第17話 ユピの記憶Ⅴ
次に気がつくと、目の前にはユピの母親の顔があった。
ユピの母親は困ったように微笑んで、ユピの顔をのぞきこんでいる。
『お父様は、具合が悪くて誰にもお会いになれないの。あなたが悪いわけではないのよ』
『いいえ、父上は、僕がお嫌いなのです……』
そう言ってユピがうつむくと、美しい模様の絨毯に大粒の涙が落ちた。
『誰がそのようなことを……』
ユピの母親はその場にしゃがんでユピを優しく抱きしめるが、否定しない母の言葉に、ユピの心はさらに深く傷ついた。
『僕なんて……生れてこなければよかった……』
しぼりだすようにそう言うと、ユピは部屋を飛び出した。
いくつもの小部屋を抜けると、言い争う声が近づいてきた。
四方の壁を扉と窓に囲まれたほとんど装飾のない簡素な部屋に飛び込んでいくと同時に、ユピは誰かにぶつかって、跳ね飛ばされてしりもちをついた。
『これは、これは……』
ユピを見下ろすいかつい顔にヒラクは見覚えがあった。
神帝国軍を指揮する軍帥だ。
一緒にいるのはローブ姿の大神官と数人の供の者たちだ。
『皇子、このようなところになぜ……』
大神官はどこか怯えたような表情でユピを見た。
『部屋に戻るところだが、今ので足をくじいたようだ』
ユピは座り込んだまま、上目遣いで軍帥を見た。
『僕を部屋まで連れて行ってくれないか』
軍帥は大神官にちらっと目をやった。
『しかたない。話は改めてするとしよう』
軍帥はユピを抱きかかえ、部屋を出て行こうとした。
軍帥の肩越しにユピは大神官をみつめていた。
ユピはうなずき微笑んだ。
その意味がヒラクにはわからない。
ただ大神官は凍りついたようにその場にいつまでも立ち尽くしていた。
軍帥はユピを部屋まで運ぶと天蓋付きのベッドの上に下ろした。
『では、私はこれで……』
そう言ってその場を去ろうとする軍帥の手をユピは素早くつかんだ。
『さっき、大神官と何か言い争っていたようだね』
突然言われた言葉に軍帥は驚いた。
その堂々とした口ぶりは、日頃おとなしい皇子のものとは思えない。
『力こそが正義。征服者こそが神。だが神帝は果たして神といえるのだろうか……』
『な、何を……』
ユピの言葉に軍帥はうろたえる。
まるで心を見透かされているように感じて背筋が寒くなった。
『神帝は病んでいる。王となる器もない。かつて神王はメーザを支配していたという。だが神王の再来とされる神帝はノルドさえ征服しようともしないではないか』
『そ、そんなこと私は……』
軍帥は否定しようとするが、ユピは口を挟む余地を与えず畳み掛けるように言う。
『大神官はそれでも神帝を神とし、信仰を強化することに努めている。無意味で愚かなことだ。神帝は神どころか王であることすらふさわしくないというのに』
ユピの言葉に反論することもできず、軍帥はこめかみに汗をにじませる。
『新しい神が必要だ。圧倒的な力を持ち、世界の支配者となるべき王が現れることを望んでいる……』
『なぜ……それを……』
心にあることをそのまま言葉にされ、軍帥は改めて自分の望みを自覚した。
『おまえの望みを叶える存在はここにいる』
ユピははっきりと言った。
『今の神帝が王にふさわしくないのなら、新しい神帝を生み出せばいい。継承者として皇子がいる』
『皇子が……新しい神帝になれば……』
『望みは叶う』
ユピの青い瞳が妖しく光る。
軍帥は今誰と話しているのかわからなくなった。
『あなたは……一体……』
『私はおまえの心の声。私の望みはおまえの望み』
『私の……望みは……』
『神帝国に新たな神を迎えることだ』
その言葉を最後にユピはベッドに体を横たえた。
静かな寝息だけが聞こえてくる。
今話したことはすべて自分の心の中の対話だったのではないかと軍帥は思った。
夢から覚めた気分で軍帥はふらふらと部屋から出て行った。
気配が完全に遠ざかると、ユピは忍び笑いした。
これはユピではないことはヒラクにはもうわかっている。
本物のユピは今、深い眠りの中にいる……。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。今はユピの記憶に入りこみ、ユピの中にある存在の正体が何者なのかに迫る。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。南多島海で破壊神の剣を手に入れるとヒラクの前から姿を消す。再び神帝国に現れたユピは父である神帝を殺し鏡を奪う。鏡と剣を手に入れたユピは記憶の底にある「神の扉を開く鍵」を得るためヒラクを記憶の中へと誘導する。
大神官……神帝を神王の生まれ変わりとして祀り上げ、神官としての権威を誇りながら軍師と共に神帝国の二大勢力として君臨していた。ユピの言葉の支配により、死の二択を迫られ自ら命を絶つ。
軍師……神帝国の兵士を統率する軍部の長として権威と影響力をもつ存在。神帝を王の器と認めておらず、信仰対象としての神として神帝を祀り上げる大神官とは反目している。ルミネスキ戦で希求兵の手にかかり戦死する。
★黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。
神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。赤い勾玉を持っていた。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。「王の鏡」を奪ったとされている。
神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。
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