第7話 あなたを守りたい

 誰かが足音を忍ばせて近寄ってくるのを、混濁とした意識の中で耳にする。

 枕の下に忍ばせた短剣に手を伸ばそうとするが、思うように手が動かない。

 それでも、かろうじて剣を握るものの、力が入らず、結局、握った短剣は手から離れ、ごとりと床に落ちた。

「く……っ」

 こんなときに。

 唇を嚙み、シーツを強く握りしめる手に、近づいた相手の手がそっと重ねられた。

「俺だよ。アリッサ」

 その声に、アリッサは薄く目を開けた。

 すぐ間近に、こちらをのぞき込むようにして顔を近づけるイーサの姿。

「カインは……?」

「そんな状態でも、あの王子の心配をするんだね」

 端整な顔を歪めてイーサは苦笑する。

 あたしのことはどうでもいい。

 あの後どうなったの?

 カインは?

 再び口を開こうとするアリッサの唇に、イーサは人差し指をあて、反対側のベッドに視線を向ける。

 わずかに顔を傾けると、そこに、椅子に座った状態でカインが首を垂れ、うとうととしていた。

 部屋中に焚きつめられた、睡り草の甘い香りが鼻腔をつく。

 この香によって、カインは眠らされているのだ。

「……っ!」

 半身を起こし鋭いこぶしをイーサに放つ。けれど、アリッサの攻撃は難なく相手に受け止められてしまった。

「待って、アリッサ。怒らないで。あの王子様、一睡もしないでずっとアリッサの側から離れようとしないから。だから、ほんの少しの間だけ眠ってもらった」

 カインがずっと、あたしの側についていてくれた?

 イーサはやれやれというように首を振る。

「誰が何を言っても、アリッサが目覚めるまで自分が側についているのだと言ってきかなくてね」

 カイン……。

「イーサも……?」

「いつも側にいると言っただろう?」

 アリッサはかすかに笑い、ようやく緊張を解いてベッドの背にもたれかかる。

 ベッドの端に腰をかけたイーサが、優しくアリッサの髪をなでた。

「イゾラの毒を飲むなど、ずいぶんと無茶な真似をしたね。あの時はほんとうにひやりとしたよ」

 イゾラの毒とは、ある地方にしか咲かない猛毒を持つ花のことである。

 そのイゾラの花が咲く場所を知るのも、毒も解毒剤を持っているのも、イゾラの旅芸人のみ。

「あの侍女は?」

「ああ、だいぶ落ち着きを取り戻したようだよ。いろいろ事情を聞かれたようだが、疑われることはなかった。もっとも、毒針を仕掛けた犯人は俺ということになっているからね。だが、しばらくここから離れていた方がいいと思って、別の場所に移させた」

 そう……よかった。

 結局、アリッサを毒針で殺害しようとした人物は、あの場にまぎれ込んでいた、得体の知れない侍女の仕業、つまり侍女に扮したイーサということになっている。

「やはりあの娘、キルティアの手の者に脅されてやったようだ。毒の扱いを誤れば、あの侍女も危ないところだった」

 それにしても、とイーサは小さくため息をつく。

「こうして、無事だったからよかったものの」

 イーサは口元を歪めた。

 毒に耐性のない普通の者なら、毒針で倒れなければおかしい。

 つまり、瀕死の状態に陥るためには、敵の毒を上回る毒でもって殺されかけたとみせなければならなかった。

「分量を誤れば、死ぬところだったぞ。もし、そうなったら、俺がキルティアを、いや、キルティアの宮にいる者全員、皆殺しにしていたところだ」

 そう言って目を細めるイーサの瞳は真剣であった。

 ぞくりとするほどに。

「もっと、自分の身体を大切にしろ」

「イーサ……」

 口を開きかけたアリッサに、もう何も喋るなとイーサは首を振る。

「しばらく何も考えず、おとなしく寝ていろ。もっとも、さすがのアリッサもそんな状態では動けないだろうが。心配するな。アリッサが回復するまで王子のことは俺が守る。もちろん、アリッサのことも。だから、ゆっくり休め」

 アリッサはかすかにうなずいた。

「イーサ、あり……がとう……」

 それだけを伝えるのがやっとであった。

「ああ……アリッサは俺の女神だから」


◇・◇・◇


「アリッサ」

 自分を呼ぶ声に、アリッサはいまだ朦朧とした意識の中で聞く。

 目を開けると、すぐ側でカインが心配そうな顔で自分を見下ろしている。

 イーサの気配は感じられない。いや、気配はなくとも、きっとどこか側にいて見守ってくれているのだろう。

「すまない。私がいながら、アリッサをこんな目にあわせてしまった。私がアリッサのドレス姿を見たいと言わなければ」

 カインの両手がアリッサの手を握りしめ、その握りしめられた手の指先に、カインの唇が触れた。

 冷えた指先に、口づけを受けたその部分だけが熱をもったように熱い。

 カイン……。

 心配かけてごめんなさい。

 あたしは大丈夫だから。

 そう伝えたかったけれど、声にならなくて。

 それがもどかしくて。

 しらずしらず目尻に涙が浮かんで、こぼれ落ちていく。

「アリッサ、なぜ泣く? 苦しいのか?」

 違う。

 いいえ……違わない。

 あなたのことを思うと、胸が苦しい。

「私にできることなら、どんなことでもする。だから……」

 握りしめられた手にカインの涙が落ちた。

 カイン、泣いているの?

 泣かないで。

「……早く元気になって、アリッサの笑顔を見せてくれ」

 お願い。

 あたしに優しくしないで。

 優しくされたら、泣いてしまうから。

 それに、あたしはカインに優しくされるような人間ではないの。

 あたしはね……。

 さらに、アリッサの頬に涙が伝う。

 どうしよう。

 今やっと気づいたわ。

 あたし、カインのことが好き。

 あなたが大切。

 あなたを守りたい。


◇・◇・◇


「久々にこの河原に来たな」

「半月ぶりね。心配させてごめんね」

「いや、私のほうこそ……すまなかった。許して欲しい」

「許すも何も……」

「アリッサ」

 伸びてきたカインの手がそっと頬に触れ、アリッサは言葉を飲む。

「だいぶ、顔色がよくなったね。本当によかった」

 頬をなでるカインの指先が唇に触れ、胸がとくりと鳴る。

 申し訳なさそうな顔をするカインの肩を、アリッサはばしっと叩いた。

「そんな顔しないの! 回復にちょっと時間がかかったけど、こうしてあたしは無事なんだし、すっかり元気なんだから。ほら前を見て、かかってるわよ」

 と、アリッサは水面を指さす。

 気づけば釣り糸の先がぴくぴくと浮き沈みしていた。

 カインは勢いよく竿を引きあげる。

「すっかり慣れたものね。あたしよりも上手になったんじゃない?」

「ああ、魚釣りだけではない。食べられるきのこの見分けもつくようになったし、薬草の種類もだいぶ覚えた。火だってひとりで熾せるようになった」

「頼もしいね」

 河原に座り立てた膝を両手で抱え、アリッサはにっこりと笑う。

「今日は私がアリッサのために魚を焼こう」

「カインが? じゃあ、任せちゃおうかな」

「ああ、任せろ。それから、午後は山にいって兎を狩るつもりだ。アリッサにご馳走する」

「あたしにご馳走してくれるの? 嬉しい。とても楽しみ」

「最近は身体の調子もよいし、横になることもほとんどなくなった。おかげで仕事も滞りなくこなせるようになった。みなともうまくやっている。毎日がとても充実している。こんな満ちたりた気持ちを味わうことは、今までなかった」

 アリッサはうんとうなずいた。

「アリッサが来てから、私の周りは大きく変わった」

「あたしは何もしてないよ。これまでのカインは、体調を崩して床に伏せていることが多かっただけで、元々みんなから慕われていたんだし、元気だったときは仕事もこなしていたでしょう?」

「いや、アリッサのおかげだ」

 ふいにカインは真顔になりアリッサと向かい合った。

「私はまだ、シマフクロウのヒナを見ていない」

「そっか、そうだね」

「来年こそは見られるだろうか。いや、その先もずっとアリッサと一緒に」

「もちろんよ。一緒に見に行きましょう」

 アリッサの答えにカインは一瞬、寂しそうな顔をする。

 アリッサが嘘をついていると心のどこかで感じたのだろう。

「アリッサ」

 カインはいったん言葉を切り眉根を寄せた。

 何か言いたいらしく、口を開いては閉じるを繰り返していたが、やがて決心したように真剣な目でアリッサを見つめた。

「大事な話がある」

 なに? と首をかしげたアリッサは突如、はじかれたように立ち上がった。

 背後の草むらかがかさりと揺れ、そこから黒い衣装を身にまとい、目だけをのぞかせ顔を布で隠した三人の男が現れた。

 彼らの身なりと隙のない身のこなしからして刺客だ。

 間違いなくキルティアの放った刺客。

「カイン、さがって!」

 低く声を落とし、アリッサはカインを背後にかばい腰の剣を抜く。

 すかさず、三人の刺客が無言で剣をかかげ、こちらへ走ってきた。

 アリッサも攻撃態勢をとって身がまえる。ところが、アリッサが動くよりも早く、カインが刺客に向かって飛びだした。

「私がアリッサを守る!」

「だめ!」

 カインには無理、と言いかけて口をつぐむ。

 自分を守ろうとする男にそんなことなど言えようか。

 カインと刺客の剣が何度も打ち交わされる。

「アリッサ! 早く逃げろ! ここは私が」

 一瞬、気を逸らした隙を狙い、刺客の剣がカインを襲う。

 その攻撃から逃れきれず、敵の一撃がカインの腕をかすめた。

 アリッサは悲鳴をあげた。

 おそらく傷は深くはない。だが、刺客の剣には毒が塗られているはず。

 アリッサはぎりっと歯噛みする。

「アリッサ……早く……」

 倒れる寸前まで自分を気づかうカインの姿に、アリッサの何かが切れた。

 剣を手に走り出したアリッサは敵の剣をはじき飛ばし、一撃で相手の心臓目がけて貫いた。

 胸を突き刺した剣を一気に引き抜き、背後から斬りつけてきた別の敵を振り向きざまになぐ。

 ぎゃっ、と悲鳴をあげ刺客は倒れた。

 血飛沫が舞い、ぱたぱたと降り落ちる。

 思いもよらないアリッサの反撃に、残った刺客の目に動揺の色が走る。そして、さっと身をひるがえし逃げだしてしまった。

 だが、これでいい。

 一人は生かしておくつもりだった。

 後はイーサがいいように計らってくれるだろう。

 急いでカインの元へと走り寄る。

「しっかりして!」

「アリッサ……大丈夫か? 怪我は……ないか?」

「あたしは平気よ」

「そうか。よかった……」

「どうして、あたしのことなんて……カインはこの国の王子様なのよ! あたしなんかのために……」

「そうだな。だが、アリッサを守りたいと思った瞬間、身体が勝手に動いた」

 カインの手が頬に伸びてくる。

「好きな女を守りたいと思っただけだ。だけど……本当は私の出る幕などなかったのかもしれないね……」

 そんなことはないと、アリッサは激しく首を横に振る。

「アリッサはやはり、強かったね。思い出すよ……初めてアリッサと出会ったときに見せてくれた剣舞を。まるで、舞を舞うような……戦いだった……」

「カイン……」

「そんな顔をするな。多少の毒なら耐性がある。このくらいで、私は死んだりは……しない」

 無理に笑おうとするカインを、アリッサは強く抱きしめた。

「あたりまえよ! 絶対に死なせたりはしない!」


 そしてその夜、カインは高熱をだした。

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