第5話 敵からの招待

 アリッサが王子の元に来て、一ヶ月が過ぎようとしていた。

 暇を見つけては、時折二人で森や河原にでかけ、魚や狩りをして食事をとり、最近ではアリッサ自ら厨房に出向き、親しくなった料理長に食事を作らせた。

 時には、カインの信頼する古参の侍女たちに自慢料理を作ってもらい食べることも。

 カインは家庭の味だととても喜んだ。

 エドラもいつものように姿を見せるが、二人の間には目にはみえない空気が張りつめていた。

 いや、エドラに何の疑いを抱いていないカインはいたって今まで通りだ。

 どこか妙な一線をもって接しているのは、エドラの方である。

 さらに、アリッサが王宮に来て大きな変化があった。

 それは、体調が思わしくないせいもあったのだが、今まで部屋で寂しく過ごしていたカインの回りに、人が集まり笑い声があふれるようになったことであった。

 時にはこんな光景もみられた。

「ねえ、みんな部屋においでよ! カインが竪琴を聴かせてくれるって」

 アリッサの呼び声に、年若い侍女たちは互いに顔を見合わせる。

「いいのかしら……」

「だめよ、侍女頭に叱られてしまうわ」

「ほら、遠慮しないで来なさいよ。料理長から焼き菓子の差し入れもあるのよ。あんたたちいいの? パーシアに全部食べられても」

「えーっ!」

「うそ!」

 侍女たちは素っ頓狂な声をあげた。

 なぜならパーシアとは、若い侍女たちが恐れる侍女頭のことであったからだ。

「パーシア様ずるいですわ!」

 カインの竪琴と甘いお菓子につられ、侍女たちは嬉しそうな顔でカインの部屋に集まってきた。しかし、この変化をおもしろく思わない者もいた。

「最近、王子の宮がずいぶんと賑やかではないか。それもあの卑しい旅芸人の小娘が仕切っていると」

 キルティアは、不機嫌な感情もあらわに美しい顔をしかめ、相変わらず側にはべっているアズル将軍に視線を移した。

「エドラにあの娘の動向を探らせてはいるのですが、とくに怪しいところもなく。それに王子はあの娘をいたく気に入っている様子で」

 キルティアはふと何か思いついたように視線をあげた。

「あの娘を、我が宮に呼べ」


◇・◇・◇


「キルティアがアリッサを招きたいだと? 何をばかな」

 今朝、キルティアの使いの者から渡された招待状にカインは声を荒らげた。

 カインに招待状を手渡した侍女は、言いずらそうに、さらに言葉を継ぐ。

「アリッサ様がイゾラの旅芸人だということを知って、ぜひ、ウィリデ様のために舞を披露して欲しいと」

「断れ」

「ですが……」

「何か企んでいるに決まっている。それにアリッサの踊りは……」

 そこまで言ってカインは口を噤む。

「あたしはかまわないよ」

「だめだ」

 がんとしてはねつけるカインを説得するように、アリッサは言う。

「心配しなくても、大丈夫だよ。あたしはそう簡単にやられたりはしない。それに、敵の腹の内を探るにも、これは絶好の機会だと思うの」

「だが、アリッサにもしものことがあったら、私はどうしていいのかわからない。いや……」

 カインはアリッサから視線を外しうつむいた。

「アリッサが私の元から離れてしまうのではないかと。すまない、それが本音だ」

 アリッサは目を見開いた。

 カインがあたしを必要としてくれている。

「あたしはどこにもいったりしないよ。ほんとうだよ。必ずカインの元に帰ると約束する。だから……」

 ね? と、アリッサはカインの手をとった。


◇・◇・◇


「アリッサといったな。そなたはイゾラの旅芸人と聞いたが、まことか?」

 真っ向から見つめてくるキルティアの視線を臆することなく受けとめ、アリッサはそうよ、とうなずく。

「本当か?」

 再度問いかけるキルティアに、アリッサはあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。

「信じられないと言うなら、別にかまわないよ」

 あなたに信じてもらえなくてもいい、という態度のアリッサに、キルティアはまなじりを細める。

 側で控えているキルティア付きの侍女たちは、この緊迫した空気を、はらはらとした様子で見守っている。

 けれど、この張りつめた雰囲気も長くは続かなかった。唐突に現れた人物によって緊張感が解かれたからだ。

「母上?」

 見ると戸口に年の頃は七、八歳の少年が立っていた。

 キルティアを母と呼ぶからには、この少年がキルティアの息子、もうひとりの王位継承者であるウィリデ王子だ。

「ウィリデ……なぜここに。お部屋で遊んでいたのではなかったのですか?」

 それまでの態度とは一変し、キルティアは目元を和らげ優しい口調で王子をたしなめた。

「ごめんなさい、母上。でも、お客様がいらしたと聞いたから、どんな方かと」

 王子はキルティアの側へと小走りに寄り、無邪気な顔でアリッサを見上げた。

「この方がお客様?」

「ただの旅芸人ですよ」

 卑しい身分の者に話しかけてはいけないと言わんばかりのキルティアの口調だが、ウィリデ王子にはそれが伝わらなかったようだ。

「旅芸人? もしかして、あなたが義兄上のところにいるイゾラの!」

 王子は瞳を輝かせた。

 興奮気味に頬を赤くし、小さな手でアリッサの手を握りしめる。

「あなたの得意な芸は何ですか?」

「舞よ」

「ねえ、僕にもあなたの舞を見せてはくれませんか?」

「悪いけど、あたしの舞はとびっきり高いの。だからだめ」

 アリッサの無礼な受け答えに、年かさの侍女が立ち上がった。

「おまえ、王子に対するその口のききよう! たかが芸人風情が無礼にもほどがあるぞ」

 アリッサのぞんざいな態度を責める侍女を、王子は手で制した。

「いいのです。突然お願いした僕が悪いのですから。でも、少しだけお話を聞かせてもらうことはできませんか?」

 王子はつぶらな瞳でねだるように、アリッサを見つめ、そして、キルティアを見上げた。

「だめでしょうか……母上」

 キルティアは小さくため息をつく。

 いいでしょう、という意味である。

 途端、王子は満面の笑みをたたえる。

 その夜、王子を交えての夕食会が開かれた。

 王子はアリッサにたくさんの話をねだった。

 各地を回り、そこで見聞きした面白い話をアリッサは次々と語り、王子は熱心に聞き、声をあげて笑った。

 アリッサの話は途切れることなく、そして王子は笑いすぎて目に涙さえ浮かべている。

 食後のお茶が運ばれ一息ついた頃。

「ウィリデ、そろそろお部屋に戻る時間ですよ」

 母の言葉に王子は途端、しょんぼりとする。

「さあ、ウィリデ様。お部屋に戻りましょうね」

 侍女に手をひかれ、名残惜しそうにウィリデはアリッサをかえりみる。

「明日もまたお話を聞けたらいいのですが」

 しかし、アリッサは曖昧に笑っただけであった。

「アリッサが側にいてくれたらとても楽しいのに。ねえ、いつかあなたの舞を見せてはいただけませんか?」

「そうね。いずれ王子様に特別の舞を見せてあげる。特別な舞をね」

「ほんとうに?」

「ええ」

 ウィリデ王子はにこりと微笑むと、侍女たちとともに部屋を退出した。

 王子がいなくなった途端、それまで和んでいた空気が一変する。

 再びアリッサとキルティアの間に張りつめた雰囲気が流れた。

 しばしの沈黙の後、キルティアの口からでた言葉はアリッサの予想を反した。

「我が息子ウィリデのために、この宮にとどまりなさい」

 キルティアはじっと、アリッサを見つめた。

「おまえは、わたくしを前にしても物怖じせず、肝のすわった娘で気に入った。そして、人見知りの激しいウィリデも、おまえに懐いている。何より、ウィリデがあのように笑うのを、久しぶりに見た」

 しみじみと言うキルティアの表情は、息子を思う母親の顔であった。

 アリッサは無言でキルティアの真意を探るように見つめ返す。

「本来なら、おまえを殺すつもりでこの宮に呼んだのだ」

「まあ、何となくそう思ってたよ」

「ほう? そうと知って、この宮をたった一人で訪れたと? 度胸があるのか、あるいは……」

 キルティアは口の端をつりあげて笑う。

「だが、ますます気に入った」

「それはどうも」

「わたくしの言うことに従うならば、おまえに贅沢な暮らしと相応の地位を与えよう」

「贅沢も地位もまったく興味ないの。それにあたし、欲しいものは自分の手で手に入れる性格たちだから」

 そう言って、アリッサは椅子からすっと立ち上がった。

「そろそろ帰るわ。カインが心配するといけないから」

「断るというのか」

 キルティアはさっと、視線を奥の続きの間に走らせた。

 するとそこから数十人の兵が現れ、アリッサを取り囲んだ。そして最後にアズル将軍がやって来てアリッサの前に進み出る。

「これでも断ると言うか?」

 アリッサは口元に不敵な笑みを浮かべた。

「こうなると分かっていて、なぜあたしがのこのこと、ここへやって来たか分かる?」

 キルティアは無言で、アリッサの言葉の続きを待った。

「こういうことよ」

「……っ!」

 突然アズル将軍が声にならない声をあげ、目を見開き硬直する。

 アリッサがアズル将軍の元に走りだしたと思った次の瞬間、いつの間にかその手に抜き身の短剣が握られ、将軍の喉元に突きつけられていた。

「ぐ……」

 アズル将軍のこめかみから、つっと一筋の汗が流れ落ちあごを伝った。

 アリッサはくつりと笑って身を引く。

「でも、今日は何となく気分が乗らないからやめておく。あんた、助かったね」

「おまえは一体、何者!」

「だから、言ったでしょ、ただの旅芸人だって」

 そう言い残し、アリッサはさっと身をひるがえすと、バルコニーから身を躍らせた。

「待て!」

 しかし、手すりから身を乗り出して眼下をのぞき込んだときには、すでにアリッサの姿は暗闇に消えてしまっていた。

「キルティア様!」

 兵士たちの間にどよめきが走った。

「……せ」

「は?」

「あの小娘を殺せ。殺してしまえ!」

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