02 慶応三年十二月七日、天満屋事件

「中岡くうん、中岡くうん!」


 公家・岩倉具視いわくらともみは京の町を走っていた。

 中岡慎太郎、遭難(この場合、なんうという意味)。

 その報を聞き、一も二もなく岩倉は走った。



 かつて──岩倉具視は、和宮降嫁などの公武合体策を推し進めたとして、朝廷から蟄居ちっきょを命じられていた。

 紆余曲折あって、岩倉村に幽棲ゆうせいすることになった岩倉だが、そこを訪ねて来たのが土佐藩浪士・中岡慎太郎である。


「岩倉卿、僕に何でも言って下され」


 慎太郎は当時、長州藩と四ヶ国艦隊(英米仏蘭)の下関戦争を目の当たりにして、攘夷から開国に主義を変えた。

 このままでは欧米列強に、この国は食われてしまうと悟ったからだ。

 そのため、長州や薩摩といった雄藩同士が手を組み、富国強兵を成し遂げるべきであり、それを妨げる幕府は倒すべきであると考えた。

 そこから、朝廷政策の必要を感じ、岩倉具視に目をつけた。


「……最初は、アクの強いお方と聞いて、遠慮していたきに」


 慎太郎はつつみ隠さずに、岩倉に隔意を抱いていたことを告げた。

 そして岩倉も、怪しげな浪士だと思っていたと言うと、慎太郎は笑った。

 その何とも明るい笑顔に、岩倉は好感を持った。

 気づくと二人は意気投合し、この国を作り直すために、何ごとでもしてやろう、何でもできる、と大いに語り合った。

 それが。



「何でや? 何でこないなことになってん?」


 岩倉具視は、手当を受け、横たえられた中岡慎太郎の前で慨歎がいたんした。

 この時、慎太郎はまだ生きていたが、医師の見立てでは、そう長くないと告げられていた。

 岩倉も当然それを聞いており、その時岩倉は「何物の凶豎きょうじゅ(悪人のこと)ぞ、我が両腕を奪い去る」とおのれの心情を吐露したという。


「岩倉卿、申し訳ない」


 僕の過ちミステイクですと、慎太郎はすまなそうに言った。


「何を言うんや。中岡くんはちっとも間違っておらん。何を言うんや」


「しかし……


 その慎太郎の言に、岩倉は気づくものがあった。


「中岡くん。もしや……麿まろに、何か伝えたいことがあったんやないか?」


「察しが良くて助かります」


 何しろこの大怪我おおけがではしゃべるのも億劫おっくうなもので、と慎太郎は照れくさそうに笑った。

 そして慎太郎が言うには、元々、を竜馬を話すために近江屋に立ち寄ったらしい。


て、何や」


「紀州のことです」


「…………」


 当時、幕末のきわきわにあり、大政奉還こそ成されたものの、いわゆる佐幕――旧幕府寄りの勢力を、いかにぎょしていくかというのが、倒幕――維新側の人々にとっての焦眉の急であった。

 そして紀州とは、言わずもがな紀州藩のことであり、徳川幕府親藩である紀州藩は、第二次長州征伐では一翼をにない、佐幕の筆頭と捉えられていた。

 その紀州藩が、兵を率いて上洛し、徳川幕府の復権を狙っているというのが、もっぱらのうわさだった。

 証拠として、紀州藩要人の三浦休太郎が上洛しており、その三浦が大垣藩の井田五蔵らと何らかの相談をしているという情報があった。

 この「相談」の内容こそ、紀州藩の率兵上洛だというのである。

 大垣藩の井田五蔵は、大垣藩砲術教授方を務めた、いわば軍人であることも傍証とされた。


「これを牽制する策を思いつきました。僕は――竜馬の協力を仰いで、それから、岩倉卿に……」


 ここで慎太郎の発言が一時、途絶えた。

 傷が、さわるらしい。

 岩倉がもう話さなくてもよいと手ぶりで示すが、慎太郎は謝しながらも話をつづけた。


「……失敬、僕は思いついたのです。思い出したのです。竜馬の海援隊が、紀州とを起こしていたのを」


 坂本竜馬率いる海援隊は、かつて、紀州藩の船と衝突事故を起こしたことがある。

 それは「いろは丸沈没事件」と呼ばれ、簡単に言うと、海援隊の船・いろは丸と紀州藩の船・明光丸が衝突事故を起こし、紀州藩が多額の賠償金(およそ八万両)を竜馬に払わされた事件である。


「このいろは丸の事件ことで、紀州藩は龍馬を恨んでいる。それを利用します」


 慎太郎は語る。

 紀州藩を策を。

 紀州藩の三浦休太郎こそは、その「いろは丸沈没事件」における紀州藩側の代表であり、ちょうど近江屋事件の一週間前に賠償金を土佐藩に渡したばかりである。


「ほンなら、話ィれるが、君と坂本くんを斬ったのォは、三浦が下手人げしゅにんか」


「ちがうと思います。竜馬を狙うのなら、賠償金かねを払う前、あるいは事件の交渉中でしょう……竜馬を狙うのなら」


 その含みを持たせた言い方に、岩倉は察する。

 紀州藩が竜馬を狙うのなら、時機を失している。

 竜馬を狙うのなら。


 ……ならば、慎太郎を狙うのなら「今」ではないだろうか。

 そして慎太郎が思いつき、準備していたのは紀州についてである。

 その相談を受けていた竜馬。

 そこを襲った刺客。

 咄嗟に、竜馬は気づいて、守ったのではないか。

 刺客から、慎太郎を。

 だから竜馬は前頭部に傷を負い。

 逃がされた慎太郎は、だが追いつかれて後頭部を斬られた。

 つまり、近江屋事件の刺客とその黒幕というのは……。


「その想像はきましょう、岩倉卿。今は時が惜しい」


「お、おう」


 たしかに、慎太郎の命旦夕めいたんせきに迫る中、そのようなことにかかずらわっている暇はない。

 今は、慎太郎の残す言葉を聞こう。

 最期の、残す言葉を。


「とにかく、紀州藩を押さえんことには、京から始める維新回天の業は、進まない。ゆえに僕は──まず、紀州藩公用人・三浦休太郎を襲うことにしました」


「そ、それは」


 竜馬との敵討ちではないのか、と言いかけて岩倉は止めた。

 慎太郎がそれを思いついたのは、近江屋の事件の前だ。

  

「落ち着いてください」


 はあはあと荒い息遣いの慎太郎。

 落ち着けと言いたいのはこちらの方だと岩倉は思った。


「僕が言ったのは、三浦休太郎をであって、、ではありません」


 そこで慎太郎は語る。

 それはあの夜の近江屋で、慎太郎が竜馬に語ったことと、ほぼ同じである。

 まず、三浦を襲う。

 三浦は親藩紀州徳川家の要人であるから、それ相応の護衛が付くだろう。

 だからそれは失敗に終わるだろう。


「おそらく護衛は、京都守護職・会津を通して、新撰組あたりかと、それが三浦の宿──天満屋に」


「天満屋……たしか油小路あぶらこうじの、旅籠はたごやったか」


 油小路。

 それは──新撰組が、新撰組とたもとを分かった御陵衛士ごりょうえじ・伊東甲子太郎らと争った、油小路事件で有名となる小路である。


「岩倉卿。は、すでに人選を済んでおります。海援隊、陸奥陽之助むつようのすけ。彼にはあたってもらいます」


 のちの外務大臣・陸奥宗光むつむねみつは、この時、海援隊に所属していた。

 そして彼は、紀州藩の出身であった。


「紀州藩の三浦を襲うのに、これほどうってつけの人材はいません。それに、目端めはしが利く。襲うだけで済ませるのには、最適かと」


「襲うだけ」


 岩倉はそこを強調した。

 何となく、話が読めて来た。

 つまりこれは――天満屋で起こす事件ことは、陽動。釣りだ。


「そう。襲うだけです。それから……」



 二日後。

 慶応三年十一月十七日。

 中岡慎太郎、死す。

 享年、三十歳。

 ただその死に顔は、安らかであった。

 まるで何かの使命を果たした、そんな顔であった。


「あとは、任しとき」


 翌十一月十八日の葬儀に駆けつけた岩倉具視は、棺の慎太郎にそう声をかけ、少し泣き、そして去って行ったという。

 ……陰謀渦巻く、冬の京へと向かって。



 そして慶応三年十二月七日、夜。

 京、油小路――天満屋。

 紀州藩公用人・三浦休太郎、襲撃さる。

 その知らせに、紀州藩は色めき立った。


「下手人は――土佐の、海援隊だと」


 三浦休太郎は会津藩に要請し、新撰組の斎藤一らに護衛されていたが、その斎藤らを慰労するためか、三浦はこの日の夜、酒宴を張った。

 これが仇となり、海援隊・陸奥陽之助らに急襲される。

 酒宴の最中ということもあって、新撰組の面々は後手になり、防戦一方であったが、三浦の命は守った。

 そして新撰組・紀州藩の応援が来て、陸奥らが逃げ去っていった……というのが、この襲撃、つまり天満屋事件の大まかなところである。

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