第14話 ユピの記憶Ⅱ

 王の鏡に映る自分と対話する赤い勾玉の男の中にいたヒラクは、今度は別の場所にいた。


 ヒラクは、その場全体に広がるような大きな窓から外を眺めている。


 乱反射する眩しい光の中に溶け込んで、立っているのか座っているのかもわからないような感覚で、ただ視覚だけがはっきりと、窓の向こうの世界を捉えている。


 そこは鏡の中だった。


 けれども今、目の前にいるのは、先ほどの男ではない。

 今、自分と向き合っているのは、まったく別の人間だ。


 その男は身なりのいい格好をしていたが、ぎょろりとした目でうかがうように上目遣いで見るところや、歪んだ薄い唇が、貧相な印象を与える。


 ヒラクは、男の背後に見える壁の美しい装飾や調度類から、先ほどとはちがう場所だということがわかると同時に、鏡の前に立つ男もそれなりの身分の者であるらしいということも察した。


(誰なんだろう……?)


 そう思った途端、ヒラクの中で言葉が響き、鏡の中にいる自分が男に話しかけたことに驚いた。


『しばらく見ない間に、ずいぶんとえらくなったものではないか』


 鏡の前にいる貧相な男は、忌々しいものでも見るような目でヒラクを見た。


『まだそこにいたのか。もうおまえの役目は終わったはずだ。おまえは王を選ぶ鏡なのだろう? 余は選ばれて王となり、そして神とさえ崇められるようになった』


『「神帝」と呼ばれているそうだな。「神王」の再来として、おまえは神と崇められるようになった』


 ヒラクは自分の口から出た言葉に驚いた。


(神帝……こいつが!)


 ヒラクは鏡の前に立つ男をよく観察した。

 この男が神帝であるならば、ユピの父親であるはずだ。


 少しくすんだ金髪と薄い青い瞳は、ネコナータ人の特徴を持っているが、ユピが持つ美しさは父親にはない。

 何より卑屈さと不遜さが合わさったような雰囲気は、ユピにはまったくないものだ。


『確かにこの鏡は「王の鏡」とも呼ばれている。そして神王も鏡を手に入れて王となった。だが神王は鏡の中に神がいるのを知っていた』


 ヒラクの頭で響く声を鏡の声として聞きながら、神帝は声を上げて笑った。


『おまえは自分が神だとでもいうのか? おまえは私を神にするための道具にすぎない。神王はもういない。私こそが神となったのだ』


『神王はここにいる』鏡は言う。『私こそが神王であり鏡の中の神だ』


 目の前の神帝同様、ヒラクも驚いていた。


(さっきから、おれは神王の中にいたってこと? でもこれは鏡……鏡の中にいる……どういうことなんだ?)


 ヒラクは混乱していた。


『おまえは私を道具だと言ったな』鏡が言った。『それはちがう。おまえこそが道具なのだ』


 鏡の前の神帝の目が大きく見開かれる。


『再び王国を築くには骨が折れるのでね。あらかじめ環境を整えさせておく必要があった。現身の時は短い。なすべきことをするために、無駄は省こうというわけだ』


 鏡が言うと、神帝は怒りと怖れの入り混じる表情で、わなわなと唇を震わせた。


『何をわけのわからないことを言っている。おまえなど、鏡の中から出ることもできないくせに』


『それはどうかな……』


 そのとき、ヒラクは神帝の後ろに小さく見える女の姿に気がついた。

 声をかけているようだが、神帝はまったく気がつかない。


 プラチナブロンドの髪を結い上げた女の深紅のドレスにヒラクの記憶が甦る。


 砂漠の砂にかすんで消えた異国の赤いドレス、白金の髪、青ざめた肌……、それをみつめるユピの涙……。


 美しくも悲しい光景は、幼いヒラクに鮮烈な印象を与えた。


 鏡に映りこんだのは、ユピの母親にちがいない。

 ヒラクははっきりと思った。


『あなた……』 


 美しい声だった。


 その声に神帝は驚いて振り返ると、あわてて背中で鏡を隠した。


『どなたとお話でしたの?』


『いや、なんでもない。それより供の者もつけずにどうしたのだ』


『ええ、どうしても、一人であなたにご報告がしたかったものですから……』 


 神帝の背中に隠されて、姿はまったく見えないが、ユピの母親の声はどこか明るく弾んでいた。それでいてなかなか話を切り出さない。


『どうしたのだ?』神帝が焦れたように言う。


『ええ、あの……』


 ユピの母親は恥らうようにつぶやいた。


『あなたのお子を授かりました……」


『……それは本当か!』


 一瞬の間の後、神帝は喜びの声を上げた。


『世継ぎならめでたいことだ。民の喜びにもなる。これで神帝国もますます繁栄することだろう』


 喜ぶ神帝の背中に向けて、鏡は静かにつぶやく。


『いよいよ時が来たようだ……」


 鏡の声は神帝の耳には届かない。


 ただヒラクだけがその言葉をはっきりと聞いていた。

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【登場人物】

ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。今はユピの記憶に入りこみ、ユピの中にある存在の正体が何者なのかに迫る。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。砂漠で母親の死体といるところをヒラク親子に発見され、その後、ヒラクと共にアノイの村で育つ。つねにヒラクと共にいたが、南多島海で破壊神の剣を手に入れるとヒラクの前から姿を消す。再び神帝国に現れたユピは父である神帝を殺し鏡を奪う。鏡と剣を手に入れたユピは記憶の底にある「神の扉を開く鍵」を得るためヒラクを記憶の中へと誘導する。


★黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。


 神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。「王の鏡」を奪ったとされている。


 神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。


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