第1話 イゾラの旅芸人

「選りすぐりの美女を集めろと言ったはずだが」

 宴をとり仕切る責任者とおぼしき男が、あからさまに顔をしかめ、ひとりの少女を指さした。

「何なのだ、この貧相な娘は! 色気もない、舞も踊れない、容姿並以下。誰がこんなのを連れてきた!」

 声を荒らげる男に、さあ、とみなが首を傾げる。

 一方、こんなのと指をさされた本人は、困った顔で頭に片手をおいた。

「踊りはあまり得意ではなくて」

「ならば、何故この宴に来た!」

「あは……」

 アリッサは戯けた仕草で小首を傾げ笑った。

「笑いごとではない!」

 男は顔を真っ赤にし、アリッサを怒鳴りつける。

 男が怒るのも無理はない。

 アリッサの踊りは、踊りというにはあまりにもお粗末で、まるでぎこちなく動く出来損ないの絡繰り人形のようだと、回りから嘲笑が飛び交った。

 それに、色気がないといわれても否定はできない。

 胸もお尻も貧弱で、とりたてて美しいわけでもない。

 アリッサは各地を旅回りする芸人一座の一員で、急遽、トリア国王子の十七歳の誕生日を祝う宴に招かれ、舞を披露することになったのだ。

 しんと静まりかえった宴の席に、くすくすと娘たちの忍び笑いが広がり、アリッサは笑い声のした方を振り返る。

 そこには、自分の美しさを最大限に引き出そうと着飾り、化粧をほどこした若い娘たちがいた。

 みな、王子の誕生日祝いに集められた美女たちだ。

 それぞれ、優雅な舞や得意の楽器、自慢の歌声を披露し、誰もが王子の目を引こうと必死の努力がうかがわれる。

 けれど、必死なのは娘だけではなく、その親たちもだ。

 この宴は王子の誕生日祝いと称して、王子の結婚相手を選ぶことが目的の宴でもある。

 もしも、自分の娘が王子の目にとまり、寵愛を得られたなら。

 いや、さらに幸運にも妃の座を射止めれば──。

 まあ、そういうことだ。

 ふと、娘たちの中でも国一番の美女と、誉めそやされている少女と視線があった。

 背筋を伸ばし、つんと張った大きな胸を自慢げに見せつけ、薄布で申し訳程度に腰を覆っているだけの、ほとんど裸に近い格好だ。

「うわっ、おっきいおっぱい」

 と、呟きアリッサは、その少女のたわわな胸に釘づけとなる。

 対して少女はアリッサを見て嘲笑を刻んだ。さらに、アリッサの申し訳程度に膨らむ胸に視線を向け、哀れむように眉宇をひそめる。

 あきらかに、おまえは場違い、王子に選ばれるのは間違いなくこの私だと言わんばかりの自信に満ちた目の輝きをしていた。

「もうよい、おまえはさがれ。まったく、宴の雰囲気をだいなしにしやがって」

「でも、みんな喜んでたでしょ?」

「ばかもの! 喜んでいたのではなく、おまえの滑稽な踊りを見て嗤っていたのだ!」

「どっちにしても、宴の場が盛り上がったじゃない」

「ええい、黙れ黙れ!」

 責任者の男に腕をつかまれ、宴の席から連れ出されそうになってアリッサは慌てる。

「ちょっと、待って……あたしはイゾラの旅一座の踊り子で……」

「何?」

 イゾラの旅一座と聞いた男は、不意に歩みを止め、訝しむ顔でアリッサを振り返る。

「イゾラの旅一座だと」

「そうよ」

「あの、イゾラの旅一座か?」

「驚いた?」

「おまえが、イゾラの?」

「だから!」

 くどいくらい何度も確認してくる男に、アリッサは語気を強めてそうよ! と答える。しかし、男は眉根をよせ失笑する。

「はっ! 嘘をつくならもっとましな嘘をつけ!」

「ほんとだってば」

「彼らは王侯貴族を相手に芸を披露する有名な旅一座。そこらの旅芸人とは格が違う。それに、噂によれば、一座の者はみな、目をみはるほどの美男美女だと聞くぞ」

 美女と言うにはほど遠いアリッサの姿を見下ろし、男は口元を歪めて嗤う。

「それでもまだ、自分はイゾラの旅一座だと嘘をつくのか?」

「嘘は言ってないよ」

「ならば、もっとましな踊り子はいなかったのか!」

「他の踊り子は別の舞台に出かけちゃったの」

「王子の誕生日祝いよりも、他の舞台を優先するというのか!」

「いろいろと事情があるのよ」

「もうよい!」

 それ以上、男はアリッサの言葉に耳を傾けようとはしなかった。

 さらに引きずられるように腕を引かれ、いよいよ会場から追い出されようとしたアリッサの前に、身なりも仕草も品格のある若い男が現れた。

「王子より、その娘を連れてくるよう仰せつかりました」

 王子の側近らしいその男は、アリッサの前にうやうやしく膝をつく。

 一瞬の奇妙な間が場内を支配する。

「この貧相な娘を? 王子が?」

 何かの間違いだろうと男は困惑の表情を浮かべる。が、側近が大真面目にうなずくのを見て、男は乱暴につかんでいたアリッサの腕をぱっと離した。と同時に、ざわりと場内の空気が震えだす。

 場違いな女だとアリッサに向けていた娘たちの侮蔑と嘲笑の混じった顔が、一転して引きつったものとなる。

 娘たちは互いに顔を見合わせ、そしてもう一度アリッサに、今度は、妬みと憎悪の眼差しを放った。

「嘘よ! どうしてそんな女が」

「私のほうが美しいわ!」

「踊りだって、私の方が上手だった!」

 そこへ賓客席から、蒼白い顔の痩せた中年男が立ち上がり声をあげた。

「そんな娘に王子のお相手がつとまるわけがなかろう!」

 一目見て、身分の高い者であるとうかがえる。

 身にまとう衣装は金糸銀糸のほどこされた色鮮やかな光沢を放つ絹。目がおかしくなるくらいの派手さだ。

「王子のお相手は、我が国一の美女、オルリア家のサリア様が相応しい!」

 そう言って、男は先ほどのおっぱい美女を指さした。

 娘たちの間にどよめきがあがった。

 彼女たちの嫉妬の矛先が、今度はサリアへと移る。けれど、アリッサの時とは違い、娘たちは不満を口にすることはなかった。

 いや、できなかった。

 確かに、サリアの美貌は娘たちの中でも別格であった。

 それは認めざるを得ない。

「サリアには王子のお相手を務める教育をほどこした。きっと、王子を満足させるであろう」

 飛び抜けて卑猥な格好をしているが、それでもどこぞの家柄のいいお嬢様だったというわけらしい。だが、アリッサも負けじと中年男に向かって言う。

「あたしは旅芸人よ。各地を回って仕入れたおもしろおかしい話をたくさん持っているわ。それこそ、王子様を寝かせないくらいにね。じゅうぶん盛り上げてあげるんだから」

 男はさらにたたみかける。

「おまえのような、素性の知れない者を王子の側に近寄らせるわけにはいかないであろう!」

「だから、あたしはイゾラの旅一座のものだって言ったでしょう」

「ふん! それも本当かかどうか、疑わしいもの」

 酒宴を取りしきる男は、どうしたものかと王子の側近と、サリアという娘を推薦する中年男、そしてアリッサを交互に見る。

「いいえ」

 そこへ、娘たちの踊りや歌の伴奏をつとめていた楽士のひとりが、竪琴を手に立ち上がった。

「彼女は正真正銘、イゾラの舞姫でございます」

「なんだ! おまえ、は……?」

「わたくしも、イゾラの旅一座の者でして」

 と、楽士は優雅に腰を折って一礼し、男にふわりと微笑みかける。

「う……っ」

 男は声をつまらせた。

 年の頃は二十歳前後。整った容貌の色男だ。

 長身のしなやかな身体。長い黒髪を緩くひとつに結わえて胸の前にたらしている。開いた衣装の胸元からのぞく滑らかな白い肌。

 細身だが、脆弱さは感じられないのが不思議。

 何より、見る者をぞくりとさせる澄んだ碧い瞳が印象的であった。

 青年の美しい容貌に、娘たちは頬を朱に染め、惚けたように口を開けている。

 青年はすっと、流れる動作でアリッサの背後へと回った。

「な!」

 アリッサは引きつった顔で身をかわそうとするが、すかさず青年に腰を引き寄せられる。

 すぐにその手から逃れようと、じたばたともがくアリッサの脇腹を、青年の指先がまるで竪琴をつま弾くようになぞった。

「イーサっ! やめ……っ」

「確かに、少々色気は足りませんが、女性の魅力を引き出すのは男しだい。そうでございましょう?」

 イーサと呼ばれた青年は、アリッサの耳朶に唇を寄せ息を吹きかける。

「や、やめてよ! くすぐったい……やめ……て」

 身もだえるアリッサの身体を、すかさずイーサは抱きとめた。

 この様子を見ていた娘たちは、はしたなくもごくりと喉を鳴らし唾を飲む。

 真実は定かではないが、イゾラの旅芸人は、芸だけではなく床技も達者との噂だ。

 つまり、芸を披露した後、身分の高い者に誘われ、夜のお相手もするのだとか。

 あの竪琴を弾いていた繊細な指で触れられたらと、淫らな妄想を抱いた娘たちも中にはいたであろう。

 実際に、色気の欠片もなく、責任者の男に生意気な口を利いていたアリッサが、頬を赤らめ身悶える姿は色っぽいものがあった。

 しかし、その当人はというと……。

「いひひひひっ! くすぐったいってば! ひー!」

 周りからは色っぽく見えるようでいて、実は本人は単純にくすぐったがっているだけであった。

「アリッサ、笑い方が下品」

 と言ってイーサは、アリッサの口を手でふさぎ、王子の側近に引き渡した。

「さあ、アリッサ、きちんと王子様にご挨拶をなさい」

 笑いすぎて酸欠状態のアリッサは、ぜえぜえと肩で息をしながら、側近に導かれ、宴の席、最前列に座る王子に近づいた。

 王子を前に、アリッサは真顔になる。

 この人が王子様。

 きれいな顔立ちの少年であった。

 こちらを見る深い夜色の瞳に引き込まれそうになる。

 立ち尽くすアリッサに向かって、王子の手が差し出されたその時。

「くっ、死ね!」

 凄まじい声を背後に聞き、アリッサは振り返る。

 先ほどのサリアという美女が、険しい形相でこちらを凝視していた。

 どこに隠し持っていったのか、その手には短剣が握られている。

 サリアは短剣をかかげ、こちらに向かって走ってきた。

 その目はアリッサを通り越し、アリッサの背後に座る王子に向けられている。

 予期せぬ少女の行動に、護衛兵たちも呆気にとられた顔。

 そんな彼らよりも速く動いたのが、アリッサであった。

 アリッサは王子を背にかばい、サリアの振りかざした短剣を足で蹴り飛ばした。

 舞は散々であったが、王子の危機を救ったアリッサの行動は素早く華麗の一言。

 サリアの手から離れた短剣は、見事、アリッサを小馬鹿にした責任者の男の右耳脇をかすめ、地面に突き刺さる。

「ひーっ!」

 情けない悲鳴をあげ、みっともなく尻もちをつく責任者の男を見下ろし、アリッサは不敵な笑みを浮かべる。

 落ちた沈黙に、誰もが息を飲む。

 王子に刃を向けたサリアは、呆然とした顔でその場にへたり込み、美しい顔を苦渋に歪めた。

「その娘を捕らえろ!」

 兵士たちがサリアを取り押さえようと駆けつける。

「うああーっ!」

 次の瞬間、張り裂けんばかりの悲鳴をあげ、サリアは身につけていた首飾りを引きちぎり、そのうちのひと粒を口の中に押し込んだ。

「おい! 何を飲んだ!」

「吐き出せ」

 が、その直後。

「ぐっ!」

 サリアは喉に手をあて、その場でもがき苦しみ始めた。かっと目を見開くと同時に、大量の血を吐き、地面にうつぶせに倒れ込む。

 ぴくりと数回手足を痙攣させた後、とうとう動かなくなってしまった。

 地面に突っ伏すサリアの生死を確かめるため、兵士二人が歩み寄ってのぞきこみ、互いに顔を見合わせ首を振る。

「死んだか……」

「隠し持っていた毒を飲んだようだ」

 静まりかえった場内に、娘たちの悲鳴がつんざく。

「騒ぐな! 静まれ!」

 混乱した宴の席を静めようと、兵士たちが声をあげる。

 その時、離れた席でひとりの女がすっと立ち上がった。

 まぶたを濃い紫で染め、目の縁を黒く縁取った、ぞっとするほどに美しい顔の女であった。

 女は数人の侍女を引き連れ、宴の席から去っていく。さらに遅れて、彼女の後に続き、中年男も青ざめた顔でそそくさと退出していった。

「ねえ、今、席を立った女の人は誰?」

 アリッサは側にいた兵士の腕をつかんで問いかける。

「ああ、王の側室キルティア様だ」

「ふーん、あの女性が。で、その後をついていった男は?」

「あの方はルドリアス候、って、おまえ! 馴れ馴れしく話しかけるな! あっちへ行け!」

 兵士に怒鳴り返され、アリッサは慌ててその場から離れた。


 結局、宴はやむなく中断となった。

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