第4話 王子の護衛

 翌朝。

 食事の乗った盆を手に、カインの侍従が部屋に現れた。

「カイン様、お食事をお持ちいたしました」

「ああ、エドラ」

 カインよりも少し年上のエドラと呼ばれた侍従は、盆をテーブルに置くと寝台でいまだ寝ぼけた顔でいるアリッサを、胡散臭げに一瞥する。

 そんな侍従の冷たい視線もよそに、アリッサは両手を頭の上にあげ、うんと伸びをした。

「おはよう、アリッサ。よく眠れた?」

「ぐっすりよ」

 昨夜、この部屋に訪れたアリッサの格好は、身体が透ける薄布一枚であったが、カインの夜着を借り、今はまともな姿だ。

 さらに、昨夜はどちらが寝台で眠るかで軽くもめた。

 アリッサは各地を転々とする旅芸人。

 当然、野宿にも慣れている。

 だから、自分は床でじゅうぶんと言ったのだが、カインは女性を床に眠らせるわけにはいかないと譲らない。

 しばし、互いに寝台を譲るともめていたが、結局、一緒に眠ろうということに落ち着いた。

 ひとつの寝台をともにしたが、もちろん何もない。

 二人して朝までぐっすりであった。

「いい匂い。お腹すいた」

 侍従の冷たい視線など気にもせず、アリッサは寝台から飛び起き、すかさずテーブルへと走り寄ると、用意された食事をのぞきこむ。

 盆の上には香草で焼いた肉や野菜、スープに数種類のパンが並んでいた。他にもザクロやぶどうなど、果物も豊富だ。

「朝から豪華ね」

 だが、体調のすぐれないカイン向けではないような気がした。

「カインは部屋で食事をとるの?」

 王子の名を呼び捨てにするアリッサを、エドラは咎める目つきで睨む。が、それでもアリッサは気にしない。

「食事の部屋で、みんなに見られながらひとりで食事というのも味気ないからね」

「いつもひとりで食事なの?」

「たいていは」

「確かに、それじゃ食べた気がしないわね」

 テーブルの上にのった食事を見て、カインは深いため息をつく。

「あまり食欲がないのだが……」

「またですか? そう言って、ここ数日ほとんど口にしていないのですよ。少しは召し上がっていただかないと、本当に倒れてしまいますよ!」

 エドラは腰に手をあて、カインを叱りつける。

「相変わらずエドラは厳しいな」

「心配しているのです。せめて一口だけでも」

 王子に対する口の利き方からして、このエドラという侍従は、カインとずいぶん親しい間柄のようだ。

「でないと私が叱られてしまいます」

 厳しい目で見つめてくるエドラに根負けしたカインは、観念したように椅子に腰をかける。しかし、食事を目の前にするカインの表情は憂鬱そうだ。

「そうだ、アリッサもどうだ?」

「いいの?」

「アリッサも一緒なら、少しは食欲がでるかもしれない」

「いけません! 客人には別室にて食事を用意してあります」

 すかさず飛んできたエドラの叱責に、またしてもため息をこぼし、しぶしぶ料理に手を伸ばすカインを、アリッサは待ってととどめる。

 そして、あろうことか、カインのために用意された食事を、手でつまみ口にした。

「無礼な!」

 エドラは声をあげた。

 アリッサはわずかに顔をしかめ、口の中のものをごくりと飲み込むと、盆を手に取る。

「不味いわ」

「な……」

 当然のごとく、エドラは面を食らった顔をする。

「こんな不味いもの、食べられたもんじゃない。さげて」

「何を勝手なことを……」

「アリッサ」

 さすがのカインもアリッサの行動をたしなめるが、それでもアリッサは引かなかった。

「カイン、こんな冷めた食事より、あたしがもっと美味しいものを食べさせてあげる」

「困ります!」

 アリッサは目を細め、エドラに視線を移す。

「何が困るというの?」

 アリッサの鋭い目に射竦められたエドラは、顔を引きつらせ硬直する。

「私はずっとカイン様のお世話をさせていただいております。食事の担当も私の仕事です」

「おまえの仕事と、カインの体調。どちらが大切?」

「それは……」

「そうだわ。なら、おまえがかわりに食べてみて」

 さあ、とアリッサは手にした盆をエドラの前に突きだした。

「カイン様のために用意した食事を私がいただくなど……」

「どれだけこの料理が不味いか、ちゃんと自分の舌で確かめなさい。さあ」

 それでもしぶるエドラに、アリッサはすっと目を細めた。

「それとも食べたくない、いいえ、食べられない理由があるの?」

「何を!」

 突き返された盆を持つエドラの手が小刻みに震えていた。

「アリッサ、いったいどうしたというのだ」

「用心のためよ」

「何の用心だ?」

 聞かなくてもわかるでしょう? とアリッサはカインを無言で見つめ返す。

「その必要はない。ここまで運ばれてくる間に毒見はされている。何よりエドラは信頼できる者だ」

 そう、とアリッサはカインをかえり見て仕方なく肩をすくめた。

「でも、あたしはこんな不味いもの食べたくないわ。カインだってそうでしょう?」

 カインは困ったように首を振り、エドラに視線を向けた。その様子からして、食欲も失せてしまったという感じであった。

「エドラ、今日はもうさがってもよい」

「はい……」

 と、静かな声を落とし、エドラは逃げるように盆を手に部屋から退出した。


◇・◇・◇


 その後、半ば強引にアリッサに連れられ王宮を抜け出したカインは、馬を駆り近くの河原へとやってきた。

 明るい陽射しが水面にきらきらと反射して眩しい。

 河原で魚を釣る二人の楽しげな笑い声が辺りに響き渡る。アリッサは、嬉々とした声をあげ、お手製の釣り竿を河に投げ放つ。

「かかったわよ!」

「こっちはまた逃してしまった」

 カインは心底悔しそうな顔をする。

「弓なら得意なのだが。よし、今度こそ!」

「あはは、頑張って」

 エドラの件のこともあってか、最初は魚釣りなどと渋る態度をみせたカインであったが、次第に気持ちが乗ってきたらしい。

 夢中になって魚を釣るカインの姿は、まるで子どものようで、そして意外にも負けず嫌いであった。

 笑った顔も、年相応の少年のものだ。

 そんなカインを見て、アリッサは笑みをこぼす。

 ほどなくして、手応えを感じたらしく、カインは竿を引き得意げな顔で、釣り上げた魚をアリッサに見せびらかした。

「どうだ! 見てみろ! アリッサの釣った魚よりも大きいかもしれないぞ」

「すごいじゃない、今日一番の大物ね」

「アリッサは褒め上手だな。調子にのってしまいそうだ」

「ほんとうのことを言ったのよ」

 二人は顔を見合わせ笑った。

「じゃあ、お昼にしよう。お腹すいたでしょう?」

「これを食べるのか?」

「そう、焼いて食べるの。魚はきらい?」

 いや、とカインは首を振る。

「おいしいよ」

「よし、私も手伝おう」

 アリッサに火の熾し方を教わり、釣ったばかりの魚を焼いた。いい具合に焼けた魚にかじりついたカインは目を見開く。

「うまい……これはうまいぞ!」

「でしょ?」

「これならいくらでも食べられそうだ」

「たくさん食べるといいよ」

 朝はまったく食欲がないと言っていたカインだが、驚いたことに釣った魚、五匹をぺろりと平らげてしまった。

「本当にうまかった。こんなうまいものを食べたのは久しぶりのような気がする」

 大げさなくらいうまいを繰り返し、満足げな表情をするカインの頬に、アリッサはすっと手を伸ばした。

「ほんの少し、頬に赤みがさしたね」

「ああ、何だか、今日はだいぶ体調がいい」

「そう、よかった」

「アリッサのおかげだな」

 アリッサの表情が一瞬翳る。

「どうした?」

 カインは訝しむように、アリッサを見つめ返した。

「ひとつ聞いてもいい?」

「何だ?」

「あのエドラという侍従は、本当に信頼できる者なの?」

「なぜそのようなことを聞くのか。彼は私が幼い頃からずっと行動をともにしてきた。私にとっては兄のような存在」

 そう、とアリッサは声を落としうつむく。

「エドラがどうしたのだ?」

 しかし、アリッサはそれ以上のことは何も言わなかった。

 落ちた沈黙を払拭するように、カインはうんと伸びをした。

「それにしても、本当に今日は気分がいい。こんなに笑ったのも久しぶりだ」

「おいしいものをたくさん食べて、いっぱい笑う。それが元気になる一番の薬よ」

 そうだな、とカインは呟いた。

「早く健康な身体を取り戻して、倒れた父にかわってこの国を守っていきたいのに。なのに、私が不甲斐ないばかりに。母にまで辛い思いをさせている」

 いったん言葉を切り、カインは、大きく空を振り仰いだ。

 さまたげるもの一つない青空に、白い雲がゆっくりと流れていく。

 しばしの沈黙の後、カインは訥々と語った。

「キルティアは自分が王妃となるため、正室である私の母を、幾度となく暗殺しようと刺客を放ってきた。私はキルティアの手から母を守るため、母の身を隠させた。そして、父が倒れた今、今度は己の息子を王位につけるべく、私の命を狙い始めた」

 まあ、よくある話だ。

「殺してしまえばいいのに」

「え?」

 よもや、アリッサの口からそんな言葉が出るとは思いもしなかったカインは、一瞬、驚いた顔をする。

「ほら、やられたらやり返せって言うでしょう?」

 茶目っ気に言うアリッサの表情を見て、冗談で言ったのだと察し、カインは苦笑した。

「だが、そうもいかないのだ。我がトリア国は回りの国々を属国し、なかば人質に近い状態で各国の姫君を娶った。キルティアもそのうちの一人。もし、彼女の身に何かあれば、彼女の祖国、隣国セディアは黙っていないだろう。ましてや王である父が倒れた今……なのにこんな大事な時に私は……」

 カインははっとなって顔を上げた。

「すまない……こんな話、アリッサにはつまらなかったね。それに愚痴っぽくなってしまった」

 情けないとばかりに、カインは視線を手元に落とす。その手にアリッサはそっと手を重ねた。

「ううん、難しい話はよく分からないけど、つまらないなんてことはないよ。それに、話すことでカインの心が少しでも楽になれるのなら、いくらでも聞いてあげる。ひとりでため込むのも身体によくないのよ。だから、あたしでよければ何でも話して」

「ありがとう、アリッサ。アリッサが側にいると元気になれる気がする」

「カインのためならあたし、何でもするよ」

 カインはじっと、アリッサを見つめ返した。

「君はいったい何者なのだろうか。元気で明るくて無邪気な少女かと思えば、剣舞を舞う姿は神秘的で、本当に女神が降りてきたのかと思った。けれど、エドラに食ってかかった時のアリッサの目は、私ですら背筋がぞくりとするほどに恐ろしかった。君は不思議な少女だ」

「言ったでしょ、ただの旅芸人だって」

 アリッサはその話題からそらすように、あっと手を叩いた。

「明日はさらに森の奥に行ってみない? 薬草の種類や、食べられるきのこの見分け方とか教えてあげる。ついでに、きのこ狩りなんてどう? それに、運が良ければこの時期、シマフクロウのヒナの巣立ちが見られるかもしれないよ」

「ほんとうか?」

「ええ。巣立ったばかりのヒナって、うまく飛べずに地面によく落ちるの。とっても可愛らしいんだから」

「それは楽しみだ」

「それから、もしカインの体調がよければ、得意の弓を見せて欲しいな」

「私の弓を?」

 アリッサはにこりと笑ってうなずく。

「見せてくれる?」

 アリッサにいいところを見せたいと思ったのだろう、カインは嬉しそうだ。

 ふと、身動いだカインの指がアリッサの指先に触れた。

 二人は言葉もなく見つめ合う。

 さえずる鳥の鳴き声も、川のせせらぎも、すべてが耳から遠のいていく。

 カインの唇がごく自然に、アリッサの唇に重ねられた。

 軽く唇が触れあう程度の優しい口づけ。

 顔を離したカインは、気まずい表情で視線を手元に落とす。

「すまない……」

 アリッサはうつむいて首を振る。

「ううん、あやまらなくていいの」


◇・◇・◇


「申し訳ございません」

 エドラはキルティアの前にひれ伏した。

 カインが口にする食事に微量の毒を盛り続け、徐々に、けれど確実にカインの身体を蝕み、病気とみせかけ殺害しようと企んでいた。が、あれ以来毒を混ぜた食事を出すと、必ずアリッサに突っ返された。

 キルティアはエドラを一瞥し、鼻で嗤う。

 まるで、おまえになど最初から期待はしていないという態度だ。

 エドラはうつむいたまま、悔しげに唇を噛みしめる。

「それにしても、カインの側にいる娘はいったい何者だ」

 キルティアは苛立たしげに声を荒らげ、傍らに立つお気に入りのアズル将軍を問いつめる。

「あの宴でも言っていたとおり、自分はイゾラの旅芸人だと」

「イゾラの旅芸人?」

「あくまで、本人がそう言っているだけのようですが」

 キルティアは整った眉をひそめた。

 そういえば宴の席で、あの娘がそんなことを言っていたことをふと思いだす。

「イゾラの芸人は、人の心を魅了する芸を持つのはもちろんのこと、誰もが息を飲むほどの美貌も持つと聞く」

 アリッサの十人並みの容貌と、見苦しい下手な踊りを思い浮かべ、キルティアは目を細めた。

「あの娘、ほんとうに旅芸人なのか?」

「キルティア王妃?」

 首を傾げるアズル将軍に、キルティアは何でもないと首を振る。

「今後もあの娘を注意深く見張れ。何か気づいたことがあればすぐに教えるのだ」

 はい、と声を落とし、エドラはさらに深々と頭をさげた。

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