第6話 倒れたアリッサ
キルティアの招待から、半月が経とうとしていた。
あの時去り際、あの娘を殺せと叫ぶキルティアの声を、アリッサはバルコニーの下で聞いた。
だが、敵もどうやらすぐに目立った行動を起こすつもりはないらしく、いたって穏やかな日を過ごしていたある日の午後、カインの部屋に数人の侍女がやって来た。
侍女たちは、何か言いたげにカインに目配せをしている。
よくないことでもあったのだろうか。
訝しむ目でアリッサは侍女たちの様子をうかがう。しかし、嫌な気配は感じられない。それどころか、侍女たちは何やら嬉しそうだ。
窓際の椅子に腰をかけ、本を読んでいたカインは、侍女たちの合図に気づき、にこやかな笑みをアリッサに向けた。
「アリッサ、今日は君に贈り物をしたいと思っている」
「贈りもの?」
と、アリッサは首を傾げる。
カインは侍女たちにうなずき返す。すると、三人の侍女が待っていましたとばかりに、喜々とした表情でアリッサを取り囲んだ。
最初にここへ来たときは口数も少なく、よそよそしい態度の彼女たちであったが、話しかけてみると意外にもきさくで、今ではすっかり仲良しだ。
もっとも、この宮にいる者たち全員と打ち解けようとするのは無理なこと。
中にはいまだに旅芸人であるアリッサが、王子の側にいることを快く思っていない者もいる。
だが、そう思われてもかまわない。
人が集まってきて欲しいのはカインの元であって、自分ではない。
これまで寂しくしていたカインの回りが、少しでも明るく賑やかになればいい。
「アリッサ、仕立て屋が参りましたのよ」
「仕立屋? 何それ」
「やあね。仕立て屋といったら、仕立て屋でしょう?」
ねえ、と侍女たちは口元に手をあてくすくすと笑う。
それはそうなのだが。
その仕立て屋が何だというのだろうか。
アリッサは意味がわからないと、再びカインを見る。
「アリッサもここへ来てもうずいぶんとたつ。いろいろと世話になっているし、私からアリッサにドレスを贈りたい」
組んだ足に頬杖をつき、カインは嬉しそうに口元をほころばせて言う。
「ドレス?」
ここで、目を輝かせて喜んでみせれば可愛らしいのだろうが、いかんせん、あまりにも突然すぎたうえに、贈り物などもらい慣れていないアリッサは、ただぽかんと口を開けて驚くばかり。
「い、いらないよ。世話になってるっていっても、たいしたことしてないし。それに、あたしはあたしの好きなようにさせてもらってるもの。だいいち、あたしにドレスなんて似合うと思う? 気持ちだけでじゅうぶん。ありがとう」
と、肩をすくめるアリッサの格好は、動きやすいゆったりとしたズボンに上衣という女の子らしさにはほど遠い姿だ。
何度か下働きの者に間違われ、王子の部屋で何をしているのだと叱られたこともあった。
すると、すかさず侍女たちがいっせいにまあ、と声を上げた。
「断るだなんて!」
「信じられない!」
「カイン様からの贈り物なのよ!」
「う……」
断るなんてどうかしていると、責められては返す言葉もなく、アリッサは声をつまらせる。
それでも、ドレスなんて……と渋るアリッサに、カインのとどめの一言が突き刺さった。
「贈り物などいらない、アリッサならそう言うと思っていたよ。だけど、実は私がアリッサのドレス姿を見たいというのが本音なのだが。だめであろうか?」
「だめって。うう……」
もはや断る理由はない。
いや、みつからない。
それ以上に、断られてしょんぼりするカインを見ては……。
「では、あちらの部屋で、一緒に生地を選びましょう」
ひとりの侍女がアリッサの右腕をとる。
「でもあたし、ドレスなんて作ってもらっても、着たことないから着方がわからない。着る機会だってないし」
「着方なんて、私たちが手伝ってあげるから大丈夫。着る機会? カイン様がアリッサのドレス姿を見たいという理由でじゅうぶんでしょう?」
さらに、もうひとりの侍女が、アリッサの左腕にがっちりと腕を絡ませてくる。
「何を選んだらいいのかも分からないよ」
「だから、いっしょに選びましょうって言ってるでしょう?」
最後に、別の侍女に背中を押され、部屋から連れ出される。
「遠慮せず、気に入ったものを好きなだけ選ぶといい」
「好きなだけって、身体はひとつだよ」
「もう、つべこべ言わずに来るのよ!」
両脇を侍女たちに固められ、なかば引きずられるように別の部屋に連れて行かれると、さらに数人の侍女たちが目を輝かせ待ちかまえていた。
侍女たちはわっとアリッサに群がり、生地をあて、はしゃぎ始める。
「こちらの色はどう?」
一人の侍女が赤い生地をアリッサの肩にかける。
「だめよ、そんなきつい色は。やっぱりこれがいいのではなくて?」
と言って、別の侍女が手にしたのは、淡い空色の生地であった。
まるでお人形遊びをされているようだと思いながらも、彼女たちのされるがままになるアリッサであった。
「うーん、悪くはないけど。ちょっと違う気がするわね」
「あの……これはどうでしょうか……」
そう言って侍女が差し出してきた生地は、真っ白なものであった。
「し、白? だめよ! あたしに白なんて似合わないから」
「そんなことないわよ」
侍女たちがいっせいに口をそろえて言う。
「ねえ、あててみて」
白い生地を手にした侍女は、アリッサの肩にふわりと布地を羽織らせた。
「素敵……」
と、ため息混じりの声が侍女たちの口からもれる。
「とても、似合うわ。アリッサの健康的な褐色の肌に白が映えるわ」
「だけど、ぺったんこの胸にドレスなんて似合わないと思うの」
「だったら、お胸にたくさん詰め物をしちゃいましょう」
「そんなことして、詰め物とったらがっかりされちゃうわね」
ない胸を見下ろし、ため息まじりに言うアリッサに、侍女たちは互いに顔を見合わせにやりと笑う。
「あら、誰にがっかりされてしまうのかしら?」
鋭い侍女の突っ込みにアリッサの顔が途端、真っ赤になる。
「やだ、アリッサったらお顔を赤くして可愛い」
そこへ、誰かがふっ、と忍び笑うのを耳にし、アリッサはその笑った人物へと視線を向ける。
侍女たちの中にひっそりと、まるで空気のように違和感なく馴染み溶け込んでいる人物。
アリッサは驚いたように眉を上げ、そして、その相手が誰であるのかを確認して露骨に顔をしかめる。
イーサ!
どうしてあんたがここに。
それも侍女の格好なんかして……。
「ほらアリッサ、鏡を見て」
白など似合わないと言っていたアリッサだが、鏡に映った自分に思わず見とれてしまった。思っていたよりも悪くない。
「ねえ、ところで、カイン様とはどうなの?」
不意にカインとのことを尋ねられ、アリッサはきょとんとする。
「どうって? 別にどうもないよ」
「あら、カイン様が特別な女性を側に置くのは今までなかったことなのよ」
「ふーん、そうなんだ」
アリッサは人ごとのように答える。
「カイン様に愛をささやかれた?」
「そんなわけ……」
侍女たちは興味津々な顔でついっとつめ寄ってくる。
やはり女同士が集まると、自然とこういう話題になるのはどこでも同じだ。
その輪の中に自分がいるのだと思うと、何となく違和感を覚えた。
けれど、当惑しつつもこの状況がほんの少し楽しいと思っている自分がいる。
「ほんとうに何もないよ。あるわけない」
キスはされたけど……。
でも、あれはあの場の雰囲気がそうさせただけのものであって、カインが自分に特別な感情を抱いてのことではない。そう思っている。
「あたしは旅芸人だよ。カインとじゃ、身分が違いすぎるでしょ」
「でも、アリッサがここへ来てから、カイン様は変わったわ」
「何だか最近は体調もいいみたいだし、何より、とても明るくなったもの」
「ねえ、アリッサはずっとここにいるのよね?」
侍女の問いかけに曖昧な笑みを口元に浮かべつつ、アリッサは表情を翳らせる。
「やっぱり……っ」
白はやめておくわ、と肩にかけられた生地をはずそうと身動いだ途端、アリッサはかすかに眉根を寄せた。
ちくりとした痛みが突然、胸に走ったからだ。
咄嗟に、痛みの箇所に視線を落とすと、胸のあたりに一本の針が刺さっていた。
刺さった細い針を抜き取ろうと腕を動かすと、胸から左腕、そして、指先にかけて鈍い痺れが走りアリッサは片目をすがめる。
これは……。
苦い笑いを浮かべ、痺れた腕を押さえる。
おそらく針に毒が仕込まれていたのだろう。
あたしを殺すと叫んでいたわりには、ずいぶんと、つまらない悪戯を仕掛けてくるわね。
それよりも。
アリッサは胸元を見つめ、小さくため息をつく。
針を抜いたと同時にぷつりと血の玉が浮き上がり、白い生地に小さな赤い染みがにじんでいく。
せっかくの白の生地がだいなしだ。
「どうして針なんか!」
侍女たちはそれぞれ口元に手をあて、青ざめた顔で悲鳴を上げる。
「アリッサ、大丈夫?」
「怪我は?」
「ええ、あたしは大丈夫。だから」
アリッサは侍女たちに騒がないでと言い放つ。
ここで騒ぎを起こしてカインに心配をかけたくない。
「とにかくアリッサ、針をこちらに」
と、侍女のひとりが、アリッサの手から針を受け取ろうと手を伸ばす。
「触っちゃだめ!」
と、声を上げたが、遅かった。
「いた……っ」
指先に針が刺さった侍女は慌てて手を引っ込める。が、次の瞬間、その侍女は胸を押さえて顔を歪め床に倒れ込む。そして、手足を激しく痙攣させた。
もがき苦しむように床の上をのたうち回る侍女はやがて、何度かの痙攣を繰り返し、とうとう動かなくなった。
白目を剥いた侍女の口から吹いた泡がこぼれる。
空気が顫動する。
その場にいた者たちは、目の前で何が起きているのかわからないという様子でしばし、茫然としていた。が、すぐに我に返り。
「いやーっ!」
侍女たちは悲鳴を上げる。
混乱の中、先ほどアリッサを笑った背の高い侍女が側にあったドレスの生地を引っつかみ倒れた侍女を覆って隠す。
「まさか毒針? 誰がこんなことを!」
侍女たちの視線がいっせいに、アリッサに白い布をすすめた侍女に向けられた。
「違う……私じゃない。私は知らない!」
疑いをかけられた侍女は、みなの厳しい視線から逃れるように後退り、何度も自分は知らないと首を振っている。
「私、私……!」
わっと顔に手をあて床にうずくまる侍女を、アリッサは静かな眼差しで見下ろした。
「こんなことになるなんて! 私は聞いてない……私はただ……」
肩を震わせ泣きながら、侍女は何度もごめんなさいを繰り返す。その様子からして、嘘を言っているようには見えない。
おそらく、キルティアの手の者に脅されてやったのだろう。よもや毒針を渡されたとは思わなかったようだ。
アリッサは侍女の側に片膝をつく。
カインの命を狙うのなら許さないところだったけど。
「落ち着いて」
「私は本当に……」
「ええ、信じてるわ」
そう言って、アリッサは泣きじゃくる侍女を引き寄せ抱きしめた。そして、相手を落ち着かせるように何度も背中をさする。
「かわいそうに。利用されたのね」
「私……どうしたら」
「今日のことはもう忘れて。それから……」
アリッサは侍女の耳元に唇を寄せた。
「よけいなことはいっさい喋らず、このまま何も知らないで通すの。いいわね?」
「でも、エリスが……」
エリスとは死んだ侍女の名だ。
「あなたのせいじゃない。あたしのせいよ……」
「アリッサ……?」
「そして、もう二度とカインを困らせるような真似はしないと約束して。分かった?」
アリッサはそろりと立ち上がる。そんなアリッサに、侍女たちがいっせいに視線を向けた。
「アリッサは平気なの……? 胸に針が刺さったのに何ともないの?」
「どうして?」
侍女の指摘にアリッサは顔を歪める。
どうしてと聞かれても……。
さらにそこへ。
「どうしたのだ!」
その声に振り返ると、騒ぎを聞きつけて駆けつけたのか、扉の側にカインが立っていた。
「毒針に刺されてエリスが!」
「アリッサも刺されたの!」
「何だって!」
こちらを見るカインと視線があった。
「アリッサ……大丈夫なのか? 何ともないのか?」
アリッサは静かにまぶたを落とす。
エリスという侍女は毒針に刺され、もがき苦しんで死んだ。
ここで自分も倒れなければカインに、そして、みなに怪しまれる。あたしは何ともないと言っても、みなが納得してくれないだろう。
まだ、カインの側を離れるわけにはいかない。
あたしはカインを守らなければいけない。
アリッサは唇を噛みしめた。
あたしは旅芸人。
ただの踊り子。
普通の女の子。
そう思った次の瞬間。アリッサのとった行動は──。
アリッサは口元に手をあて何かを飲み込んだ。途端、苦痛に顔を歪め、その場に膝をつく。
口元を押さえた指の隙間から血が流れ落ちた。
「アリッサ!」
「やっぱり、アリッサも!」
イーサ。
この場にあんたがいてくれてよかった。
悪いけど、いろいろ役にたってもらうわよ。
厳しい顔つきでこちらを見下ろすイーサに、アリッサは目配せをする。
「よくもアリッサをこんな目に! キルティア……許さない!」
今にもキルティアの元に駆けつけんばかりの勢いのカインの腕を、待ちなさいとつかんで侍女姿のイーサはとどめる。
「落ち着きなさい。あなたが取り乱してどうするのですか?」
「だが、アリッサが! 離せ! その手を離せ!」
「心配はいりませんよ。アリッサなら大丈夫」
そう言って、侍女の姿をしたイーサは、カインの手に小さな包みを押し込み、耳元に唇を近づける。
「解毒剤です。すぐに彼女に飲ませなさい」
手に押し込まれたそれを見つめ、そしてカインは再び視線を上げる。
「解毒剤? おまえはいったい?」
誰なのだ、とカインはイーサに分した侍女を見上げる。
男だとは気づいていないようだ。
イーサはふっと口元に笑いを浮かべる。
「カイン様の竪琴。とても見事でございましたよ」
竪琴? と呟きカインは大きく目を見開いた。
そこで、ようやく相手の正体に気づいたようだ。
「あの時の宴で見たイゾラの……アリッサの仲間」
口元に笑みを浮かべ、イーサは唇に人差し指をたてる。
そこへ。
「そこにいる背の高い女は誰? 見ない顔ね……その女が怪しいわ……! 捕まえて!」
苦しげに声を振り絞りイーサを指さすアリッサに、みながいっせいにイーサに視線を向ける。
「そういえば……彼女は誰?」
「私てっきり新入りかと思ったわ」
「彼女が毒針を仕込んだ犯人なの?」
「アリッサのこと、頼みましたよ」
そう小声で言い残し、イーサは部屋から走り去る。
イーサ、お願い。
あたしの代わりにカインを守るのよ。
「アリッサ! アリッサ!」
自分の名を叫ぶ、カインの声が遠くに聞こえる。
カイン……大丈夫よ。あたしは平気だから。だけど、あたしとしたことが……失態だわ。
身の程もわきまえず、ここでの生活が、カインと一緒にいる毎日が、みんなとのお喋りが楽しいなんて思ったから。
だから、油断をしてしまった。
きっと、その罰ね。
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