四 最初の審判(1)
「──先生、起きてますか? お迎えにまいりました」
翌日の深夜、泊まっている離れの木戸がドン、ドン…と叩かれ、昨夜同様、外からは恵麻の声が聞こえる。
「ああ、いよいよか……よし、行こう」
その声に所在なく横になっていた太野は飛び起きると、すぐに身支度を整えて木戸を開けた。
これから二人は昨日話した計画通り、今宵開かれるという成人の儀式にこっそり潜り込むつもりなのだ。
ちなみに夕刻、「お酒に眠り薬が入っているので飲まないように」と恵麻に耳打ちされた太野は、少し口に含んだ後に眠くなったふりをして、夕食を中座すると離れへと戻っていた。
計画が知られたわけではないのだろうが、羽田宮司は念のため、太野が余計なことをしないよう薬を盛っていたのである。
だが、それも恵麻の忠告により回避することができた……羽田宮司はすっかり油断しているはずである。
「この中です!」
離れを出て、蒼白い月影の照らす境内を恵麻について進んでゆくと、彼女は神社の本殿の前で不意に立ち止まる。
「ここって……誰もいる気配はしないが……」
「それは秘密の儀式ですからね。さ、誰かに見つからないうちに早く……」
そうは言われても、あまりにもしん…と静まり返った本殿の様子に、太野が怪訝そうにそう呟くと、恵麻は意味深なことを口にさっさと正面の扉を開けにかかっている。
「いったいどういうことだ?」
仕方なく、真っ暗な殿内へ消える彼女の後について、太野も内部へと足を踏み入れた。
昨日も拝見させてもらったが、一見、普通の本殿に見せかけた簡素な造りのその場所には、それぞれ炎の飾りに包まれた宝剣と、鳳凰に模した
「やはり誰もいないようだが……ん?」
扉の隙間から差し込む月明かりに、ガランとした薄暗い空間を見渡してみる太野だったが、その時ふと、なにやら大勢の人の声のようなものが微かに聞こえてきた。
「いったいどこから聞こえる……?」
「先生、こっちです」
太野が闇の中をキョロキョロ見回していると、恵麻がまた声を潜めて彼の名を呼ぶ……見れば、彼女はなぜか祭壇の脇に立ち、その裏側へ回ろうとしていた。
「隠し扉か!」
呼ばれてそちらへ目を向ける内にも、その裏にあった扉を開けて恵麻は中へと入ってゆく。
「なるほど。隠れキリシタンらしく、この教会の核心は地下にあったというわけだ……」
太野も急いでそれに続くと、そこには地下へと続く階段があり、恵麻が足音を忍ばせなら降りて行っている……また、その奥からは先程より聞こえている大勢の人々の声がさらに音量を増して響いてきていた。
地下の空間にわんわんと響き渡る、読経とも讃美歌ともいえぬ人々の声の重なり合ったうねり……隠れキリシタンのオラショ(※祈祷文)と呼ばれるものであろうか?
「ここから様子を
階段を降りると二畳ほどの踊り場になっており、さらに下に折り返しの階段が続いて吹き抜けのホールが広がっている……その踊り場から下のホールが一望できるため、恵麻は手摺の影に身を隠して下を覗くよう太野に促した。
「あれは……!?」
言われた通りにこっそり観察を始めた太野は、すぐにその目を大きく見開くこととなる。
なぜならば、たくさんの燭台で
神楽面のような造形の、蛇の頭を模した緑色の仮面をすっぽりと被り、その後頭部から伸びた細長い帯が、とぐろを巻くかの如く男の身体に巻き付いている。
また、蛇頭をした異形の神父のすぐ足元には、例の二十歳になるという若者なのか? 白装束の若い男が一人跪き、その背後に十名ばかりの村人達も正座して控えている……地下ホールに木霊しているオラショは、彼らから発せられたものなのだ。
「そうか。この儀式が〝失楽園〟に関連するものだとすれば、あの神父は知恵の樹の実を人間に食べさせた蛇……」
『天園村縁起』を読んでいた太野は、蛇の恰好をした神父の姿にその異端的なこの村の信仰を思い出す。
「原磯より追放されし罪深き人の子よ! 神の御前において、我らは再度汝に問う! 汝が欲するのは知恵の樹の実か!? それとも生命の樹の実か!?」
やがて、オラショを唱え終わると蛇頭の神父は、おもむろに両手を天に掲げ、跪く若者に対して朗々とそんな問いかけを行う。
「お父さま……」
となりで恵麻がそう呟いた通り、それは羽田宮司の声だった……当然といえば当然だが、この秘教的儀式を執り仕切るのも天園神社宮司の務めなのだ。
その正装をした羽田宮司の言葉を受け、跪いた若者は立ち上がると祭壇の前へと静かに歩み出る。
よく見れば、その祭壇には幹に
「さあ、選んで食せ!」
二つの鉢植えを交互に忙しなく見比べ、おろおろと極度に緊張しているらしき若者に対し、蛇頭の羽田宮司は厳格にもそう言って急かす。
「……ハァ……ハァ……ゴクリ……ハァ…はむなっ…!」
息を荒くした若者は喉を大きく鳴らし、震える手を伸ばして青い樹の実の方を掴むと、それを思い切って口の中へと放り込む。
「……ん! …うぎゃあぁあぁぁぁぁーっ…!」
一瞬の後、白眼を剥いた若者は天を仰いで絶叫し、そのままパタン…と背後の地面へ倒れ伏してしまう。
その様子に、参列する村人達の間からは動揺が起こる代わりに、「おお〜」という大きな歓声が湧きあがっている。
「……いったい何が起きた?」
「わ、わかりません……」
ホールに木霊する歓声の中、部外者の太野と恵麻は驚いた顔を見合わす。
「……ゲヘ……ゲヘへへへ……おらあ、原磯さあ、行くだあ……」
一方、今し方倒れた若者はむくりと上体を起き上がらせると、焦点の合わぬ眼で虚空を見つめ、涎を垂れ流したまま笑い始める……口走っている台詞も含め、恵麻の兄・安富とまるで同じだ。
「見よ! 彼は知恵の樹ではなく生命の樹の実を選んだ! 安富に続き、こんなにも早く真人が現れるとは! なんたる喜び! 皆、我らが神に感謝を捧げるのだ! ハレルヤ!」
すっかり惚けてしまった若者を前に、蛇頭の宮司も興奮気味に感嘆の声をあげる。
「ハレルヤぁーっ!」
「ハレルヤあーっ!」
それに続いて村人達も、今度は神への感謝を次々と叫び、地下教会はまたしても騒がしい歓声に包まれることとなった。
「……そうか、これは〝失楽園〟の逸話を再現する通過儀礼だったのか! 成人となる者は二つの樹の実からどちらか一方を選び、〝生命の樹〟を選んだ者は知恵を失う代わりに永遠の生命を得る……知恵の樹の実を食べず、原罪を背負うこともなく、楽園を追放されることもなかったもう一つの人間の可能性だ!」
若者の身に起きた変化と羽田宮司の言葉から、この儀式の意味するところに太野は思い至る。
「兄も、あの樹の実を食べて……」
また、恵麻の方も兄がああなってしまったその原因を、同じく惚けて笑い続ける若者の姿を目の前にしてようやくに悟った。
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