第39話 ◇憑鬼双獣①
「父さん、前座があるなら教えてよ」
俺は憑鬼虎と憑鬼熊を狩ると意気込み、滝の洞窟最深部へと足を踏み入れた。
しかし、俺の視界には予想外の光景が映り込み、この事を事前に知っていた父さんへと不満げに声をかけた。
「わるいな、最後に此処へと来たのはローグが生まれるよりも前の事でな。だから、ついオマケの存在を忘れてたよ。お詫びに父さんがあの六匹を受け持ってやろうか?」
「いや、自分でやるよ。それよりも、父さんがつまらない嘘をつくなんて珍しいね」
「ローグは新しい力を手に入れると油断する傾向があったからな。せっかく、よい心構えで戦いに向かおうとしてるのに、それを止めたら父として失格だろ?」
「そうかもしれないけど……ほんとに、もう油断なんかしないからさ。こういうのは勘弁してよね」
父さんが言ってる事には自覚があるしわかるけど、事前に教えてくれればという不満から少しだけ腑に落ちない気分となった。
俺が警戒した理由。
それは感じ取った二つの気配が異様な広がり方をしていたからだ。これは俺が滝の洞窟最深部には、憑鬼虎と憑鬼熊しかいない、と思い込んでいたのがいけなかった。
まさか、憑鬼虎と憑鬼熊の他にも六頭の獣たちまでいるとは思いもしなかった。
つまり、俺は八頭の気配を二頭だけの気配だと思い込んでしまい、それを異様な気配だと不必要に警戒していた。
異様な二つの気配。
それを俺の未熟な経験から憑鬼虎と憑鬼熊の気配だと決めつけて、直感が告げてきたのだと雰囲気に飲まれて勘違いをした。
「それについては今回の戦いぶりを見てから考えようか。あの六匹は奥の双獣と比べれば大したことのない存在だが、猛虎と幻熊ではないから気をつけろよ」
「うん、大きさも違うし何となくそんな感じがしてたよ。まあ、奥にいる双獣と比べたら大丈夫そうだけど油断はしないよ」
滝の洞窟最深部。
此処は長方形のような形をした空間が広がっていて、入り口から50メートルほど離れたところには中鬼門があった。
その中鬼門を挟むようにして二つの大岩があって、それらの上には憑鬼虎と憑鬼熊の姿が遠目に確認できる。
中ボス。
あの双獣は第六鬼門で中ボスのような存在であり、ここ滝の洞窟の支配者たちだ。
そんな双獣と俺の間には、左右に三本ずつ計六本の岩柱がある。
その柱は、入り口から20、30、40メートルくらいの間隔であり、それぞれの柱の前には獣たちが待ち構えている。
俺から見て中鬼門の左側には、憑鬼虎がいてその前方にある三本の柱前には大きな熊が一頭ずついた。その逆側には憑鬼熊と三頭の虎が狛犬ように座っている。
配下たちの配置が逆だろ?
俺はそんなツッコミを心の中で入れながら、ゆっくりと奥へ進んでいく。
――《疑感》
その間に、一時的に消していた疑の煩悩へと再び共感し、いつ何が起こっても対応できるように準備を整える。
「ん……来ないのか?」
入り口から20メートルほど離れた両柱の中間地点にくるも、両脇の虎と熊は動く気配がない。それならば、この二頭は無視して先に進もうと前方を横切ろうとした時――
「ガオッーーーーーンッ!!」
憑鬼虎の咆哮が響き渡る。
これが合図となり――
「ガァーーーーーーーー」
「なッ、その力は……」
俺の右側から虎が勢いよくこちらの方へと駆けてくる。突然の行動ではあったが距離が5メートル以上離れていた事もあり、対応には困らなかった。
それよりも。
問題は駆ける虎が全身に纏う。
もの凄く見慣れた暗黄色の稲妻だ。
「ガァッ、ガァ、ガーー」
「そっちがそう来るなら、こっちも同じ乱の力を使わせてもらおうか」
――《乱纏》
猛虎の1.5倍くらいある。
虎は主の咆哮を聞くと共に乱の力を纏わせて攻撃を仕掛けてきた。
最初はそれが何なのか気づかなかったが、俺との距離が半分くらい縮まった辺りで乱の煩悩だと驚かされた。
恐らくはそのような呼び名だろう。
まさか、五蓋鬼以外で煩悩の力を目の辺りにすることになるとは……そうなると、最奥で待ち構える双獣も煩悩の力を使うだろう。
「ガァッ、ガーー」
「ほんとに、油断できなくなったな」
最初から乱虎が前座でも気を抜くつもりはなかったが、煩悩の力を目の辺りにした事で余裕すらなくなった。
前座の六頭で無駄に体力と精神力を使ってしまえば、双獣との戦いが厳しくなる。
だから、一切の無駄なく戦い。
より多くの余力を残す必要がある。
「…………」
「ガッ! ギャッギャッ」
――《怒鳴》
「ギャアンッ! ギャアンッ!」
――《怠纏》―《乱感》
「ギャッ、ギャッ」
「そろそろかな」
――《疑纏》
「…………」
「どうした、奥の手を使わないのか」
俺は一言も発することなく無我夢中で乱虎を切り刻んでいった。基本的には、乱虎の素早さに対応する為に乱の力で戦い。
時に乱虎の隙が大きいと煩悩を即座に切り替えて、怒りの力で火力を増した。
すると、痛みで弱気になった乱虎が距離を空けてきたので、一時的に怠惰の力で筋肉などを回復する。
こんな感じで乱虎を追い詰めていき、そろそろ猛虎と同じ奥の手を使ってくるだろうと思い、疑の力で洞察力を高めた。
だが、一向に切り札を切らないまま乱虎はすでに虫の息となった。
「なんだ……最後はそのお気に入りの柱前で狩られたいのか? なら、その望みを叶えてやろう」
――《怒憑》
「ガッ……」
結局、切り札を使わないまま乱虎は元いた柱の前で息絶えた。想定していたよりも楽に狩れた安堵感と、乱虎の理解できない行動に対する不信感が高まった。
そもそも、この場にいる獣たちの行動が意味不明過ぎて不気味だ。
仲間の戦いに加わらない獣たち。
切り札を使わずに無駄死にする獣。
そのすべてが理解できない。
普通なら六頭の獣たちが一斉に襲い掛かってきて、俺の息の根を止めに掛かるだろう。
なのに、獣たちは一頭ずつ戦うようだし切り札を使う事もない。
自殺願望でもあるのか?
そんな配下の謎行動に対し、主の憑鬼虎はただ眺めているだけで特に変わった様子はない。ましてや、憑鬼熊の方なんて呑気に自分の手を舐めている始末だ。
まるで、問題がない。
想定通りに事が進んでいるかのように双獣は落ち着いた様子でいた。その事が気に食わなかった俺は――
「グァーーーーーーッ!」
乱虎の時と同様に歩みを進めた。
すると、俺の予想通りに憑鬼熊が配下へと命令を下した。やはり、次の相手は乱虎の亡骸がある反対側にいた熊だった。
「クハ、クハ、クハッ」
「そうか、お前は
速さの猛虎、力の幻熊。
お互いに自身の長所を強化する煩悩を身に纏っているのか。
乱虎は猛虎よりも速くて厄介だったが、怒熊の方は前と変わらない。どんなに力を付けようと俺は乱の力を使わずに、素の速さだけで怒熊の攻撃を軽々と躱せるのだから。
「クハッ、グッ! クハ、グッ!」
「お前もそのままやられる気か? それなら遠慮せずに行かせてもらおうか」
◇◇◇
「これで前座は終わりか」
――《怒憑》
「グゥッ……」
最初の乱虎から最後の怒熊まで。
特に異変が起きることなく、気味が悪いくらい順調に狩り終えた。
俺にとって一番重要な余力。
精神力も二割ほどしか消耗せずに、憑鬼虎と憑鬼熊戦を迎えることができた。
「さあ、本番と行こうじゃないか」
――《五蓋装衣》―《疑憑》
俺は完全武装の状態で双獣の方へと歩みを進めていった。すると――
「ガオッーーーーーンッ!!」
四度目となる憑鬼虎の咆哮が響き渡り。
「ッ!?」
――《乱鳴》
「ガァーーーーーーーー」
「いきなり、全力かよ」
咆哮が終わると共に憑鬼虎が体を縮小化させて、大きな暗黄色の稲妻を身に纏いながら突っ込んできた。
いきなり憑鬼虎が縮小化を使ったことに驚きながらも、俺は疑の洞察力で事前にその行動を予測して、疑から乱の力へと即座に切り替えて対応する。
「ガァッ、ガァ、ガーー」
「これなら剣の方がいいか」
――《乱感》
「ガッ! ギャッ」
――《乱纏》
「ガッ! ギャッ」
憑鬼虎の驚異的な速さから繰り出される。
銀爪の引っ搔き攻撃や銀牙による噛みつき攻撃が嵐のように、俺へと襲ってきた。
その憑鬼虎による攻撃の速さと力をある程度見極めた俺は、完全回避の行動から剣で攻撃を受け流す行動へと切り替えた。
俺は憑鬼虎の攻撃を受け流しながら、隙があれば剣を振るって反撃を繰り返した。
この行動に伴い、共鳴状態にあった乱の力を徐々に下げていき、最終的には纏い状態で精神力の消費を抑えながら戦う事にした。
そんな余裕が生まれたのは――
「憑鬼熊……お前はどこに行くんだよ」
「ギャッ、ガッ! ギャッ」
必死に戦う憑鬼虎を置いてのそのそと何処かへと歩く憑鬼熊のお陰だ。正直、憑鬼虎の強さは思っていたよりも弱かった。
煩悩の力を全開にして攻めれば数分もあれば仕留められそうだと思うほどに。
それが出来ないのは意識の一部が歩く憑鬼熊へと向いているからだった。
そんな状況に、違和感を抱いていると。
「憑鬼虎ッ! お前まで何処に……」
突然、猛攻撃を仕掛けていた。
憑鬼虎が憑鬼熊の方へと去っていく
「何が、起こるんだ……」
――《疑憑》
「その場所は六柱の中心だが……」
「グァルアーーーーーッ!」
「ッ!?」
俺は双獣の謎行動に困惑しながらも疑の力を憑依させ、何が起こっても対応できるように身構えていた。
すると、配下たちの亡骸が転がる六柱の中心地点で動きを止めて、憑鬼熊が咆哮と共に汚い切り札を放出した。
そして――
「ガオッーーーーーンッ!!」
「グァーーーーーーッ!」
「まさか、嘘だよな……クソッ! 憑鬼虎の猛攻は時間稼ぎだったのかよ」
幻覚作用を起こした双獣は大きな咆哮と共に、六柱の前に転がる配下たちの亡骸から煩悩の力が靄となって放出された。
その暗青色と暗黄色の靄が向かう先には、幻覚症状に掛かる双獣の姿が……憑鬼虎は銀の爪と牙に怒りの煩悩を纏い、憑鬼熊の方は両手足の爪に乱れの力を纏っていた。
こうして、俺の前に二つの煩悩を身に宿す双獣が立ち塞がるのだった。
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