第9話 邂逅
「さて、あなた方の調査は、どこまで進みましたか」
「はい、まだ地図を
『郷土史・
「そうですか、それは貴方達にとっては大変良いところに、いらっしゃっていると思いますよ、ははは、
しかし何ですな時代の進歩、地図もこんなに簡単に写真で撮りさえすれば良いのですなぁ・・・
私も息子や孫にスマホンの一つも教えてもらわなければなりませんねぇ・・・」
サイコパス尾形君が余計な発言をしました。
「先生、スマホンじゃなくてスマホと呼ぶんですよ」
私は焦りました。
「こらっスマホンだって間違いじゃないよ、ねぇ西条先生」
「はは漫才みたいですな、あなた方、ははは、ところで尾形さん、その顔一体何があったんですか・・・」
生傷とまだ少しパンダ顔のO君です。
「あ、これは・・チョット貧血で倒れまして」
「元々そのような体質でらっしゃるのですか?」
「いいえ」
「いや随分昔になりますが、あの土地を調べていた友人が、やっぱりそんな顔で過ごしていた時が、ありましたよ・・・」
西条先生は順を追って話を始めてくださいました。
若き日の先生は将来、大学の教授になるのが夢だったそうです。
「ところが東京の大学に通うほどの学力も財もありませんでなぁ、そんな矢先、若気の
「ひょっとして、それが今の奥様でらっしゃいますか?」
「ははは、お恥ずかしい・・・」
一人娘の奥様の家に婿養子となって入籍し流れもあって高校の教師になられたのだそうです。
私のようなダメ人間と違って羨ましい話です。
そして当時の学校の同僚に美術を教えていた
民谷先生は趣味で
彼に妖怪のことや柳田国男の民俗学考察・泉鏡花・内田百間・岡本綺堂・ラフカディオハーンの文芸作品を勧められて、
すっかり影響を受けてしまったのだそうです。
そして、あのアパートのある土地について最初に色々聞き込んで調べだしたのは
その民谷先生が最初だったのだそうです。
1969年 西条先生は高校の教師になって同時期に民谷先生も就任。
同期ということだけでなく馬が合った二人は急速に親しくなっていき
西条先生が結婚されてからも民谷先生は良く家には出入りしていて、まるで家族の一員のように、お付き合いされていたのだそうです。
「おーい、こんにちわぁー」
「あら、いらっしゃいませ、主人が、お待ちかねですよ」
「あはは、これ奥さん」
「まぁ立派な鮭、いいんですかあ?お菓子まで・・・」
「はい今晩これで焼き魚や、お握り、お願いできますか?」
「あら、泊まっていくつもりですね、もう・・・」
「はぁ、いつもすいません、お二人の邪魔をしまして、ただ、これでもマダ遠慮している方ですがね」
「まぁ!あはははは」
「いや、ははははは」
「おーい何やってるー?早く上がれータミヤぁー」
西条先生は懐かしそうに話します。
「なんて感じでね、もう昔の事ですが・・・」
民谷先生は流石に日曜日などは遠慮していたようですが週末や学校が休みの時は子供達みんなも含めて一緒に出かけたり、
お互いどちらかの家にこもって酒を飲みながら新しく入手した怪談物の本について語り合ったりして過ごしたそうです。
当時、世の中は景気が良く200海里制限もされていない時代、漁業関連事業も盛況、
日本中で公共事業が始まりベビーブームの流れで団地がたくさん建設されたり
カラーテレビが普及し始めたりイベントなども連続で開催され社会全体が浮かれ気味の世の中でした。
「これが当時、民谷くんと撮った写真です」
学校の美術室らしい場所で若き日の西条先生と民谷先生が笑っていました。
「最近、気がついたのですが、この窓のところに人の顔が写っています」
私は興味深く見てみると確かに先生が差す指の先にある窓のところに明らかな人の顔がありました。
「ホントだ、これは完璧に人の顔ですね、はい尾形君」
写真を渡します。
「おーハッキリ」
そして西条先生が民谷先生から聞いた話を私たちに教えてくださいました。
その頃から民谷先生は趣味で、あの川沿い一帯の土地について調べ始めていました。
きっかけは学校が休みの日に離れた場所にある、お城の見学に行って今も面影がある通りを歩いて城下町を想像しながら、ぶらぶらと散策していたのだそうです。
すると一本の川に、ぶち当たりました。
川っペリには草が生え放題の横幅15メートル長さ400メートル程の土地があり、
当時まだ未舗装の車道があって向かい側に歩道と住宅地が広がっていました。
その川沿いの通りを歩道添いに歩き進むと歩行者を邪魔するかのような不自然に立つ大きな柳の木があって木の足元にお地蔵様が祀られた小屋に近いような祠がありました。
昼間でも薄暗く感じる柳の木周辺の写真を民谷先生は自慢のライカ・カメラで撮影していると、
すぐそばに
『○○宗
入りました。
失礼かとは思いながら民谷先生は、その無乗庵の敷地に入っていき
玄関を開けようとしましたが
鍵が掛かっており誰もいない様子で周辺の写真を撮って庵を後にしたのだそうです。
「残念ですが民谷くんが撮った、その写真は、もう残っておりません」
民谷先生は、もう一度、歩道に戻ってお地蔵さまの
大小様々な、お地蔵さまがいらっしゃって頭巾やよだれかけなども着用しており何やら、
お経の書かれたタスキを掛けていらっしゃるのも見られたそうです。
興味深く拝見しているあいだも、そこの道を歩く者は誰もおらず、その周辺一帯だけが世の中から隔てられた場所だということに民谷先生は気がついたそうです。
なぜ、こんなに淋しい感じなのか改めて周囲を見てみると空き地が目立ち民家も平屋の一軒家や長屋がポツリポツリ建っているだけでした。
当時そこから徒歩15分のところには大きなデパートが建っており追随するように周辺には商業ビル施設が集まって大変賑わっているというのに、やはり川沿い一帯は開発もされずに静かな原野のままでした。
興味を持った民谷先生は無乗庵の管理者であろう、
お寺に連絡をして
高校教師であり授業の一環で郷土史を調べているので是非、ご協力頂けないかと申し出て色々と伺ったのだそうです。
その頃、西条先生は子育ても忙しくなっており家族サービスもせねばならず民谷先生がそういう調査をしていることは、ほとんど知らされていなかったのだそうです。
学校で顔を合わせても
「今度ゆっくり話す」と言ってプライベートも忙しそうでした。
西条先生は後に知ったのですが、その頃、民谷先生の実家は干し海産物と酒を販売している会社をされていたのだそうですが
身内の方々が次々に倒れて亡くなり病人も出て大変なことになっていたそうです。
学校では皆に知らせないで欲しいと伝えていたそうですが、
さすがに学校を休んでばかりいたので
西条先生にだけは真実を伝えに、
ある日、民谷先生はやってきたのだそうです。
話によると無乗庵では、あの土地一体の供養を昔からずっと続けているのだそうで歴史は、かるく幕末時代まで
そこは市役所も把握している街で一番の
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