第9話 イゾラの娘

「我が息子、カインを守ってくれたこと、感謝します」

 明るい陽射しが窓から降りそそぐ。その窓の向こうの庭園には、色とりどりの花が咲き美しい光景が広がっていた。

 庭園をしばし眺めていたサラサ王妃は、静かにアリッサを振り返った。

「イゾラの娘よ」

 イゾラの娘と呼ばれたアリッサは、深々と頭をさげるカインの母、サラサ王妃を見つめ返した。

 カインが王位に就き、王妃は王宮に、カインの元へと呼び戻されることになった。

 細面の白い顔に細い身体つき。弱々しく儚げで、どこかまだ少女の面影を残す美しい女性。

 しかし──。

「まさか、息子の王位継承を脅かすキルティアの息子ウィリデ王子殺害依頼をあなたがしていたとは、カインも思わないでしょうね」

 棘のあるアリッサの口調に、王妃は緩やかにまぶたを落とす。

 あの宴の夜、カインと出会ったのはサラサ王妃によって仕組まれたもの。だが、あの時カインがアリッサを選ぶとは限らない。

 そこで、王妃はアリッサに助言した。

「あの子は昔から元気がよく溌剌とした子が好みなの。物怖じせず、自分の意見をはっきりと言える強い女性に惹かれるようね。母親ですもの、わたくしにはわかるわ」

 王妃の言うとおり、アリッサはあの宴の場で元気な少女を演じた。

 もっとも、カインに選ばれなくとも、彼に近づく手だては一座の者がいくつも用意していた。が、まさか本当にカインの目にとまるとはアリッサ自身も思いもしなかった。

 そう、自分はカインを守る為、そして、いずれカインが王位に就く妨げとなるであろう第二王子であるウィリデ王子を暗殺する為に王妃に雇われた暗殺者。

 カインが愛していると言ってくれたアリッサという人物は、作られたアリッサ。

「キルティアの牢に毒を差し出し、自害するようすすめたのはあなたね」

「そう、わたくしです。キルティアに運ぶ食事の盆と一緒に、毒の入った小瓶を渡しました。どのみち処刑は免れないでしょう。もしくは幽閉の身となるか。けれど、わたくしはキルティアを生かすつもりはありませんでした。ならば、獄中でひっそりと死を選ぶか、民の前で処刑され死に様をさらすか、わたくしは彼女に選択をさせました」

「すべてはあなたの望む結末となった」

 何やら含むような物言いのアリッサから視線を外し、サラサ王妃はもう一度窓の外を見やる。

「噂には聞いております。どうしても叶えたい望みがあるのなら、己の命と引きかえにする覚悟で〝イゾラの娘〟を雇えと。我が息子が無事に王位を継ぐことができたのなら、わたくしはもう、思い残すことはありません」

 〝イゾラの娘〟それは特別な呼び名を持つ。

 イゾラの旅芸人は各国を回り、王侯貴族を中心に芸を披露する一座。そして、多額の金と依頼者の覚悟でもって、暗殺の依頼を請け負う暗殺集団。

 その中でも、もっとも優秀な女性暗殺者を〝イゾラの娘〟と呼ぶ。けれど、このことを知る者はごくわずかの者。

 王妃がどうやってイゾラの娘のことを知ったかまでは、アリッサには知るすべはない。だが、願いを叶えようとする思いが強ければ、自分たちの存在にたどり着くことも不可能ではない。

 あるいは、イゾラの旅芸人の存在をキルティアが先に知っていたら、また違った結果になっていただろう。けれど、カインを必死で守りたいと願うサラサ王妃の思いがキルティアよりも勝った。

 王妃は静かにうつむいた。

「覚悟はできております」

「あなたの命を奪うつもりはない」

 母と暮らすことを願っている、カインの望みを絶つようなことはしたくなかった。

 王妃はすっと顔をあげ、かすかに唇を震わせた。

 死を覚悟していたサラサ王妃にとって、アリッサの言葉はよほど驚いたらしい。

 アリッサは目を細め、サラサ王妃を見つめた。

 命は奪わない。

 だが、このことは他言無用。

 もしも、誰かに喋ったらその時は……とその目は厳しく告げていた。

 アリッサは王妃に背を向け、その場から立ち去ろうとする。

「報酬はよいのですか?」

 アリッサは肩越しに振り返る。

「いらない。それに……」

 報酬ならもう。

 言葉を切り、視線を落としたアリッサに、サラサ王妃は首を傾げた。

 アリッサはそっとお腹のあたりに手をあて、笑みを浮かべた。

 報酬以上のものを、あたしはもらったから。

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