三 真人の真実(1)
「──ウヘヘへ……おらぁ、原磯さゆくだ……」
その後、太野は羽田安富から話を聞こうと試みたが、やはり彼はヘラヘラ笑いながら同じ文言を繰り返すだけで、太野の努力はまったくの徒労に終わった。
ならばと羽田宮司に紹介してもらった〝真人〟三人のもとを訪れるも、聞き取り調査の結果はやはり同様である。
ただ、真人がいかなる存在であるかという点においては、複数人を観察することで大いに成果があったといえよう。
その三人は歳も性別もバラバラで、健康保険証の記載を元にした実年齢でいうと、65歳の男性、84歳の女性、そして、102歳の女性だった。
しかし、全員実年齢よりも軽く20歳は若く見える……さすがに完全な不老ということはなかったが、肌の色艶もよく、足腰もしっかりしていて、普通の老人と何かが違うことは確かだった。
また、本人との意思疎通ができない代わりに、親族や近所の者達へも聞き取り調査を行ったところ、何かを隠しているような重たい口ぶりではあったものの、どうやら皆、二十歳を境にしてこの呆けた状態になったらしいことが判明した。
「二十歳にいったい何があるというんだ? 成人になる年齢だからって、生物学的に成体と幼体をわける歳でもないだろうに……その頃に特殊な遺伝子のスイッチでも入るのか?」
太野はあれこれと考えを巡らしてみるものの、いかんせんさすがに情報量が少なく、現時点ではどうにもそこが限界である……。
さて、そうこうする内にもすっかり日が傾き、今夜の宿を考えねばならない時間となった。
最終のバスもとっくに出てしまっているし、手軽に市街地まで帰れるような場所でもない。
まあ、太野としてはこうした状況にもう慣れているし、どこかそこらの空家の軒先で野宿でもいいと思ったのだが……。
「離れが空いているので、よかったらうちに泊まっていってください。ご高名な民俗学者の先生のお話をぜひお聞きしたいですしな」
羽田宮司にそう言われ、社務所の離れに太野は泊めてもらうこととなった。
遠方の親戚や客が来た時に使うとかで、古い建物ではあったものの定期的に掃除もされているし、寝起きするには申し分のない場所である。
「──フゥ……今日は歩き回っていささか疲れたな……」
母屋の方で宮司の家族とともに夕飯をいただき、ほろ酔い気分で太野が離れに戻って来た時のこと。
「先生! 太野先生! 恵麻です! お話ししたいことがあります!」
入口の引戸がドン、ドン…と叩かれ、そんな少女の潜めた声が聞こえてきた。
「恵麻さん? どうしたんだい? そんな畏まって。話ならさっき声をかけてくれればよかったのに」
「みんなに聞かれてはまずいんです。話というのは兄のことです。どうか、どうか兄を救うのに力を貸してください!」
怪訝に思い、引戸を開けて太野が尋ねると、いたく真剣な表情をした恵麻は必死にそう訴えかけてくる。
「安富くんを救う? ……わかった。話を聞こう。とにかく入りなさい」
何やら様子が尋常ではない。どうやら秘密の話であるようだし、太野は周囲を見回して警戒すると、恵麻を中へと招き入れた。
「──もとの兄は頭脳明晰で、難関大学にも首席で合格するような非の打ち所ない秀才でした。ですが一年前、二十歳の誕生日に村へ帰って来て、成人の儀式を終えた兄はあの通りすっかり別人になってしまったんです」
薄暗い白熱球の下、
「成人の儀式? それはいったいどういう?」
「わかりません。その内容を口にすることは厳禁で、儀式に参加した者以外、どのようなものなのか誰もわからないんです」
俄然、興味を惹かれて尋ねる太野だが、恵麻はそう言って首を横に振る。
「ですが、わたしにはとてもそれが良いもののようには思えないんです! 父母も…村の人達も兄のことを〝真人〟だと言って崇めていますが、わたしの目には頭がおかしくなってしまったようにしか見えません! きっと儀式で何かされて、兄はおかしくなってしまったんです!」
「まあ、何があったのかはわからんが、その儀式が原因であることは間違いないだろうね……薬か何か、ああなるようなものを飲まされたのか……」
恵麻の話にますます知的好奇心を刺激され、太野は腕組みをして天井を見上げると、あり得る可能性についていろいろと推論する。
「じつは明日、やはり二十歳になる村の者が一人いて、その者の成人の儀式が夜に執り行われることになっています。本当は本人と儀式を行う世話人以外参加できない決まりなんですが……先生、わたしと一緒にこっそり忍び込んでみませんか?」
そんな太野に、続けて恵麻は思わぬ冒険の誘いをしてくる。
「ほう……それは願ってもないお誘いだが、そもそも、なんで君は私の調査に協力してくれるんだい? それが君のお兄さんを救うことにはならないように思うんだが……」
無論、太野にとってはありがたい話であるが、どうにも恵麻の目的がよくわからない。彼はすぐには飛びつかずに、まずはその疑問について確かてみた。
「あんな兄の姿、わたしは見ていられません……病院に連れて行って診てもらいたいのですが、父も村の人達もそんなことを許しはしません。だから、すべてを世間に知らせて、こんな因習を終わらせるしかないんです! 先生お願いします! 儀式のことを公表して、兄を助けてください!」
すると、彼女は目を涙に輝かせながら、そう言って改めて太野に訴えかける。
「なるほど。それが君の狙いか……それに、儀式で何をしているのかを知れば、お兄さんを治す方法もわかるかもしれない。そういうことならば、よろこんでご一緒しよう」
「はぁ……ありがとうございます! これで兄を助けられます!」
恵麻の思惑を理解し、大きく頷いて太野が快諾すると、恵麻は床に額をついて深々と礼をする。
「なに、私ももとよりこの村の習俗について調査に来たのでね。私の民俗学的研究と君の目的が偶然にも重なったというだけのことさ」
そんな兄思いの妹に、太野は冗談混じりの口調でそう言うと、その顔に悪戯っぽく笑みを作ってみせた。
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