六、To The Holy Sky Sanctuary of ARASANA 1

「―――――そ、そいで?」

「まあ落ち着きなさい。そんなに緊張しなくてもよい」

 四つあるうちの船室の一つに入り、二人はテーブルに向きあった。他の三つはそれぞれベッドがついているが、アステリスはフェクタと同じ部屋で寝起きすることにしている。 この四つ目の部屋は箪笥があったりテーブルがあったりして、アステリスは「テーブルの部屋」と呼んでいる。

 なぜそんなものがあったのか、ジラルダの部屋の箪笥には何枚もの紙が無造作に置かれて変色していた。筆記用具も同様である。どうもこの舟は前にも使われた形跡が色濃い。

 ジラルダは共通語で言う五十音字表のようなものをいとも簡単にすらすらと紙の上に書くと、

「古代語は一見言語の中で一番難解のように感じられるが規則性さえ覚えてしまえば他のどれよりも簡単だ」

 と言った。アステリスはテーブルの上の表に目を落とした。またきれいな字だ。

「まずこれがAだ」

「そしてこれとこれをつなげて……」

「二番目と四番目に注意して―――――そう、その後はいつもどおりだ」

「偶数は変化すると覚えればやりやすい。逆に奇数は変化もないし変化の対象になることがない」

 このようにしてアステリスは手取り足取り古代語をジラルダから学んだ。筋がいいのか、割にアステリスはすらすらと知識を吸収していった。ジラルダは一度だけ、

「半紙が水を吸い取るような速さだ」

 と言ったが、よく聞いていなかった。アステリスなりに一生懸命だったのである。確かに古代語は最初は難解でちんぷんかんぷんでちっともわからなかったが、規則性さえきちんと呑み込んでしまえばあとはアルファベットの暗唱と単語と綴りだけでそんなに難しくはない。二日目、アステリスはたどたどしくもジラルダの作った簡単な短文を読めるようになり、その日の夜には共通語で提示された言葉を書けるようにまで上達していた。まあ字もたどたどしくて、かなり時間がかかったことは確かだったが、それでも習得したことには違いなかった。

 アステリスは普段学と名のつくものすべてに対して疎遠であるような態度をとっているが、実際呑み込みも早く、理解力もなかなかで賢い方だと思われた。勉強が嫌いなくせに知的好奇心が旺盛で頭が良いとなれば、あと必要なのは良い教師だけだ。

「でもさあ」

 休憩の時間になってお茶を飲みながらアステリスはジラルダに言った。

「よくあんな暗号全部解読できたよね。ちょっと読めるようになってわかったけど、かなり難しかったんじゃない?」

「そうでもないよ。ただ私は年季が入っているから苦労せずに解けたように見えただけのことだ。文字を解読し次にその言葉を解釈する。二重解読というやつだ」

「あたしにゃ真似できないね」

 アステリスは呆れたように言った。

 扉が開いてフェクタが顔をのぞかせた。

「あれ? もうそんな時間か。今日はあたしの番だっけ?」

「うむ」

「おし。行こ」

 アステリスはジラルダをうながして言った。食事はジラルダとアステリスの交替制で作ることになっている。手の空いた片方はフェクタとテーブルを整えてそれが終わったら食事を作る手伝いをするのだ。

 二人とも料理に関してはそこそこ腕がよく、楽しみにできるほどのものであったが、一度二人の料理を口にすればどれをどちらが作ったか、すぐにわかるはずだ。アステリスは切り方も盛り付けも豪快、どちらかというと味付けが濃くこってりとしたものが多い。ジラルダは反対に野菜でもなんでも切り方が一定していて細かく、味もあっさりとしたものが多い。最初はちゃんと切られていた野菜が、最後の方になると太くなっていたりつながっていたりすれば、もうどちらの料理したものかわかるはずだ。

 材料は食堂の奥の小さな厨房らしき部屋の奥に階段があって、暗く冷たい大部屋があり、そのなかに無造作にあちこちに置かれていた。半ば凍っているものも多くあった。

「うー寒。いったいここってなんなんだろうね」

 アステリスは身を縮めながら手をつないだままフェクタに言った。彼女は楽しげにアステリスを見ただけであった。

 そんな生活が三日続き四日目に入っても風景は相変わらず青い空ばかりで、このまま宇宙まで行ってしまうのではないかと思うほどだった。アステリスの古代語もだいぶ進んできた。フェクタは相変わらず一日の半分を機械室で過ごしている。ジラルダはアステリスに請われるまま多くの昔語りをおもしろおかしく語って聞かせた。

 そして五日目の朝 ――――― 。

 アステリスは甲板から響きわたるジラルダの声に叩き起こされた。

「アステリス、来てごらん」

「うー……」

 アステリスの部屋の窓がしきりに叩かれた。朝日が別の窓から入ってきて眩しい。

「……っせえなー……おやじ……」

 と呟いたまま朝日から逃げるようにベッドのなかにもぐってしまった。

「アステリス! アラサナだぞ!」

「うそっ」

 さっきまでの寝起きの悪さが嘘のようにアステリスは飛び起きた。夜着―――――といってもただの白い服だが―――――を着たまま、アステリスは甲板に出た。既にジラルダが縁に手をかけ、フェクタを抱いて空のかなたへ視線を馳せて半ば硬直していた。

「わっぷ」

 凄まじい風に息が半分できないでいながら、アステリスはジラルダの横に立った。

 アステリスの黒い瞳が大きく見開かれた。

「う……わあ……」

 朝日に―――――くっきりと浮かぶ黒い神殿の影。

 荘厳にして華麗、高貴にして鮮やか……感動というには大げさな表現かもしれないが、見ているだけで言葉を失くしてしまうのならそれも妥当な言葉、今まで見てきたどの宮殿どの神殿どの遺跡よりもそれは重厚で華麗で静寂であるのに荘厳だった。それは近づくにつれますます見る者を圧倒した。大きく、存在感があって、なのに人をくわない、どこか聖母像にも似ている、アステリスは思った。そして傍らでやはりそれをじっと凝視しているフェクタを見、

「……故郷かい?」

 と聞いた。フェクタはにっこりと笑ってうなづいた。

「そうかい。そりゃあよかった」

 呟くと、アステリスはまたアラサナへ目を移した。神殿のあまりの凄さに圧倒されて、アステリスは半ば放心状態だった。完全に呑まれたといったほうがもういいのかもしれない。

 一方のイクシオンも凄まじい風に執念の一言で逆らいながら必死にタラップにしがみつき、額に手をあて神殿の影に目を細めながらも視線を馳せていた。

 ゴォン……ゴォン……

 舟は古代空中神殿アラサナに到着しようとしていた。



 ズ……

 ズザアアアアア……

 神殿の下部分には舟の発着のためのような横に広い入り口が別にあった。最初アステリスはちらりと見えた階段の上に降り立つのかと思ってひやりとしたのだが。どうやら発着場所は地下らしく、中は薄暗くあちこちに緑が生い茂って湿ったにおいを巻き散らしていた。

 ザザザザザザザ……

 轟音と共に舟は今、古代空中神殿アラサナに到着した。

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