治癒魔法、すごい(1)
失意のままに眠りについた
今日からもう満員電車に揺られる必要はないし、仕事の締め切りに怯える必要もない。そう考えると少し、気分が上がった。
「おはよう」
不寝番を務めてくれていた騎士に声を掛ければ、彼は驚いて肩を跳ねさせた。
「おはようございます、お嬢様。本日は随分とお早いお目覚めですが、昨夜はよく眠れましたでしょうか?」
「ええ。よく眠れたわ……それと、そんなに畏まらないでいいわ。敬語は使ってもらわないといけないけれど、あまり丁寧にされすぎても、かえって面倒よ」
「は、はあ。しかし」
「これは命令よ。同僚にも伝えなさい」
辺境伯令嬢キンベリーとして生きることは決めたし、記憶にある彼女の口調、仕草をできるだけ継続していくつもりはある。
けれど、生きた時間としては平凡な日本人としての人生が長いため、あまり堅苦しい敬語で対応されると、こっちの方が疲れるのだ。
「かしこまり……わかりました」
「それでいいわ」
とりあえず風呂だ。昨夜はそのまま眠ってしまったから、お湯で体を綺麗にしたい。
この世界には、日本と同じく湯浴みの文化があるようだ。記憶の中の私も、侍女の手で体を洗われていた。
前世で見た異世界モノの作品の中には、そもそも風呂がなかったり、あっても貴族しか入れなかったり(まあ私貴族だけど)と、色々制限があるものも多かった。
それらと比べれば、風呂文化が広まっているこの世界は、現代日本出身者としてはとてもありがたい。
「火」
散歩感覚で屋敷の裏手に回り、炉に焚べられていた薪に魔法で火をつける。
この体で薪を運ぶのは難しいので、今炉の中にある薪が燃え尽きるまでに十分なお湯が沸いてくれることを祈るばかりだ。
屋敷の中に戻り、風呂場で無造作に服を脱ぐ。
やっぱり自分の体には全然興奮せず、胸を触っても特に何も感じない。
ため息をついて、ちょっとした銭湯くらいのサイズがある、我が家の風呂へと入ろうとしたところで、
「お、お嬢様!?なにをなさっておいでなのですか!?」
メイド長にバレた。ちっ。
叩き起こされたのであろうメイドたちによって、私の体は隅々まで洗われた。
薪が足されて、ゆっくりと浴槽に体を預けることはできたものの、他人に体を洗われる、しかも大所帯でとなると、やはり気苦労の方が大きく、私の心休まるお風呂タイムは露と消えた。
「お嬢様、湯浴みに行かれる際は侍女を呼んでくださいませ。お一人で行かれるのは危のうございます」
「私、もう十四なのだけれど。お風呂で溺れるなんてこと、しないわ」
「お言葉ですが、他にも湯浴みにはたくさんの危険が……」
口うるさいメイド長。前世の記憶が戻る前の私は、世話をされることが当然であり、指図はしても奉仕を拒否することは滅多にない、典型的な貴族令嬢だった。
それと比べて、これからは結構反抗的になると思うので、メイド長にはすまんって感じだ。
風呂上がりには、いつも通り肌に乳液と化粧水をつけてもらったのだが、ここで私は一つ思いついた。
そう、スキンケアに治癒魔法を使うのはどうだろうか、と。
「お嬢様!?なにをなさっているのですか!?」
「うん?治癒魔法だけれど」
「どこかお怪我をなされたのですか!?私がついていながら、どのように責任をとればいいやら」
「違うわよ。お肌の手入れに治癒魔法が使えないか試してみただけ」
実際、魔法の効果はてきめんだった。
元々きめ細かく美しい私の肌ではあるが、乳液を染み込ませた後の色艶が、普段とは数段違う。
「あなたにもしてあげましょうか?」
「そのような恐れ多いこと……」
「実験みたいなものよ。ほら、目を瞑りなさい」
遠慮するメイド長の肌に触れ、綺麗になれ、と念じると、自分の肌に使った時より手のひらから感じる手応えが大きかった。
私が手を離すと、年齢からくるシミや小皺がすっかりなくなって、ハリを取り戻したメイド長の肌。
「綺麗になったわよ」
「そんな……!ありがとうございます、お嬢様!!」
さっきまで口うるさく私にお説教をしていた彼女も、この変化にはたまらず、何度も何度も手鏡を見て顔を綻ばせていた。
その後も、私は屋敷中を歩いて、庭師の腰を治したり、護衛騎士の古傷を治したり、メイドの擦り傷を治したりと、半日治癒魔法を使いっぱなしにしてみた。
これは、治癒魔法の代償や限界を知るという目的がメインだったが、変わってしまった私として、使用人たちと会話をする機会が欲しかったというのもある。
結果、多くの使用人たちに感謝され、私の負担は全くないという、不気味なほど完璧な成果が出た。
「これ……ちょっとチートじみてるわ」
肉体的な負担は全くない。歩いたことで発生した疲労にも、治癒魔法が効果を及ぼすことがわかったため、正真正銘疲労ゼロだ。
魔力的なものを使っているのか使っていないのかわからないのは難点だが、とにかく精神的な疲れもゼロ。
間違いなくぶっ壊れ。ゲームのスキルだったらナーフ確定だ。現実でよかったー。いいのか?
まあ、みんな笑顔になったしいいだろ。治癒魔法、すごい。
「ベル」
「お母様。お呼びでしょうか」
「夕方にはお父様がお帰りになられるそうよ。準備しておきなさい」
「はい」
私の父、ブリギート辺境伯は、軍の司令官として、国境の砦に詰めている。
屋敷からだと馬で一日と少しかかる距離なので、私の治癒魔法覚醒の一報を聞いて、すぐさま帰ってくるとしても早すぎる。
しかし、私には娘としての記憶があるので、疑問はなかった。
それより、身支度と所作のおさらいをしなければ。
お母様にはバレてしまったが、お父様にまでキンベリーの中身が変わってしまったことがバレるわけにはいかない。
こうして私は、着々と聖女としての道を歩み始めたのだった。
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