、すごくひどいことを言っている。
親友を弄んで、傷つけている。俺なんかが、クソ。
「私の体が、思うようにあなたを愛そうとしてくれないの」
何言ってんだ。意味わかんねえだろ、他人が聞いても。
ああ、ほんとに、美少女に生まれ変わりたかったけど、こんなふうに作り変えて欲しいなんて、頼んじゃいないのに。
「……貴族として正しいのは、ベルの方ですわ」
「立場なんて関係ない。悪いのは、私自身なのよ」
すっ、と体を引いて、エイリルは立ち上がった。
もう遅いからと、自室へと戻っていった彼女の眦に見えたとうめいな雫を、私はそれから、何日も夢に見た。
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