第10話 影歴史

ためらいがちに西条先生は語りだしました。


「あなた方、戊辰戦争はご存知ですな。民谷くんは私に調べた結果を教えてくれました。

実は、あの時代ひどい混乱と残虐非道な行為が横行してましてな、

お城があって周辺は城下町として繁栄してましたが

一本道を奥に入れば

野盗に、かどわかし、非人扱いの者たちの住む裏町が当然ありました」


「ハイ」


「あのアパートのある川沿い周辺は、元々はただの原野で、ゴミ捨て場のような状態だったのですが城下町が繁栄するにつれてポツリポツリと貧しい者たちが日々の食い扶持ぶちのため

少しずつ集まってバラック小屋を建てて今で言うホームレスの集団のように、

いつの間にか部落が出来て勝手に原野を整地したり畑を作ったりして暮らしておりました」


「・・・」


「そのうち城下町で死人が出ると幕府も、いくばくかの金をやり

部落の者達に火葬場の管理を任せようという事になって、

その代わり周辺地域での生活と原野開拓も役人にとがめられる事もなく、ある程度認められておったのです。


火葬場といっても粗末な台座に石を敷き詰め処理するものでしたが

当時は、ふいの刃傷沙汰にんじょうざたで死人がでたり

行き倒れや謎の病気で亡くなる人も多かったので

特に葬式代を支払う者が誰も居ない死体の処理に重宝されていたと

無乗庵に残る古文書に記録が残っております。


要は厄介な死体を運び込んで最低な焼却料で済ますことのできる

町人たちにとっては罪悪感もなく呪いや祟りの心配もない

安く済む死体処分場が出来たのです。


しかし部落の者たちにしてみれば住む場所や畑が確保でき

死体が身につけていた小物や刀など余録よろくもあるため

独特な苦労は、あったものの粛々と役目をこなしておったそうです。


しかし段々と戦争が進むにつれ社会不安に伴った事件が頻発して

末端の人々は毎日いつどこで事件が起こってもおかしくない

危険と隣り合わせの生活。


やがて破れかぶれになった侍や浪人たちとのいざこざや

盗賊に成り下がる者たちが切り捨てた者、ひどい目に遭って

絶望し自害する者など様々


毎日のように死体が街に転がるようになり

困った町人たちが連日、昼夜問わず部落の火葬場周辺に勝手に死体を捨てるようになり

部落では、ずっと火葬の火が消えることが、なくなるほどになっておりました。


そのうち毎月、火葬代を決まった額、支払っていた幕府や町も戦争のどさくさに巻き込まれ

部落の管理も曖昧となり顔見知りだった役人達まで逃げたり殺されたりして


本格的に政府軍が乗り込んでくると死体の量は何倍にも増え

困った町人たちは次々、部落に死体を捨てていき、

しまいには大きな馬、犬、猫のたぐいから

生ゴミなども捨てられるようになり


あの川沿いに死体の山がいくつも、いくつも連なり、

焼却も間に合わなくなって

火葬場の者たちも部落をすてて近隣の山に逃げ出す者たちが続出。


やがて腐りだした死体の匂いが風で運ばれ周辺のみならず隣町まで臭くて住めなくなる程のひどい有様だったそうです。


そして部落を中心に伝染病が流行りだし、当時の政府軍が事態を重く見て

軍隊も動員し街の豪商たちが集められ燃えるゴミや油、材木などをあつめさせ

人も畜生もまぜこぜに積み上げられた死体の山をそのまま焼却をはじめましてな


そこで、ようやく部落に残った者たちにも政府軍から幾ばくかの賃金が支払われ

遅ればせながら病気や怪我、煙と闘い、火事を起こさぬよう

幾日もかけて人と畜生たちを荼毘だびしたのそうです・・・・


ただ、そこまでの間は手がまわらなかった遺体は、ただ穴に埋められているらしいのですが


川沿いに大きな穴を何個も掘り、ごちゃまぜになった死体をまとめて

埋め周辺を消毒したのだそうです。


ですから、あのアパート周辺の土地には

恐らく、その死体の遺骨が大量に何箇所にも渡って埋められたままになっているのです・・・


そうして私を訪ねてきた民谷くんは、そこまで話すと


『詳しいことは、このカバンの中に入ってるよ』


そう言ってカバンを残し、帰って行ったのです、わかりますかな、

おふたり・・・・」


聞く所によるとカバンの中にはノートが一冊と写真が30枚程度入っていたそうです。


しかし西条先生は写真を何枚か確認すると

無乗庵の周辺に黒い人影が立っている写真、

空き地の空中に煙や蛇のような光跡を残している人魂のようなのが

写っていて気味が悪くなり見るのをやめたそうです。


 その翌朝、西条先生の元に学校の教師仲間から電話があり、

火の気のないところから出火して民谷先生の実家が火事で焼け落ち焼け跡から彼の遺体が発見されたという知らせでした。


 その、お葬式は学校の関係者と実家のあった町内会の人間が中心となり、しめやかに終わったのだそうです。


 葬式より何日か経った頃から今度は西条先生が毎晩、悪夢でうなされるようになりましたが心配をかけたくないので奥様や学校の同僚には黙っていました。


 夢に、あの土地が出現して、そこに亡くなった民谷先生が立っており

まるで生きている人間のように


『おいで、おいで』と手招きを、いつまでも繰り返すのだそうです。


『ただの夢じゃないな』


そう思った西条先生は

民谷先生が置いて行った鞄をもって聞いていた無乗庵に向かい、ご住職に色々と相談して一緒に定期的に供養を始めたそうです。


彼の置き土産、カバンとノート・写真は住職様の手でお焚き上げ供養されました。



しきと尾形君は、あまりの凄まじい話に言葉を失い唖然としておりました。


「その後、夢は見なくなったのでしょうか」私は西条先生に聞きました。


「あはは見ますよ・・・今でも時々・・・ですが夢ですからなぁ・・・

私たちに出来ることは、実直に生きることです、もちろん亡くなった方たちを忘れないようにです・・・」


 悪夢のような古い時代の出来事から、かなり時が経っていても

未だにそのような死人が出るほどの祟があるので、

当時の住職様が市役所に出向き、なんとかならないかと相談したところ


市の会議の結果、区画整理推進で、その火葬場跡を本格的に供養をして公園にする、という名目で予算が組まれたのだそうで、それは1970年代の出来事でした。


 ところが市役所では火葬場跡を特定して、その場所のみの整地と公園化だけが計画されており、肝心の骨が埋められている並びの場所については何も計画されていませんでした。


 もちろん住職様は事情を説明して計画の追加などをお願いしたらしいのですが

古い地図には『火葬場』と記載があるものの周辺の土地には卍のマークがされており整地するのは火葬場の一角だけだと決まってしまいました。


 もちろんそれでも何もしないよりは良いのかもしれませんが火葬場跡の地面には、おそらく何も埋まってはいないのです。


遺骨は、あのアパート周辺の地面に埋まっているのです。


 細心の注意を払い連日、お経を上げて整地作業が進んでいき、したる事故などもなく、公園は完成しました。


 その時の様子は西条先生も見知っており話はスムーズに進みましたが

問題は公園が出来てから起きたのだそうです。


 まず公園にはブランコがありましたが、そこで首吊り自殺が発生しました。


公園のベンチには酒の空きカップが置いてあり覚悟の自殺だったようです。


亡くなられたのは近所の住人男性でした。


 近所の人達は噂話で元からその土地周辺は忌地だと知っており自分の子供たちを公園で遊ばせることは、まずありませんでした。


 それと公園建設に携わった役人と建築業者の癒着が発覚して問題となり不正は消えることなく

議会の議題に上り、市の予算の無駄使いだと凶弾されて使用された金額の補填を求めて

元に戻さないのなら訴えると市民団体が騒ぎ出したのです。


 その時ある事、無い事が噂され最初に陳情に行った住職様にも随分迷惑がかかり

疑いが綺麗に晴れることもなく住職様は、それが原因で病に伏されてしまい数年後、お亡くなりになられたということでした。


 そして、どこでどういう折り合いになったのか忌地の端の方の一角の土地が売りに出され、

それを不正補填に当てることになりましたが、

どこの不動産会社も個人も購入する人が現れず

少しずつ値段が下げられても何年も売れることはなかったのだそうです。


 どうやら、あのアパートが建てられた経緯いきさつたたりの本質が見えてきました。

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