五、虹の大地 6
4、 闇の間
正方形の部屋だった。ほんのりとうす明るいのは部屋が暗いわけではない。部屋全体の壁がすべて屏風のようになっていて線で区切られ、それらは続き絵のようになって、夜の世界と夜から暁への情景をさながら物語のように描いているのだ。全体が群青の宝石で彩られ、息を飲むほど美しく静寂な世界だ。絵は正面の左端から始まり暁の一歩手前で終わっている。
「……」
アステリスは絶句して室内を見回した。群青色の部屋。きらきらと光るのは夜明けや夜の光を表現して宝石が光っているためだ。しかも壁の群青は細かく砕かれていたりモザイクみたいになっているのではなく、一枚であちこちをカットしては輝きを出すように細工されている。つまり一枚一枚の区切りがこの群青色の宝石の塊一枚というわけだ。
「すごーい……きれい……」
ジラルダも黙ってアステリスの横に立ち部屋を隅々まで見ている。床、天井に至るまでそこは群青の世界。削られ細工され暁の光をあしらった宝石の輝きが部屋の唯一の灯。
「……」
ジラルダは碑文の彫られた壁を見つめて沈黙した。そんなジラルダを横目で見て、アステリスは先程のことを思い出した。自分を失っていたというのなら、あの時の彼は正に自分を失っていたのだろう。まるで別人だった。なぜイクシオンがイーリスの仇とわかったのかも、アステリスにはわかりかねたが、尋ねることは禁忌に思われた。
黎明の暗闇 紺碧に広がる池の果て
双頭の獅子は真理へと歩きだす
砂食みて 時過ぐる 闇 また 闇
天広がり 鍵落つる
思い 馳す 双生の都
「これは・・・・・難題だ」
ジラルダは瞳を見開いてそう呟いた。アステリスはふと不安になる。今まで考えながらも確実に解決していったジラルダの口から、こんな心細い言葉がもれようとは思いもよらなかった。
「まず最初に聞いておくけど―――――」
アステリスちらりとジラルダを見た。
「何語?」
「ん? ああ……」
ジラルダは壁を見つめたままさらりと言う。
「改古ウェニィエジェン語だ」
「なにそれ」
覚悟していたつもりだったのに、アステリスはげっそりする自分を感じながら聞き返した。
「改正後の古ウェニィ語が編纂されエジェン語に変化した一部の言葉だ。しかし事実上こういう言葉は存在しないので改古ウェニィ語とエジェン語の文法の共通点を探しながら解かなくてはならない」
「がんばってね」
アステリスはうんざりして言った。この男は、貴族時代よほど暇だったかあるいはよほどの変人だったに違いない。でなければこんな言葉を覚えようという気持ち自体起こらないものだ。
「まず先に言っておこう。この言葉の特徴としては名詞や動詞の特定連続変化があるということだ」
「いまの何語?」
アステリスは顔をしかめた。
「共通語だよ」
ジラルダは笑いながら説明した。
「例えば、ここに 闇 また 闇 という言葉があるね。闇という言葉が連続している。
だから最初の 闇 という言葉はvatueだが二番目はgratisになるのだ」
「……じゃあぜんぶ言葉がおんなじだったらそうやって変化するわけ?」
「いい質問だ。全部というわけではない。特定連続変化と言っただろう。あらかじめ規則として取り入れられている言葉のみにこれは適用されるのだ。闇の他はそうだな、光、風、水、土など……ほとんどが自然のものだ」
「ふーん……そいで?」
「思い 馳す 双生の都 。都は古ウェニィ語でまた、言葉という意味もある。双生の言葉・・・・・・つまりその規則のもとにこの言葉を解いていかなければならない。 まずは 黎明の暗闇 だがこれはこの部屋のことに間違いはないだろう。それから 紺碧に広がる池の果て だ。これは宇宙のことを言っている。天だな。そして天を示す言葉はもう一つ、天広がり とある。特定連続変化の規則にあてはめれば天はfague、そして二番目に来た天は変化してtiction」
「……それから?」
「砂食みて とある。砂を食むほどあるのはまぎれもなく大地だ。この言葉は大地を示している。大地はstractee。そして恐らくこれに相対している言葉は 落つる だな」
「なんでそんな確信もって言えんの?」
「落ちる、というのは、落ちていく場所があるから落ちるという表現があるのだ。善という言葉は悪があるから存在するのと同じだ。落ちる場所というのは地面の他ならない。大地の特定変化型はvaje。そしてさきほどの闇二つ。これを使うのはまだだな。最初の言葉に戻ろうか…… 紺碧に広がる池の果て ……」
「宇宙の果て?」
「いや、別個に解釈するのだろう。これでは意味が通じなくなる。 果て という言葉はいつでも終わりを意味する。そして宇宙の果てと言っている以上、そしてこの部屋全体が宇宙を顕わしているとなると、この部屋の果てということになる」
「でもましかくだよ。終わりも始まりもないよ」
「いい言葉だ。四角というのは方円の法則に従い東に始まり西に終わる。つまりいちばん西の壁だ」
アステリスは方位磁針を出して真西を探すと、そこに位置する壁の前に立った。
「いいよ」
「よし……。
宇宙は fague と tiction。繋いで読むとfagietiction。
さらに変化させるとfagutiction だ。・・・・・・北北西」
アステリスは壁の天井に近い上部分を北として北北西の位置あたりに目を馳せた。
大きな星をかたどった金の細工ものがある。よく見ると、細かいめもりがあってまわるようになっているのがわかる。
「次に大地。
大地は stractee と vaje。つないで変化させるとsaractievaje・・・・・・さらに変化するからstractivajiee。・・・7だ」
「そして闇……。
闇は vatue と gratis。変化型はvatugrawkee。……右、右、左……?」
ジラルダの呟きが訝しげなものになった。
きっとこれは金の星を象ったダイアルをまわす方向なのだろうが、めもりがついている以上すべての方向に七回ずつまわすというわけにいくはずもない。
「―――――」
ジラルダは考えた。しかし今までのように、もう良い思いつきは浮かんでこない。今までが潤々と豊かな水量をたたえては湧く泉であったのなら、今の状態は正に枯渇している状態といっていい。
「……―――――……」
「あのさ、」
アステリスが振り向いて言った。
「右、は変化しないの?」
ジラルダはその言葉に顔を上げてアステリスを見た。
「だって連続してるじゃん。右、右、左」
アステリスは幾分放心したように見るジラルダの反応に、自分の予想は間違っていると思った。
「……しないんだ」
「いや」
ジラルダは短く否定した。
「方向を数字に直すと右、右、左は確か1、3、3だ」
「1、3、3……ぜんぶ足すと7だよ」
アステリスはジラルダに目でいい? と聞いた。ジラルダはこくりとうなづく。
カチリ。
カチリ……カチリ……
右に一度、右に三度、少し置いてまた左に三度、アステリスは金の星のダイアルを慎重にめもりに合わせて回した。
「これでいいの?」
「そのはずだ……いやいや、 双頭の獅子は真理へと歩きだす ……獅子は9を現わす。それが双頭あるということは十八。待て待て」
十八へ回そうとするアステリスを声でとどめ、ジラルダはまた考え込んだ。泉はまた湧出を始めたようだ。
「真理……真理には色々な意味がある。一、正しきもの 二、古代語で西のこと、三、砂漠の上では矢と解釈される場合もある ……十八番目の意味は確か青」
「あんた頭の中に辞書でも入ってんの?」
アステリスが顔をしかめて聞き返した。
「青の意味は十六だ。めもりに数字は?」
「あちこち不規則に書かれてるよ。一もあるし九もあるし」
「十六は?」
アステリスはしばらく沈黙したまま身を乗り出すようにしてじっとダイアルを見つめていた。しばらくして薄暗い中からようやくアステリスの声が届く。
「……あるよ」
「そこに合わせて」
カチリ。
部屋に静寂が戻った。
―――――それでどうなる?
チリリリリリリリリ……
と、突然ダイアルが何もしていないのに回転を始めた。それは勢いよく、そして次第に早く。
「な……なに?」
チリリリリ……
―――――ゴトン。
「んぎゃっ」
アステリスの足元にいきなり何かが落ちてきた。
「な……何……これ……・―――かぎ?」
そう、それは鍵だった。壁を見ると見事に鍵の形をしてくりぬかれている。今まで壁であって、突然作り出したかのようにまったく不自然なところのないものだった。群青色の鍵。アステリスはどっしりと手に重く三十センチはあろうその大きな鍵を拾った。
「そ……それで……どうすんの?」
「それは……」
ジラルダが言いかけた時、正面の壁が……そう、開いた。否、開いたのではない、部屋が開かれた場所の一部にあったのだ。
「おお……」
ジラルダの低い歓声は厳かな扉が開くような音にかき消された。
ギギギギギギ……
壁が開―――――否、倒れた。
部屋中の壁が向こう側に倒れ、それが部屋ではなくさらにおおきな部屋のなかの箱庭であったことを、二人はこの時になって初めて思い知らされた。
「な……」
「おお……」
二人は絶句した。
そうそこは―――――……光溢れる、まるで温室。天井は四角錐の頂のそれを思い出させる。そこがガラス張りになっていてまぶしいほどの光を感じさせているのだ。そしてそれに照らされて―――――……まばゆいばかりに在るのは、舟。
ひどく船体が錆びている。今の今まで海底に沈んでいたと言われても誰も疑うまい。船体すべてが見たことのない金属でできているようだが、決して大きくはない。
両脇に四枚の板のようなものが伸びていて、しかしそれは板というにはあまりにも繊細で、そしてかなりしっかりとした骨組みで造られている。船体は箱型で、先端部分が少しだけとがっていて甲板のようになっている。そこから伸びた金属性の骨が透けた小さな階段はタラップなのだろう。そこから上にのぼると小さな船室のようなものがあって窓から色々な機械類が顔を覗かせていた。
アステリスが今までどんな古い遺跡に行っても見たことのないようなものばかりだった。 三人は舟の上にあがると船室の扉を見た。
そこには克明に描かれた世界の地図と、ARASANAの文字だった。
「そうかアラサナとは……古代アラサナ神殿のことか!」
ジラルダはそれを見てやっと思い出したかのように驚愕の呟きをもらした。
「古代アラサナ……なんなのそれ」
「アラサナとは四大陸の頭文字をとった言葉だ。そして同時に古エジェン語で『天空の覇者』という意味もある」
「? ……だってレンゼルド、イーフェン、ジェヴェイズ、ナイウェ、……頭文字じゃないよ」
「レンゼルドはアリカスト、イーフェンはラクテルヴ、ジェヴェイズはサリテン、そしてナイウェは歴史的な侵略が少ないため改名を逃れた」
「全部とってアラサナ……」
そしてアステリスは言ってから気が付いた。
「―――――古エジェン語?」
エジェン語は古代語のことだ。つまり直訳すると古・古代語になる。
「そんなのあるの?」
「古代語がなぜ古代語と言われるかと言うと古代に使われていたからだ。しかしここで古代というのは我々の主観的な見地であって、これを日常的に使っていた時代の人々にとっては『現在』だったわけだ」
「……まあ、そうやね」
「だから、彼らにとって古代語は古代語にはならないのだ。彼らの現在から前が『昔』であって、そうすると彼らにとってそれが古代語になる」
「……おみごとー……」
ぱち、ぱち、ぱち、とアステリスは手を叩いた。脱帽の一言である。
「じゃあさ、アラサナっていうのは、一体何をさす言葉なの?」
その時フェクタが足を踏み慣らして二人の注意をひいた。そちらに顔を向けると、フェクタは船室の中、機械がたくさん置いてある部屋に入り、それら機械類の前で二人を手招いていた。
「なに……?」
アステリスは放心したように呟いた。フェクタは必死に身振りで上を見ろ、と言っている。上とは機械の置いてある台のことだ。想像もつかないほどの長い間の埃が積もりに積もっている。実に夥しい数の機械類である。多くのボタンやレバーや、メーターのようなものもいくつもある。いくらアステリスが機械文明の遺跡を数多く見ているとはいえ、格が違いすぎる。手に負えない。
「だいたいこんなの動かしてどこ行こうっての。……動くとも思えないけど」
アステリスは機械類の上を見ながら呟き、ろくに見もせずに視線だけを滑らせた。そして全て見終わってから、何か視界に引っ掛かるものを感じてもう一度そちらへ視線を戻した。
「……フェクタ……これ」
ジラルダも歩み寄ってのぞきこんだ。
「これは鍵穴かね」
「……みたい」
フェクタはアステリスの腕をしきりに引っ張って鍵穴のある辺りを指した。なにしろ背
の低い彼女は機械の置いてある台すら見えないのだ。
「な、なに……? これ? これを……挿すの?」
アステリスは示された通り群青の大きな鍵を差し込んだ。
ぐっ。
ピィィィィィィィィン……
どこかで何かが唸る音がした。
そして今、発動を待っている。
そうだ。準備はいいぞ。あとは扉を開いてその向こうのエネルギーを船内すべてに充満させるだけ! それでこの舟は蘇る、さあやれ! 封印を解け!
「まわす……」
ブルルルルッ
どこで凄まじい音がした。爆発音?
ドッ
ドッ
「なななななななに?」
「外だ」
ジラルダは窓の外を見ながら言った。そう彼の目は、四枚の繊細にして強靱な板が今、羽根となって機械のはばたきを始めるのが見え、そして耳は、またどこか見えない機械室のようなところで何かが発動する音も聞きつけていた。
ゴオオオオオオオッッ!
そして一層凄まじい音がすると、突然何か小さな鐘が鳴るような、しゃららららという音がして、一瞬あと舟はまるで粉をかけられかけられたその場所から変化を遂げる化学変化のごとく、まばゆい群青の舟へと変わっていた。つやつやと輝く船体は油を塗ったようにぴかぴかに光っている。とても先程までのボロ舟とは思えない。
バルッ
何かか回転するような音がして、アステリスとジラルダ、そしてフェクタの体を激しく揺らした。
「ぎゃああああああ地震だああああ」
「違う。舟が動いている!」
アステリスは窓の外へ目をやった。本当だ。景色が動いている。否、動いているのは自分なのだ!
ゴオオオオオ……
轟音を上げて舟が動き始め、錐となっていたガラスの天井がゆっくりと音もなく開いていく。舟は前進を続け、そしてふわりと浮かび上がった。
「おお……!」
そして全身に大怪我を負い執念以外のなにものでもないもので追い掛けてきたイクシオンがそのとき部屋へ着き今正に浮かび上がり天へと上昇を始める舟を見て声を上げた。
「くそっ!」
彼は走り寄り、舟が完全に離れてしまうのをみとめると咄嗟に飛んだ。めいいっぱい伸ばしていた腕はすんでのところであの細い階段のタラップを掴んでいた。イクシオンは呪文を唱えて腕の力を補強すると、やっとの思いで階段の上にたどりつき、だいぶ離れた床を見て階段に腰掛けた。
傷が痛む。肺が悲鳴を上げている。気が付くと腹から血がにじんでいた。それを片手で押さえ、苦しげに絞り出すような詠唱ののち、
「ふん……なんとか間に合ったか」
凄まじい風に吹かれながら、イクシオンは傷の凄まじさにうめくようにして呟いた。
舟は群青の輝きを放ってガラスの屋根から飛び立ち、一気に空めざして飛翔した。
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