七、継承する娘 2

 キィィン!

 二人の剣戟は続いていた。それはあの部屋の前から通路へ、通路からホールへと移動しながら尚続いて、今は二人は中庭にまで到って戦いを続けていた。二人とも身体のあちこちに薄く小さく傷を負っている。

 ガッ

 ィィィンンン!

 二人は噛みあった剣を力一杯押しお互い勢いつけて後ろに飛びすさったので、少しの距離をおいて睨み合い対峙する姿勢となった。

 息をきらし傷を負い、尚二人の睨み合いは続いている。緑輝き日射す中庭にこの二人だけが異端に浮き上がる。

「……」

「しぶとい奴だぜ」

 イクシオンは忌ま忌ましげに呟いた。なんと隙のない技か。

 ジラルダは答えなかった。じりとにじり寄ると飛びかかるようにしてイクシオンに一太刀を浴びせまた元の位置に戻る。鋭い金属音が響きわたる。

「貴公は ―――――」

「 ―――――」

 イクシオンは自らの切れる息の下からジラルダの声を聞き取った。えらく低い声であった。

「過去に一度私の大切なものを奪っている。二度と同じことはさせん」

「ほざけ!」

 ガッ

 ザザッ!


 戦いは続いている。


 そしてまたアステリスも奮闘していた。



    平和の使者は  平和の翼

    

   崇高なる者   鏡を照らす



「間違えてたら言ってよ? ね? ね……」

 アステリスは何度も鉄格子の向こうのフェクタに言った。



    平和の使者は  平和の翼 

     

   崇高なる者   鏡を照らす 



「訳わかんないよう……こんなの読めたってわかるわけないもん」

 アステリスは泣きたくなった。どうしてこんな時にジラルダがいないのだ。

「あたしジラルダみたいにできないし」

 その時アステリスの頭の中で何かがはじけた。

「ジラルダみたいに……そっか……見たままじゃなくて解読するんだ」

 アステリスは船の上でのジラルダの言葉を思い出した。

『文字を解読し次はその言葉を解釈する。二重解読というやつだ』

 アステリスは思い直してもう一度顔を上げた。そう思うと、今まで何の意味も為さないような難解で不可解だった言葉が、少し違って見える。



    平和の使者は  平和の翼

      

   崇高なる者   鏡を照らす



「へいわ……」

 アステリスは震動のなか薄い声で呟いた。

「平和の翼……」

 アステリスは文字の上の瞳の紋章を見た。あれこそが今まで何千年にもわたって地上の平和を守ってきたアラサナの象徴だ。

「平和の翼はあの紋章のことだ」

 アステリスは呟いた。フェクタは異論を唱えない。

「平和の使者……あたし……ううんフェクタ? ―――――……ちがう。平和と使者は別物だ。平和……」

 アステリスは混乱してきた。あああの、枯れはてたようなアラサナの長がここにいれば、あるいはジラルダがいれば、こんなことにはならなかっただろうに。

「 ――――― 」

 長。

 あの寺院の僧侶たちを彷彿とさせたあの老人――――― 。


 『アステリスに平和を』

 『平和な者は祈りを知る』

 『信じる者は謙虚になる』


「平和の使者は平和の翼……」

 アステリスは放心したように呟いた。

「平和な者は祈りを知る。……祈る者は……」

 アステリスは瞳の紋章を見た。ここが神殿、あるいは寺院だとして、祈りたい者はどうやって祈りを捧げる?

「祈る者は見上げる……」

 アステリスは呟いた。これで最初の謎は解けた。

「崇高なる者……崇高……信じる人。信じる心をもつ気高い人。崇高。崇高な者はたいてい信心深い……信じる者は謙虚だ。―――――……謙虚な者はひざまづく」

 アステリスはそこにぺたりとひざまづいた。

「鏡を照らす……―――――鏡?」

 アステリス怪訝そうに呟いた。確かそういう意味で解釈されるものはないはずだ。しかしいかんせん彼女の知識の範疇はとても狭い。そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。アステリスは爪を噛んだ。

 その時、カラカラカラカラという音と共に何かが回転しながらアステリスの元へ転がってきた。フェクタが持っていた円形の鏡を床を滑らせてアステリスに渡したのだ。

「これ? これで?」

 フェクタはしきりにうなづいた。アステリスが謎を解けたことに対して異様に興奮しているかのように、瞳が爛々と輝いていた。

 アステリスは鏡を胸の上に持ち膝まづいて瞳の紋章を見上げた。窓からの光が鏡に反射して白い光が壁をたどる。

 鏡に映った光が紋章の瞳部分に触れた。

 ―――――その瞬間に。

 カッ。

 瞳の紋章は光った。そして一瞬光が滅したあと一層強い光が部屋中に充ち、塔から階段のようなものが凄まじい音で降りてきた。

 カカカカカ……

 同時にフェクタを捉え虜としていた鉄格子も上に上がって声なき虜囚を解放した。

「フェクタ!」

 フェクタはアステリスに駆け寄りしっかと抱きついた。

「ううー怖かったよう。もうやだよう」

 アステリスは半泣きの状態で言った。

 フェクタはアステリスから離れると笑顔になって階段を昇っていった。

 終着点には平たい台のようなものがあって小さな窪みがあった。フェクタは今すべてを悟り首に手をまわしてあの銅版をそこに嵌めこむ。

 カッ。

 ドォン!

 ドォン!

 ―――――ドオン!

 三回の爆発。塔は煙をあげながら暴走を止めた。

 ここにジラルダがいればなんらかの知識によって説明をしたのであろうが、あいにくアステリスにはこれで何が起こったのかはよくわからなかった。

 この神殿が何故浮遊し、それがどうやって地上とのバランスを保っているかというと、地上の上に行こうとする、母体から切り離されたがゆえに本来ないはずの歪んだ重力と、上にあるものが下へ落ちるという、神殿そのものに生じている重力を、反発させているからである。そうしてその磁石のように反発した重力に助けられて神殿が浮遊するにあたり、機械にかかる負担は非常に軽く減じられている。そしてその軽くされた分の負担は母体から切り離され孤立し非常に危うい所をいっている四つの大陸の力を抑えるためにある。

 今こそその力を大地に還し大地そのものに抑制の力を授けるのだ。大陸分裂より数千年、大地自体にそれだけの力が戻っていてもおかしくはないはずである。

 フェクタは台の上にヒラヒラと踊った今はないアラサナ文字を読み取ると、それに従ってまずもうひとつの窪みに己れの両手を置き、正統な継承者の血統がそれによって確認されると今度は機械の言葉に従ってなにかやりはじめた。

 アステリスは、ただそれをじって見守るしかなかった。



「あんたもしつこいな」

 イクシオンはジラルダの剣を受けながらうんざりしたように言った。彼がこうしてジラルダと対等にやりあえているのは彼だけの剣の才能に助けられてではない。それだけならばイクシオンはとうの昔にやられている。ジラルダ・リシュリューという男は剣の天才なのだ。なまなかに相手がつとまるというわけでは決してないのだ。イクシオンは凄まじいまでの己れの魔法能力によって身体の各機能の水準を上げているにすぎない。

「貴公があの二人をどうにかするというのなら私は全力でもって貴公を阻止する」

 イクシオンはチッと舌打ちした。

「あの女のことか……まったくオレもやきがまわったぜ」

「貴公はそもそもなにゆえジェヴェイズにあのような混乱をもたらしたのだ」

「なに……」

 イクシオンは肩をすくめた。

「混乱と血の匂い、渦巻く憎しみと嫉妬と怒りの情景。これが人間に宿りないまぜになっていくと人というものは滑稽なほど本能を剥き出しにして戦い合う。それを見るのがたまらなく好きなんだ。オレは、オレ以外の人間はなんの価値もない、クズ以下だと思っている。そんな連中が身の程をわきまえてクズ同然に見苦しく振る舞う……考えるだけでたまらんな。楽しくてたまらん」

 ジラルダの瞳が一瞬鋭く光った。

 そんな理由でイーリスを?

 普段感情というものをいっさい表に出さず、淡々と興味の対象にだけ猛烈な情熱を注いでいることに専念しているこの男の瞳に、危険な光が宿った。

 怒り―――――。

 およそジラルダにはふさわしくないような言葉であった。しかし今彼の感情を支配しているのはただそれだけだった。他になにもなく、ジラルダの胸の内はたぎり腹は煮えくり返った。

 ジラルダは両手に持った逆さ持ちの剣を胸の前で交差させた。イクシオンがむっ、と身構える。

「―――――参る!」

 ザッ……

 ガッ!

 イクシオンは反射的に剣を胸の前にやってジラルダの剣を受けた。ほとんど本能に助けられたといって過言でない。ジラルダの一撃を受けたその腕は肩まで痺れていた。そして彼には、ジラルダの動きが見えなかった。イクシオンは生まれて初めて冷汗というもののを不快さを知った。同時にその恐ろしさも、冷たさも。

 今やジラルダは怒れる獣として彼と対峙し、そして、

 生まれて初めて「本気」になったのだ。 


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