第16話 ユピの記憶Ⅳ

 次に目が覚めたときには、ヒラクは誰もいない静かな建物の中にいた。


 高い天井近くにある窓から差し込む光が、日に透ける柔らかなベールのように大理石の床へと降りてくる。


 色鮮やかなステンドグラスの絵を珍しそうに見上げて歩きながら、ヒラクは今自分の目線の高さがずいぶん低いことに気がついた。


 奥の壇上には、大きな絵が飾られている。

 一枚は神帝の姿、そしてもう一枚は、美しい青年の姿だ。

 その青年は、鏡と対話していた男とどこか似ている。

 あの男が若ければ絵に描かれた青年にもっと似ているにちがいない。


 ヒラクの思いは別にして、ヒラクが今入り込んでいる誰かもその青年の絵に釘づけになっていた。


 絵の前には書物台があり、神帝の権威を誇るように宝飾品のような美しい鞘におさまる剣や盾なども飾られている。


 その中で、ヒラクは植物のような模様をした金の刺繍が浮き出した厚手の織物でおおわれている三脚に注目した。


 実際その布の中身にじっと視線を注いでいるのは、ヒラクが入り込んでいる人物なのだが、それが特別なものであることはすでにヒラクもわかっている。


 ヒラクが入り込んでいる人物はおずおずと手をのばし、思い切って重たげな布をはぎとった。


 ヒラクが思ったとおり、布で隠されていたのは、宝石を埋め込んだ黄金の額にはめ込まれた円鏡だった。


 そしてその鏡に映る姿を見てヒラクは驚いた。


(ユピ……!)


 ヒラクが初めて会ったときよりもずっと幼く、まだほんの子どもである頃のユピだ。


 銀に輝く髪、青い瞳、そして今よりもふっくらとした頬はばら色で、表情もあどけなかった。


 その表情が一瞬で変わった。


 冷たい眼差しと酷薄な笑みは、あどけない子どものものではない。


 鏡の中の自分に手をのばすユピの姿を見て、ヒラクは自分が何者かに捕らえられるような感覚をおぼえた。


 ユピが鏡に触れると頭の奥で何かがはじけるように光った。


『勾玉は近くに……』


 ユピのつぶやきにヒラクはぎくりとした。

 姿が鏡に映し出されるような気分になり、自分の持つ勾玉がみつかるのではないかとさえ思った。


 けれども鏡はユピに何かを示すようなことはなかった。


 鏡の中のユピは眉をひそめたかと思うと、すぐにまたあどけない表情に戻り、不思議そうにぼんやりと自分の姿を眺めていた。


『そこで何をしている!』


 大理石の床に鋭い声が跳ね返り、静寂を打ち破る。


 振り返ると、神帝が肩を怒らせて近づいてくる姿が見えた。


 大神官は長いローブを引きずり、足をもつれさせながら、あわてて神帝の後を追う。


 ユピはすっかり萎縮して、その場で小さくなっている。


 神帝はユピの前まで来ると、体を持ち上げるくらいの勢いで、真正面からえり首をつかみ上げた。


『一体どういうつもりだ。なぜこの鏡に触れた!』


『僕……僕……』


 ユピは目に涙をためてがちがちと歯を鳴らしている。

 ヒラクは今この場に飛び出していって、ユピを守ってやりたい気持ちになった。


『おやめください』


 腰にすがるようにして大神官が止めに入ると、神帝はつかまれた手を振り払った。


『無礼者。余に触れるな』


『お、お許しを』


 大神官は神帝の前にひれ伏した。


 神帝はユピを放し、怒りの矛先を大神官に向けた。


『おまえがしっかり鏡をみていないのが悪いのだ。誰にも触れさせるな。それができないならこんな鏡壊してしまえ』


『し、しかし、これは、神の証たる大切な鏡。これがあるからこそあなた様は……』


『貴様っ』


 神帝は大神官を蹴り飛ばすと、うずくまる大神官の長い髪を乱暴にひきつかんで顔を上げさせた。


『鏡がなければ余は神になれなかったとでもいうのか? こんな鏡などなくても余は神だ! 神王などいなくても余は……!』


 神帝はそれ以上言葉を続けられなくなった。


 誰かがおかしそうに笑っている。

 それが自分であることにヒラクは驚いた。


『な、何がおかしい……』


 そう言ってユピを見る神帝の声は怯えきっていた。


『おまえが相変わらずなんでうれしくなったんだよ』


 その声にヒラクはぞくりとした。

 そして、これはユピじゃないとはっきり思った。


 神帝も大神官も驚愕してユピを見ている。


『私が誰だかわかっているな。おまえが怖れるのは鏡か……それとも私か……』


『こ、こいつ、こいつ!」


 神帝は発作的にユピの首をしめた。

 それでもユピは悠然と笑っている。


『おやめください! おやめくださいぃっ!』


 大神官は神帝の腰にすがりついて止める。


『私は死なぬ……』


 苦しげに呼吸しながらも、ユピはあざ笑うように言う。


『たとえ肉体が朽ち果てようと……私は必ず甦る……。なぜかわかるか?』


 神帝は恐怖の目でユピを見て、細い首から手をはなし、思わず二、三歩後ずさりした。


『……それは、私が神だからだ』


 その言葉がヒラクの中で強く響き、頭が割れるように痛くなった。

 それはユピが感じている痛みなのかどうかはわからなかった。


 気が遠くなり、ヒラクはユピとともにその場で気を失った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【登場人物】


ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。今はユピの記憶に入りこみ、ユピの中にある存在の正体が何者なのかに迫る。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。赤ん坊の頃にはその手に青い勾玉を持っていた。一時は皇子の地位を捨てヒラクと共にメーザに渡るが、南多島海で破壊神の剣を手に入れるとヒラクの前から姿を消す。そして神帝国に現れ神帝を殺して鏡を奪う。鏡と剣を手に入れたユピは記憶の底にある「神の扉を開く鍵」を得るためヒラクを記憶の中へと誘導する。


トーマ……神帝国の城に勤めながら潜伏していた希求兵。勾玉主への忠誠心を利用され、ユピの言葉の支配によりヒラクをユピのもとに連れてくる。そのことへの自責の念からユピの言葉の誘導で自ら命を絶つ。


※希求兵……ルミネスキ女王に精鋭部隊として育てられた元ネコナータの民の孤児たち。幼少の頃から訓練を受け、勾玉主をみつけ神帝を討つ使命のもと神帝国に送り込まれ、15年以上潜伏していた。


大神官……神帝を神王の生まれ変わりとして祀り上げ、神官としての権威を誇りながら軍師と共に神帝国の二大勢力として君臨していた。ユピの言葉の支配により、死の二択を迫られ自ら命を絶つ。



★黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。


 神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。赤い勾玉を持っていた。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。「王の鏡」を奪ったとされている。


 神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。

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