三 真人の真実(2)
「…グスン……では、明日もうちにお泊まりください。儀式が行われる時間になったらこっそりお迎えにまいります」
「ああ、わかった。お父さんにはなんかどうか理由をつけて、もう一泊頼むことにしよう」
顔をあげた恵麻は涙を指先で拭うと、さっそく具体的な潜入作戦の段取りを太野と話し合う。
「それと、こちらの本もご覧になってください。たぶん先生の調査のお役に立つものかと」
加えて、なにやら古めかしい和綴じの書物を風呂敷から出して卓袱台の上へと置く。
「天園村縁起……これは……!」
表にそう題名の書かれたその本を手にとってパラパラ捲ると、それは太野にとってたいへん有益な、驚くべき情報の記された前近代の古書籍だった。
「これはうちの神社に古くから伝わる、この村の起源について書かれたものです。父の目を盗んで蔵から持ってまいりました。古い文字で私には読めませんが、先生ならと……」
「ああ。これはすごい資料だ……そもそもこの村自体、隠れキリシタンのためにできたことがこれでわかる……」
恵麻の追加情報にそう答えながら、変体仮名という江戸時代の繋げ文字で書かれた文章を太野は目で追いかける。
その冒頭には、以下のようなことが記されていた……。
まず、この村は伝説の通り支倉常長の連れ帰った宣教師と深い関わりがあるのだが、その宣教師ニコラオシスなる者が隠れ住んだというより、彼がこの村を作って、禁教令で行き場のなくなった隠れキリシタン達をむしろ受け入れて住まわせたようなのである。
その宣教師が先頭に立って村人達を指導し、表向き仏教寺院に偽装した教会をこの地に建てると、巧妙に信仰を隠して受難の江戸時代を生き抜いたのだ。
そして、宣教師ニコラオシスは村人の娘を妻として子をなすと、その子孫が代々村の庄屋と神宮寺の神官(現在は神社の宮司)を務める羽田家となったらしい。
なるほど。なんとなく西洋人ぽくもある恵麻の顔立ちは、そんな血筋からきているものなのか……と、太野は思いながら恵麻の顔を見つめる。
「これはありがたくお借りして、今夜じっくり読み込んでみることにしよう」
「お役に立ったのならよかったです。それでは、詳しい計画はまた明日の夕方にでも。それでは、おやすみなさい……」
そう断りを入れて恵麻が帰って行った後、早々、太野は読書へと戻る。
「もしかして、異端か……?」
すると、大変気になる記載に太野はぶち当たることとなった。
スペインから来た宣教師なので、一応、カトリックということになっているのだが、どうにもその教えはカトリックのそれと明らかに異なっているのだ。
ニコラオシスがその教えの中心に置いているのは〝失楽園〟のエピソードである。
エデンの園において、人間は知恵の樹の実を食べたことで原罪を背負い、楽園からも追放されることとなった……ならば、知恵の樹の実ではなく、生命の樹の実を選んで食せば、人間は知恵の代わりに永遠の命を手に入れ、原罪を贖うとともに再び楽園へと戻ることができる…と、この書には説かれているのである。
そして、その楽園の名前が、恵麻の兄・羽田安富も口走っていた〝原磯〟だ。
「原磯……そうか。もっともらしい当て字なんで漢字の字義に引っ張られていたが、これは楽園を示すラテン語の〝パライソ〟──つまり〝エデン〟の音写だったのか!」
ニコラオシスなる宣教師の説く教義から、太野はそのことに思い至る。
「グノーシス主義に似てはいるが……知恵こそが神へと至る道と考えるグノーシスとはむしろ真逆だな……」
その聞いたこともないキリスト教神学の神秘学的思想は、太野の知的好奇心を刺激するのに充分すぎるものがある。
「だが、羽田宮司の言っていた真人の話とも一致する……その教えが村の土俗化した信仰にも今なお受け継がれているのだとすれば、成人の儀式というのにも反映されているかもしれない……」
太野は『天園村縁起』を閉じて卓袱台の上へ置くと、寝っ転がって衝撃的なその真実に考えを巡らす。
そして、興奮冷めやらずにあれこれ想像している内に、いつしか深い眠りへと太野は落ちていった──。
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