八、赫奕たる天空の彼方へ 

15



 ―――――ドン!

 ―――――ドン!

 ゴオオオオオ……!

 機械の塔は素人のアステリスの目にももう限界だった。あちこちから煙が上がり爆発が立て続けに起こっている。そのたびに神殿は大きく揺れ時にアステリスが床に転げるほど大きな地響きが何度も何度も二人を襲った。背中だけだがフェクタもかなり消耗しているのが見て取れる。

「フェクタ! 頑張れーっ」

 それしか言うことのないアステリスは己れが情けなくなる。せいぜい彼女があの高い場所から墜落しないよう見守るだけだ。

 ――――― そういえば、ジラルダはどうしたろうか?

 あの強力な男と戦って、果たして無事でいられるだろうか。そしてもし、もしここにたどりついたのがジラルダでなくあいつだったら、……アステリスに勝ち目はない。

 しかしその時は、命を賭して戦いに望もうと思っている。



 二人がぶつかりあい、飛びすさりまた打ち合う凄まじい音が中庭にしきりに谺した。

 ジラルダが一方的に押す中を、イクシオンはただ守るだけが精一杯であった。それでなくとも彼は今風の精霊の助力を得て彼とやっとのことで張り合っているのだ。今まで味わったことのない敗色の濃さと、それに伴う屈辱をイクシオンは初めて味わっていた。

 今や二人は数度に渡る大きな揺れなど気にもしないかのように戦いに専念していた。 

 ギィィィッ

 ジラルダの逆さ手に持った二本の剣がイクシオンの守りの剣に強く打ち込んだ。その凄まじい力、最早常軌を完全に逸してしまっているその狂人の力に、イクシオンは思わず低く唸った。

「お手前いい加減に剣をおさめなされ」

 ジラルダが低く ―――――低く言った。帽子の影で彼の顔はよくわからない。ただ自分はこんなにも息をきらしているのに、彼は呼吸ひとつ乱れていない、あんなに飛びまわりあんなに強く打ち込み、あんなに激しく身体を左右に動かしているのに。

 しかし今の一言でイクシオンの屈辱が一気に頂点に達した。

 彼はカッと瞳を見開き後ろに大きく飛びすさった。

 ジラルダがむ、と呟き低く身構える。

「ヴァメンダ!」

 ゴォォ……!

 イクシオンの周囲の土が逆巻く重力で宙に浮き、庭の一部は無残な土跡を残した。

「 ―――――」

「オレは負けん! オレはいつも勝つ! そんなにあの女が恋しいのなら、あの女を殺したのと同じ呪文で逝くがいい!

 ヴィエイケン ヴリスタス ヴェメンデ ヴォカイノ!」

 シュッ……

 宙に浮いていた土の残骸が見る見る内に鋭く変容していき石のように硬く鋭くなると、一気にジラルダめがけて飛来した!

 ジラルダは上に飛んでそれをよけ、さらに迫りくるものは剣で打ち払った。それは凄まじいスピードで、彼でなければよけることもこんな風に打つことも相叶わなかったであろう。

 キン!

 石となった土の残骸は次々に彼を襲った。とめどない攻撃であった。そして早さ、それに伴う強さと重さ、それを打つのにさすがにジラルダの態勢に疲れが見え始めた時。

 ジラルダに、隙ができた。

「―――――もらった!」

 イクシオンは突きたてていた剣を引き抜き一気にジラルダに躍りかかった!

 ジラルダはそれに気付き切片の飛来には目もくれずイクシオンのスピードに目を凝らして構えた。

 ザクッ

 鋭い石の切っ先がジラルダの腕を深く抉った。

「死ねぇぇえええい!」

 ズサッ……

 ―――――ざくり。

 確かな手応え―――――イクシオンはにやりと笑った。

 そして次の瞬間大量に口から血を吹きこぼす己れにひどく驚愕して、彼はもう一度周囲を見直した。

 ジラルダは低く身体を落とし膝を折り、彼の胸に深々と剣を突き立てていた。

 イクシオンが感じた「確かな手応え」―――――・・・…それは慢心が彼に見せた幻であったに違いない。イクシオンは目を大きく見開いたまま絶命した。

 ジラルダは一気に剣を引き抜き、引き抜きざまに静かに立ち上がった。イクシオンの身体は支えを失って前のめりになり、凄まじい音と砂煙をたてて地面に倒れた。

 剣を払って血糊を払い、ジラルダはイクシオンのうつぶせになったままの身体を一瞥するとチャキン、と剣をしまいながら言った。

「隙ができたふりをするのも、剣士には必要なのだよ」

 イーリス。仇は討った。静かに眠るといい。そして腑甲斐ない私を、どうか許してほしい。

 彼は顔を上げると、建物の方へと目をやり、小刻みに揺れ続ける神殿の中を一気に走り抜けた。

 ジラルダの行く先はあの部屋であった。先程からの揺れを考えるともうこの神殿はそう長くはもたない。あの老人を連れていかなくては。

「ご老体、お早く。ここはもう―――――」

 戸口に立って言いかけたジラルダは、そこで絶句した。

 長の瞳は閉じられていた。

 永遠に。

「 ―――――」

 カツ……カツ……

 ジラルダは信じられないように彼の近くまで歩み寄り、瞳を見開いてその穏やかな死に顔を見た。

 なんということであろうか。

「ご老……」

 ジラルダは呟いた。やりきれない思いであった。

 そしてその時―――――。

 ジラルダの頭に、否、部屋中に、長の―――――彼の声が弱々しくも朗々と響いた。

 〈悲しまれるなリシュリュー卿。こうなる運命であったのなら受け入れるのもまた運命。

 貴殿のような聡明な方に死ぬ前にお会いできただけで、私の苦しみはどれだけ解放されたことであろうか〉

「 ――――― 」

 〈それに最早この神殿は私――――― 。私と神殿はひとつとなってしまった。すなわち神殿の崩壊は私の死、私の死は神殿の最期。それでもよい―――――……アラサナの血は絶えようとも地上人が救われるのなら。永にわたり天空にとどまり続け今天空で生命絶えることになんのためらいがあろうか。

 そうそして私はこの神殿と共に―――――あのあかあかと輝く天空の果てまでも昇りましょう。朽ちることなく宇宙と共に時を重ねましょう。

  それが私の最期にして生涯の悲願―――――〉

 声は絶えた。

 今の声は、果たして長の意志がこの場に留まりジラルダへの言葉として残響したのであろうか。それとも不思議な能力を脈々と受け継ぎ続けた、これもアラサナ人の力なのだろうか。それとも単に、ジラルダの幻聴であろうか――――。

 ドォン!

 ひときわひどい揺れが轟いた。ジラルダは顔を上げ最期にその穏やかにして崇高な姿に一礼すると、身を翻しフェクタとアステリスのいるであろう場所へと走った。揺れの震源場所を身体で探せばよい―――――ジラルダの読みは当たっていた。

「おお……!」

「ジラルダ!」

 今限界を迎えあちこちから凄まじい爆発をあげている機械の塔を見上げ、ジラルダは声を上げた。古代文明の集大成である。そしてその中央部の高場所にはフェクタが、その真下にはアステリスがいた。

「……ジラルダその怪我……」

「大したことはない」

 アステリスを安心させるようにその肩に手を置くと、ジラルダはフェクタを見上げた。

 もう限界だ。フェクタの全身から滝のごとく汗が流れ出、今少女は倒れて高場所から静かに墜ちた。

「! ……」

 ジラルダは走り寄り、そして彼女を受けとめた、かつての、あの砂漠の夜のように。

「フェクタ……大丈夫かね」

 腕のなかでフェクタは疲弊しきった顔で、しかしにっこりと笑ってこたえた。

「ジラルダ!」

 シューッ

 ゴォン……

「いかん……爆発するぞ」

 ジラルダは呟き、フェクタを抱き上げ、アステリスに目顔で走れるかどうか聞くと、揃って一気に走り始めた。

「どっどうすんの!?」

「あの舟で脱出だ」

「フェクタのおじいさんは?」

「――――― 」

 アステリスはその沈黙で ―――――すべてを理解し察知した。そしてフェクタは青ざめ、涙を瞳ににじませてジラルダにすがりついた。

「フェクタ……いい子だ。大丈夫」

 地響きは一層激しくなり、二人の平衡感覚を狂わせた。何度となくアステリスは転びかけ、そのたびにジラルダに支えられて走り続けた。

 ガラ……

 ガラガラ……

「ジッジラルダ」

 背後からさしせまる奇妙な音にアステリスが振り向きそして血相を変えた。

 通路の床が落ち始めている。床はそのまま地下へと落ちていき、彼らを追い立てるかのように凄まじいスピードで崩れ始めている。この通路を抜ければ……!

「っ! ……」

 アステリスは声にならない悲鳴を上げた。あと少しで通路終着点というときに、彼女は一歩間に合わず、足場なき床の上に落ちようとしていたのだ。

 ぱしっという音がしてアステリスの腕をジラルダが掴んだ。

「ふ……っ……つっ……」

 アステリスは必死になってその手にしがみつき、また自らももう片方の手で床にしがみついてなんとか這い上がろうとした。

「つー……っ……」

 はあはあと息を切らせ、アステリスはようやく安全な場所に助け上げられた。しかし走り詰めだったのと、極度の緊張の連続の後、彼女はもう膝が立たなくなってそのままそこにがっくりと手をついた。危機はまだ目の前にあり、この神殿を脱出しなければその危機からの回避はできないと重々承知のジラルダも、それを好機と見たのか側に座り込んでしまった。

 はあ、とアステリスが息をつこうとしたときだ。少し離れた場所にいるジラルダの頭上でガラ……と天井が崩れた。

「危ない!」

 咄嗟の判断でアステリスは彼に勢いよく抱きつき、そのままの勢いで倒れこんで彼を救った。今の今まで彼がいた場所には天井の一部であったものが

 ゴトォン!

 という轟音と共に落下してきたところであった。

「……」

 アステリスは自分の爪先のすぐそこに落下してきたそれがあるのを見てゾッとした。

 アステリスはそしてそこでジラルダが腕に傷を負っていることに気付き、乱暴すぎる自分を反省するようにその傷を気遣わしげに見た。その視線を受け、ジラルダは安心させるようにアステリスの肩を叩く。そしてその二人の傍らでフェクタは ―――――崩れ落ちた通路の向こうに一人目を馳せていた。

「―――――」

「―――――」

 そこには ――――― すべてが崩れたおちた後にそこには――――― あの瞳の紋章が彼らを見ていた。その下には爆発を続ける機械の塔。

 フェクタはその光景をじっと見ていた。なんにせよ彼女の故郷はここであり、今彼女はアラサナ人の寿命と共に故郷を失おうとしている。

「フェクタ」

 アステリスはやさしく彼女に呼び掛けた。フェクタは涙ぐんた無垢な瞳でアステリスを見上げる。アステリスはそっと手を出した。

「行こ」

 フェクタはアステリスを見た ――――― 。

 そしてそっとその手を取ると、泣くのを我慢したせいか、知らずぎゅっと握っていた。

 ドォン!

 ドォン!

 爆発と振動を続ける古代空中神殿アラサナが、今何万年もの歴史に自ら終止符を打とうとしている!

 次々に落下してくる天井を避け、揺れに翻弄されながら、三人はなんとかあの舟の場所へと辿りついた。今やあちこちの天井が崩落を始め、無事飛べたとしても、落下してきた天井が船を直撃しないとも、出口を塞がないとも言えない。

「飛べるの?」

 アステリスは誰に聞くともなしに聞いた。

「さあな」

 ジラルダは泣きたくなるくらいにあっさりと答え、

「フェクタ次第だろう」

 と言った。

 フェクタもこればっかりはわからないという顔をしてうなづきも首を振りもせず、アステリスを一瞬不安にさせた。

 ドウッ

 ぉぉぉん……

 何度も何度も同じ場所の突起を押しては舟がひどく咳き込むように気炎を吐いた。

 フェクタは汗をかきながらあちこちを駆け回った。アステリスとジラルダは、彼女が指さすまま声なく指示していくのに黙って従うしか他に方法がなく、不慣れでわからないことだらけもあって、手際も悪く役に立っていたのかどうかは甚だ怪しい。

 ―――――ゴォォン……

「おおおおおっ?」

 アステリスが奇妙な歓声を上げた。

 舟が揺れている!

 フェクタはオイルに汚れた顔をパッと輝かせるとそのまま甲板に向かった。二人はそれを追う。

 フェクタは舟の地下発着所のはるか向こうの天井に目を馳せると、着いたときに上った階段の壁の上の瞳の紋章―――――アステリスもジラルダも気が付かなかったが――――に、まっすぐ持っていたあの真円のメダルを取り出してかざした。

 カッ

 なにか風が低く唸るような音がして、メダルと紋章とが同時に光った。

 ズズズ……

「?」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

「!」

 アステリスは上を見た。

 轟音は天井から来ていたのだ。ぱらぱらとかけらが落ちてくる。

 そしてアステリスは目を細める―――――天井が開いている!

 フェクタは茫然としている二人に慌てて身振りでどこかに掴まるよう示した。ジラルダは咄嗟に側の柱に掴まったが、アステリスは訝しげな表情を浮かべ、その一瞬の隙が出来た瞬間、船は凄まじい勢いをつけて突然真上に舞い上がった。

「きょええええ」

 アステリスは突風に身を晒しながら眼下に広がる神殿を見た。風が黒髪を舞い上がらせ、耳元を風が哄笑するかのように唸り続ける。

 激風に翻弄されるアステリスの手を掴み、縁に掴まりながらそのままジラルダはフェクタと共に甲板へ出た。

 激しく乱れ舞う髪を押さえようともせずにアステリスは神殿を見た。フェクタとジラルダが両脇に来て同じように見ている。縁に手を置き、アステリスは神殿から細い煙が上がるのが見えた。

「ねえ……」

 アステリスはジラルダを見上げる。

「……落ちちゃうの?」

「いや―――――」

 ジラルダは神殿を見据えながら―――――否、庭に横たわる男の姿を見据えながら、 ――――― 静かに答えた。

「フェクタの奮闘を見ただろう。あの機械の塔はもともと地上のバランスをとるために在ったものだ。フェクタはあの機械から大地を抑える力を解放してその力そのものを地上に返したはず……だからもう、地上はアラサナの助力を必要としない。それだけの力がやっと大陸すべてに戻ったのだよ」

「じゃあ神殿は……?」

 アステリスは心配そうに呟いた。ジラルダの目に、強い揺れと激しい風に流されて吹き飛ばされたイクシオンの亡骸が落下していくのが見えた。

 ――――― 惜しい男だった。

 能力を慢心さえしなければ、さぞかし世界に必要とされる人間であったろうに。

 イーリス……彼の残忍な野望の前に意味なく絶えた愛するひとよ――――

 自分はこの生命が果てるまで虹に彼女の姿を見いだし彼女を愛し続けるだろう。

「ジラルダ……」

 アステリスは相変わらず心配そうに自分を見つめている。

「あの機械の塔は、大地を抑制する力を持つのと同時に……浮遊する力を適度に保つためのものだったのだろう。多分ね」

 それにジラルダは長のあの言葉を覚えていた。元々この神殿は浮いているもの、しかし上に行きすぎては意味がない、上に行きすぎようとする力を上から抑え付ける役目も果たしていたに違いないのだ。

「それって……」

 アステリスは気が付いた。怪訝に思って神殿に目を戻す。

 爆発も煙も消えていた。あるのは恐ろしいほどの一瞬の沈黙。

 そして―――― 。

 カッ。

「 ――――― 」

 アステリスの言葉は突然神殿から迸しった凄まじい閃光の暴走によってかき消された。

 ゴゴゴ…… 

――――― ゴゴゴゴゴゴゴ……!

「! ―――――」

 アステリスは見た―――――。

 閃光を発しながらゆっくりと、轟音を上げながらゆっくりと天空を上昇していく古代空 中神殿アラサナの姿を ―――――。

 それは眼下から舟が飛んでいるのと同じ高さへと、そしてゆっくりと次第に見上げるほどの高さへ。

 ああのその気高さ、その崇高さ、天空の覇者アラサナは今、果てなく天へと上昇を続けようとしている。

 三人は神殿の上昇していく姿をずっと見ていた。

 真昼の太陽に、神殿は閃光を発しながら徐々に吸い込まれていく。

 ああ ―――――。

 アステリスはそのまぶしさにすうっと息を吸い込んだ。なんとすがすがしい風か。なんと眩しい光なのだろう。

「 ――――― 」

 アステリスはそっと目を瞑った。光に身をさらし風に身をさらした。




 そして神殿は消えていく ――――― 赫奕たる天空の彼方へと ――― !

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