三 二人の縁(えにし)

「──失礼します……」


 その日、課長に言われたわたしは、大事な商談をしているという会議室へお茶を運んで行った。


 なんでも、相手は新しく始めるプロジェクトで組むIT企業の若い社長さんらしい。


「ああ、織柴さん。とりあえずお茶でも」


「あ、はい。ありがとうございます」


 だが、そこにいた商談相手らしき青年の顔を見た瞬間、思わずわたしは目を見開いてしまう。


「あっ…!」


「君は…!」


 どうやら向こうもこちら同様、すぐに気づいたようだ。


「……ん? 織柴さん、朝井くんとお知り合いだったんですか?」


 見つめ合ったまま固まるわたし達を交互に眺め、課長が怪訝そうに尋ねる。


「……はい……あ、ああ、いえ! この前、ちょっと……」


「あ、ああ、先日、御社へ来た時にちょっとお話をする機会がありまして……」


 その質問に、わたしも彼もはぐらかすように曖昧な答えを返す。


 さすがに、まるでベタなラブコメのような出逢いをしたなどと詳しく説明することはできないだろう……。


「し、失礼します……」


 わたしは素早くお茶を出し、これ以上、何か勘繰られる前にとそそくさ会議室から脱出を図る……突然の再会に驚きが勝ってしまい、それを喜ぶような余裕を持つことはできなかった。


「……織柴さんっていうのかあ……しかも、あの歳でIT企業の社長さん……けっこういいかも……」


 だが、図らずも彼の名前と素性を知ることができた……それに、うちとのプロジェクトに関わっているということは、これからも会う機会はあるかもしれない……。


 この運命の出逢い…かもしれない彼との再会に、わたしは淡い期待を抱きつつ、スキップ気味な歩調で給湯室へと戻っていった──。





「──あの子、朝井さんっていうのか……」


 あの商社に勤めているならば、あるいは…とは少なからず思っていたが、まさか、これほど早くに再び会うこととなろうとは……。


 あの、どこか運命を感じるラブコメのような出逢いをした彼女と、僕は今日、偶然にも再会した。


 こうなると、ますます彼女に運命を感じずにはおれなくなってしまう……。


 なぜ、タイプでもないあの子にこんなにも惹かれるのだろうか……あんなベタにもほどがある出逢いをしたがために、むしろ強く意識するようになってしまったのかもしれない。


 だが、そんな単純なことではないような……例えば、前世からの宿縁とでもいえるような、そんな人智の及ばぬえにしが、彼女との間にはあるように思えてならないのである。


 ……まあ、それが勘違いであるかどうかは、自ずと明らかになってくるだろう……もし彼女が本当に運命のひとであるならば、きっとこれからも今日みたいにまた出会えるに違いない……。


「──さん? 織柴さん、どうかしたんですか?」


「…え? あ、はい。ちゃんと聞いてますよ。プログラミングにかかる時間でしたよね?」


 思わず彼女のことを考えてしまっていた僕は、会議中であったことを思い出すと慌てて誤魔化しを入れた──。

 




 あれから、もう何度、彼女とは偶然の邂逅を果たしたのだろうか……いや、これはもう偶然ではなく必然なのだろう……。


 人智の及ばぬ超自然的な力によって、僕らは引き寄せあっているのである。


 しかし、彼女を求める感情とは二律背反して、なぜかその関わりを恐れる心が僕の行動にブレーキをかける。


 ごくごくありふれた恋心の常として、一歩を踏み出す勇気がないだけだと言われればそれまでなのだが、やはりそんな単純なことではないような、先天的…いや、もっともっと遥か昔からの前世の記憶に起因するかのような、理解し難い感情と感情との対立が、僕を板挟みにして苦しめるのである。


 だが、いつまでもこんな中途半端な状況でいることを僕は好まない……僕は今度こそ勇気を振り絞り、その潜在意識が警告する危険とやらに飛び込んでみることにした──。





驚くほど淡い期待通りにも、その後もわたしは彼と偶然に出会うことが頻発した。


 例えば、休憩スペースの自販機でコーヒーを買おうとした時も……。


「……あっ!」


「……あ! や、やあ、こんにちは…」


 わたしの前に買っていた人がこちらを振り返ると、それはなんと織柴さんだった。


 また、社員食堂でも……。


 ポテサラの入った小鉢に手を伸ばしたわたしは、同じタイミングで脇から伸びてきた男性の手とぶつかってしまうが。


「…あ! すみませ……ああ!」


「…ああ! あ、朝井さん……」


 顔を見るとそれは彼である。


「こ、こんな所で奇遇ですね」


「え、ええ。会議が長引いたんで、いい機会だし、一度こちらの社食で食べてみようかなと……」


 苦笑いを浮かべながらわたしが尋ねると、彼の方も照れ臭さそうにそう答える。


「そ、そうでしたか。うちの社食、社食にしてはなかなか美味しいんですよ? 特にカレーはおススメです。それじゃあ、ごゆっくり」


「え、ええ。そ、それじゃあ……」


 そんな彼の言葉に、彼のトレイに載ったカレーを一瞥したわたしは、話を合わせてそう言いながら、別の小鉢を取ってそそくさとまたしても逃げ出してしまう。


 こうして、最早、偶然とは思えないような頻度で彼とはよく出くわし、その度に運命を感じるとともに内心、歓喜するわたしであったが、その秘めたる想いとは裏腹に、どうしてもそれ以上、深く関わり合いになることができない。


 彼に強く惹かれる反面、彼に近づくことの危険性を何かが警告しているような、そんな相反する感情がわたしの中でぶつかりあっている……。


 もしかして、前世でわたし達は道ならぬ恋をした恋人同士だった……とか?


 あるいは身分違いの恋をしていたけど、悲恋に終わってしまった二人とか……そんなロマンチックな妄想も思わずしてしまう。


 だが、そんな妄想を抱いてしまうくらい、わたしはこの理解し難い二つの感情の狭間で、彼と会う度に揺れ動かされるのである──。


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