第41話 ◇祈りの代償

 双獣戦の七日後。

 俺と父さんは家の前にいた。


 朝食を家族四人で済ませ、これから第六鬼門の最深部へと向かおうとしていた。

 そんな俺たちを送り出すために

 母さんとルナの姿もあった。


「ローちゃん、おいで」


「うん」


 母さんは両手を広げながら、いつものように俺へとハグを求めてきた。この習慣は、俺が父さんと狩りを始めた時から始まった。


 俺が狩りをする事に対して、母さんは二つの条件を出した。


 父さんと一緒に行く事。


 狩りの前は必ず。

 母さんの気が済むまで抱擁を交わす事。


 その条件を素直に呑んだ俺は、今日も家の前で気恥ずかしさと温かい愛情を感じながらハグをしていた。


「母さん、今日はいつもより長いね」


「たまには長くてもいいでしょ? あと少しだけ、このままでいさせてちょうだいね」



 母さんにハグをされると、身も心も温まっていくのを強く感じる。


 それは物理的に母さんの体温を感じているのと、目には見えない愛情を心で感じているからだと思っていた。


 しかし。


 いつもより長いハグからはそれ以外の何かがあるのではないか、と俺が違和感を覚え始めた時――


「もう、いいわよ。さあ、今日も安全第一に気をつけて行ってくるのよ」


「うん、行ってくるよ」


 母さんの両腕から力が抜けていき、いつもより長かった今日のハグが終わった。


 それと同時に、俺は感じていた違和感から母さんの方へと意識を戻し、いつもと同じような会話を交わしていく。

 すると。


「お兄ちゃん、私のこと忘れてないよね?」


「もちろん、忘れてないよ」


 少し拗ねた声で妹のルナが俺へと声をかけてきた。そんなルナの頭を俺は優しく撫でながら返事をした。


 狩りの日はいつも母さんとのハグを終えると、一緒にお見送りへと来てくれたルナの頭を優しく撫でながら、会話を交わすのが習慣となっていた。


「ほんとかな~お兄ちゃんは剣とか、狩りが忙しかったとか言って、よくルナのことを忘れるくせにぃ~」


 下の方を向きながら頭を撫でられるルナから今日も小言が飛んでくる。


 8歳となったルナは以前よりも口が達者となり、俺の事を『おにぃ』ではなく『お兄ちゃん』と呼ぶようになった。ちょうど、その頃から少しずつ毒を吐くようにもなった。


 俺が死鬼霊剣の育成を初めてから妹を構う時間が減っていき、その不満がルナの口から毒となって吐き出されている。



「うん、もういいよ。お兄ちゃん、今日も気をつけていってくるんだよ。お母さんと一緒に待ってるからね。おと~さん、お兄ちゃんのこと頼んだよ」


「あぁ、任せろ。何かあればローグを担いででもすぐに戻ってくるさ」


 いつもと変わらない日常。

 その中に潜む違和感。


 俺はその事に気づくことなく、第六鬼門の最深部へと向かってしまった。


 だから、俺と父さんを見送る母さんの表情と、ルナの眼が一時的に黒から紫色へと変色している事に気づけなかった。




 ◇◇◇




 第六鬼門の最深部へと向かう途中、俺は死鬼霊剣へと意識を向けていた。


 ――――――――――――――――――――


【剣名】死鬼霊剣〈漆〉

【剣質】良質な銀剣

【段階】漆

【解放】五


『能力一覧』 『進段状況』


 ――――――――――――――――――――



 憑鬼虎と憑鬼熊を討伐後。

 死鬼霊剣は新たな強化素材として、憑鬼虎の銀牙と憑鬼熊の銀爪を求めた。


 それに従い。


 死鬼霊剣へと二つの強化素材を吸収させると、鋼剣から銀剣へと進化をした。


 これによって、死鬼霊剣の【段階】は陸→漆へと変わり、剣が七回目の進化を遂げたことが把握できる。


 今回の注目すべき点は、銀だ。


 銀とは、ゼクス側で別名ミスリルと呼ばれている貴重な鉱石だ。ミスリルが注目される理由は、その特徴的な性質からだ。


 それは他の鉱物と比べて魔法の耐性と伝達性が高い事。そういった意味では、世間から『魔法銀』などとも呼ばれている。


 魔法銀。


 その言葉を思い浮かべると、死鬼霊剣にも魔法のようなモノがあるのではないかと胸を膨らませてしまう。


 父さんと同じ、魔剣士。


 そんな期待がある銀剣を強くするには、これから戦う鬼の存在は避けられない。



 ――――――――――――――――――――


『進段状況』


〈討伐〉

 ・虎熊童子 (0 / 1)


〈吸収素材〉

 ・銀『吸収率100%』


〈熟練度〉

 ・剣技(900 / 900)


 ――――――――――――――――――――



 虎熊童子。

 第六鬼門の最深部にいる鬼だ。


 討伐条件数があの双獣よりも少ない事からヤバい相手だと想像がつく。そして、何よりも俺の父さんが勝てなかった怪物だ。


 正直、勝てるか不安だ。


 だけど、この数日間で煩悩の同時発動を練習して精度を上げてきた。


 今なら三つの煩悩をより正確に操ることができ、あの双獣をも瞬殺できる程の力と自信を持っている。


 それに俺の弱点だった未発達な体も、欲の煩悩で筋肉や骨などを部分的強化することで補える様になった。


 そのお陰で。


 今まで以上に怒と乱の力を引き出すことができる。成長を求めて初めてやった時でも、あの憑鬼虎を一振りで倒せたんだ。


 それ以上の力が発揮できる。


 今の俺なら、父さんでも無理だった怪物に勝てるかもしれない。俺はそんな願望と共に第六鬼門の最深部へと足を踏み入れた。


 ――《五蓋装衣》――


「ローグ、少し待ってくれ」


「ん? いいけど」


 俺が戦闘態勢となり、五蓋の装衣を全身に纏うと父さんから静止の声が掛かった。俺はそれに従いながら、第六鬼門の最深部中央にいる鬼へと視線を向けていた。


 虎熊童子。


 その見た目は、第三鬼門の美少年な小鬼が逞しい成長を遂げた姿だった。灰色の肌と頭にある二本の角は前と変わらず、身長が3メートル以上に伸びていた。


 その姿から。


 この小鬼は、五蓋鬼のように煩悩へと呑み込まれた鬼とは違い。正しい道を歩んできたのだと、その鍛え上げられた体と逞しい表情から窺えた。


 虎熊童子の上半身は、肥大した筋肉により熊のように大きく、腰から下は細身に見えるが……下半身だけ見れば決して細くはない。


 体には、憑鬼熊とかと同じ獣の爪で引っ搔かれたような無数の傷跡があり、それが虎模様みたいになっていた。


 その背中には、恐らく憑鬼虎の皮を素材として作られたマントが肩から背中を隠すようにして羽織られていた。


 歴戦の猛者。


 これが虎熊童子の第一印象だった。


「ローグ、待たせて悪かったな。念のため父さんも準備していたんだ」


「ありがとう、父さん。でも、助けがいらないように頑張るからね」


「おぉ、油断せずに行ってこい」


 父さんは俺をいつでも助けられるようにと、手に持つ黒剣へと激しく燃え盛る黒炎を纏わせていた。


「うん、行ってくるよ」


 ――《欲怠憑依》×《疑鳴》――


 俺は欲の煩悩をベースにし、怠の力を急所などへと部分的に憑依させた。さらに、虎熊童子の初動を見逃さない為に両目に疑の力を共鳴させた。


 ここまで防御特化でやれば何をやられても死ぬことはないだろう、と。俺は思いながら一歩ずつ歩みを進めていった。


 そして、虎熊童子のテリトリーへと――


「ッ!? ――グッハッ!!」


 足を踏み入れた瞬間。

 俺の体には、一つの穴が空いていた。


 それは一瞬で目の前に現れた。

 虎熊童子による一発の正拳突きでだ。


 俺は虎熊童子が動いた瞬間に疑の洞察力で反応するも、剣で虎熊童子の拳を防御しようとして……間に合わなかった。


 あぁ、また死ぬのか。


 俺はそんな事を思いながら、自身の腹へと突き刺さった虎熊童子の腕を見ていた。

 すると――


「ッ!? ――グハッ!」


 視界がグニャりと歪んで、俺は虎熊童子の拳をなぜか……自身の手に持つ銀剣で辛うじて防いでいた。


 それでも守り切る事はできずに、俺は入り口の方へと吹き飛ばされていた。そんな状況に理解が追いつかない俺は……意識が落ちる直前に――


「黒炎ノ――」


 父さんの声を聞くのだった。




 ◇◇◇




 ローグが無残に敗れた。

 少し前、妹のルナは両親の寝室にいた。


「ルーちゃん、母さんは大丈夫だからね」


 ルナは椅子に座りながら、ベッドに横たわる母ルシアを心配そうに見つめていた。



「ルナは心配だよ……どうして、お母さんはお兄ちゃんの事を止めなかったの?」


 ローグと父クロードが去った後。

 ルナは母から起こるかもしれない、良くない未来の話を聞かされた。


 それはローグが戦いに敗れたら母が技能の力で助けるかもしれない。もし、そうなれば母が意識を保つことができずに、気を失ってしまう、と。


 そんな話を聞かされたルナは当然の疑問を母へとぶつけた。


「冷静に考えれば、ルーちゃんの言う通りで止めるべきなんだけどね。息子の願いを叶えてあげたい気持ちが勝るのよね」


「ルナはぜんぜん理解できないよ。だって、お兄ちゃんに何かあれば……お母さんが代わりに苦しむんでしょ」


「そうなるわね。でもね、私の力で何とかできるのなら――何度だって、私は喜んで引き受けるわよ」


 ルナは母の話を理解できない、というような表情を浮かべながら聞いていた。


 それから時が少し流れ。

 ローグが敗れた瞬間。


「……」


「お、お母さんッ!?」


 ルシアの両目が一瞬だけ強く光る、と。

 体がビクンッと一度だけはね。

 それから痙攣を起こしながら無言で苦しそうな表情を浮かべていた。

 そして、意識が徐々に薄れていった。


 その間、ルシアは息子が敗れたことを悟りながらも安堵する。

 今回も無事に助けられた、と。


 最愛の夫が敗れた時と同じように、自身の持つ技能の力で因果の糸を変えられた。


 月の祈り。


 ルシアの技能とは、月に捧げた祈りの対価として得た。因果の力を自身の望む任意の者へと分け与えること。


 ローグへの抱擁。


 狩りを始めてから三年間。

 ルシアが抱擁を通して、息子へと分け与えた因果の力は膨大だった。

 それはローグの死ぬ運命ですら、因果の糸をズラすことで助けられるほどに。


 ローグが虎熊童子に殺される瞬間。

 ルシアはローグの持つ因果力を操作することで、虎熊童子の正拳突きを剣で防げた世界線を手繰り寄せた。


 その間。


 ルシアは痙攣で体が震え、耐えがたい苦痛を味わいながらも精神を保ち因果の糸を選び出していた。


 そして。


 息子の助かる因果の糸へと、託した因果力を使用することで運命を捻じ曲げた。


 その瞬間。


 ルシアは安堵と共に意識を手放した。

 すると――


「良かったね、お母さん。運命は無事に書き換えることができたよ。あとの事はルナに任せてゆっくりと休んでて」



 取り乱していたはずのルナから少し冷めた声で言葉が発せられた。


「何が起ころうと、お兄ちゃんもお父さんも無事にこの家へと帰ってくる――運命なんだからね。まったく、本当に手のかかる愛おしい家族なんだから」


 ルナは自身の瞳を紫へと切り替えると意識を失った母の上を見ていた。

 その紫瞳には、母と同じ因果の糸を見る力が備わっているのだった。




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