第3話 剣舞と竪琴

 部屋に通されたアリッサは、あらかじめ教わったとおり、王子の前にひざまずき頭をたれた。

 王子が侍女たちに何やら合図をしたのが気配で感じられた。たぶん、彼女たちに部屋を退出するよう命じたのだろう。

 侍女たちの間に動揺が走ったのも、空気で感じ取れた。

 アリッサが、たとえかの有名なイゾラの旅芸人だとしても、得たいの知れない者であることにかわりはない。

 しばし、侍女たちはためらう様子ではあったものの、王子の命令とあればやむなしと思ったのか、静かに部屋から去っていく。

 もっとも、アリッサの支度を調えた侍女たちは、アリッサが武器も何も所持していないことをわかっている。

 だから、王子に危害をくわえることはない、と思ったのもあったのだろう。

 そして、この部屋にいるのは、目の前にいる王子とアリッサのみとなった。

「顔をあげてくれますか」

 落ち着いた声音が頭上から落ち、アリッサはおそるおそる面をあげ王子を見上げた。

 宴の席で自分に向けてくれた優しい笑顔がそこにあって、少し安心する。

 人をひきつける美しい容貌。

 イーサとはまた違う、大人と少年の狭間で揺れる曖昧な雰囲気。

「先ほどは危ないところを助けられた。礼を言う。ありがとう」

「そんなの……たいしたことしてないから」

 あの時は勝手に身体が反応してしまったが、よくよく考えれば、自分が出しゃばらずとも、たかが小娘程度の攻撃、この王子ならどうとでもなったのかもしれない。

「名前をうかがってもよいだろうか? 私はカインだ」

「アリッサよ……いえ、です」

 王子がゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。アリッサはぎゅっと唇を噛み、透けた身体を隠すように身を縮めた。

 いよいよだと堅く目を閉じ覚悟を決めるアリッサの両肩に、ふわりと何か柔らかいものが触れた。

 そろりと目を開けると、絹の羽織りものが肩にかけられた。

「あの……」

 思いもよらない王子の行動に、アリッサは戸惑いの表情を浮かべる。

「夜風が冷たい。その格好では風邪をひいてしまう」

 アリッサは掛けられた肩掛けを、胸の前でかきあわせた。

 どうやら、このまますぐ寝台に直行という雰囲気ではなさそうだと、ほっと胸をなでおろす。

「アリッサか……伝説の地、古代イゾラ帝国の民が信仰した、戦いの女神の名」

 そう呟く王子に、アリッサは驚いたように目を開いた。

「イゾラの女神を知っているの?」

「ああ、書物で読んだ。どの本にも、アリッサは美しい女神と称えられている。そして、気性の激しい女神だと」

 戦いの女神アリッサは、天上界で戦いと殺戮に明け暮れ、それを見咎めた天空神によって地上に堕とされた。

 その後、女神は人間の男と恋に落ち、多くの子どもを授かり、やがて、その子らはイゾラの民、戦いの民と呼ばれるようになったという。

 もっとも、イゾラの地も民も、実際に存在したのかすら定かではない。

 ただの言い伝えだ。

「アリッサはあの有名なイゾラの旅芸人一座に所属していると聞いたが、ほんとうか?」

 バルコニーそばの椅子に導かれ、アリッサは腰をおろした。

「ほんとうよ。いえ、ほんとうです」

 カインがくすりとおかしそうに笑う。

「いいよ、いつも通りのしゃべり方で。私は気にしない。それに、堅苦しいのは好きではない」

 えっと、なら……と口ごもりアリッサは深呼吸して緊張を解く。

「踊り子をやっているの」

「踊り子?」

 アリッサの答えにカインは突然ぷっと吹き出した。

 しばし、うつむいて肩を揺らしていたが、とうとうこらえきれないというように、声をあげて笑いだす。

「えっと……」

 王子の反応に、どういう対応をすればいいのかとアリッサは困惑して首を傾げる。

「いや、すまない。笑うつもりは……なか……ふっ」

「笑いすぎのような気もするんだけど」

 とはいえ、王子が笑うのも無理はない。

 宴の席で披露した、アリッサのぎこちない踊りは、踊りとはいえない滑稽なものだった。

 だけど、そこまで笑うほどひどかったのかなあ。

 アリッサはむうっと唇を尖らせた。

「踊りは踊りでも、あたしの得意はそれ」

 それ、と言って、アリッサは王子の椅子の横にたてかけてあった剣を指差した。

「剣?」

「そう」

「なるほど、剣舞か」

「そう、剣舞」

「そうだ、よかったら私にアリッサの剣舞を見せてはくれないだろうか?」

「今?」

 期待の眼差しでカインが見つめてくる。

 きらきらとした黒い瞳。

 まるで子どものようだ。

「ここで?」

 うなずいて、側にあった剣を差し出してくる王子の行動に、アリッサは眉をひそめた。

 ついさっき、殺されかけたばかりだというのに、会ったばかりの者に剣を渡すなど警戒心がなさすぎる。

 アリッサは肩の力を抜いて微笑む。

「いいよ、見せてあげる」

 自分を信用してくれているのだと思うと、何となく嬉しい気もした。

 アリッサは王子から剣を受け取ると、剣を鞘から抜き、軽やかな身のこなしで窓から庭へと飛びだした。

 羽織っていた絹の肩掛けがふわりと風に揺れ、まるで蝶の羽のように軽やかにひらひらとなびく。

 王子が竪琴を手にする。

「伴奏は私が。もっとも、宴の席で竪琴を弾いていたあの青年にはかなわぬが。曲は何がよいだろうか?」

「とびっきり激しいのがいいわ」

「わかった。では、そなたの名と同じ、戦いの女神、アリッサの戦闘の舞曲を」

 カインのしなやかな指先が竪琴の弦を弾く。

 最初の音が静かな夜の空気を震わせた。

 アリッサはひらりと剣を空高くかかげる。

 月明かりに照らされた刀身が光をはじく。張りつめた空気に緩やかな風が流れ、庭園に咲く花の甘い香りを運ぶ。

 アリッサのふるう剣の勢いに、花びらに付着した夜露がはじかれて散る。

 まるで、眩むような幻想的な夜。

 艶めく、蒼い月の光。

 静かな星のささやき。

 そらに流れる大河。

 互いの呼吸をあわせ、時には激しく、時には優雅にアリッサは剣を閃かせ、舞を舞い、カインは竪琴を弾いた。

 つまびく琴の音が最後の余韻を響かせ、夜の虚空に吸い込まれ溶けていく。

 さっとと風が吹き、その風にのって無数の花びらが舞い上がる。

 しばし、二人は身動きすることもせず、互いに視線を合わせた。

 やがてカインの唇からため息がもれ、アリッサも長い息を吐き出した。

 ひたいに汗を浮かべるアリッサに、カインは冷えた果実水が満たされた杯を差しだした。

 アリッサは果実水で喉を潤し息つく。

「……素晴らしい」

「ありがと」

「だがなぜ、先ほどの宴で剣舞を披露しなかった? きっと、みなアリッサの美しい舞に見とれたであろうに」

「特別な人にしか見せたくないの」

「私は特別?」

「そうよ。カインは特別」

 カインは嬉しそうに笑みをこぼす。

「ありがとうアリッサ。美しくも勇壮な舞を見せてもらった。まるで、本当に戦いの女神が降臨したのかと錯覚するほどに」

 カインは夜空を見上げ、満足そうに目を閉じた。

「楽しい一夜を過ごせた。私にとって最高の誕生日の贈り物だ。疲れたであろう、今宵はもう休むといい。私はもう少し夜風にあたりながら、余韻にひたるとしよう」

「ねえ」

 アリッサに呼びかけられてカインは何だ? と視線を傾ける。

「……あたしを、抱かないの?」

 言って、アリッサは頬を朱に染めた。

 こんな言い方、まるで抱かれることを期待しているみたいではないか。

 いや、期待ではなく。

 ただ……。

「あたし、魅力ない?」

 カインは静かに微笑む。

「とても魅力的だよ。けれど、私は心から愛し合う者同士が互いを求め、結ばれるのが望ましいと思っている。回りの者は早く妃を迎えて跡継ぎをと急かすのだが。おかしいかな?」

 ううん、とアリッサは首を振る。

「おかしくなんかないよ。カイン様に愛される女性はとても幸せね」

 カインは一呼吸置いて続けた。

「それに、見たであろう? 私は命を狙われている。私とかかわれば、アリッサまで危険に巻き込んでしまうかもしれない。朝になったら仲間の元に戻るといい。信頼できる者に送らせよう。それと、素晴らしい舞を見せてくれた礼がしたい。何でも、とは言っても、私に差しだせるものに限るが。欲しいものや願いごとを言うとよい」

「カイン様は……」

「カインでいい」

「えっと……じゃあ、カ、カインは命を狙われているのよね?」

 アリッサの脳裏に、宴の席で見た、顔だちのきつい女の姿がよぎる。

 アリッサの問いかけに、カインは無言で手にしていた竪琴の弦をはじく。

 カイン王子は文武に長けた人物だと聞いた。けれど、月明かりにさらされたその顔は蒼白く、今にも消えてしまいそうな儚い雰囲気だ。

 体調があまりすぐれないという噂も、どうやら本当のようだ。

 だが、それは……。

 アリッサはそっとカインに近づきひざまずく。

 こんなに青ざめて、かわいそうに。

 自分の身体が今、どういう状態に陥っているのかも気づいていないのね。

 ねえ、カイン。このままでは、あなたは死んでしまうわ。

「なら、願いはただひとつ」

 膝をついたまま、アリッサは強い眼差しをカインに向ける。

「しばらくの間だけでいいの。あたしをカインの側に置いて」

「アリッサ……」

 目を見開くカインに、アリッサはそういう意味ではなくてと首を振る。

「カインの護衛としてよ」

「だが……」

 口を開きかけたカインの唇を、アリッサは手でとどめる。

 冷たい唇であった。

「あたし、こう見えても強いの。すごく。必ずカインの役にたってみせる。カインを守ってあげる。だから」

 お願い、と声を落とし、アリッサはカインの手に自分の手をそっと重ねた。

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