ニ 擬装の神社
「──ほおう…こうして信仰を隠してきたわけか……」
その神社の社殿を見上げながら、太野は感心したように唸っていた。
パッと見、鄙びた普通の神社であるが、梁や柱、板葺の屋根の屋根飾りなど、至る所に十字架が隠されている……また、軒下の透かし彫りも一見、ありふれた唐子の遊ぶ図柄のように見せかけて、よくよく目を凝らして観察してみれば、それはイエスの生涯を描いたものではないだろうか?
先程、長い石段を登り、境内へ入る時に潜った石の鳥居も、日吉神社のような山王一実神道の三角破風の乗った鳥居に擬装して、その三角破風の中央に堂々と十字架を掲げている……明らかに隠れキリシタンの秘密教会である。
さらに、表向きは神社であるはずなのに、境内には八角の仏堂が建っているのだが、中に祀られているのは白衣観音に仮託した聖母マリア像──いわゆる〝マリア観音〟であるし、屋根の頂にくっ付いているのは黄金の鳳凰に見せかけて、どうやら四枚の翼を持つユダヤ・キリスト教の天使〝
「──今は神社だが、明治の神仏分離令までは神仏習合の寺だったみたいでね。この御堂もその名残りですよ」
隣接する社務所兼自宅を訪れ、身分を明かして来村の理由を説明すると、意外やあっさり調査に協力してくれた現宮司・
歳は40代ぐらい、精悍な顔つきに髪を短く刈り上げ、がっしりとした体格に白の
「なるほど。分離令後は一応、仏教から神道へ改宗したわけですね。が、その実は隠れキリシタンの教会という、なんとも情報が渋滞しているおもしろいお社です!」
「はあ……まあ、先祖の時代はそうだったのかもしれませんが、私らにはもう隠れキリシタンだという認識はなく、ただただ昔からこの地に伝わってる信仰を守っているだけなんですけどね」
他には例を見ない複雑な
「では、率直にうかがいますけど、この村にえらく長寿で歳もとらない者がいるというのは本当なのですか? ただし、その長寿の代わりとして呆けてしまうのだとか……」
それでも興奮やまない太野は少々無遠慮な民俗学者の力量を発揮して、いよいよ本題をストレートな物言いで羽田宮司に尋ねた。
「ええ。それは本当です。この村では往々にしてそのような者が現れるのです。そうして智慧を失う代わりに長寿を得た者を我々は〝
すると羽田宮司は思いの他に、俄には信じられないその事実をあっさりと肯定してくれる。
「真人……道家における理想的な人間ですね……もう一つの姿というのは、つまり、知恵の樹の実ではなく、生命の樹の実を食べた人間だとおっしゃりたいのですか?」
その言葉から「創世記」の記述を思い出し、太野は再び羽田宮司に質問する。
『旧約聖書』の「創世記」において、エデンの園の中央には〝生命の樹〟と〝知恵の樹〟という二本の樹が生えており、人間は邪悪な蛇に
だが、もし人間が知恵の樹ではなく、生命の樹の実を選んで食べたのだとしたら……そのあり得たかもしれないもう一つの可能性を、宮司は言っているのでないかと太野は考えたのだ。
「さあ、そこまでは。先程も申しました通り、この村では古くからそう伝わっているというだけですので……ただ、真人は天寿を全うした後、〝原磯〟という極楽浄土へ行けるとされています。原磯とは人間がもともと暮らしていた〝原初の磯〟。だから呆けているように見えても、真人は村人達から尊敬の眼差しで見られているのです」
しかし、本心なのか? それとも
「はらいそ? そういえば、あの青年もそんなことを……あの、さっきそこで呆けた若者を見かけたのですが、もしかして彼もその真人なのでは…」
宮司の言葉からそのことを思い出し、太野が尋ねようとしたその時。
「……ん? ああ! 彼です! その呆けているという若者は!」
ちょうどそんなところへ、先程の青年が少女に引っ張られるようにして境内へと入って来た。
「ああ、あれは私の息子の
ところが、二人を指差して太野が声をあげると、そちらを振り返った羽田宮司は自らの子供であると彼らを太野に紹介する。
「え? あの呆けた…もとい、なんとも個性的な好青年は宮司の息子さんで?」
「ええ。そして、お察しの通り安富は真人なのです。我が一族から真人が現れるとは、なんとも名誉なことです。長い歴史の中、常に真人は現れてきましたが、その数は非常に少ないのです。現在は安富の他に三人ぐらいですね」
どストレート過ぎるその呼び方に少々気まずさを感じ、言い直して聞き返す太野に対して、宮司はさらに真人についての解説を加える。
「そうですか……では、息子さんにちょっとお話をうかがえませんか? あと、その他の真人の方達も紹介していただくとありがたいのですが……」
まさか、宮司の息子が
「まあ、見ての通り真人は知性を失っていますので、話ができるかどうかはわかりませんが……いいでしょう。それであなたの気がすむのでしたら」
すると、若干難色を示すも宮司はそれに応じて、こうして太野の調査は早くも一歩前進したのである。
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